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壊れた海のひとつまみ
作:北本彩和



5


「通知票どうだった?」
 クラスで一番仲の良い新藤雅紀が、ぼくのところまで成績を自慢しに来た。終業式の日にみんなが使う言葉だ。普通この言葉には好奇心や不安が微量とはいえ含まれるものだが、彼に限っては違う。
 新藤は自分の成績を純粋に自慢する、そのためだけにこの言葉を使っている。ひねくれたことに、僕以外の、周りのクラスメートに自慢するために。ぼくに向かって話すくせに、聞かせたいのはぼくではない。
 確かに同じような成績のぼくに自慢することはできないだろう。ぼくは社会が少し苦手で新藤よりちょっと悪い。新藤は国語が苦手。教科全部を合計すると同じになる。
「通知票? 見たかったら見ていいよ。新藤はどうだった?」
「……いつも通りってとこか。相変わらず社会苦手だよな、おまえ。あんなただ暗記すればいいだけの教科のどこが難しいんだ?」
「そういうおまえだって国語、苦手じゃないか。おきまり通りの偽善的な文章を、大人の考えそうなこと書けばいいだけだよ。これがなければ新藤はオール5になるのに」
「明に言われたくないよ。おまえだって同じだろ」
「まあね」
 因みに五段階評価。苦手と言っても4だ。
 聞いていない振りでしゃべっている奴らに、聞こえよがしに会話して彼は満足したらしい。自分の席に帰っていった。ぼくは彼の片意地張った性格が好きだ。
 かわいそうな子供になることを、傲慢を装って抵抗する。応援する気はないけれど片棒担ぐ気は充分にある。共犯者になってみるのも楽しそうだと思う。ぼくはかわいそうな子供だから。
 抵抗をやめてみるとそれはそれで特別扱いも大したことじゃないと気付く。もう中学生、そろそろ気を使うということを覚える頃だし。それに、かわいそうというだけで特別扱いされ続けられるわけでもない。
 気の弱げな、母親のいない、少女と見まごうかわいらしい少年。如何にも薄幸そうだ。かわいそう、その言葉を糸口に構いたくて仕方ないのだ。
 もしぼくがものすごい不細工だったら、誰もぼくをかわいそうなんて言わない。異物として排除するか、侮蔑混じりに眺めるだけだ。きっといじめの恰好のエモノになっただろう。これはぼくの妄想かもしれない。けれど人間は冷たいもので、自己中心的なものだとぼくは知っている。
 気の強い、父親のいない、整った容姿の彼もそういうことに気が付けば楽に生きられると思う。しかし彼なりの理屈と正義に基づいた言動は僕の娯楽の一つなので気付いて欲しいとは思っていない。新藤の両親は離婚していて、彼は母親の方についていった。
 世間の理不尽さに密かな怒りを持つ彼は、ぼくにとっていい奴なことだし、それで充分だ。
「矢島君って頭いいんだぁ。羨ましいなぁ」
 新藤がいなくなったのを見計らって、近くの席の女の子が甘えるように語尾をのばして言った。
「そんなことないよ。でもそういう風に言ってもらえるのはやっぱりうれしい、かな?」
 はにかんだような微笑みと共に言った。それを見ていたのか、他の女子も加わる。
「矢島君は、頭いいよ〜。分けてもらいたいくらい。あの新藤君と張り合えるんだから」
 ぼくは笑っているだけでいい。彼女達の名前さえきちんと覚えてない。ハットリでもムトウでも、呼ばないぼくには関係ない。だから、どう漢字に変換するのかも知らない。ぼくの気をひくために拙い語彙で褒める彼女たちに、望み通りの笑顔を見せてあげるだけでいい。ぼくに望まれているのはそれだけだ。
 新藤の言動は彼女たちの好みには合わないことが多い。わざとらしい、傲慢、他人を見下している。それが下された評価。彼はぼくのように、皮肉でない賞賛を直接受けることはまずない。
 一生懸命な褒め言葉を聞きながら、相手を見下す。そして、ぼくのそんな気持ちにも気付かない讃美者をバカにする。その楽しさをきっと新藤は知らないだろう。
 彼女達の中の一人が爪をピンク色に染めているのを見つけた。ちょっとしたサービスをしてみる。
「その爪、なんか塗ってる? 似合ってる」
 言われた子は顔もピンクになった。単純なものだ。学校にわざわざマニキュア塗ってくるのもどうかと思う。ただ、その色自体はきれいで貝の内側みたいに光の加減で色が微妙に変わって見える。凝視してしまったらしく、彼女はピンクから赤に変わった。
 帰りの会がやっと終わり、たくさんの宿題と一緒に夏休みがきた。







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