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フランス空軍の報復

独自設定・解釈あり。

 1930年5月17日

 ジーゲン 西方装甲軍集団司令部


 午前1時過ぎ




「難しい状況だ」

 

 ルントシュテット大将は眉間に皺を寄らせ、傍らにいる参謀長に呟いた。

 女房役である彼には何が難しいのか、痛いほどよく分かった。


 つい数時間前、ルントシュテットは考えついた敵軍の行動を参謀らに話していた。

 参謀らはその可能性が高いことを指摘し、ルントシュテットはすぐに中央に布陣する部隊に警報を出した。


 だが、それから30分も経たないうちにその警報を出した多くの部隊から交戦中という報告が入ってきたのだ。

 また、敵軍は小規模部隊による浸透を行なっているらしく、潰しても潰してもあちこちから出てくるとのこと。

 夜間の為、森林内の視界は極めて悪く、奇襲は容易い。

 混乱に陥り、態勢が立て直せないのか、後退する、という報告を送ってきた部隊は多く、幾つもの陣地を突破されたとルントシュテットは日付が17日に変わる頃に判断した。


 そこからが問題だった。


 中央から浸透してきた敵軍は機動力では劣る歩兵師団。

 だが、夜間の森林に装甲師団なんぞ突っ込ませてはただのカモにしかならない。


 となれば、そういった戦闘が得意なブランデンブルク師団を投入すれば良いのだが、肝心のブランデンブルク師団はまだ戦場に到着しておらず、17日の昼頃に到着予定だった。

 これはルントシュテットが現在展開している師団の補給を優先した為だった。

  


「空軍に支援を頼もうにも、夜間ではな……」


 ルントシュテットはポツリと呟いた。

 夜間飛行が可能な者は多いが、誤爆の危険性が非常に高いことは誰にでも分かる。

 ましてや、それが昼間でも誤爆する危険性が高い森林となれば無謀であった。

 かといってこのままでは下手をすればあと数時間で司令部があるジーゲンにも敵がやってきそうだ。


 今のところ、ジーゲンの手前で後退した部隊が防御線を張り、ありったけの火力を叩きつけることで何とか凌いでいるが、凌ぎ切れるかはフランス軍の粘り次第だった。


 そのとき、扉が叩かれた。

 参謀長が誰何すれば相手はイェショネク少佐だった。


 ルントシュテットが朝の航空支援についてか、と思いながらも、入室の許可を出すと、少佐は興奮した様子だった。


「何か良いことでもあったのかね?」


 ルントシュテットが問うと少佐は肯定し、告げた。


「つい先程、修復のなったヴィットムントハーフェン基地より、B43が飛び立ちました。彼らの目標はランスにある空軍基地です」


 イェショネクはそこで言葉を切り、一泊の間をおいた後、更に告げた。


「また、B23がベルギーとの国境地帯にある線路を目指して出撃するとのことです」


 ルントシュテットは短く問いかける。


「できるのか?」


 イェショネクは答える。


「空軍は昼夜問わずの作戦行動を可能としています。さすがに敵味方入り乱れている森林への夜間攻撃は無理ですが……」


 ルントシュテットはその言葉に苦笑しつつも、素直に感謝したのだった。









 ほぼ同時刻



 フランス陸軍第32歩兵師団の師団長であるベルモン少将は上がってきた報告書に顔色が悪かった。

 夜間での森林戦闘ということで視界が非常に悪いこと、ドイツ軍が精強であることは作戦前から覚悟していたが、攻撃開始から僅か数時間で師団の戦力が30%近い損耗を強いられるとは思ってもみなかった。

 小隊・中隊レベルでは根こそぎ殲滅された部隊も多数あることは想像に難くない。


 本来なら3割も兵力を失ったら、本国へ戻って再編成をせねばならなかったが、とてもではないが、後退を上層部に進言できる状況ではなかった。

 もし後退すればドイツ軍に時間を与えることになり、それはフランス軍の敗北に直結している。

 また、現時点での損害報告が不正確であることがベルモンの精神を蝕んでいた。

 昼間でも損害を確認するのに時間が掛かるが、夜間ともなれば尚更だ。

 おまけに損害が増えることはあっても、減ることはない。 


 しかし、朗報もあった。

 敵の第一線陣地を突破し、第二線陣地を攻撃中、という報告だ。

 ただ、敵の攻撃は第一線陣地よりも激しいらしく、どうやら第一線を突破できたのは奇襲効果が大きかった為だ、とベルモンは判断していた。


「援軍が来るか、それとも左右のどちらかで友軍に突破してもらわねば、すり潰されるぞ……」


 ベルモン少将の懸念はもっともであった。








 月夜の中を轟々とエンジン音をまき散らし、B23の群れが飛行していた。

 彼らは2時間前、ヴィットムントハーフェンを飛び立っており、ここまで順調に行程を消化していた。

 彼らの目指すべき場所はフランスに占領されたベルギーであり、ベルギーとドイツとの国境地帯からドイツ方面へと伸びている線路だった。

 本来ならば夜間攻撃は目標に辿り着けない可能性の方が高く、操縦を誤れば地面に激突する可能性や僚機との接触事故すらもある。

 だが、その危険性があってもなお、敵機の迎撃を受けず、敵軍に心理的恐怖を与えるという効果は捨て難かった。

 その為にドイツ空軍では地上の指標に頼らない計器のみを使用した夜間飛行、それを基礎訓練の一つとしている。



 幾つもある編隊のもっとも先頭に位置するB23。

 その機内では攻撃隊長を任されたマッケンゼン大尉は横を飛ぶ僚機へ視線を向けた。

 月光に照らされているB23は幻想的であったが、その腹に抱えるものは破壊の力であった。


 マッケンゼンは視線を前へと戻す。

 計器頼りの夜間飛行訓練は飽きるほどやっている。

 事前に目標地点の座標も手に入れているが、それでも辿り着けるかどうかはやはり不安だった。


 相手はパリなどの大都市ではなく、線路だ。

 光が見えるわけでもない為、目標地点と思われる場所で横隊を取り、適当にばら撒くのが作戦だった。


 線路を複数箇所で寸断すること、それが作戦目標だ、と出発前のブリーフィングをマッケンゼンは思い出した。

 双発機よりも単発機の方がそういった任務では向いていそうだが、夜間に急降下爆撃を仕掛けるわけにもいかない為、B23が選択されていた。

 昼間にやる、という選択肢はなかった。

 陸軍はまさに今、危機的状況におかれており、朝には防衛線を突破されているかもしれない、と言われていた。


 マッケンゼンはB43の連中を少し羨ましく思った。

 あちらの方がランスという比較的分かりやすい目標がある分だけマシであった。

 B23よりも早く、B43の第53戦略爆撃航空団はランスにあるフランス空軍基地を目指して飛び立っていた。

 B43による爆撃でもって少しでも夜明けと同時に行われるだろう敵の航空支援を弱体化させる狙いだ。

 しかし、ランス基地には有力な敵迎撃部隊がいることも判明している。


 もっとも、戦闘機に襲われるか、それとも破壊不徹底で防衛線を抜かれるか、とどちらかマシかと聞かれればどっちも最悪だ、と答えたい心境だった。


「……まあ、ウチのがマシか」


 対空砲も無ければ戦闘機もない。

 とりあえず命の危険に曝される心配はないのだから。

 







 マッケンゼンがそう言った頃、第53戦略爆撃航空団の一群はランス基地へと接近しつつあった。

 パリ空襲の成功により、今回も隊長を務めることになったベッカー大尉は鼻歌でも歌い出しそうな程に気分が良かった。

 

 パリ空襲の時は敵の新型に迎撃されたが、今回はそんなことはない、と彼は確信していたからだ。

 不満があるとすれば断続的に続く空襲で何機かのB43が破壊されたくらいだ。




「大尉、フランスのラジオ局の電波を受信しました」


 無線手からそんな声が唐突に聞こえてきた。


「機内に流してみろ。何をやってるんだ?」


 ベッカーの言葉に無線手は無線の音量を上げる。

 すると聞こえてくる勇ましい歌声。


「ラ・マルセイエーズか……」


 流れ出るフランス国歌に眉を顰めるベッカーだったが、唐突に横に座るボッシュが高らかに歌い始めた。

 ラ・マルセイエーズに対抗するよう、歌われるそれはラインの護り。

 やがてボッシュに続くように他の面々も――機銃手達や爆撃手、そして流した無線手も歌い出す。



 唐突に光が下から差し込む。

 それはサーチライトによるものだった。


「ようやくお出迎えか。待ち侘びたぞ、カエル共」


 ベッカーの挑発的な声に反応するかのように、サーチライトの光は次々と数を増していく。

 やがて高射砲の砲声と砲弾の炸裂音が聞こえてきたが、炸裂音はひどく遠かった。

 フランス軍の防空部隊は爆撃隊の高度を正確に把握できていない、ということが分かるとベッカーもラインの護りを口ずさみながら、高度計を確認した。


 現在の高度は3500m。

 夜間は戦闘機が上がってくる心配がない為、少しでも命中率を上げるよう低い高度が選択されたのは当然だった。

 

「ちょい左へ!」


 爆撃手からの指示にベッカーは僅かに操縦桿を左へ向ける。

 すると今度は右へと指示された。

 ベッカーは絶妙な力加減で操縦桿を動かす。


「進路、そのまま!」

「真っ暗闇だが、ランス基地は広いと聞く。1発くらいは当たるだろう」


 ベッカーがそう告げた数秒後、爆撃手から投下の声が響いた。

 抱えてきた荷物がパラパラと夜の大地に落下していくだろう光景をベッカーは想像しつつ、告げた。


「基地へ帰るぞ」


 荷物を投下し終えたB43はゆっくりとその巨体を翻していった。









 5月17日 午前6時30分過ぎ


 フランス ランス空軍基地




「随分と手の込んだ贈り物だ」


 忌々しげにラ・メスリー少尉は呟いた。


 数時間前に行われた夜間空襲の直接的な被害は軽微だった。

 格納庫や管制塔などの施設は無論のこと、5本ある滑走路に当たった爆弾は数発であり、その命中箇所も滑走路の端であった。

 その為、離着陸にほとんど影響はないが、多く出た外れ弾には時限爆弾が多数含まれていたことが問題だった。

 しかも、ランス市内にも落ちたものがあるらしく、警察と憲兵は大忙しという話を聞いていた。


 突然、轟音が基地内に響き渡った。

 メスリーはその音の方へ視線を向けてみれば土煙が盛大に上がっている。

 敷地内ではあるが、何もない草原となっている場所だった。


 またドイツ軍の置き土産が爆発したらしい。

 数十分から数時間というバラバラに設定されているらしく、受け取ったフランス軍としてはいつ爆発するか分からない為、緊張を強いられていた。

 無論、基地所属の工兵隊により回収・解体作業が進められているが、1つ2つならまだしも、100個以上ある為、解体するよりも爆発する数の方が多かった。


 とはいえ、所詮はこけおどしに過ぎない。

 その為、予定通りに陸軍支援の攻撃隊は出発することになっていた。



 ドイツ空軍が弱体化していなかったことで昨日のうちに大急ぎで各地から回されてきた戦闘機部隊や補充されてきた部隊も今回の攻撃に加わる。

 その為、攻撃隊の総数は戦闘機138機、単発爆撃機102機、双発爆撃機43機の合計283機となる。

 その対応を気前がいい、と何も知らない若い兵士の多くは思ったが、あいにくとメスリーはその裏を読んでいた。



 奇襲と速攻により、ドイツを下した後、イギリス・ロシアに出血を強要しつつ、講和を求めるのがフランスの戦略だった。

 だが、現実は全く違った。

 確かに開戦から数日はほぼ予定通りに進んだ。

 しかし、ドイツ軍はフランス軍の予想を上回る速さで対応し、防衛線を構築し、フランス軍が最も恐れる消耗戦は既に始まっているといえた。


 メスリーが朝方聞いた広報部発表の陸軍の戦果報告によれば、焦点となっているジーゲンという街に迫っているとのことだったが、こちらの被害などはうまいこと隠されていた。

 被害を隠すのはおかしくはないことだが、こちらの被害があまりにも甚大であり、敵の防衛線をどうにか突破したものの、それ以上進めないのではないか、とメスリーは考えていた。

 その考えを補強する材料がランス空襲と前後して行われたベルギーとドイツ国境地帯に対する空襲だ。

 こちらは被害皆無という発表があるが、ドイツ軍が何もないところを爆撃するわけがなく、ベルギーからドイツへと伸びている線路を狙ったのではないか、と考えた。


 彼のそれは半分当たっていた。

 伸びている無数の線路のうち、そこそこの数が各所で寸断され、ベルギーからドイツ方面への兵力移動に支障をきたすことになった。

 だが、フランス方面からの兵力移動は変わらず行われており、続々と部隊が集結しつつあった。


 そんな状況だったが、メスリーの仕事は変わらない。

 栄光あるフランス空軍の一員として宿敵ドイツ空軍を打ち破ること、それ以上でもそれ以下でもない。


 難しいことはお偉いさんの仕事だ、そう割り切り、彼は愛機であるD520を見に行こうと格納庫へと向かったのだった。


 







 ジーゲン近郊 午前8時過ぎ




「……まだ、生きてるみたいだな」


 クラウス・フォン・ルントシュテット少尉は塹壕内でそう呟いた。

 彼の記憶では敵の攻撃が止んだ辺りから途切れている。

 銃撃音と砲撃音はまだ耳に残っており、昨夜の地獄が頭の中で蘇るような気がした。 


「御曹司、まだ生きているか?」


 横から聞こえてきたのは彼の補佐役であるディルク軍曹の声だった。

 上官に対する正しい言葉遣いとは言えないが、新米士官はそんなもんだ、とクラウスは父親から聞いていた為、別段問題視していなかった。


 彼の父親は姓から分かる通り、ヴェルナーであった。


「軍曹、どうなったんだ?」

「あいにくと自分もチンピラのように銃を乱射していただけですんで」


 さっぱりわからん、と締める軍曹。

 仕方がない、とクラウスは塹壕から僅かに顔を出そうとして腕を捕まれ、強い力で押し戻された。

 何事かと顔を向ければディルク軍曹だった。

 

「狙撃されるから顔は出すな。何があってもだ」


 真剣そのものの表情だった。

 クラウスは僅かに頷き、ついで口を開いた。


「ありがとう」

「気にするな。お前が死んだらお前のオヤジが怖い」


 その嘘か本当か分からない言葉にクラウスは苦笑する。


「陸軍に入るとき、死ぬ覚悟はできていると言ったら、死なない覚悟はできているのか、とそう言われたよ。オヤジに」

「道理だな。まさに今のような状況で生きる努力をすること、それが死ぬよりも遥かに重要だ」


 ディルク軍曹はそう言い、塹壕内を見回す。


 小隊の兵士達が蹲っていた。

 生きているのか、死んでいるのか分からない。

 後退してくる途上で戦死したり、はぐれたりした為、第2線陣地に到着したときには定員の50名から38名にまで減少していた。


「幸か不幸か、弾は大量にある。敵が来ても何とかなるだろう」


 そう言い、ディルクは落ちていた彼のアサルトライフルを手にとり、銃についた土を払った。

 Stg29と称されるそのアサルトライフルは7.92ミリ弾を発射する為に射程距離も長く、また遠距離射撃時において風に流されにくい。

 無論、威力も申し分ない。

 そんなStg29であっても、弾薬が無ければ戦えない。 

 だが、昨夜の撃ち合いの最中にも後方から弾薬を満載したキューベルワーゲンがひっきりなしに訪れ、無くなる暇が無い程に大量の弾薬が陣地内には存在した。

 

 そのピストン補給のおかげで、彼らはこうして陣地を死守しつつ、フランス軍に多大な損害を与えることに成功している。


「コレとMG13、そしてMG27、これだけあればとりあえず歩兵部隊に突破されることはない筈だ」


 MG13は史実のM2であったが、MG27は1927年に開発されたものだった。

 だが、その開発コンセプトはとにかく短時間で大量の弾をばら撒くことにあり、史実でのMG42に匹敵する性能――7.92ミリ弾を毎分1200発近くばら撒けるものだった。

 おまけに専用の三脚架を使えば射程距離が3kmまで伸びるという化け物だ。

 言うなれば散弾が空から降ってくるようなものであり、あまりに高すぎる連射性から電動ノコギリの異名を取っていた。

 正確性とは180度真逆の兵器であったが、制圧射撃においてはこれ以上無い程の頼もしいものだ。

 ついでに言えば敵の地上攻撃機にもその連射性により、照準を狂わすことができるとされていた。



 クラウスは頷きつつ、塹壕内を見渡せば少し離れたところに展望鏡を発見した。

 疲労により体は鉛のように思いが、どうにか気力を振り絞り、そこへと辿り着く。

 そして、覗いてみればそこにあったのは真っ赤に染まった草木であった。

 ところどころに人体を構成していたと思われる肉片が垣間見える。


 こりゃしばらく肉は食べられんな、と彼は頭の片隅でどうでもいいことを思いつつ、動くものがいないかどうか観察する。

 しかし、見える範囲に生きている――というよりか、原型を留めている敵兵は見当たらなかった。


 敵影なし、そう報告しようと思ったそのとき――

 エンジン音が微かに聞こえてきた。

 それは後方からのものではない。


 クラウスは反射的に叫んだ。


「敵車両接近中!」


 ディルク軍曹もまた反射的に動いていた。

 彼は蹲っている兵達を乱暴に叩き起こしながら、無線機の傍で寝ている通信兵を叩き起こす。

 寝ぼけ眼をこする暇もなく、通信兵は訓練で幾度も叩きこまれた通りに無線機を操作し、砲兵部隊へと繋げた。

 ディルクは敵車両接近中と支援を要請した後、手近なところにあった弾倉をいくつか引っ掴み、クラウスの傍へとやってきた。

 彼はそのままクラウスに弾倉の1つを渡しつつ、自らは肩に掛けたStg29に弾倉を装着する。

 

 他の兵士達も次々と自らの得物のStg29の具合を確認し、弾倉を装着する者やMG13、MG27にかじりつく者もいた。


 その間にも敵車両のエンジン音は大きくなりつつあったが、それよりも早くドイツ軍砲兵が阻止射撃を開始した。


 後方より響く砲声――

 砲声から数秒程で急行列車のような甲高い音を発しながら、陣地から数十m程離れた森の中に着弾し、土煙を上げる。

 それらは当初こそ疎らであったが、次第に数を増し、効力射へと移っていく。




 砲弾が着弾する度に粉砕された樹木と土砂が空へと舞い上がる。

 クラウスはその中に敵兵や敵の戦車の破片がないかどうか目を凝らしたが、捉えることはできなかった。

 そうしている間にも敵のエンジン音はいよいよ高まり、目前にまで迫っていることを否が応にもクラウス達に知らせる。


 やがて木々の隙間から角張った装甲車が飛び出してきた。

 車体の真ん中にある大口径機関砲が獲物を探して左右に蠢く。

 その砲口とクラウスの視線がかち合ったような気がした瞬間――


「撃て!」


 ディルク軍曹の声が響いた。

 瞬間、陣地は騒音に包まれる。

 MG13の重い発射音とMG27の布を裂くような甲高い音、そしてStg29の軽快な音。

 それらは混ざり合い、戦場の旋律を奏でる。


 敵の装甲車はそれらの銃撃を物ともせず、ゆっくりと迫ってきた。

 反撃の機関砲が唸り、小癪なドイツ兵を叩き潰さんとする。


 更に後方からは戦車が3両、ゆっくりと出てきた。

 戦車から僅かに遅れて随伴歩兵がわらわらと溢れ出してくる。


 普通ならばここは撤退するところだった。

 相手はどう見ても1個小隊――それも数を減じた――で相手にできるレベルを超えている。

 

 だが、クラウスは確固たる勝利の方程式を掴んでいた。

 故に――


「フランス人にマウザーの味を教えてやるのだ!」


 そう言いつつ、彼は後ろにあった集束手榴弾に目を向ける。

 パンツァーファウストができるまでのとりあえずの繋ぎとして配備されたものであり、対戦車戦闘における最後の手段とされていた。

 いざとなったらこれをぶつけてやる、と覚悟を決めつつ、通信兵へと視線を向けた。

 通信兵は教範通りに敵の戦車や装甲車の数や位置を砲兵に通報している。


 笑みをクラウスは浮かべた。

 彼らのいる陣地から少し下がったところには先程、阻止射撃をしてくれた砲兵とは別の、直接支援を行う砲兵がいた。


「すぐに連中の車両は潰される。我々の守護神は傍にいるぞ」


 そう言った瞬間、後方から砲撃音が響いた。

 瞬間、目の前に迫っていた敵戦車の砲塔が吹き飛んだ。

 更に連続して砲撃音が轟き、残っていた2両の敵戦車と装甲車は真正面から砲弾に貫かれ、その動きを止める。


 その間にも敵歩兵達は迫っていたが、MG13・MG27・Stg29の弾幕射撃により、突撃する端から次々とミンチに変えられていた。

 やがて敵兵は算を乱して潰走していったが、その数は攻撃開始時と比べて驚くほどに少なかった。


 その様子を見、クラウスは思わず溜息を吐きたくなった。

 攻撃側は3倍の兵力が必要とされる。

 本土からフランス軍を叩き出す為には自分達がフランス軍の弾幕に突っ込んでいかなければならないのだ、と。


「生存者の救出はどうしましょうかね?」


 ディルク軍曹の問いにクラウスは展望鏡を覗き、周囲を窺った。

 周囲の樹木ごと根こそぎ薙ぎ倒されている為、狙撃の心配は無用な気もしたが、念の為だ。


 目に入ってくる新鮮なミンチにクラウスはげんなりとしつつも、生存者を探すが、やはり原型を留めた敵兵はいなさそうだった。


 ミンチしかない、と彼がそう言おうと思ったとき、視界の端で動くものがあった。

 クラウスは展望鏡から目を離すとStg29を持ってディルクと近くにいた数名の兵士についてくるよう指示し、塹壕からゆっくりと出た。

 周囲は凄惨そのものであり、地獄という言葉が似合う場所であった。


 ついてくるよう言われた運のない数名の兵士達はその光景を間近で見、思いっきり顔を顰めたが、クラウスもディルクもそれを咎めることはしなかった。


 クラウスはディルクらを引き連れ、黙々と歩いていくと血と肉片に紛れて1人の敵兵が体を震わせて蹲っていた。


『銃を捨て、降伏しろ』


 短く、クラウスはフランス語で告げた。

 その言葉にその兵士はゆっくりと顔を上げる。


 若い、少年と言ってもいいような顔だった。

 彼はおずおずと持っていたトランペットのようなブルパップ型アサルトライフルをクラウスに差し出す。

 

 それを受け取り、彼は他の持ち物を調べるようディルクらに告げ、フランス軍が潰走していった森へと目を向けた。

 この先にはケルンがあり、更に先にはフランスがある。


 フランスを陥落させるのは何年先になるのか、クラウスにはさっぱり分からなかった。



 ちょうどそのとき爆音が遠くから聞こえてきた。

 同時に空襲を告げるサイレンも鳴り響く。


 フランス空軍の定期便だろう、とクラウスはあたりをつける。


「退避しよう。流れ弾で死ぬのは嫌だからな」

「このフランス人はどうしますか?」


 クラウスの言葉に対し、問いかけるディルク。

 そんな彼にクラウスは笑みを浮かべる。


「せっかくの捕虜だ。空襲が終わるまで我々で監視した後、憲兵に引き渡そう」

















 ベルリン 午後13時過ぎ



 ヴェルナー・フォン・ルントシュテットはベルリンの大通りから少し離れたところにある日本料理街にいた。

 彼がどうしても日本料理を食べたい、と思ったが故にポケットマネーを使い、日本の料亭を多数誘致したのは15年程前の話だ。

 15年前、ゲテモノのような扱いを受けた日本料理の数々は今ではベルリンどころか、ドイツ中でヘルシーで美味しいと高評価を得ている。


 特に納豆は当初こそ人間が食べるものではない、というような意見が主流だったが、今では賛否両論あるものの、一応受け入れられている。

 職場を抜け出しての昼食は今もなお職場で頑張るヒムラーらの部下には申し訳ないが、仕事を忘れさせてくれる一時でもある。


 折しも、つい30分程前にフランス空軍の昼の定期便――陸軍への航空支援が終わったばかりであり、空軍参謀本部に属する者達は一息つくことができていた。

 朝と昼の空襲では敵戦闘機の比率がやや増加しているという報告だったが、ヴェルナーからすれば現状はやるべきことを全てやった状態であり、時間が過ぎていくのを見守るしかない状態だ。


 いくら彼が魔法使いと渾名されていても、何もないところから戦闘機を出すことはできない。


 そんなヴェルナーが鰻料理屋で食事を終え、店から出たその直後――


 独特のサイレンが昼のベルリンに響き渡った。

 道行く市民は何事かと立ち止まり、そのサイレンをただ聞いているだけだ。


 お昼のサイレンなどでは決してない、そのサイレンは本来、ベルリンで鳴る筈のないものだった。

 そして、それが鳴ったとなれば軍の致命的な失点となる。

 ベルリンでそのサイレン――空襲警報が鳴るとはそういうことだった。



「大佐……」


 若い従兵が不安げな瞳でヴェルナーを見つめてきた。

 今年で19歳になるというこの従兵はクルツと言い、つい数日前に配属されてきたばかりだ。


「クルツ、君は君の仕事をすればいい。つまり、そこにある車で私を参謀本部にまで送ればいいのだ。実に簡単な仕事だ」


 ヴェルナーの言葉にクルツは僅かに頷いた。

 それを見たヴェルナーは鷹揚に頷き、車に乗り込んだ。


 クルツもまた運転席へと乗り込み、車を発進させる。




 ここから空軍参謀本部までの時間は車で20分と掛からない。

 空襲警報の発令から5分も経っていないにも関わらず、道路には警官隊と憲兵隊による交通規制がかかっており、自動車やバスは道路脇に止めるよう指示されているのがあちこちで見えた。

 車から降りた民間人達は憲兵や警察官に不思議な顔や不安げな顔を向けるが、指示に従って整然と避難していく。


 そのような最中、さすがに空軍所属の公用車を止めようとする者はおらず、ヴェルナーらは10分程で参謀本部前へと到着した。

 車はクルツに任せ、ヴェルナーは足早に参謀本部へと入る。

 参謀本部内は騒然としており、誰も彼もが焦燥にかられていた。


 帝都ベルリンを攻撃されるのはそれほどまでに大事であり、パリ空襲の仕返しを成功させてはならなかった。




 ヴェルナーの管轄は補給関連全般である為、そういった作戦指揮関連に関わることはほとんどない。

 だが、それでも知りたかった。

 彼と同じように考えた将校は多いらしく、参謀本部の地下にある広大な作戦統制指揮室――無数の通信機器を揃えた前線からの情報集積基地――に集っていた。

 ヴェルナーが入った時、そこは既に将校達でいっぱいだった。

 彼のように作戦指揮に関わらない部署の者も大勢おり、聞こえてくる会話によれば防空壕としての役割を期待している、という建前的なものだった。


 確かに1トン爆弾が直撃しても耐えられる設計になってはいるが、防空壕としての役割を期待して入っている者はほとんどいないことは明白だ。

 誰も彼もが入ってくる情報に固唾を飲んで見守っている。


 そのような大勢の迷惑な将校達が見物しているにも関わらず、オペレーター達は通信士官達からもたらされる情報通りに地図の上に置かれた駒を動かしていく。


 ヴェルナーは地図上の駒配置を見、敵はこちらの迎撃網に穴が開くときを狙ってきていた、と確信する。

 先のジーゲンにおける戦闘終了から1時間も経っていない。

 基地に帰還し、機体の異常を確認し、弾薬と燃料を補給して――では到底間に合わない。

 間に合ったとしても、少数機だ。


「敵の爆撃機、概算300以上、護衛機100以上。ゲッティンゲン上空を通過中。高度およそ6000」


 絶望的な数字を通信士官は淡々と読み上げた。


「四発機を300機? 今まで出してこなかったのはベルリンを叩く為か……」


 そんな声が聞こえてきた。


 確かにフランス空軍も四発機を開発し、実戦配備につかせていた。

 それらはB43と比較した場合、性能的には劣ると判断されていたが、それでも侮ることはできない。

 何でそれを出してこないのだろうか、と誰も彼もが内心不思議に感じていたことだった。


 そして、その疑問はたった今、解決された。

 フランス軍は数を揃え、ベルリンを叩くというドイツ側にとってもっとも心理的に嫌な回答で。 


 純軍事的に見れば首都を叩いたところで彼我の戦力差は覆らない。

 だが、それ以外の政治的要素で見れば首都を攻撃されたという影響は悪い意味で極めて大きい。


 無論、ベルリン周辺にも戦闘航空団は幾つか存在する。

 それらの戦闘航空団は表向きには帝都防空の為であり、フランス空軍の定期便を出迎えてはいない。

 だが、実際の理由はつい3日前にようやくTa152やMe209、He119などが届き、実機を使った機種転換訓練を始めたばかりだった。

 帝都防空を任せるにはあまりにも機体に慣れていなさ過ぎる上、数が少なすぎる。

 言っては悪いが、前線で敵機を落とせずに攻撃を許すのはまだ構わない。


 だが、首都に攻撃を許すのは致命的だ。

 それが同盟の盟主たるドイツ帝国の帝都ともなれば同盟国の動揺も計り知れない。




「皆、ここにいたのか?」


 最後に入ってきたファルケンハイン大将は呆れた口調でそう言った。


「まあ……私も君らと同じだがね」


 続けられた言葉に笑いが漏れた。

 

「しかし、早期にレーダー網を整える必要があるな。無論、レーダーと連動した対空砲もだ」


 そう言ったファルケンハイン大将の眼光は鋭く、地図上のフランス軍爆撃隊を示した赤い駒を見ていた。

 刻一刻とそれらは動かされ、ベルリンへと近づいてきている。


「防空体制はどうなっている?」


 問いに担当の将校が答えた。


「既に周辺の戦闘航空団及び帝都防空航空団に迎撃命令が下されております。また、ベルリン周辺の対空陣地も撃ち始めるかと……」

「到達時刻は? また予想される迎撃率は?」


 問いに将校は言葉に詰まった。

 彼はきっとベルリン周辺に展開する戦闘機部隊の稼働率をよく知っているが故に、答えにくいものだった。


「到達予想時刻は14時過ぎです。迎撃率は現状の稼働機数から考えますと、かなり低い……良くて20%、悪ければ10%未満に……」

「それはつまり、下手をすればベルリンの8割以上が灰塵と化すという意味だな?」


 ファルケンハインの言葉に誰も何も言えなくなった。

 ヴェルナーは何か無いかと思案するが、中々出てこない。


 当然だ。

 手持ちのカードは全て切っている。

 ジーゲンでの迎撃戦に出た戦闘機達が少しでも多く上がってくれることを祈るくらいしかないが……


 ヴェルナーはそこで気がついた。

 レヒリン空軍実験センターだ。


 あそこには常に一定数の戦闘機と実験機、そしてテストパイロット達が大勢いる。

 そして、空軍実験センターは補給本部の管轄下――すなわち、ヴェルナーの管轄だ。

 

 Ta152やMe209、He119、He100、S85の採用されたばかりの新型機が全部合わせて20機程。

 そして、それを操るテストパイロットにはヴェルナーがスカウトした、史実では著名な人物達も含まれている。


「私の指揮下にあるレヒリンの技術実験飛行隊を出撃させます。数は20機程でありますが……」


 鷹揚にファルケンハイン大将は頷き、ここの通信機を使うよう指示する。

 ヴェルナーは空気を読んで待機していた通信士官に電文を頼んだ。

 即座にそれはエニグマにより暗号化され、発せられた。


 ふとそのとき、ヴェルナーは妻が無事に避難できたか、気にかかった。


「何が何でも、ベルリンに入れさせやしない」


 同時に呟きがヴェルナーの口から漏れた。

 それは軍人としての責務か、それとも妻の為かは当人も分からなかった。











 マクデブルク上空 午後13時40分




「上がれたのはJG53で2機、他の顔馴染み連中やベルリン周辺の部隊を含めても40機程度か……」


 ヴィルケ少尉は渋い顔でそう呟いた。

 彼と共に上がったのはリュッツォウ少尉だった。


 2人が出撃前に多くの整備兵やパイロット、さらには航空団司令までが出てきてJG53の誇るエース、と激励してくれたが、数の差は如何ともし難い。

 これまでの戦闘でヴィルケは17機、リュッツォウは13機を撃墜していたが、それはベテランのサポートがあったからこそである、と確信していた。


『いつも通りにやればいい、とは言っていたが……』


 無線電話から聞こえてきたリュッツォウの声にヴィルケは頷く。

 いつも通りに、とは言ったものの、今回の相手は護衛機付きの四発爆撃機。

 今までの単発機相手とは防御力も防御砲火も比較にならない程に差がある。


「B42やB43で訓練はしているが、どうしたもんかな……」


 空戦技能訓練必修過程の一つとして対大型機攻撃の訓練があった。

 そこで習ったことは大型機は防御力に優れているので、コックピットを狙えというものだ。

 とはいえ、護衛機が100機近くついているという話もある為、護衛機に追い回されて爆撃機に近づけない、という可能性が高い。


『今回の迎撃隊の指揮を取るJG32のエーベルト・フォン・ルントシュテット大尉だ』


 こりゃ大物が出てきたな、とヴィルケは内心呟いた。


 24歳という若さで大尉となったエーベルトはパイロットとしての腕自体は平凡だ。

 そんな彼が今回の迎撃隊の隊長に選ばれたのはひとえに撃墜スコアに拘らないこと。

 個人スコアに拘る戦闘機パイロットが多い中で、功を焦らず、作戦の成功に全力を費やせるエーベルトのそれは立派な才能であった。

 彼が大尉の地位にいるのも腕を評価されたのではなく、その姿勢を評価されたが故だ。

 とはいえ、彼が有名であるのはその才能ではなく、単純に彼の父親があのヴェルナーであったからだった。 


『我々の任務は敵機がベルリンへ侵入するのを妨害することと爆撃を妨害することだ。正直な話、ベルリンの遙か手前で爆弾を使い切らせれば我々の勝ちとなる』


 当たり前といえば当たり前の指示だが、パイロット達からは不満の声が多く出た。

 しかし、それをエーベルトは即座に黙らせた。


『諸君らは撃墜に拘り、帝都ベルリンへの爆撃を許すのか? 諸君らの撃墜スコアの為に皇帝陛下や市民達が苦しむのか?』


 誰からも返事はない。

 エーベルトは数秒の間を置いて告げる。


『戦争は今回の空襲を防いでもすぐに終わるわけではない。諸君らが活躍する機会は嫌という程にある。そのことを踏まえた上でいつも通りに高空からの一撃離脱を仕掛ける。各機、8000まで上がれ』


 ヴィルケは機体を上昇させつつ、高度計を確認する。

 JF12と比較にならない程、高度計の針は素早く回転しているが、彼と後続するリュッツォウの横をMe209やS85といった機体がより速く上昇していく。


『もっと馬力が欲しいもんだな』


 リュッツォウの言葉にヴィルケは同意する。

 細長い主翼は上昇に不利である、と知った上での発言だ。


 それから数分と掛からず、ヴィルケらのTa152も高度8000mへと到達した。

 雲よりも高く、上を見上げれば蒼に染まった空がある。


 ヴィルケは高高度の碧い空が好きだった。

 しかし、その代償があった。

 あいにくと与圧キャビンは重量の関係上装備されていない。

 その為、酸素マスクと電熱服、さらに個々人が持ち込んだマフラーなどに包まって寒さに耐えなければならなかった。


『こちらレヒリン空軍実験飛行隊、迎撃に上がっている貴隊の指揮官は誰か?』


 唐突に響いたのは若い男の声だった。

 

『指揮官のエーベルト・フォン・ルントシュテット大尉だ。君はヘルマン・グラーフ少尉だな?』

『これは大尉、ご無沙汰しております。我々はドイツの偉大なる魔法使い殿の命により、馳せ参じた次第であります』


 その一言でエーベルトを含めた迎撃隊の全員が理解した。

 あの人だ、と。


『そちらの戦力は? 怪しげな実験機を連れてきていないだろうな?』

『あいにくと時間が無かったので……お望みでしたら、今度の迎撃戦にドルニエが昨日出してきたばかりの、前後にプロペラがついているアリクイを持ってきましょうか?』


 何だそりゃ、とヴィルケは疑問に思ったものの、口を挟める立場でもない。

 そうこうしているうちにエーベルトとグラーフの間で言葉が応酬され、ひと通りの確認が終わったところでエーベルトが告げた。


『というわけで諸君、レヒリン中隊も迎撃に参加する。肝心の割り振りだが、JF13が護衛機の相手を。残りは爆撃機だ。訓練通りにコックピットを狙え。さもなければ主翼だ。胴体やエンジンは硬いから狙うなよ』


 ヴィルケはその声を聞きつつも、敵機がどこにいるかと眼下を油断なく観察する。

 酸素マスクを通じて体へと染み渡る冷たい酸素と外気温の低さに体が震えるが、寒がっていられるのは今のうちだけだ、と自身に言い聞かせる。

 

 レヒリン中隊も同高度まで上がってきているらしく、訓練を意味する「Schule」の頭文字であるSが尾翼に描かれたTa152が2機、ヴィルケの横に来た。


「……女?」


 思わずヴィルケは横に来たTa152のパイロットを見て呟いた。

 相手も気づいたのか、くすりと笑った。


『ハンナ・ライチェよ。階級は少尉。あなたとその僚機の名前、当ててあげましょうか?』

『お喋りはするな、とは言わないが、ほどほどにしておけよ』


 横から割り込んできた注意の声にハンナは溜息混じりに告げる。


『シュタインホフ少尉、少しくらいいいじゃない』

『少しならばな。君の場合、5分のお喋りが50分になることがよくある……ああ、私はヨハネス・シュタインホフ少尉だ。レヒリンでテストパイロットをしている』


 シュタインホフの自己紹介にヴィルケとリュッツォウは反射的に返そうとするが、彼らよりも早く、ハンナが言った。


『機首に描いたスペードのエース、そして10を超す撃墜マーク。ヴォルフ・ディートリッヒ・ヴィルケ少尉とギュンター・リュッツォウ少尉でしょう?』

『ああ、そうだ。随分と有名になったらしいな。だが、隊長達のおかげだよ』


 リュッツォウの言葉にヴィルケもまた肯定する。


「ところでライチェ少尉、君は……」


 どうしてパイロットに、とそう言いかけたヴィルケは視界の隅に小さな黒い点を見つけた。

 彼の直感が最大限の警鐘を鳴らし、反射的に彼は叫んだ。


「敵機発見! 11時下方!」

『全機予定通りに攻撃開始! 気負いすぎるな!』


 エーベルトからの返事に次々と迎撃隊は急降下に入っていく。


『またお話しましょう』


 ハンナはそう言うとシュタインホフと共に急降下に入っていった。

 無論、ヴィルケもリュッツォウと共に遅れぬように続く。



 しかし、急降下の中でヴィルケは違和感に気がついていた。

 それは最初に急降下していった者達も感じたらしい。


 あまりにも敵編隊の速度が速いのだ。


 ヴィルケらの知る爆撃機――最新のB43でも最高で時速428kmであり、最大爆装状態では出せても時速300km後半程度。

 だが、敵の爆撃機はどう見ても時速400km後半以上の速度でベルリンへ向かって侵攻している。


 ヴィルケら空軍は勿論、陸海軍ともフランス空軍機の見た目や特徴などは知っている。

 さすがに正確な性能は入手されていないが、それでもある程度予測されており、それによればどちらも最高で400km後半程度の速度とされていた。

 目の前に存在するのは識別表にあるブレゲーBr482とダッソーMB162であるのは間違いないが、予想していた速度よりも遥かに高速であった。


『戦闘機より速い爆撃機は存在しない! いくぞ!』


 エーベルトの檄に押されるように、ヴィルケは操縦桿を操る。

 急降下中ということもあり、非常に重たいが僅かな進路修正くらいはできる。


 彼は敵の四発機の周囲に猟犬のように存在する数多の単発機を見つけたが、彼らはようやくこちらに気がついたらしく、慌てて散開しつつあった。

 対する爆撃機は密集隊形を維持しつつ、堂々と進撃しながら防御砲火を張ってきた。



 ヴィルケは飛んでくる敵の弾丸を物ともせず、照準環にBr482を捉えた。

 敵のアクリル張りの機首は照準環内でどんどん膨らんでいく。

 

 訓練通りの理想的なポジションにつけたことに喜びつつ、彼は発射ボタンを押した。

 降り注ぐ20mm弾と13mm弾は正確に敵機の機首を捉え、アクリル張りのそこを撃ち抜き、朱に染める。

 それに見とれることなく、即座に衝突を回避する為に機体を左に捻る。

 朱に染まったコックピットはすぐにヴィルケの後方へと流れた。


 彼は反転上昇しながら敵機の行方を見ると操縦士を失ったBr482はぐらりと横へ傾き、急降下していった。


『まずは1機……』

 

 リュッツォウの呟きを聞きながら、戦場の様子を窺う。

 戦場は比較的整然としていた。


 敵の爆撃機は数機が落ちたらしく、ところどころで僚機を欠いた編隊が見受けられる。

 敵の護衛機は3機編隊で囮となったJF13を追いかけているが、見慣れたD520であることから、JF13であっても十分優位に立てる。

 また、敵戦闘機のうち、半数以上は爆撃機を狙うこちらを阻止しようとしているが、こちらの性能の優位もあり、追いつけていない。

 

 そして、爆撃機を攻撃した者達は例外なく気がついた。

 敵は速度を追求した余り、防御機銃が少ない、と。


 B42で、そしてB43で対大型機の訓練をこなした彼らにとって、数丁程度の機銃の弾幕は例え編隊で集まっていても、恐怖心を抱くには至らなかった。


 横から殴られなければ、そして爆撃機の防御砲火に捕まらなければ一方的に叩ける、とヴィルケは確信したものの、敵爆撃機は幾つかの梯団に分かれているらしく、この場にいるのは概算で50機程だった。

 代わりに護衛機は全てこの梯団の援護にいるらしく、多数いた。

 初期の迎撃さえ凌げば成功する、という思惑が透けて見えるようだった。


「弾切れ、燃料切れとの戦いか……補給を終えた機が上がってきてくれればいいが……」


 そう呟きながらも新たな敵爆撃機に狙いをつける。

 すでに高度は7000mまで回復しており、上空から狙いをつけるにはもってこいだ。

 ヴィルケは適当なMB162に狙いを定めた。

 

 編隊の先頭を行く、その機体は後続するMB162からの援護射撃を受けながら驀進している。


「行くぞ、リュッツォウ」


 そう言うや否や、ヴィルケとリュッツォウは再度、攻撃を掛けるべく急降下していった。








 それから迎撃隊は数の不利にも関わらず、果敢に攻め、多くの敵機を叩き落とした。

 しかし、彼らの奮闘も虚しく、後続の梯団は次々とその防空網を突破していく。

 迎撃部隊は執拗に食い下がり、遅れてやってきた戦闘機達も加わり、最終的に100機近くまでその数は膨れ上がったが、フランス空軍の物量の前に屈した。





 戦闘空域は時間を経るごとにベルリンへと近づき、30分程でベルリンの間近となっていた。

 郊外に配置された対空砲が撃ち始め、黒い花が空一面に咲き誇る。


 花火みたいだな、とヴィルケは場違いな感想を抱く。

 近年、日本との関係改善を目的に始まった花火大会、その花火に似ていたが、あの花火程綺麗ではなかった。


 地上に陣取った防空部隊はベルリンへ入れてなるものか、と並々ならぬ気迫で撃っているらしく、炸裂する爆煙の中、火を噴いて落ちていく敵機が散見された。

 


 味方の対空砲による誤射を避ける為、罵声を言いながら機首を翻していく味方機と勝ち誇ったように進撃している敵爆撃機達。


 その中でヴィルケは逡巡した。

 このまま行かして良いものか、と。


『ヴィルケ……』


 決断を促すよう、リュッツォウが呼んだ。

 今のヴィルケはJG53の指揮官であり、一番機。

 二番機の彼はヴィルケがどのような判断を下そうとも、従うつもりだった。


 ヴィルケはその声に答えず、ジッと爆撃機を見る。

 そして、そのとき爆撃機の爆弾倉がゆっくりと開いたのを見た。


 その瞬間、彼の腹は決まった――


「あの糞ったれ共をベルリンから叩き出すぞ」


 その言葉にリュッツォウからは元気の良い返事が聞こえてきた。


『了解、隊長殿!』


 そのとき、割り込んできた声があった。


『悪いが、私も一緒に行かせてもらおう。ベルリンには行きつけの店があるんだ』


 ヘルマン・グラーフ少尉だ。

 彼はその言葉と共にヴィルケもリュッツォウも苦笑しつつ、乗機を尋ねればTa152と返ってきた。


『ついでに私も混ぜてもらいたい。皇帝陛下の頭上を飛べるチャンスは滅多にないからな』


 もう1人、割り込んできた者がいた。

 シュタインホフ少尉だった。

 彼もTa152に乗っていることはヴィルケもリュッツォウも戦闘前に知っている。

 機体が同じならば編隊が組みやすいのは道理だ。


「わかった、よろしく頼む」

『こちらこそよろしく。ああ、我々は2人の後ろにつくぞ』


 その言葉から1分と経たないうちにグラーフがリュッツォウの後ろに、グラーフの後ろにシュタインホフがついた。

 僅かな時間でそのような位置取りができるのは彼らが優れた腕を持つパイロットである証であった。


 幸いにも、敵戦闘機は爆撃機と共にベルリンへと侵入はせず、帰路の被害を減らそうと味方機と殴り合っている。

 

 付け入る隙は十分にあった。


 ヴィルケは小隊各機に残弾と燃料の確認をさせる。

 燃料は余裕有り、残弾は半分程度という答えが返ってくる。


 半分もあれば十分、とヴィルケは思いつつ、酷く簡単な指示を出した。


「花火の中に突っ込むぞ!」

『了解!』


 4機の荒鷲が無防備な羊の群れに襲いかかった。







「ようやくだ……」


 Br482の機長であるベルラン大尉はそう呟いた。

 ドイツ空軍の少数機とはいえ、恐ろしい猛攻と濃密な対空砲の弾幕。

 

 それらを掻い潜り、彼の機体は彼を含めた5名の乗員と共にドイツ帝国の帝都ベルリンへと侵入しつつある。

 既に先頭の第1梯団では23機の爆撃機が撃墜され、大小様々な被害を受けた機体も同数。


 とはいえ、それでもまだ200機以上は健在であり、堂々たる編隊を組んでベルリンへ続々と侵入している。

 ベルランの乗機は第2梯団所属である為、ドイツ空軍機は散発的な攻撃を仕掛けてくるだけであった。

 それでも2機の爆撃機が撃墜されていることから、油断はできない。

 

 何よりも、ベルラン含め第2梯団に所属する者達は喜んだ。

 それは第1梯団が余りの損害の多さに無傷の機体も含めて爆弾を投棄して帰投する、という無線を寄越したときだった。

 ベルリンへの1番乗りは自分達だ、と沸き立ったのは5分前のこと。


 ベルリンへ近づくにつれ、誰も彼もが無言となり、炸裂する砲弾の音や破片が当たる音、そしてエンジン音のみが機内に響いていた。


 このまま何事もなくいけば自分達は生きて帰れる、ベルリンへ1番乗りを果たしたという栄誉と共に。

 そうであるがこそ、ベルラン機だけでなく第2梯団所属機はどこも神経を尖らせていた。


 ベルランは幾度かの爆撃手からの要請に基き、乗機を爆撃コースへと既にのせている。

 投下まで1分とかからない筈であったが、異常に長く感じられた。


「爆弾倉開きます」


 その声が聞こえた時、思わず安堵の息をベルランは吐いた。


「これで俺達は英雄だ」


 ベルランは隣に座る副操縦士にそう言って笑いかけたそのとき――



 真横から轟音が轟いた。


「ブノワ機爆発!」


 胴体中央上部にある銃座の銃手が報告してきた。

 ベルランは視界が良いコックピットからよく見えた。


 バラバラになって炎と煙を撒き散らしながら、地上へと落下していくブノワ機の姿が。


「対空砲か!?」


 ここまで来て、とベルランはブノワ大尉の無念を思わずにいられなかった。

 ワイン好きで先月の給料のほとんどを費やして手に入れた極上のワインをこの作戦が終わったら飲むんだ、と意気込んでいた彼の姿は今でも鮮明に覚えている。


 直後、再び前方から轟音が響いた。


「編隊長機墜落します! 敵は……!」


 銃手は7.5mm機銃を撃ちまくりながら、その連射音に負けじと敵の正体を叫んだ。


「戦闘機です! 4機編隊! 速い!」

「何だと!?」


 ベルランはそう叫んだものの、彼ははっきりと見てしまった。

 上空からまるで糸で繋がっているかのように、見事な編隊を組んで突っ込んでくる戦闘機を。


「……死神め」


 彼が呟いた瞬間、敵戦闘機から弾丸が降り注ぎ、目の前を飛んでいた味方機が右の主翼を半ば程から叩き折られて墜落していく。

 そのとき、ベルランは見た。

 急降下していく先頭の敵戦闘機の機首にスペードのエースとフランス空軍機の識別マークが幾つもあることに。

 それが見えたのは一瞬であったが、彼の脳裏に焼き付いた。


 その間にも事態は動いていた。

 味方爆撃機は敵戦闘機の出現とその腕に動揺したのか、爆弾を目標の手前から落とし、帰投しようとする機が続出した。

 中心部から外れているが、ベルリン市内に入っている。

 落とせば何かしらに当たるだろう、とそういう考えだった。

 

 そして、そのような機には目もくれず、4機の敵機は未だ爆撃コースにのっている味方機を苛烈に攻めたてた。

 さらにその活躍に勇気づけられたのか、誤射を物ともせずにベルリン上空へ突っ込んでくる敵戦闘機が増え、第2梯団だけでなく後続する梯団も叩かれる結果となった。



 だが、それでも数の差はどうしようもなく、フランス軍爆撃隊は多大な損害を出しながらもベルリンの爆撃に不完全ながら成功したのだった。






 










 5月17日 午後16時過ぎ


 ベルリン ベルリン宮殿

 



「大損害だな、これは」


 ヴィルヘルム2世は厳つい顔をより厳しくし、報告書を読み終えて呟いた。


 外からは無数の消防車や救急車のサイレン音が鳴り響いている。

 家を失った市民達には十分な補填がなされるとはいえ、それでも不安な一夜を過ごすことは間違いない。 



 300機以上の四発爆撃機を防ぐ力は今のドイツ空軍にはなかった。

 その結果がベルリン市内の3割が壊滅的被害を被り、死傷者およそ5000名という結果となって返ってきた。


 当初の最悪の予想では8割が壊滅ということから比較すれば幾分少ない被害であり、さらに空襲を受けた地区は中心部から外れていたが、それでも人的・物的被害は見過ごせるレベルにはない。

 

 空軍から上がってきた報告では敵爆撃機をベルリン侵入以前・以後で合わせて52機撃墜、31機撃破、敵戦闘機22機撃墜というものだ。

 対する迎撃機の損害は28機とされていた。

 なお、但書きにはフランス軍の爆撃機は速度に優れるもののB43程に防御が硬くない為、20mm弾であれば胴体やエンジンを破壊できる、とあった。

 撃墜数が多いのはそれが原因のようだった。


「……私の責任です」


 沈痛な面持ちでファルケンハイン大将は言った。

 彼は自らの手で報告書を持ってきたのだ。


 そして、ヴィルヘルム2世はただそれだけではないことも悟っていた。


「余は貴官を高く評価している。開戦当時の迅速な兵力の移動転換、危険を承知で実行したパリ空襲、敵軍の増援を断つ夜間空襲……」

「部下が優秀なだけです。それに開戦劈頭の移動は結果として、今の失態に繋がります」

「部下の意見を取り上げるのも、上官の仕事だ。何よりも、JF12では敵の主力機に歯が立たないことは証明されている。在庫処理の手間が省けたと思えば良い」


 人的損害もほとんど出ていない、とヴィルヘルム2世は慰めるが、それでもファルケンハインは首を横に振る。


「どうしても、というなら貴官の後任に相応しい人物を推薦したまえ」

「ルントシュテット大佐以外に適任はおりません」


 ファルケンハインはヴィルヘルム2世の目をまっすぐに見据え、告げた。

 予想できた答えにヴィルヘルム2世は苦笑する。


「だが、彼に実戦部隊の指揮経験はないだろう? もっぱら後方勤務の筈だ」

「彼は先見の明に富んでいますし、会社経営から学んだ多くの事柄は兵站・組織運営において非常に役だっております。そして、補給無くして部隊は戦えません」


 陸軍が参謀本部と陸軍省、そして海軍が海軍総司令部と海軍省に分かれ、空軍もまた参謀本部と空軍省に分かれている。

 しかし、他の2軍と比較して徹底的なコスト削減と人員の効率的配置により空軍は人手がさほど掛からず、余った予算を新型機開発や基地の新設といったところへ振り向けることができていた。

 力関係的には実務を握り、予算折衝などもこなす空軍参謀総長の方が大きく、また航空機の開発と調達に関してはヴェルナーの補給本部が握っている。

 空軍省は組織の維持・運営の為に無くてはならないが、大きな権限があるかというとそうでもない微妙な組織に仕上がっていた。


「だが、彼は若い。少将へ昇進させるくらいならできるが、いきなり大将は無理がある」


 膨大な実績を残しているとはいえ、ポンポン昇進できないのが軍というものだった。

 ヴェルナーよりも序列が上の将官・佐官は多い。

 彼ら1人1人を説得しなければ到底無理な話だろう。


「私が説得します」


 うぅむ、とヴィルヘルム2世は唸りつつも、空軍省の存在を思い出す。

 ファルケンハインの言う事柄は陸海軍から見ればそれぞれ事務方である陸軍省や海軍省の管轄だ、と。


「ならばこうしよう。空軍省にルントシュテット大佐の補給本部を組み込む。その上で彼は少将へと昇進した上で空軍省のトップに就かせる」


 完全な実働部隊との切り離しだが、ファルケンハインからすれば妙案に思えた。

 部下達の話ではルントシュテット大佐は書類と戦うことに至上の喜びを見出しているらしかった。

 事実、彼の平時体制から戦時体制への切り換えをはじめとした諸々の量産体制構築により、来月の予想航空機生産量は全機種合わせて1400機に達すると見込まれている。

 おまけに色々なコネを駆使して、原料やら何やらを優先的に調達しているらしく、再来月にはより大きな向上が見込めるという。


「無論、少将では不足だろうから、貴官の説得が完了した時点で中将、しばしの間を置いて大将へ昇進させよう。その上で貴官は予算折衝やら何やらの実務以外の事案を丸投げしてしまえ」


 それが妥協点だ、とヴィルヘルム2世は締めくくった。

 ファルケンハインは数秒思案したものの、僅かに頷く。


「とはいえ、彼の助言を受けられないというのも困るので、空軍省の管轄下に空軍参謀本部があるということを明確にしておく必要がある」


 同立させると面倒で、かといって実務しかできない組織が上でも問題がある。

 今まで毒にも薬にもならなかった空軍省が急に参謀本部よりも上にくるとなると、参謀本部の反発は想像に難くない。


「下手にやれば実働部隊が暴走しかねない。やはりヒトラー氏の提案を受けるべきか……」


 最近、妙に勢いがある帝国国民党。

 噂によればそこの党首であるアドルフ・ヒトラーがあっちこっちの財界や政界の大物達をヴェルナーの紹介で訪問し、自らの政策を熱心に語り、説得して回っているという。


 そんなヒトラーは帝国議会において現在、陸海に分かれている大臣を統合し、そこに空軍を加え、三軍を統括する国防大臣の創設を求めていた。

 彼は論理的に創設のメリットを語り、三軍の司令官を取り纏める立場にある者がいないことを批判している。


 三軍の指揮系統の一本化――それは魅力的な提案であるが、軋轢を考えるとリスクも大きいことが良く分かる。

 三軍のうち、どこの軍から出すか、ということになり、更に誰がなるかという問題にも発展する。

 

 ああ、だからか、とヴィルヘルム2世は納得した。

 この時期、このタイミングでヒトラーがそう言ってきたのはヴェルナーをその地位につける為なのだ、と。


 空軍の創設と陸軍のドクトリン改革、そして海軍への入れ知恵とプロイセン参謀本部の礎を築いたシャルンホルストやグナイゼナウ、クラウゼヴィッツに並ぶ功績だ。

 特に陸海空のいずれにも精通している点は見逃せない。

 そして、財界や政界にも友人・知人は多く、それはドイツ国内に限らず世界各国に広がっている。

 さらに爵位こそ本人は持っていないが、由緒正しい貴族の家系であり、どこの派閥からも文句は出るが、それ以外は出させない、うってつけの人材だった。



「ファルケンハイン大将……貴官は階級が上ならば自分の息子くらいの者の命令に従うかね?」

「無論です、陛下。それが軍人というものであります」


 そうか、とヴィルヘルム2世は頷き、ファルケンハインを労い、退室させた。



 そして、彼はすぐに電話を掛ける。

 帝国国民党の党本部へと。


 幾度かのコールの後、出たのはアドルフ・ヒトラーその人だった。


『今日は信じられないことがよく起こります。空襲の次は皇帝陛下から直々の電話とは……』

「空襲に関しては耳が痛い。ところで先日、議会で貴公が話していた国防大臣の件について話したい。すぐに宮殿へ来て欲しい」

『すぐに参りますので、少々お待ちください』


 電話が切れた。

 ヴィルヘルム2世は扉の外に控えている近衛兵に告げる。


「会議室を1つ、開けておくように。それから宰相らを呼ぶように。後始末で大忙しだろうが、余が呼んでいると伝えよ」


 そう言ってから、ヴィルヘルム2世は問題点を見つけた。


「どのような順序でやるか、だ。ルントシュテット大佐を昇進させ、空軍省のトップに就かせた後か、それとも先に国防大臣のポストを作るか……」


 言葉に出したことで彼は問題が問題となっていないことに気がついた。

 先の国防大臣のポストを作れば権力闘争が勃発する可能性が高く、面倒くさいことになる。


「昇進させてから段階的に、だな」












 ヴィルヘルム2世らをはじめとしたドイツ帝国の首脳にヒトラーを加え、話し合いがなされている頃、当のヴェルナーは補給本部にて実働部隊から上がってきた嘆願書に途方に暮れていた。

 彼らの嘆願は唯一つ。

 もっと戦闘機を、というものだった。


 JF13は無論のこと、Ta152をはじめとした新型機もその生産ペースは日毎に高まっている。

 さらに戦闘機に加え、爆撃機・偵察機・輸送機なども各メーカーはその持てる生産力を全力稼働させるべく、懸命な努力が続けられている。

 正直なところ、これ以上生産のペースを上げるには工場を新設するしかないが、それすらも既に各メーカーは利益が出る、と確信して取り組んでいる。

 とはいえ、どんなに急いでも工場から作っていたのでは半年は掛かり、即効性はない。

 他にも自動車メーカーなどの他業種の工場の生産ラインを借りることも考えられたが、陸軍や海軍との兼ね合いから実現できずにいる。


「あとは同盟軍をドイツに入れるしかないが、これも難しい」


 ヴェルナーはそう口に出して盛大に溜息を吐いた。

 どこの同盟国もまさかフランスが戦争を仕掛けてくるとは予想もしておらず、準備不足だ。

 否、そもそも準備万端整えていたら、フランス軍は開戦初日に壊滅している。

 そういった点ではフランスは称賛されてしかるべきだった。


「イギリス空軍は本土の守りを固めるのに精一杯、ロシア空軍は数こそ多いが、集まるのに時間が掛かる……」


 ロシア空軍は4000機近い第一線機を保有・稼働させていたが、広大な国土に数十機単位で分散配備されている為、集まるのに時間が掛かった。

 また、ドイツ空軍をアテにしていたらしく、欧州方面には数百機程度しか配備されていない上、それらのほとんどは帝都であるサンクトペテルブルク周辺に配備されている。


「……あとはイタリア空軍か?」


 イタリア空軍であったが、ヴェルナーは名を出して溜息を吐いた。

 イタリア全土に展開している部隊を含めても稼働機は600機程度であり、フランスと国境を接しているが為に到底援軍を頼める状況ではない。


 他にあるといえば日本くらいなものだが、地球を半周する必要があり、到底現実的ではない。

 当の日本軍もそのことは分かっているらしく、欧州には武官団を派遣する程度に留めている。

 アジア方面でフランス植民地を日本が攻撃する、という話もあるそうだが、下手にフランスの利権を取られると戦後が面倒くさいことになる。

 特にニッケルの産出地であるニューカレドニア島を抑えられたら、目も当てられない。

 史実と違い、マリアナ諸島を領土としていない為、そこまで進出できるかは疑問だが、あり得ないとは言い切れない。

 

「史実とは違う、否、違うように変えたとはいえ、数で悩むのは変わらないな」


 そのとき、電話が鳴った。

 ヴェルナーが受話器を取ると相手はエーリッヒ・レーダーからだった。


 彼は興奮した様子でヴェルナーに早口でまくし立てた。


『フランス艦隊を見つけたぞ! ダカールに逃げていた!』


 空襲から逃れる為だな、とヴェルナーは即座に考えた。

 フランス本国はイギリス・ドイツ両空軍の四発爆撃機の行動範囲にすっぽりと収まっている。

 ブレストだろうがトゥーロンだろうが、その気になれば攻撃できるのだ。

 そして、艦隊の母港としてではなく、これらの港はフランス本国有数の港だ。

 これらの港は原材料を海路に頼っているフランスにとって、生産力に直結していると言っても過言ではない。

 港が無ければ船は積荷を効率的に降ろせない。

 中立国のスペイン経由の陸路で、というのもありえるが、海路と比較してその輸送量は格段に落ちる。


『それでヴェルナー、物は相談なんだが、戦闘機と爆撃機は使えるか?』

「そういうのは作戦部に言ってくれ」

『作戦部よりも稼働機数と補充機数を把握している君の方が話は早いだろう? 何、個人的な相談だ』


 個人的な相談、と言われるとヴェルナーとしても色々と弱い。

 レーダーには海軍内のことを個人的に聞いたりしている為に。


「結論から言えばどちらも無理だ。海軍に力を貸したくない、とかそういうレベルではなく、な」


 そう言い、ヴェルナーはレーダーに空軍の防空体制と前線の危機的な状況を説明した。

 ヴィットムントハーフェンにある双発・単発爆撃機は基地から近い、エッセンに取り付いている敵を叩くのに手一杯であり、断続的な敵の空襲も手伝って稼働機が減少しつつあった。

 また、新規生産分は機種転換訓練に振り向けられており、余裕はない、とも。


『ならば海軍だけでやるしかないのだな?』


 ヴェルナーはその興奮を隠せない言葉に思わず受話器から耳を少し遠ざけた。

 何でこんなに興奮しているんだ、と彼は思いつつも、そうだ、と返す。


『よろしい、ならば艦隊決戦だ。上も下も、それを望んでいてな。言っては悪いが、横から手柄を取られることはされたくない』

「まあ、海軍も大変だ。参加兵力は?」

『ヘルゴラント級2隻と大小巡洋艦8隻、駆逐艦14隻だ。イギリス・ロシア・イタリア海軍も参加する可能性がある』

「それは凄いな」


 観艦式の如き様相になるのは容易に想像がつくが、同時に1つの問題点もあった。

 それは連携が取れるかどうか、というところだ。

 ヴェルナーの疑問を見透かしたように、レーダーが言う。


『基本は各国ごと、独立して動くことになりそうだが、現在位置と敵の位置などの情報共有に関しては常に報告し合う、ということで調整していく方向だ。近いうちに結果は出るだろう』


 各個撃破されそうな予感がしたが、ヴェルナーは何も言わなかった。

 手を打たなければ国民や各国に対して不信を植え付けることになる。


 その心情を悟ったのか、レーダーは告げた。


『私としても、大海艦隊主力が復活してから、と思わないでもないが、常に最良の選択をすることはできない』


 それに、とレーダーは続ける。


『実戦でしか得られない戦訓を得る機会でもある。それに我々は戦艦も空母もダース単位で揃えられるが、他国は1回使いきればそれで終わりだ』

「将兵の救助態勢に関しては?」

『我が海軍航空隊が誇る飛行艇や水上機と潜水艦を総出撃させる。人材は容易には育たんからな』


 ヴェルナーは納得したかのように頷く。


 ドルニエやアラドは優れた飛行艇・水上機を送り出しており、それらは空軍ではなく海軍の管轄下にあった。

 

『そして……どうやら私がその艦隊を指揮することになりそうだ』

「おめでとう」


 ヴェルナーは素直にそう告げた。

 レーダーは2年程前に中将に昇進していたが、ほとんどが海軍総司令部か海軍省での勤務であり、元々巡洋艦乗りであった彼は常に実戦部隊への転属を願っていたのだ。

 ちなみに彼が後方勤務となったのはヴェルナーと親しい間柄であった為、色々と融通が効くと判断されたせいでもある。


『ありがとう。正直、自分でも実感がもてないが……』

「そんなものだ。貴官に戦乙女の加護があることを願っているよ」


 レーダーは笑い、土産話を楽しみにしていてくれ、と電話を切った。

 切れた電話にヴェルナーは呟いた。


「生きて帰って来い。貴官にはアメリカ並の大艦隊を指揮して欲しい」


 史実を知るからこそ、出た言葉だった。

 

参考までに史実での撃墜数


 ヴォルフ・ディートリッヒ・ヴィルケ 162機撃墜

 ギュンター・リュッツオウ      110機撃墜

 ヘルマン・グラーフ         212機撃墜

 ヨハネス・シュタインホフ      178機撃墜

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