砦の日
独自設定・解釈あり。
「何もないな」
ドイツ海軍海兵隊のバッツ少尉はそう呟いた。
彼をはじめ、多くの海兵隊員が乗る輸送艦リヒテンベルクはゆっくりとライン川を遡上している。
オランダ領内を通過する際には物珍しさから多くの見物人がいたが、そんな呑気な雰囲気とは裏腹にオランダ政府とドイツ政府の間では領内通過を巡って激しい戦いがあった。
軍から提出されたローレライ作戦。
オランダ領内通過という問題のみクリアできればフランス軍に対して大規模な包囲を仕掛けられるとのことで、ドイツ政府は戦争早期終結の第一歩として大いに乗り気だった。
そこで早速オランダ政府から許可を貰うべく、交渉を開始したのだが、オランダ政府は渋りに渋った。
それはひとえに、ドイツ軍の領内通過を承認したことで懲罰的にフランスが攻撃を仕掛けてくるのではないか、とそういう危惧がオランダ側にあったのだが、最終的には通行料をドイツ側が支払うことで領内通過を認めた。
通過を認めたのが作戦決行の2週間前というギリギリのタイミングだった。
「そりゃ、空軍があれだけ気張ればな」
傍にいたベスター少尉がそう返す。
2人をはじめ、多くの海兵達が見ているものはライン川沿いの田園地帯だったが、そこにはあちこちから黒い煙が立ち上り、クレーターのような穴が開いていた。
空を見上げれば空軍の戦闘機と近接支援機が多数、編隊を組んで飛んでいる。
初めての上陸作戦ということで不手際がないように、と空軍は予定よりも多めに部隊を投入し、上陸地点は勿論のこと、上陸地点に達するまでに通る両側の岸辺も根こそぎ事前爆撃で掘り返していた。
「……フランス軍は見えないな」
「爆撃でヴァルハラまで吹っ飛んでりゃ見えないさ」
双眼鏡で周囲を見回すバッツに対し、ベスターはそう返す。
そんな2人のやり取りを見て、若い海兵達はその緊張を解す。
軍歴が長いバッツとベスターの2人も、本格的な戦争での作戦に参加するのは今回が初めてだったりするが、そういうところはおくびにも出さない。
「しかし、随分と奮発したものだ」
「戦車だもんな。それも主力の四号ときたもんだ」
今回上陸する海兵2個大隊には四号戦車や自走砲など陸軍の装甲大隊に匹敵する装備を与えられている。
陸軍側は意外にも提供することに全く異論を挟まなかった。
海兵隊にしっかりと橋頭堡を確保してもらわないとローレライ作戦全体が瓦解しかねない為だ。
元々海兵隊は今回の作戦までは部隊ごとにあちこちで技能習得に励んでいた為に戦車の扱いもお手の物だった。
扱いに慣れた部隊をそのまま海兵隊の装甲部隊とすれば良かったからだ。
「上陸地点まであと少しか」
輸送艦も護衛の駆逐艦も全艦健在。
フランス軍からは砲弾が1発も飛んでこず、平穏そのものだった。
ともすればただの演習に思えるが、バッツはこれは実戦だとしっかりと心に刻み込む。
そして、何よりも感謝すべきなのはもっとも重要な作戦において、先陣を担わせてくれた魔法使いだった。
海兵隊の強化・拡充に尽力してくれる彼に海兵達は好意的だ。
「気は抜けんぞ」
バッツがそう言った直後――
列車が通過するような飛翔音が辺りに木霊する。
やがてその音は極大にまで達し、水面に大きな水柱を上げた。
バッツやベスターをはじめとした、甲板上にすし詰め状態となっていた海兵達は吹き上がった水柱により、ずぶ濡れとなる。
「くそったれめ! 撃ってきやがった!」
ベスターがそう悪態をつくが、バッツは何も言わずに上を向いた。
予想通り発砲炎を確認したらしく、空軍機がすぐに西へと飛んで行く。
バッツと同じように上を見た海兵達が歓声を上げながら、ヘルメットを大きく振っている。
「ヴォータンの軍勢の如く、か」
空軍の公式歌である『航空兵は勝利者』の1節に出てくる部分をバッツは呟く。
確かに神話に出てくるヴォータン(=オーディン)が率いる軍団――エインヘリヤルの如き強さと勇猛さを持っているといえるかもしれない。
「だが、勇猛さならこっちも負けはしない」
砲声は断続的に響き、輸送艦の周囲に着弾する。
幸いにも、ずぶ濡れになること以外に被害はない。
バッツは見る。
海兵達に怯えている者はいない。
無論、内心は別だろう。
とはいえ、何もできない状態で砲撃を受け、怯えを表に出さないことはそれだけで称賛に値する勇気だ。
「ようやく戦場らしくなってきたな」
そう言いながら、ゆっくりと歩いてきたのは彼らの上官であるボーデヴィヒ大尉だった。
彼は砲撃の最中であるにも関わらず、まるで遊覧船に乗って観光でもしているかのように、立ち上る水柱を横目で見、魚が可哀想だとか場違いな感想をこぼす。
「魔法使いは言った。海兵に求められるのは一にも二にもクソ度胸だと」
ボーデヴィヒはそう言い、不敵に笑ってみせる。
「どうやら私の部下は海兵として最高の素質があるらしい。上陸まであと僅かだ。各員、準備しておけ」
「くそったれめ!」
フランス陸軍第18機甲師団所属のベジャール中尉は空を飛ぶドイツ軍機に向かってそう悪態をついた。
彼の率いる部隊はライン川の西岸に陣取り、要塞線の後詰として控えていた。
自分達の出番はまだまだ先だ、と思っていた彼らにしてみれば寝耳に水の出来事だった。
しかし、今朝方からデュイスブルクで敵砲兵の大規模な砲撃と共に敵機による大規模空襲がライン川の両岸に満遍なく行われ、敵の輸送船団がライン川を遡上というまさかの事態だ。
慌てて警戒態勢を取ったものの、昼間に動くのは得策ではない。
既にフランス空軍がドイツ占領地の制空権どころか、フランス本国の制空権を喪失して久しい。
昼間に動くのは敵機に攻撃してくれと宣伝しているようなものだった。
だが、彼らの位置取りは昼間に動かない、という選択肢を選べそうにない。
ベジャールの戦車隊の陣取った場所はライン川の岸辺から土手を上がって200m程のところにある林の中だ。
「ルノーの新型を連中に見せてやる」
海軍の高射砲から転用した105mm65口径砲を搭載した、B2戦車よりもより大型の戦車――それが彼らの乗るルノーB3戦車だった。
ベジャールの部隊はB3戦車4両。
更に彼の戦車小隊を支援する1個歩兵小隊がいる。
車体を埋めた、いわゆるダグインをベジャールは行おうか考えたものの、もしここが上陸地点であったならば、上陸直後の敵を狙う為に必要最低限の偽装とした。
土手から上がってくる場合こちらの位置が全く把握できず、狙い撃ちできる。
いくらドイツ戦車が硬かろうが、この至近距離で狙えば抜けない筈がない。
同じように歩兵小隊も重機関銃をはじめとしたありったけの火器を設置してあり、歩兵や軽装甲車に対して大きな損害を与えることができると確信していた。
ドイツ軍は偵察隊を出すだろうが、それは見逃す。
もし偵察隊が林へ近づいてきた場合は攻撃するが、基本的に本隊を狙うよう歩兵小隊の長と話がついていた。
ベジャール達が戦闘態勢に入り、20分程が経った時、砲声が唐突に止んだ。
辺りに木霊するのは蝿のような飛行機のエンジン音だけだった。
「……砲兵がやられたか?」
ベジャールは車内でそう呟いたが、すぐにそれが間違いであることが通信によって分かった。
「陣地転換中、か」
数発撃ったらすぐに別の陣地へ移動する、というのはドイツ砲兵との撃ち合いを経験することで採用された戦術だ。
連中は空軍と協力してこっちの砲兵陣地を正確に叩きにくる。
昔ながらの、陣地に居座ってボカスカ撃つだけではやられるだけだった。
そして、迅速な陣地転換を可能とする為に砲兵は自走化もしくは自動車牽引とされている。
開戦時と比較し、自動車化の度合いが大きく上昇しているのは良い面だった。
「さぁ行くぞ海兵共! カエルを丸焼きにしてやるのだ!」
ボーデヴィヒの激と共に、海兵達は黙々と縄梯子を降りていく。
舷側は高く、舟艇に辿り着くまでに結構な距離を縄梯子で降らねばならないが、さすがに足を滑らせて落ちる者はいない。
所定の人員を載せた舟艇は次々に上陸地点へ向け、疾走する。
6隻の輸送艦から進発する多数の舟艇は岸辺に乗り上げると船首が観音開きとなり、そこから海兵を吐き出していく。
バッツ率いる小隊もまた敵の砲火に晒されることなく、無事に岸辺に辿り着いた。
彼らはラインの砂を踏みしめた感触に感動を覚えながらも、やるべきことは体に染み付いていた。
走っては伏せ、走っては伏せを繰り返しながら岸辺を西へと進む。
土手の麓に辿り着いたところでバッツは空を見上げる。
空にいる支援機は弾薬消耗により帰投した機もいる為、先ほどより減っている。
だが、まだまだ多くの機が張り付いている。
彼らが攻撃していないところを見ると、どうやら土手の向こう側に敵はいないようだ。
バッツは自ら先頭に立ち、土手をゆっくりと匍匐で登り始めた。
それにならって、彼らの部下達も続く。
そんな中、無線機を担いだ通信手がバッツに追いついてきた。
通信手であるボルツは巨漢であったが、腕力だけでなく、頭脳も優秀だ。
それ故に小隊の通信手であると同時に前進航空管制手というライセンスも持っている。
前進航空管制手とは地上部隊からの支援内容を支援機に伝える役目であり、陸海空軍が共同して設けたライセンスだ。
海軍も一枚噛んでいるのは将来的に空母艦載機が地上部隊を支援する可能性を考慮してのことだった。
ただ、まだまだ未熟な部分が多く、試行錯誤の真っ最中だが、そういったものが何もないよりはマシだった。
「少尉、上空の支援機より全方位通信です。土手の向こうに敵影無し、とのこと」
「連中は何に乗っている? 数は?」
「A5のようです。ただちに動けるのは2個小隊とのこと」
「30mmは頼もしいな」
バッツはそう言って笑みを浮かべ、止めていた匍匐を再開し、あっという間に登り切った。
登り切った土手の先は地図にあった通りに畑となっていた。
だが、爆撃で掘り返されただろう穴があちこちに開いている。
バッツは伏せたまま見回してみるが、報告通りに敵兵の姿はない。
彼が後方へ視線をやれば続々と小隊は登ってきており、また左右に視線をやれば他の部隊も続々と土手を登ってきている。
バッツが双眼鏡でより先を見てみると畑を超えた先は腰程まであるだろう草むらと林が見えた。
「俺が敵なら、あそこにトーチカを作っておくな」
そう言って双眼鏡から目を離した直後だった。
土手に着弾を示す土煙が巻き起こり、怒号と悲鳴が響き渡る。
「後退! 後退!」
バッツは叫び、土手の上に登ってきていた部下達を後ろへと追いやる。
死ぬよりはマシだろうと真後ろに来ていた部下を蹴飛ばしながら、彼自身もどうにか土手の斜面へと戻った。
「ボルツ! 支援要請!」
バッツが叫んだが、彼がそう命じるよりも――否、他の部隊が支援要請を行うよりも早く、地上の異変に気づいた支援機が行動を起こしていた。
エンジン音が高く唸り、次々とA5が旋回しながら舞い降りてくる。
彼らはおおよそのところに狙いを定め――
「すげぇ……」
バッツは思わず呟いた。
一気に着弾を示す土煙が舞い上がり、その後に遅れて低いモーターの駆動音が聞こえてくる。
ベヒーモスの咆哮とも呼ばれる30mmガトリングガン特有の音であった。
A5の編隊は数回に渡って攻撃を繰り返すと再び上空へと舞い戻った。
土煙が濛々と立ち込める中、バッツは後方を振り返り叫ぶ。
「突撃!」
彼は真っ先に立ち上がった駆け出し、土手の上に踊り出、そのまま立ち止まることなく進む。
そして、濛々と立ち込める砂埃の中に飛び込んだところで身を伏せた。
後ろからは次々と兵達が雄叫びを上げながら土手を上がってきており、彼らもまたバッツにならって身を伏せる。
小隊の装備は充実している。
MG13とMG27――史実でのM2とMG42――は勿論、パンツァーファウストや対物ライフルまでも揃っている。
やりたくはないが、戦車も一応は撃破できるだろう。
問題はない、訓練通りにやれば良い――
バッツはそう自らに言い聞かせ、土煙が晴れるのを待つ。
彼の小隊以外にも続々と他の小隊が土手を上がっており、彼らもまたある程度進んだところで土煙が晴れるのを伏せて待っているようだった。
そうこうしているうちに、ようやく土煙が晴れ始めた。
敵の攻撃は無い。
盲撃ちをしてきても良さそうだが、あの攻撃で根こそぎ吹き飛んだか、あるいは撤退したか。
バッツはそう思いながら、あらん限りの声で叫ぶ。
「小隊突撃! 畑の先の草むらに突っ込め!」
トーチカか、それとも塹壕か。
とにかくもし敵が生き残っていた場合、畑の真ん中で釘付けにされるのは悪い事態だ。
彼はそう考えて突撃命令を下し、自身も駆ける。
装備を抱えての徒競走は飽きるほどにやっている。
その基礎訓練の成果が今、発揮されていた。
バッツは草むらに一番乗りするや否や、遅れてブラント先任軍曹が飛び込んできた。
「少尉、敵は?」
ブラントが小声で尋ねる。
「敵が撃ってくれれば一番分り易いが、残念だが撃ってこない。出会い頭の戦闘になりそうだ。分隊ごとに散開しつつ、浸透だ。アントン分隊は私が率いて中央に進む。ベルタは左、ツェーザルは右だ」
了解、と答えブラントは指示を出すべく、下がっていった。
それから5分と経たないうちにブラントがアントン分隊の面々とボルツを連れて戻ってきた。
バッツはハンドシグナルで前進を命じる。
勿論、彼が先頭だ。
中腰でアサルトライフルを構えながらゆっくりと進む。
草の葉が体のあちこちにちくちくと刺さるが、そんなことよりも目の前の命の危機をどうにかする方がよほどに大切だった。
草むらを半ばまで進んだところで、バッツは異臭を感じた。
その臭いを辿るように、部下と共に進んでいくとフランス軍の陣地に出た。
しかし、それは正確に言うならば陣地跡とでも言うべきものだった。
「……こりゃ酷い」
バッツはそう言うしかなかった。
先ほどの航空支援の後、攻撃がなかった理由は簡単だった。
土嚢を積み上げただけの機関銃座で空から降り注ぐ2個小隊分の30mm弾に耐えるのは不可能。
ここを守っていたフランス軍は文字通り全滅したのだ。
壊れた機関銃とそれにこびり付いた肉片や血。
辺りの土や草は赤く黒く染まっている。
「軍曹、とりあえず林を確認しよう。林を確保し、そこに陣地を構築する」
バッツは極力スプラッタな現場を見ないようにしながら、ブラントとボルツ、ついでにアントン分隊の面々に告げる。
いくら訓練を積んでいる軍人といえど、こういうのは見たくはない。
「了解しました。それではベルタとツェーザルにも……」
伝えに行きます、と彼が言おうとしたそのときだった。
エンジン音が彼らの前方、林より響いてきた。
バッツは勿論のこと、その音を聞いた全ての者は悟った。
出てきやがった――
「畑に引っ張り出すぞ!」
空軍がいるなら、戦車だって怖くない。
バッツはそう強く思いながら、部下達と共に駆け出す。
彼らが草むらから走りだして数秒と経たないうちに、林から次々と写真で何度も見た敵の戦車が砲身を振り上げながら飛び出してきた。
「ルノーの新型だ! クソったれ! 随伴歩兵もいる!」
並んで走っていたブラントが振り返りながら叫んだ。
バッツも振り返れば、そこには高速で迫り来る戦車とその後方から駆け足で銃を抱えて走る敵兵達がいた。
突出を覚悟の上か、4両の戦車は速度を上げ、随伴歩兵を引き離しつつある。
おまけに敵戦車の機銃が撃ってきており、あちこちに弾着を示す土煙が上がる。
ルノーの新型が装備している同軸機銃は13mmクラスと資料にはあった。
バッツは雄叫びを上げて自身に気合を入れながら、ただひたすらに前へと走った。
そのとき、彼の目の前に数人の兵達が見えた。
彼らが構えているものを見、また彼らの上官らしき下士官が伏せろと叫んだ。
「伏せろ!」
バッツは叫びながら、倒れこむように地面に伏せた。
瞬間、独特の飛翔音が木霊し、後方から爆発音が響く。
バッツは口の中に入った砂にしかめっ面をしながら、後方を確認し、慌てて飛び起きて再び駆け出した。
高速で進む戦車に、真正面から山なりの軌道を描いて飛ぶパンツァーファウストを当てるのは中々に難しい。
そもそも、パンツァーファウストは死角から撃ちこむのが正しい運用法で、真正面から撃ちこむものではない。
彼我の距離は100m程度。目と鼻の先だ。
敵戦車の群れは僅かに速度を緩め、各々主砲を放つ。
土手の向こう側に着弾したらしく、盛大に土煙を上げているのが見えた。
どうやら狙いをつけない当てずっぽうだったらしいが、こっちを混乱させるには充分過ぎた。
たった4両でこれか!
バッツは悪態をつきながら、上空を見る。
空軍がいるはずだ。
すると先ほども支援してくれたA5の編隊が旋回しながら、ゆっくりとこっちに近づいてきている。
その進行方向から察するに、敵戦車の右側面に回り込もうとしていた。
「A5だ! 伏せろ!」
叫び、バッツは伏せる。
敵戦車のエンジン音とは違う、よりうるさいエンジン音が極大に達した時――
着弾音が響く。
それはまるで地面を抉るような音が連続して聞こえ、そして一瞬遅れて爆発音と独特のモーター音が聞こえてくる。
背後を見れば、土煙と共に炎が見えた。
先ほどまで聞こえていた戦車のエンジン音は聞こえない。
バッツは更にそこから離れ、ようやく一息ついた。
彼が敵のいた場所を見ていると、土煙は徐々に晴れてきた。
そして、その惨状が露わになった。
戦車4両は全て炎上しており、また多数いた敵兵の姿は見当たらない。
後方に逃げたか、あるいは30mm弾で跡形もなく吹き飛んだかのどちらかだ。
30mm弾は当たらなくても傍を通っただけで人体に重大な損傷を与える。
A5の編隊攻撃でそれをされて、無事に生き残るのはまず無理な話だった。
「少尉」
呼びかけに振り返れば、そこにはブラントがいた。
「不明6名、負傷4名。うち重傷は1名です」
ブラントの言葉にバッツは僅かに頷く。
「負傷者は後送しろ。敵の所在を確認しつつ、不明者を捜索する」
「どうにかなったか……」
フォン・クリーガー少将はそんな呟きと共に安堵の息を洩らした。
彼は今回のローレライ作戦の海兵隊側の総指揮官であった。
彼をはじめとした司令部要員達はラインの岸辺に辿り着いた直後に敵戦車の来襲とその砲撃を受けるという事態に直面した。
幸いにも被害はほとんどなかったが、その心胆を寒からしめるには充分過ぎた。
勿論、表には出さなかったが。
報告によると既に500m程内陸部へ進んだところで陣地構築を開始しているとのことだ。
これから陸軍が到着するまで、手持ちの兵力と海軍・空軍の支援でどうにかやらねばならない。
対する敵軍は機甲師団を含む、最低でも10個師団相当。
いっぺんにやってくることはないが、それでも近隣の最大2個師団がこちらに向かってくることが予想されていた。
「閣下、戦車の揚陸が始まりました」
参謀長の報告にクリーガーが頷いた直後――
雷鳴のような音が遠くから聞こえてきた。
「伏せろ!」
誰かの叫びにクリーガーは条件反射的に身を伏せた。
ライン川に盛大な水柱が1つ上がる。
それだけで終わらず、次々と連続して雷鳴のような音――砲撃音が聞こえてきた。
「クソっ! 狙い撃ちしてやがる!」
クリーガーは悪態をついた。
岸辺に揚陸されたばかりの弾薬や食料が危ない。
だが、それよりも重要なものは彼の部下達だ。
現在手元にある武器で長距離砲撃を仕掛けてくる敵をどうにかできるものはない。
大きな爆発と轟音が巻き起こる。
クリーガーは伏せたまま視線だけ音の方へ向ければ、つい先程、揚陸したばかりの弾薬箱が置かれた場所から煙と炎が上がっていた。
作業していた兵達はどこにも見当たらない。
クリーガーにはどうすることもできず、ただ鉄の暴風が過ぎるのを待つしかない。
しかし、ここにいるのは彼ら海兵隊だけではなかった。
後方、ライン川より連続した砲撃音が次々と響き渡る。
「いいぞ! やっちまえ!」
誰かが叫ぶのを聞き、クリーガーもまたそちらを見た。
海軍の護衛艦隊が次々と応戦していた。
旗艦マックス・シュルツをはじめとした、6隻の駆逐艦。
彼女らは艦隊防空用に建造された駆逐艦であり、主砲として対空・対艦両用の10.5cm連装砲を前部2基、後部1基装備している。
海軍基準でいえばそれは豆鉄砲に等しい。
しかし、海兵隊や陸軍の基準でいえば重砲であり、また艦砲特有の発射速度の高さも相まって極めて頼もしい存在だった。
彼女らは味方に当てないように最大仰角で撃っているが、クリーガーにはそれが牽制であるのが容易に理解できた。
本命は上空に多数張り付いている空軍機。
先ほどの近接支援で帰投した機もあるが、まだまだ50機近くは残っている。
ただちに多数の機が西へと編隊ごとに散っていく。
巧妙に偽装された陣地とはいえ、砲撃をすれば空からは丸わかりだ。
いつの間にか、敵の砲撃は止んでいた。
クリーガーはゆっくりと立ち上がり、砲撃を続ける駆逐艦を見つつ、視線をその後ろへとやれば――
「……あいつら、砲撃の中で作業してたのか?」
戦車と装甲車の第一陣がちょうど岸辺に到着し、舟艇からエンジンを吹かしながら降りてきたところだった。
もし一度中止していたら、こんなに早く岸辺に上がれるわけがない。
クリーガーは呆れたような、感心したような何とも言えない微妙な気持ちとなったが、すぐに思考を切り替える。
「内陸への浸透を急げ。敵の砲兵陣地を制圧だ」
吹っ飛んだ弾薬について、クリーガーは心配していなかった。
元々想定された事態であり、予備はあった。
「第一関門は突破したが、ここからが正念場だ」
クリーガーはそう呟き、自らの気を引き締めた。
ライン川に海兵隊が橋頭堡を築いていた頃――
「まさかコイツをもう実戦に出すとはな」
アルムスター大尉は呆れたような、感心したような口調でそう言った。
本来の予定では今回の作戦に彼らが参加する予定ではなく――というよりも、そもそも開発計画の予定ではこの時期、彼らの乗機はまだ試作機止まりであった筈だ。
「点数稼ぎなんじゃないですか? 空軍の新兵器とかそういう感じで」
大尉の横に座る副操縦士のバーレはそう答える。
轟々と唸るターボジェットエンジンの騒音が響くが、ヘッドセットのおかげで意思疎通にそこまで大きな問題はない。
2人の他、爆撃手など合計して6名がこの機体の乗員だ。
しかし、僅か6名の乗員に反してその機体は非常に大きかった。
前線から目と鼻の先といって良いクロイツタール空軍基地ではなく、彼らはより後方のカッセルにある飛行場にいた。
レヒリンから飛んできたのは2日前、出撃命令が下されたのはつい3時間前のことだった。
彼らの乗る機以外に11機が存在し、僚機と共に第655飛行実験中隊を名乗っていた。
部隊名から分かる通り、所属は実戦部隊ではなく、実験部隊だ。
「まあ、大きな不具合はないからいいんだが……」
アルムスターが言うように、彼らの乗る機は既存の爆撃機の常識を塗り替える新型機だ。
8基の大型ターボジェットエンジンを2つずつ束ね、ポッド式に両翼に搭載した戦略爆撃機B46だ。
B44とは比較にならない速度を高高度にて叩き出せるが、爆弾搭載量は物足りず、空軍上層部――特にヴェルナーを満足させるものではなかった。
だが、それで終わらないのがヴェルナーであった。
彼は当初からB46は実質的なテスト機と位置づけている。
戦略爆撃機の本命は推力をより向上させたエンジンを搭載し、機体各部の細かな改修をしたB46の発展型ともいうべきXB52という機体だった。
そんな事情があるB46と共に単発ジェット爆撃機B45も12機が同行する。
彼らを護衛する機はJF30からエンジン推力をより向上させたタイプであるJF130と双発のジェット戦闘機JF33であった。
だが、性能向上は日進月歩であった。
それを可能にしたのは膨大な資金と資源、そして人材であることは言うまでもない。
また、ターボファンエンジンの開発も進んでおり――原理的にはターボジェットエンジン内部にあるコンプレッサーの前部にファンを1つ追加したもの――実用化の目処がつき始めている。
アルムスターは操縦席の窓から見える、異質な機体に目を向けた。
一見しただけでは単なるレシプロ四発爆撃機にしか見えないその機体であったが、それはレシプロ機では出し得ない速度で飛行する次世代の爆撃機であったのだ。
「うちのボスは本当に魔法使いだ」
アルムスターはそう嘆息するしかなかった。
その爆撃機はターボプロップエンジンを4基搭載したB48だった。
続々と新型機を投入してくるドイツ空軍であったが、その作業ペースは実は戦争に負けてるんじゃないか、と技術者達に思わせる程の突貫作業であり、それは空軍だけでなく陸軍や海軍でも同じことだった。
この原因は単純だ。
戦争が終わったら無茶ができなくなる、だから今のうちに少しでも無茶して差をつけよう、という考えからヴェルナーが急がせている為だ。
だが、空軍だけに点数を稼がれる訳にはいかない為、引っ張られて陸軍や海軍もまるで敗戦間近のようなペースで新兵器の開発を急がせていた。
とはいえ、史実よりも大幅に強化されたドイツ工業界は民需を充分に満たしながら、軍の要求に答えてしまうだけの力があった。
その結果として、昨年の予定――8月頃に単発ジェット爆撃機が量産開始――よりも極めて早く単発ジェット爆撃機どころか四発爆撃機も登場するという洒落にならない事態になったわけだった。
「そろそろか……」
アルムスターはそう呟き、腕時計を見る。
1931年空軍パイロット向けモデルという長ったらしい名前の腕時計は市販品と比べてその頑丈性と正確性において群を抜いていた。
デザインも武骨なもので悪くはない。
ただ嘆くべきは彼らのボスが広報活動の一つとして、民間向けにも販売していることであり、ベルリンは無論のことあちこちのデパートで購入できてしまう。
子供の誕生日プレゼントに、と買う親も多いとか新聞に載っていたのをアルムスターが思い出していると――
「そういえば腕時計はウチのオヤジが子供の頃には無かったとか」
そう言うバーレにアルムスターは告げる。
「魔法使いが広めたからな。あの人は当たる商品とかそういうのが予知できるんだろう」
そのとき、管制塔から通信が入った。
『エルベ隊、離陸を許可する』
今回の作戦にあたって、与えられた彼らの部隊ネームだ。
「仕事だ。行くとしよう」
アルムスターはそう言い、機体をゆっくりと駐機場から滑走路へ向けて動かす。
B46の腹には5発の20インチ砲弾が搭載されており、12機合計で60発もの世界最大の砲弾が敵陣に降り注ぐことになる。
その砲弾は海軍より提供され、空軍が徹甲爆弾に改造したものだ。
そして、出撃するのは彼らだけではない。
要塞地帯を叩くべく、各地の基地から数多の航空機が飛び立ち始めていた。
彼らもまた20インチ砲弾をはじめとした戦艦の主砲弾を改造した徹甲爆弾をその腹に抱えているのだった。