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壊れた海のひとつまみ
作:北本彩和



8



夏休みの楽しい思い出はできた。しかし、自分的宿題は振り出しに戻った。なぜこんなに母親の痕跡を探すことが困難なのだろう。本当に存在していたかさえ疑わしくなってくる。いたような気がするなんて、いないと同じだ。
遺品がない。写真がない。一緒にいた記憶がない。思い出がない。顔も覚えていない。兄と自分を母が産んだとは限らない。血が繋がっていない可能性、父が浮気して外で作った可能性が絶対にないとは言い切れない。ぼく達兄弟と顔は似ているらしいからきっと血の繋がりはあると思う。でも似ていると言う他人の記憶は、どこまで当てになる?
母とは一体誰だろう。ぼくの母親ではないかもしれない。父の妻とは限らない。戸籍上たぶんそうなっているだろうというだけだ。だけど母が、祖父の子供なのは確かだ。血縁関係はわからないが、結婚前の続柄は次女だったはずだ。祖父と何の関係もなかったなら、ぼく達と祖父も関係のないただの他人だ。長い夏の間、ぼく達の面倒を見ようなんて酔狂なことは思いつかなかったはずだ。
そういえば祖父に母のことを訊いてみたことがない。会う時はいつも兄と一緒にいたからだと思う。だけどそれにしたって写真の一枚くらい飾ってあってもいいはずだ。祖父にとっても母は禁忌なのかもしれない。
「おじいちゃん、夏休みの宿題で小さいときのぼくの写真探してるんだけど、ない?」
「どうだろうなぁ。明君の家にはなかったのかい?」
「だいぶ探したんだけどみつかんなかった。写真を撮った覚えはあるってお父さんは言うんだよ?」
「そうか。それならおじいちゃんのウチにあるかもしれないねぇ」
「あるとしたらどこだと思う?」
「二階の物置部屋かねぇ」
 二階建ての一軒家に一人で暮らしているから、部屋はいつも余っている。当然だ。この家は家族四人で住むために建てられた家。一人で住むには広すぎる。だから、納戸と化した部屋や使っていない部屋がある。もったいないと思う。だけどその空いたスペースを、何で埋めるべきかわからない。祖父は夏の間、ぼく達でそこを塞ぐことにしたのかもしれない。
 この家に家族四人で暮らせた時間はどれぐらいあったのだろう。蝉がうるさく鳴き、風鈴が揺れる音が耳につく。その音を聞いていると一人きりという手触りをリアルに感じる瞬間がある。同じぐらい静かな自分の家に一人でいたとしても感じることのない、冷たく乾いた感触の物。この家は祖父がいるというだけで、もう生きてはいないようだ。
 二階に上がってみると意外と風が通り、気持ちがいい。窓から海が見えたらいいのにとここに来るたび思う。おもしろそうな物は何も見えず、人影さえ見えない。実際に外に出たらアスファルトからのぼる陽炎くらいは見えるかもしれない。
 目新しい物を見つけることは諦めて、地道な作業を始める。先ず押入から、家でやったのと同じように順番に荷物を出していく。一冊、アルバムが出てきて期待に動悸が速くなった。結婚式の物らしい。開いてみると知らない人達で、よくよく見ると祖父母の名前が書かれている。「白取秀臣・月野」同姓同名の別人かと思うくらい若い頃の祖父は今と違う顔だ。
 結局押入の中に写真はそれぐらいしかなかった。押入の他、残っているのは箪笥が二つと鏡台。まさか箪笥に写真は入れないだろう。鏡台の探索に手をつけた。
 祖母か母かその姉か、鏡台はその誰かのものだったのだろう。ドレッサーと安っぽく呼ぶのは悪いような代物だ。木目調の鏡台とセットでゴブラン織り風の布張りの椅子もある。鏡は三面鏡になっているようだったが、開いてみる気にならなかった。死人の鏡に自分が映るのは、どことなく気持ち悪い。
 一番上の大きな抽斗を開けると、嗅ぎなれない粉っぽい臭いがした。中には雑然と使いかけの口紅や、その他コンパクト状の物が入っている。次に開き戸を開けた。整髪料や香水瓶、縦にかさばる物を集めてあるようだ。その中の一つ、青いガラスびんにどことなく気を引かれる。もし飴が入っていたら中身は酷いことになっているかもしれないと思った。カビとか虫が湧いてそのまま死んでいるとか。見なかったことにすれば良いとも思う。でも好奇心に負けた。怖い物見たさというやつだ。
 青いびんは白くうっすらホコリを被っていたけれど、不気味なことにはなっていなかった。中に入っていたのは飴でも化粧品でもない。幾つもの白い破片。それに混じって砂粒が少しだけ。意味もなく振ってみると、痛そうな乾いた音がした。
 海の破片だ。唐突に思い出す。ずっと昔、青いびんに海岸で拾った貝を入れた。あのびんがこんな所にあった。懐かしい大発見だ。光に透かして、びんの中をもう一度確認。服にホコリがつくのも構わず、胸に小さなびんを抱きしめる。
 祖父に見せに行こう。そして何故こんな所にこれがあるのか訊いてみよう。
 一階に下りると祖父は昼ご飯の準備を始めたところだった。台所は熱気がこもっている。火にかかっている大鍋が原因だ。
「今日のお昼はそうめん?」
「スパゲッティーとどっちがいい?」
「暑いからそうめんがいいなー」
「そうめんだね。そろそろ沸いたかな?」
「おじいちゃん、上でこんなの見つけた」
 振り返ったとたん鍋の蓋が手から落ちた。湯気で濡れた蓋が床でぐわんぐわんいっている。
「足! おじいちゃん足、大丈夫だった?」
「あし? ああ足の上には落ちなかった。いや、年かね〜手もおぼつかない」
 動転しすぎ。ごまかそうと何も聞かなかったようにそうめんを茹でる姿は、滑稽に見える。床に転がったままの鍋蓋がシュールだ。
「どうしたの? 昔、これと同じの見たことあるんだ。お兄ちゃんと貝拾いした。なんで鏡台の開き戸の中にあるの?」
「鏡台の中か。…あれはおばあちゃん達のものだからなぁ。あの中に何が入っているか、あそこは見たことがないから、おじいちゃんには分からないな」
「見たらだめだった?」
「…いいや、ばれなければいい」
「おばあちゃんに?」
 とっくの昔に死んだ人に?
「おばあちゃんだけじゃない。アサミと朔乃にも知られたらいけない」
「朔乃はお母さんだよね。じゃあアサミって伯母さん? なんで見たって知られたらダメなの?」
「勝手に自分の場所みられるのは、明君だって嫌だろう?」
 振り向かずに言うから、どんな顔をしているか見えなかった。
 昼食のそうめんはいつにも増して味がなかった。ミョウガがネギやショウガと一緒に薬味に刻んであるのが家と違っていて不思議な感じだった。ミョウガを入れて食べるのは初体験なのに、おいしいかどうかも分からなかった。ネギよりしゃきしゃきしていると思った。
 食べ終わってから、また二階に上がって鏡台の中を見てみた。もう一本似たような、貝の入ったびんをみつけた。いったい何本このびんはあるのだろう。
 おじいちゃんと二人きりでずっと家に籠もっていても、全然おもしろくない。閉じられた場所にいるのは飽きた。急に人混みの中に行きたくなった。ここ最近、祖父と兄しか見ていない気がする。家に帰った時、そう言えば父がいたか。







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