日常的な閑話
独自設定・解釈あり。短め。
ふらつく足取りでようやく彼は食堂へとたどり着いた。
空いている手近な席に腰を下ろす。
すぐにやってくるウェイターに、いつものメニューを注文し、懐からタバコを取り出し、火をつける。
そこで彼はようやく一息つく。
同じような光景はそこかしこで見受けられ、誰も彼もが疲れているのがよく分かった。
制服を胸ボタンの当たりまで外し、軍人にあるまじきだらしのない格好となったが、そんなことは構わなかった。
事実、休憩時間中は空軍のトップからして、そうしているのだから。
「……疲れたな」
彼――エーリヒ・アウエンミュラーはそう小さく呟いた。
彼は事務方に勤める尉官だった。
彼の所属は補給部門だが、そこと開発調達部門は空軍でもっとも恐れられている二大部門だった。
その原因は頻繁に横槍が入ること。
補給部門で言うならば、たとえば自分のところの補給を優遇してくれ、とそういうお願いに少将や中将といった連中がそれなりの頻度で来る。
あるいは新型機を優先的に回してくれ、とそういう類もある。
そういった手合の相手は面倒臭いもので、しかも中々引き下がらない故に無駄に時間を浪費する。
ただでさえ、処理すべき書類や連絡するべき関係機関は多いのに、そんなことをしている暇はない。
正式に発令はされていないものの、大作戦が予定されているようで、ツィタデルの頃と同じかそれ以上に仕事量は目に見えて多くなりつつある。
補給の順番を守れ、と魔法使いが言えば済む話ではあったのだが、その当人も横槍でとある部隊を創設させ、補給を優遇させた手前にあんまり大きくは言えないらしい、という噂をアウエンミュラーは聞いたことがある。
とはいえ、補給部門は開発調達部門よりはマシな方だと彼は思う。
調達部門は文字通りに魔法使いが直々に口を挟んでくる。
すり減らされる神経もマシマシだ。
その代わりと言ってはなんだが、補給部門と調達部門は給料が良い。
ついでにいえば、同じような苦労を分かち合う間柄ということで仲も良い。
「……今度の休みにバルト海でも見に行くか」
使う暇がなく、余っている給与。
ぱーっと使うのも良いかもしれない。
そう決めた時、アウエンミュラーの元にいつものメニューが届けられた。
湯気を立てているそれは最近、彼が個人的に興味を持っている日本の蕎麦であった。
かき揚げと海老天がのったそれは食欲をそそる。
食堂は空軍省の職員であれば何を頼もうが無料であった。
お昼時、ヴェルナーは難しい顔をし、目の前にあるハンバーガーを見ていた。
それはどこから見ても彼の知るハンバーガーそのものであった。
やがて、彼はそれを手に掴み、頬張る。
味も全く問題なく、美味しかった。
事の発端はルーズベルトからの提案だ。
ハンバーガーを売って欲しい、と。
ルーズベルトの意図はいわゆるご当地グルメ的な地位を獲得し、あわよくば輸出に持っていくことであったが、そこは食文化に対して妥協を許さないヴェルナー。
彼は文字通りに世界で売ることを前提に、本気で取り組んだ。
彼の抱えている料理人は勿論、馴染みの店の大将などのとにかく持ちうるありとあらゆる人脈を駆使し、ハンバーガーの開発に取り組んだ。
多数のバリエーションも生まれ――中にはチーズ餡シメ鯖バーガーというよく分からないものまであった――販売開始も秒読みの段階だ。
「やはり、食は偉大だ。胃袋を満たせば戦争は無くなる」
ヴェルナーはそう言って満足気に頷きながら、あっという間に完食。
「だが、デフレになるのもよろしくはない。あまりに低価格は問題があるな」
対策をしなければ、と思いつつ、午後の予定を確認すればちょうど日本の陸海軍の将官との会合が入っていた。
軍事レベルでの食文化交流――いわゆるミリメシ――でお互いの長所や短所を見るのも良いかもしれない。
ヴェルナーはそう思いながら、姿見で服装をチェック。
特に乱れはない。
もはや何回繰り返したかどうか分からない、染み付いたものだった。
時計を確認し、彼は会議室へと向かった。
アウエンミュラーは昼休みを終えて、自分のデスクへと戻ってきていた。
さきほどのだらけた姿とは打って変わって、ビシッとした面持ちだ。
デスクの上にある書類に目を通し、どれから処理するか、優先順位を頭の中で割り振っていると、横の同僚から声が掛けられた。
「Zはさっき会議室に入った。日本の軍人達と会っている。襲来はないぞ。調達部からの情報だ」
アウエンミュラーはその情報に頷き、礼を述べる。
ZはZauberer(=魔法使い)の略だ。
情報の内容はヴェルナーが午後から会議でいない、という意味になる。
アレコレ注文をつけられると一番面倒くさい人物の不在にアウエンミュラーとしても安堵の方が大きい。
アウエンミュラーとしては――というか、多くの者達は――ヴェルナーは単なる有名人程度の認識でしかない。
実際に接する機会がある者からすれば極々普通の――胡散臭く思える時すらある――中年男性だった。
今日だけでも平穏に仕事を終えたい――
そう強く思うアウエンミュラーだった。
ルブラン大統領は憂鬱な午後を迎えていた。
彼の元に届けられた報告書の数々。
それらのどれもこれもが敗北が足音を立てて近づいてきていることを教えてくれている。
陸軍のウェイガン大将によれば前線のドイツ軍は戦線正面が狭くなったことにより、減少傾向にあるとのこと。
また、相手に与えた損害は多少の誤差はあれど、数ヶ月の時間を稼げる可能性がある、とも。
「本国が戦場になるのは防がねばならん」
だが、とルブランは言葉にはせず、内心で思う。
それを許してくれる相手だろうか、と。
ルブランとしても――というよりか、政府としても既に講和を水面下で呼びかけている。
また、彼の持つ伝手によれば、いくつもの派閥――ブルボン派やオルレアン派、ボナパルト派などの大小様々なもの――がドイツとの講和、戦後のフランスの案内人たらんと動いている。
その中でも特に有力であるのがオルレアン派とルブランは聞いていた。
彼らに提示したドイツ側の条件は良く言えば温情に溢れるものであり、悪く言えばこちらを舐めているとしか思えないようなものだった。
「賠償金400億フラン、インドシナ及びニューカレドニアの割譲、市場開放及び資源採掘権……」
まとめてしまえばとても簡単なものだった。
400億フランといえば大きな額であり、マルク換算にすればおよそ800億マルクであるが、支払いの猶予期間が設けられており、40年以内に分割払いで構わない、というものだ。
40年ともなれば1年あたり10億フラン。
たとえ利息がついたとしても、決して払えない額ではない。
もっと莫大な賠償金をふっかけられる、との覚悟していたフランス側としては全くの予想外。
故に、裏を疑ってしまう。
本国領土の割譲すらないのはますます怪しい。
また、戦後フランスがどうなるか、ルブランにもさっぱり予想がつかない。
少なくとも、ドイツの支援を受けたオルレアン派が勢力を伸ばすことは間違いないが、他の派閥がそれを黙って見ているわけがない。
最悪内戦に突入し、他国の介入を受けてフランスという国家が消滅することも十分にありえる。
それだけは避けねばならない、とルブランは強く思うが、思ったところで行動に移さねばどうにもならない。
「オルレアン派について、ドイツ側がどのように思っているか、それを調べる必要がある」
困難な課題にルブランは溜息を吐いた。
ドイツがフランスを傀儡としようとするならば、それは防がねばならない。
その為の対策も、降伏する前に済ませておく必要があった。