動き出す戦線
独自設定・解釈あり。
5月15日 午前9時
ケルン近郊
「急げ急げ急げ! もたもたするな!」
ド・ゴール少将は指揮車の上に立ち、檄を飛ばしていた。
彼には参謀本部から正式な命令が下っている。
それはジーゲンに集結しているドイツ軍主力を撃滅すべし、というものだった。
ベルギー方面から大急ぎで回された第11機甲軍集団がその攻撃の主力であり、彼の師団は第11機甲軍集団に加わることになった。
その軍集団の司令官はモーリス・ガムラン大将であった。
どうやったらドイツを打倒できるか――?
ガムランは祖国を救う為、どこでもそれしか考えなかった。
それ故、女っ気が全くないフランス陸軍きっての猛将であった。
「空軍の連中も大胆なものだ」
そう呟いたド・ゴールの視線の先では無数のフランス空軍機が編隊を組んで東へと飛行していく。
ヴィットムントハーフェン基地の攻撃のみに留め、それによって出る余剰機と新規編成分を全て地上支援と陸軍の直掩へと回す大胆な作戦であった。
2日前、ドイツ軍を引きこもうと考えていたド・ゴールはその作戦を今になって恥じていた。
冷静になって考えてみれば希望的観測があまりにも多すぎた。
また、叩き起こした参謀達からもドイツ軍がわざわざ罠にはまってくれるわけがない、と即座に否定された。
「問題はドイツ軍の戦力だが……」
2日前と比べてジーゲン周辺の敵はさほど変化していないらしい、という偵察結果が出ていたが、蓋を開けてみなければ分からない。
北部と南部では変わらずの膠着状態であったが、北部方面では敵軍が増加しつつあるとの報告がきていた。
ド・ゴールは頭を軽く振り、呟いた
「もはや賽は投げられた。やるしかない」
ジーゲンを突破し、ベルリンへ雪崩れ込んでカイザーを拘束し、降伏を宣言させるしか、フランスを勝利に導く方法は無かった。
そして、それがラクダが針の穴を通り抜けようとする程に難しいことであることもまたよく分かったのだった。
この作戦は「トネール」とされた。
フランス語で雷鳴を意味するものであったが、とてもそのような迅速な進撃は望めそうにないことは誰もが理解していた。
同日 午前11時
ジーゲン 西方装甲軍集団司令部
「……空軍はどうだ?」
ルントシュテット大将は深刻な表情で連絡将校に尋ねたが、彼は首を横に振った。
「一方的に叩かれるというのは精神的によろしくない」
クライスト中将は苦虫を噛み潰したような表情でそう言った。
前線からは悲鳴のような報告ばかりであり、航空支援要請が立て続けに入っていた。
何でもいいからとにかく空の敵を追っ払ってくれ――
それが願いであったが、その願いは叶えられそうになかった。
軽く見積もって数百機以上の敵機を阻止できるだけの兵力がドイツ空軍には存在しない。
となれば、部隊に配備されている対空砲に頑張ってもらうしかないが、その命中率の悪さは誰もが知っており、威嚇して敵の攻撃を鈍らせることに主眼が置かれていた。
無論、ルントシュテットとて空軍がアテにできないからこそ、できる限りの対空砲を部隊に配備させていたが、気休めに過ぎなかった。
せめて携帯対空火器であるフリーガーファウストでも配備されていれば焼け石に水であっても、少しはマシであったかもしれない。
しかし、これと対戦車携帯火器であるパンツァーファウストは制式採用こそ既に決まっているものの、生産ライン立ちあげの最中であり、早くて8月から前線部隊に配備が始まる見込みだった。
「ヴィットムントハーフェンを潰された以上、中部にある基地から戦闘機を飛ばすしかありませんが、その戦闘機が無いのです」
「何も100機200機出せと言っているわけではない。50機でもいいから出して欲しい」
その言葉に連絡将校であるハンス・イェショネク少佐は眉間に皺を寄らせた。
彼とて出したい、だが、中部にいる航空団は全て機種転換訓練を待っている状態であった。
おまけに肝心の実機自体も新型機達が全ての航空団や教導航空団含めてそれぞれ10数機というレベルであった。
たった2日でそこまで揃えたメーカー側も凄かったが、幾ら新型であっても、パイロットが慣れていなければ話にならなかった。
幸いにもJF13は全て合わせて100機程存在したが、機種転換訓練を行なっている最中だった。
航空機は幾らでも補充できるとはいえ、訓練が全く済んでいない連中を出すのは彼らにJF12の経験があったとしても危険過ぎた。
そのとき、会議室に空軍の制服を纏った士官が入ってきた。
彼はイェショネクの耳元で何事かを囁くと、その表情が見る見るうちに変化した。
それは落胆であった。
「つい先程、中部にある複数の基地から迎撃の為に戦闘機が飛び立ちました。数は100機程であり、ヴィットムントハーフェンを除く空軍の全ての戦闘機です」
力無く彼がそう告げるとルントシュテット達の表情は明るくなったが、すぐにイェショネクの次の言葉に表情を暗くさせた。
「しかし、迎撃に参加する者達は機種転換訓練をつい2日前から始めたばかりです。故に熟練者であっても新兵同然。文字通りの体を張っての阻止となります」
ルントシュテットは静かに、力強く告げた。
「空軍の犠牲は無駄にしない。陸軍が必ずやフランス軍を叩き潰すだろう」
午前11時30分過ぎ
ジーゲン上空
「蛙共もえらく大盤振る舞いだな」
ヴォルフ・ディートリッヒ・ヴィルケ少尉は獰猛な笑みを口元に浮かべ、すぐに会敵するだろう敵機に思いを馳せる。
昨年士官学校を卒業したばかりの彼は本来予定されていたJF13ではなく、Ta152を回された幸運な第53戦闘航空団「ピークアス」の一員だった。
その中で新人でも技量優秀ということでTa152を与えられたヴィルケは神に感謝した。
届いたのは昨日、届く前から行われた座学と届いてからの実機訓練の時間は合計して10時間程度。
その訓練時間は末期戦の様相を呈していたが、彼には勿論、出撃した全てのパイロット達の顔に悲壮感は全く無かった。
祖国は確かに第一撃に大きくよろめいたが、踏みとどまり、反撃のボディブローを叩きこもうとしている――
それは確信であった。
『親愛なるJG53の諸君……といっても、2個小隊しかいないが』
唐突に無線からJG53の司令の声が響いた。
『諸君らはこれより栄誉に溢れる仕事を行う。諸君らは僅か8機に過ぎない。だが、その機体と諸君らの腕が合わさればそれは10倍以上の働きをすることを私は確信する』
そこで司令は言葉を切り、しばしの間を置いた後に告げた。
『ピークアスの名に懸けて、空飛ぶ蛙共を叩き落せ! 連中に我らの部隊マークを知らしめるのだ!』
その檄にヴィルケは体が震えた。
武者震いだ。
『まあ……カタログスペック通りの性能は出ないんだがな』
僚機であり、同じく新人ながら技量優秀としてTa152への搭乗を許されたギュンター・リュッツォウ少尉が呟いた。
その言葉に先輩達からも笑いが巻き起こる。
高度7500mで時速600kmがカタログスペックであったが、フル装備状態では550km出れば御の字であった。
また、他の性能もフル装備状態ではカタログ通りに発揮できない。
『今まで乗っていたJF12と比べたら雲泥の差だ。ベルリンのデパートで売っている木馬と鍛えられた軍馬くらいに違う』
新人2人を率いることになった第2小隊の小隊長がそう言った。
それは正しかった。
JF13と比べて防御力に難があるとのことだったが、そのJF13に乗ったことがないJG53の面々にとってTa152はまさしく夢の戦闘機であった。
そして、彼らは高度5000m付近を一路、西へと向かって飛行していた。
基地から戦場までは200kmもなく、文字通り目と鼻の先であった。
『後方から友軍機』
リュッツォウから報告された。
ヴィルケは後ろを振り返ると、無数の友軍機が編隊を組み、堂々と進撃してくるのが見えた。
どうやら俺達は先陣を務めることになりそうだ、と思った彼は気分が著しく高揚するのを感じた。
『おしゃべりは終わりだ。10時下方を見ろ』
無線に第1小隊の小隊長の声が飛び込んできた。
ヴィルケもそちらへと視線をやれば無数の対空砲の炸裂と思われる黒煙と吹き上げる火箭が見えた。
さらによく目を凝らしてみればそこには小さな点が蠢いているのが見えた。
それらは地上へ降下しては再び上昇という機動を取っている。
相手の高度は低く、3000m付近だろうか。
その少し上の辺りに戦闘機らしき黒い点が編隊を組んで飛んでいる。
『征くぞ、諸君』
小隊長の声と共に次々と列機が翼を翻し、降下していく。
ヴィルケも遅れることなく、その機動に追随する。
太陽を背にし、高高度からの一撃離脱がドイツ空軍における挨拶の仕方であった。
ヴィルケの視界にいる敵機は見る見るうちに大きくなった。
操縦席が機体中央よりも後方に位置するその機体はD520であった。
敵機のパイロットがこちらに気づいたのか、目を眩しそうに細めているが、もはや遅い。
ヴィルケは躊躇いなくMG151/20の発射ボタンを押した。
重い音と共に発射される20ミリ弾はD520の機体中央辺りに吸い込まれるが、その結果を見る前に彼は機体を右に捻ってD520と衝突しないよう回避。
背後で爆発音が複数響いたが、ヴィルケは攻撃後の離脱時が最も危険であるということが訓練で叩きこまれていた。
故に彼は戦果を気にせず、ひたすらに目の前を飛ぶ一番機の動きに従った。
ヴィルケは小隊の二番機、リュッツォウは四番機を任され、その間にベテランが入ることで経験不足をフォローする形となっている。
そして、彼らが反転上昇したところで戦闘空域は既に乱戦となっていた。
整然とした編隊を組んで飛んでいた敵機は麻のように乱れており、対する味方は編隊戦闘に徹し、1機ずつ確実に落としていた。
陸軍の対空陣地は味方機の誤射を避ける為か沈黙し、敵の爆撃機――単発機と双発機――は任務を遂行しようと地上へ攻撃を掛けている。
ヴィルケが見たところ、敵機は戦闘機よりも爆撃機の方が数が多いようだった。
二度目のパリ空襲を防ぐ為、本国防空に戦闘機を引き抜いたのだろう、と思いつつ、ヴィルケは一番機の動きに従い、新たな獲物に食いついていた。
敵は3機編隊を組んでこちらへ向かってくるD520。
どうやら相手は細長いへんてこな主翼を、旋回性能に劣ると判断したらしい。
ヴィルケの口元に笑みが浮かんだ。
『このまま旋回戦を行う。連中の度肝を抜いてやろう』
そんな指示が小隊長から飛び込んできた。
きっと彼も笑っていることだろう。
小隊は編隊を緊密に維持したまま、ヴィルケらは旋回へと入った。
1回2回3回と旋回を繰り返すうちにD520との距離は縮まり、やがて真後ろにぴったりとついた。
旋回によるGで体が座席に張り付けられ、頭がぼーっとしてくるが、それを彼は何とか耐える。
敵のパイロットはどんな顔なんだろうか、と頭の片隅で考えつつもヴィルケは容赦なく弾丸を叩き込んだ。
MG151/20が咆哮し、D520の機体へと吸い込まれ――爆発四散した。
早くも2機目の戦果を上げたヴィルケだったが、余裕は無い。
敵は至るところにいる。
『遊んでいる暇はないぞ。目に付く敵機を可能な限り落とす。高度5000まで上昇だ』
小隊長の指示にヴィルケは獰猛な笑みを浮かべたのだった。
エドモント・マリン・ラ・メスリー少尉はD520を操りながら、混沌と化した戦場を飛び回っていた。
敵味方共に火を噴いて落ちていく機体があったが、その数は味方機の方が多かった。
彼は僚機とはぐれ、たった1人であったが、幸運にも敵機は今のところ彼に目を向けてはいなかった。
彼はその隙をついて味方機を追い回している敵機を横から殴りつけ、2機撃墜の戦果を上げていた。
しかし、その2機はJF13であった。
そして、現在、メスリーは危機的状況に陥っていた。
背後にぴったりとくっついてくる見慣れぬ敵機が2機。
その新型機はまるで糸で繋がっているかのように、彼の動きについてきていた。
数回撃たれたが、それ以後全く撃たないその様子はこちらを嬲るかのような態度であったが、メスリーはそこに怒りを向ける余裕はない。
彼は180度ロールとピッチアップによる180度ループを連続して行う、スプリットSと呼ばれる空戦機動に入った。
機体が一時的に背面飛行となり、その際に敵機が見えた。
お世辞にも後方視界が良いとは言い難いD520であったが、それでも致命的な悪さではない。
敵もこちらの動きに合わせて180度ロールからのループに入りつつあり、背面飛行となっていた。
そのとき、敵機のパイロットと目が合ったような気がした。
メスリーは条件反射的に機体を建てなおし、そこから更に急降下へと移る。
急降下に移る直前、高度計は3500mを指しており、急降下で逃げるには多少心許なかったが、やらないわけにはいかない。
そして、彼は高度計が2500を指したと同時に操縦桿を引き起こし、機体を水平に立て直すと同時に、そのまま史実でいうインメルマンターンへと入った。
ピッチアップによる180度ループ、ロールを連続的に行い、追ってくる敵機の背後に回り込もうとしたが、敵機は目の前どころか、後方にもいなかった。
彼が眼下を見れば、自分を追ってきた敵機は急降下でそのまま低高度にいる友軍の単発爆撃機編隊に突入していく様が見えた。
「野郎!」
メスリーはまるで落とす価値もない、と敵に言われた気がしてならなかった。
怒りが沸き起こった。
彼はただちに急降下に移り、敵機を追う。
友軍機は旋回機銃のか細い火箭でもって、懸命に2匹の狼に対抗したが、メスリーが追い着く前に1機また1機と落とされていった。
メスリーはそれを見、より怒りにかられるどころか、逆に頭が急速に冷えていくのを感じた。
「手練だ」
彼は呟いた。
無線はとうの昔に喚き声や怒鳴り声で意味をなさなくなっていたが、今の彼にはその騒音すらも耳に入らなかった。
彼の乗るD520は最高速度でも敵機に劣っていることが先ほどの逃走劇で判明していたが、それでも激しい戦闘機動中に速度が落ちない飛行機というのは存在しない。
彼は敵機の後上方に占位しようとするが、それに気づいた敵機はたちまちのうちに旋回し、横へと逃れていった。
「逃げ足も速い」
メスリーはそう言い、溜息を吐くしかなかった。
彼は改めて戦闘空域を見てみると、どうやら戦闘は終わりかけており、友軍機は三々五々、フランス方面へと進路を取りつつあった。
対する敵機も残弾が乏しいのか、こちらも三々五々ドイツ中部方面へと進路を取りつつあった。
メスリーはしばらく敵機を見ていたが、やがて彼もフランス方面へと機首を向けたのだった。
『怒ってこっちを追ってきたようだな』
1番機である小隊長の言葉にヴィルケは肯定した。
「残弾に余裕があれば落とせていたんですが……」
『その通りだ』
ヴィルケの言葉に小隊長が同意した。
プロペラ軸内の20ミリ弾は先ほどのD520を追い回し始めたときには既になく、13ミリ弾も半分を切っていた。
そこで小隊長は敵戦闘機の撃墜よりも、敵爆撃機の撃墜を優先した。
その結果が先ほどのものだった。
敵爆撃機を2人合わせて3機落としたものの、残弾はその時点でゼロとなった。
これでは戦闘などできる筈もなく、見逃したD520が追ってきたときは躊躇なく逃走したのはそういう理由であった。
無論、13ミリでも落とせる、と小隊長は追い始めた当初は読んでいたが、敵機の動きが予想以上に良かった為に撃墜に結びつかなかったことも大きな原因であった。
『ともあれ、ヴィルケ少尉。おめでとう。君は1日エース達成だ』
その言葉にヴィルケは首を傾げた。
まるでその様子が分かったのか、小隊長は笑った。
『少なくとも、私が落とした敵機は2機。君は最低でも5機は落としている。射撃の腕が良いな』
「ありがとうございます」
ヴィルケはそう返したものの、半信半疑であった。
『さて基地に戻るぞ。途中で分かれた2機や1小隊の連中とも合流せねばな』
その言葉に従い、ヴィルケは小隊長と共に機首を基地方面へと向けたのだった。
ジーゲン上空で行われた大規模な空戦は両軍の上層部を驚愕させるに十分であった。
ドイツ側はフランス軍の大胆な戦術とその物量に。
フランス側はドイツ軍が早くもD520を上回る新型機を複数繰り出してきたことに。
フランス空軍はこの作戦に戦闘機137機、単発爆撃機113機、双発爆撃機53機を投入していたが、このうち戦闘機43機、単発爆撃機31機、双発爆撃機18機が未帰還となり、修理不能判定を受けた機体も多くあった。
対するドイツ空軍側は単発戦闘機102機、双発戦闘機8機を投入し、未帰還機は全ての機種合計で33機だった。
ドイツ側の損害が機種転換訓練の時間が短くとも少なく抑えられたのは、ひとえにJF13の防御能力と新型機の速度性能にあった。
操縦を誤ったところで最高速度まで加速するか、急降下で逃げるかすればフランス軍機は追いつけなかった。
また、両軍共に脱出したパイロットも多くいた為、損失機数に対してパイロットの損失は低い水準であった。
しかし、フランス空軍のパイロットは脱出したとしても地上は敵地であった為に実質的に失われたに等しかった。
この戦闘の結果、フランス空軍上層部の一部には余りの損害の多さに第二次以降の航空支援を断念しようか、という意見も出たが、ドイツ側には後がない、という意見が主流を占めた。
正確にはフランスもここで引いたら後がないという意味でもあったのだが、ドイツ空軍の兵力が激減しているのは確かであった。
その為、陸軍の支援はこの後も続けられることが決定し、夕方までに三波、述べ400機による空襲がドイツ軍地上部隊に対して行われた。
無論、乏しい兵力とはいえ、黙っているドイツ空軍ではなかったが、出撃可能な戦闘機は減っていき、夕方に行われた三波目の空襲の際、出撃できた戦闘機は僅かに20機程度であった。
そして、ドイツ空軍の最終的な損失は第一波迎撃時の33機に更に13機が加わり、46機であった。
午後19時過ぎ
ジーゲン西方装甲軍集団司令部
「想定よりも被害は少なかったな」
ルントシュテット大将はほっとした顔でそう述べた。
マンシュタイン大佐はその様子に無理もない、と思った。
ルントシュテットは弟の影響から航空機というものに対して理解が深い。
航空機の威力を知っているからこそ、それが自軍に向けられたときの不安もより大きかった。
「森林地帯に陣を築いたことが功を奏したようだ」
ハウサー中将の言葉にクライスト中将もまた頷いた。
遮蔽物が多い森林地帯ではどうしても航空機はいい加減な攻撃にならざるを得ず、また対空部隊に属しない兵士は防空壕に避難し、車両は空襲に備えて偽装してあった。
それらが重なり、被害を最小限に抑えることに成功していた。
「フランス軍の位置は?」
ルントシュテットの問いにマンシュタインが口を開く。
「住民からの通報によりますと、現在は我が軍の陣地から30km程のところで進軍し、そこで野営を始めているとのこと」
「敵の予想進路は?」
「我が軍は軍全体では東洋で言う、鶴翼の陣を敷いておりますので、戦の定石に従えば右か左の、戦力が最も薄い端を攻めてくる筈です」
マンシュタインはそこで一度言葉を切り、しかし、と続けた。
「我が軍には予備戦力があります。敵がこれに気づいているかいないかで対応が変わります」
「両翼及び中央を同時に攻めた場合は?」
そう問いかけたのはクライストであった。
「その場合は我が軍の中央に予備戦力を投入した上で局地的な数的優位を確立し、一気に敵中央軍を突破、両翼を攻める敵軍の後方へと回り込み、包囲します」
「敵軍がその前に両翼のどちらか、あるいは両方を突破した場合は?」
再度、クライストの問いに対し、マンシュタインは断固とした態度で告げた。
「その場合も敵中央軍を攻めます。確かに、西方装甲軍集団より後ろにはまともな兵力が存在しません」
ですが、とマンシュタインは答える。
「両翼どちらか、あるいは両方の敵軍は中央軍壊滅により、後方に我が軍が回りこむことが可能となります。そして、最もベルリンに近いのは敵中央軍であります」
マンシュタインが言いたいことに3人は気がついた。
南北どちらかの敵軍がたとえ防衛線を突破したとしても、ベルリンにたどり着く前に捕捉することができる、と。
「もし万が一の場合は降下猟兵を投入する」
ルントシュテットの言葉にクライストやパウサーは無論のこと、マンシュタインすらも目を剥いた。
降下猟兵――いわゆる空挺兵はルントシュテットが弟のヴェルナーと共に強力に推進していた分野の1つであった。
航空機から兵士を落下傘で降下させ、敵軍後方に回りこむ――その戦略的・戦術的奇襲効果は計り知れない。
そして、このことはユンカース社やゴータ社、アラド社といったメーカーから多数の傑作輸送機・グライダーを生み出すことに繋がっていた。
また同時に飛行船から降下させてはどうか、という案も生まれた。
ヴェルナーのあまりの躍進っぷりから史実と比べて目立ってはいないものの、ツェッペリン飛行船製造株式会社をはじめとした飛行船会社は史実と比べて地味ではあったが、その技術力は飛行機に負けまい、として優れたものがあった。
より発火しにくい船体外皮を開発し、それを基に多くの大型硬式飛行船が建造され、ドイツ本国と各海外領土や他国とを結ぶ大規模航空輸送網として機能していた。
閑話休題――
ルントシュテットは更に告げた。
「他にもブランデンブルク師団を投入する」
陸軍にはマジマジ反乱の戦訓から各種非正規戦闘を想定した、特殊戦闘師団――ブランデンブルクが存在した。
この設立にあたっては義和団事件やマジマジ反乱鎮圧に従軍したパウル・フォン・レットウ=フォルベック中将が関係しており、また当然の如くヴェルナーも関わっていた。
「ブランデンブルク師団は知っての通り、ゲリラ戦に特化している。彼らに時間を稼いでもらっている間に我が軍は敵に食いつき、一気に蹴散らす」
降下猟兵はともかく、ブランデンブルク師団は常設師団ではあるが、存在を秘匿されている師団だった。
それが僅かでも表に出るとなれば各国軍に与える影響は凄まじいものがある。
「降下地点はどこを?」
「具体的な降下地点は定まっていない。最悪の場合、地上部隊として投入する可能性もあるが……何か意見はあるかね?」
そう尋ねるルントシュテットに対し、異を唱える者はいなかった。
ほぼ同時刻、ベルリンの日本大使館では海軍・陸軍の両武官が深刻な顔となっていた。
ドイツ陸軍及び空軍から一連の戦闘の推移とその結果がつい先ほど届けられていたが、それこそがまさに彼らを深刻にさせている原因であった。
「……これは本当に1日で起きた出来事なのか?」
陸軍武官である畑俊六がそう問いかけた。
対する海軍武官である山本五十六は答える術を持たず、ただ横に座っている魔法使いに視線を向けた。
戦闘詳報を持ってきた張本人であり、ドイツでは下手をすればヴィルヘルム2世よりも世界的に有名な人物だった。
わざわざ彼が持ってきたのはひとえに、ヴェルナーが山本五十六と個人的な知り合いであった為だった。
彼は何度か山本の訪問を受けており、航空機について色々と意見を交わす仲であった。
「我が軍としては軽い損害で済んで安堵しているところです」
ヴェルナー・フォン・ルントシュテットは何の気負いもなく、そう答えた。
畑も山本も再び頭を抱えてしまった。
畑はともかくとして、山本がこの時期、ドイツにいるのは簡単なことであった。
史実の彼は今の時期、少将であり、海軍航空本部の本部長の立場にあるのだが、今の彼はヴェルナーと同じく大佐であった。
そして、山本は航空先進国であるドイツの状況を視察する為に駐在武官となっていた。
「今日だけで戦闘機46機、開戦からの分を含めれば戦闘機・爆撃機合わせて数百機以上……」
恐ろしい程の消耗戦に山本の顔色は良い訳がなかった。
このとき、日本の航空機の月産数は全ての機種を合わせて30機程度であり、年間では400機程度だった。
ドイツ空軍は開戦から5日で日本が生産する航空機の2年分を消耗したことになる。
もし日本が同じ程度の損害を受ければ立ち直れることなく、そのまま敗北するだろうことは想像に難くなかった。
「この、戦車76両が全損とかいう数字は本当ですか?」
畑もまた同じく問いかけた。
日本における戦車の月産数は20両程度。
そして肝心の戦車の性能もドイツ軍やフランス軍、あるいは他の列強のものと比べて日本の戦車は玩具と呼ばれても文句が言えないレベルであった。
ともあれ、ドイツ軍はたった1日で日本における3ヶ月分の戦車を損耗したことになる。
他にも火砲やら何やらの損失が書かれていたが、そこらになると畑は目を覆いたくなる数字であった。
当然似たような損失を被っているフランスでもこの程度は軽い損害と言っているだろうことが容易に想像できた為、2人共、列強の末席という単語を強く認識した。
末席はあくまでも末席であり、欧米各国とは何十倍も基礎的な国力に差があるのだ、と。
ちなみに、これらの戦闘詳報はドイツにおいては別段機密でも何でもなかった為、積極的に公表はしないが、問い合わせがあれば開示する、というものであった。
その為、各国大使館からは開示請求が寄せられており、対応する部局は忙しかったりする。
「まあ、日本は極東の国家としてそこそこ栄えるのが最も良いと思いますよ? 我々の権益を犯さぬ限り、日本とは良き友人でいられるでしょう」
ヴェルナーの言葉は心から出たものであった。
そして、畑と山本にはその意見が痛いくらいに正論であることが分かった。
事実、欧米は何もしてきていなかった。
唯一、ドイツが満州を掠めとったくらいだが、それは結果的に日本にとって良い方へと転んでいる。
わざわざ自殺しにいくような感情論を語る連中とそれを面白がって煽る連中こそが最大の敵である、と陸海軍上層部及び政府の見解は一致していた。
ヴェルナーは更に、ドイツにおける来月以降の航空機月産数の予想を2人に聞かせ、2人の度肝をまた抜いた後に大使館を後にしたのだった。
ヴェルナーが帰った後、畑は沈痛な表情で口を開いた。
「……山本大佐、帝国は我々軍隊に金と資源を使っている場合ではない」
「誠に遺憾ですが、どう頑張っても日本は貧乏国家でしたな。分不相応な軍備を平時に整えるべきではありません」
「然り。より一層の国力増大に努めねば、欧米の奴隷と化してしまう」
「外交が今まで以上に重視されねばなりませんが、我々にできることは過激な連中を潰すことでしょう」
応じた山本も沈痛な表情であった。
だが、2人にとって幸いであったのはフランスのように国家滅亡の危機には立たされておらず、うまく立ち回れば日本が飛躍できることだった。
ヴェルナーは日本大使館を出た後、開戦以来5日振りにベルリンにある自宅へと帰宅した。
出迎えたエリカはヴェルナーを優しく抱きしめる。
彼にとっては何よりもこの瞬間が至高であった。
「お食事はどうされましたか?」
「出前はもう飽きたので食べてこなかった。鰻や寿司は好きだが、毎日だと飽きるな」
エリカの問いにヴェルナーはそう答えた。
家に帰っても、エリカが食事を作るわけではなかったが、それでも気分の問題だった。
お抱えの料理人達は彼の好みをよく知っており、それでいて栄養バランスが取れた食事を提供してくれる。
「では、お食事にしましょう」
「ああ……勿論、君も十分に味わいたい」
ヴェルナーの言葉にエリカは恥ずかしそうに視線を逸らしたのだった。