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LOST COIN -tail-
作:早村友裕



SECT.18 願ウ心ニ


 自分自身で気持ちを自覚して認め、マルコシアスに素直になれと言われても、そう簡単に態度を変えられるものではない。
 今朝はなぜかガキがじろじろと自分を見ている。落ち着かない。
 思わず不機嫌な声が出た。
「何だ?」
 するとガキはにこりと笑ってこう言った。
「アレイさんは綺麗だね」
「は?」
 ああもうまたこのガキは訳の分からないことを言い出した。
 本当に俺はどうしてこんな奴のことをこんなに気にしているんだろう?これは人生最大の謎と呼んでもいいだろう。
「いったい何を言い出すんだ。とうとう頭がイカれたかこのガキ」
「おれはいつだって本気だし思ったことしか言わないよ」
「だったらもともとイカれてんだな。いっぺん殴ったら戻るんじゃないのか?」
「殴られたら殴り返すからね」
 ガキは唇を尖らせた。
 もう何度目か分からないため息を吐き出して、頭を手で押さえた。
「……お前はだんだん生意気になっていくな」
「アレイさんのせいだよ!」
「本当にそうだわ」
 ねえさんは楽しそうに笑う。
 そうだ、図らずもねえさんの言った通りになってしまったのが少々気に食わない。
「今までそんな風にラックと言い合える相手はいなかったものね」
 ねえさんに笑いかけられたのにガキは少し不安そうな顔をした。
 何かあったんだろうか。
「よかったわね、ラック。アレイだけじゃないわ、老師様もきっとあなたのことを気にかけてくれるわ。ゼデキヤ王も、漆黒星ブラックルビー騎士団長のフォーチュン侯爵もお力になってくれることでしょう」
「ねえちゃんも一緒にいてくれるんでしょう?」
「そうよ。絶対にあなたを守ってあげる。何があっても、必ず」
「ほんと?」
「ええ。あなたが望む限り」
 ねえさんの言葉はいつも強い意志を帯びている。
「大丈夫よ、ラック」
 馬車は神殿に到着して、目の前の大理石で出来た大きな建物を見上げた。
 これからこのガキは契約に向かう。
 それを思うと不安で仕方ない。


 待っていたくそじじぃと合流し、全員で地下にある契約の間に向かった。
 薄暗いのは明かりが壁に灯されたランプの光だけだからだろう。大理石が敷き詰められた床には一面にびっしりと黒い模様が記してある。
 ガキは目を丸くした。
「ここは悪魔と契約を結ぶ儀式に使う部屋だ」
「歴代のレメゲトンがここで幾人もの悪魔と契約を交わしてきたのよ」
 コツリ
 靴音が響いた。
 地下は閉鎖されているから音がよく響く。
「動きやすい格好に着替えなさい。すぐに始めるわよ」
「わかった」
 こくりと頷くと、なんとねえさんはその場でガキの服を脱がせ始めた。
「?!」
 いったい何を考えている?!
 慌てて違う方向を見て気持ちを落ち着ける。
「お前たちは……着替えるならもっと隠れてやれ!」
「あら仕方ないじゃない。他に場所がないんですもの」
 思わずねえさんに対して怒鳴ってしまった。
 紺のアンダーウェアにワーキングパンツ、淡いグリーンの短衣、ベルトには短剣を差した――偶然にも初めてガキと会った時と同じ格好だった。
 篭手をはめた右手を開いたり閉じたりしながら、ガキはねえさんに微笑みかけた。
 こんな日でもいつもと変わらない明るい笑顔だった。
「ねえちゃん」
「なあに?」
「今日さ、帰ったらケーキ食べたいな」
 ねえさんはまるで泣きそうな顔で笑った。
 ガキが今日中に帰ってくることはまずないだろう。マルコシアスの時は3ヶ月、サブノックでも3日かかった。
「いいわよ。一番好きなクリームたっぷりのフルーツケーキを用意するわ」
「やった!」
 嬉しそうに右腕だけで伸びをしてから、ガキはくそじじぃが示したひとつの魔方陣に向かう。
 その後姿を思わず呼び止めそうになる。
 ねえさんも表情を強張らせてガキを見つめていた。
「準備はよいか?」
「うん」
「召還した悪魔の言葉に耳を傾け、その問いに答え、血で契約をせよ。力とはすなわち意志の力。どれだけ強く自分を信じられるかだ」
「……よくわかんない」
 実際、知識なの何の役にも立たない。
 悪魔が見ているのは人間の魂そのものだ。いくら言葉を飾ったところで意味がない。
「とにかく自らの意思をしっかり持て。迷うな。じぃ様がお前に言えるのはそれだけだ」
「わかった。そうする」
「ラック、悪魔さんの話をちゃんと聞いて、きちんと答えるのよ」
「うん」
 にこりと笑って頷いたガキは本当にいつもと変わらなかった。
 近所にお使いにでも行くような軽い足取りで魔法陣の前に立った。初めて見るものに興味深々で魔方陣の絵とコインの模様を見比べている。
 そうなのだ。いつでもこのガキは何に対しても一生懸命で、素直に自分の感情を表して、興味のあるものには何の躊躇もなく飛び込んでいってしまう。
 たとえその先にある物が困難であったとしても。
「おいくそガキ」
 堪らなくなって呼び止めた。
「なあに?」
 ガキが漆黒の瞳をこちらに向けた。肩で揺れる髪が頬をなでた。
 ゆっくりとガキに近づいた。
 もうほとんど無意識だった。頭の片隅で、マルコシアスの言葉が響いた――愛しいという心に時間は関係ない。
 本当にそうなのかもしれない。
 自分よりずっと低い位置にあるガキの瞳はいつものように無垢な光を灯していた。
 初めて見た瞬間からずっと奥でわだかまっていた心が爆発した。
 堪えきれなくなって少女の背に手を回して大きく腕の中に包み込んだ。柔らかな黒髪が頬に触れた。
 見た目より華奢なその肢体は折れそうに撓る。
 腕の中の暖かな感触が何より愛おしい。今この瞬間自分がこの少女を『一つだけ』に選んだことを確信しながら艶やかな黒髪をなでた。
 少女は驚いたようだったが抵抗せず、それどころか背に手を回してきた。
 耳元に唇を近づけて、そっと囁く。
「死ぬなよ。帰って来い……くそガキ」
 言ってしまってから何とも言えない熱い気持ちがこみ上げてきて、締め付けられるように胸が痛んだ。
 言わなければよかったと後悔した。
 口にしてしまって、もう戻れないことを実感した。
 左の頬に軽く唇で触れた。
 もう迷わない。
 この少女を何からも守ろうと心に誓った。
「だいじょうぶだよ、アレイさん。ちゃんと帰ってくる」
 少女の声はいつもと変わらず、でも強い意思を含んでいた。自分のことを受け入れてもらえたような気がしてほっとした。
 このぬくもりを離すのは名残惜しかったが、いつまでもこうしているわけにはいかない。
 そっと離すと、少女は自分を見上げて微笑んだ。
 その笑顔を絶やさないように。
「その魔方陣の中に入り、悪魔の名を唱えるとよい」
 少女は魔方陣に足を踏み入れた、
 三角を二つ重ねた中にアガレスの象徴の紋様が描かれた魔方陣が地獄へ続く階段の入り口のように見えた。
「んじゃ、がんばるよ!」
 困難を自覚しているのかどうなのか、少女はいつものように笑って、コインを強く握り締めた。
「アガレス!!」
 次の瞬間、少女の姿はその場から消えていた。







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