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妹、再会

 八角はちかど家の朝は早い。

 しかし八角美保の朝はもっと早かった。それは彼女の毎朝の日課に起因していた。彼女は六時になる前から起き出して、顔を洗って、着替えて、目的の地へと足を運ぶ。

 そこはネームプレートに“誠”と書かれた部屋だった。


 彼女は、兄、八角誠が忽然と姿を消して以来早起きを己に課したのだ。


 ──かつて彼女は朝に弱かった。兄である誠に甘えて、毎日起こしてもらっていたのだ。ゆえに、彼女は家族の誰よりも早く誠の異変を知った。

 兄が起こしにきてくれない。そんな些細な日常との差違が、彼女に強烈な胸騒ぎを起こさせた。彼女はその胸騒ぎの言うがまま、兄の部屋へと走り出した。 

 そして見てしまった。

 まるで泥棒にでも入られたかのような部屋の惨状と、不自然に主だけ失ってしまった部屋を。

 すぐに警察が入り、調査が開始された。だが、なんの進展も見られなく、いつしか調査は打ち切られた。家出だと、警察は処理するらしい。

 彼女は強硬にそんなはずはないと主張した。兄が、人畜無害、付和雷同を地で行く兄が、こんな騒ぎを起こして平気でいられるはずがないと。両親も当然それに賛同し、警察に訴えでた。

 

 結果は、捜索令状の一枚だけ。


 その日から、彼女の日課は始まった。兄がいつ帰って来てもいいように毎朝兄の部屋を掃除して、放課後になるとビラを配った。

 両親も仕事の合間に彼女を手伝った。兄の親友もまた、独自に兄を捜し始めていた。

 心ない者は拉致だなんだと囃し立てた。家出くらいで人騒がせな、と悪し様に兄を彼女を罵った。

 その度に、彼女は握った拳を震わして、唇を噛みしめる。殴ってしまっては悪者になるだけだと自分に言い聞かせて。

 

 だがそれも、そろそろ二年を過ぎようとしていた。春の新芽が芽吹く頃、兄はどこかに行ってしまった。窓の外を見れば、遠くに桜の花が咲いている。

 かつて中学生だった彼女は、この年高校生になった。時が止まってしまった兄と、同じ学校学年だ。

 彼女は生活態度を改善し、自堕落だった性格は今では凛とした雰囲気さえ纏っている。すでに入学式を終えた彼女はその気高さ美しさから学校でも注目の的だった。

 だけど一番褒めてもらいたい相手がいない。幾千幾万の凡百の言葉は彼女に届かない。

 ガキだガキだと私を揶揄してきた彼に、今の私を見てもらいたい。こんなに綺麗になったよ、と。早起きだって出来るようになったんだって。

 彼女は兄の部屋の前で立ち尽くした。毎日扉を開けて、もしかしたら兄がひょっこり帰ってきてるんじゃないかと、期待して裏切られ続けた。

 もう、限界だった。

 

「……帰って、きてよぉ……おに……ちゃん……」

 

 ──かくして彼女は扉を開ける。眼下に写るのはいつかのように荒らされた部屋と、兄のベッドで眠る金色の少女。扇状に鮮やかな金の髪の毛を広げてすやすやと眠る姿は、御伽噺のように幻想的に。

 常人の精神であれば、ただただこの光景に飲まれ言葉を失ったであろう。それでなくても固まったに違いない。

 彼女の行動はそのどちらにも当てはまらない。


 つかつかと歩み寄り、その愛らしいかんばせに拳を振り下ろした。

 そして驚愕する。

 その拳は、寝ていた少女によって受け止められた。

 これには流石の美保も言葉を失った。


 少女の瞼が徐々に開いていく。ごくりと息を呑む音が響く。

 

「……美保?」


 金色の少女は不思議そうに、彼女の名前を呼んだのだった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「……美保?」


 レティシアは困惑していた。日本に帰ってきたはずだった。なのにどうして自分は危害を加えられそうになった時と同じように起きてしまったのだろうか、と。

 もしかして日本に帰ってきたこと自体が夢で、自分はまだアースガルドの世界に閉じこめられているんじゃないのだろうか、と無意味に不安になったりもした。


 恐怖もそこそこ、レティシアが瞼を開けると懐かしい顔が網膜に飛び込んできた。時間が経っているためか、記憶の中の妹とは些か成長しているようだけど、間違えようがない。

 美保だ。なら、やっぱりここは日本だ。日本に帰ってこれたんだ、とレティシアは再び喜びを噛みしめた。

 

 攻撃されたのも、きっと美保の怒りだろう。兄がなにも言わずにどこかに消えて、突然帰ってきたんだから、文句の一つ暴力の一つや二つも振るいたくなるだろう。

 レティシアはそう結論づけて、ベッドの上で起きあがった。

 ──起きあがると、重力の方向が変わる。今まで仰向けに寝ていたのが、顔を起こしてしまうと髪の毛が一斉に顔に掛かってきた。

 揺れる金糸が目障りなほど太陽光に反射する。


「…………」

 

 レティシアを凝視する美保。


「…………」


 視線に耐えきれず目を逸らした。


「…………誰?」


 美保は意を決して異国の少女にしか見えない彼女に尋ねた。


「…………」


 答えられるわけがない。変身魔法が解けてなければ今頃感動の再会シーンだったろうに。レティシアは己のミスに悔やんでも悔やみきれない思いで──全力で黙秘権を行使した。


「…………警察呼ぶわよ?」

「…………」


 その一言にダラダラと脂汗を流す錯覚を起こすレティシア。髪の毛の壁のおかげで直接美保の眼力を浴びなくてすむのが幸いか。

 きっと直接見ていれば、バッドステータス麻痺、恐怖、石化に掛かっていたと熟練の戦士の勘は推測する。


「…………」


 無言でケータイを取り出した美保。それを視界に納めながらも、レティシアは見ていることしかできなかった。

 げに恐ろしきは、勇者と呼ばれたレティシアを追いつめるその眼力か。

 美保はじっと見つめているだけだ。付け加えるなら蔑み切った冷たい目で。

 

 レティシアを見つめたまま、美保の指が動き始めた。

 

 1……1……


「……兄」


 0!


「あ、もしもし警察のお方で──」


 転瞬──


 美保のケータイはレティシアの手に握られていた。電源をOFFにする。ふうと安堵の息を吐くと、レティシアは開閉式の携帯電話を閉じた。

 美保はいつ取られたか分からないことに恐怖しつつも、気丈にレティシアを睨みつけた。


「私、そういう冗談大嫌いなの」

「知ってる。だから冗談じゃない」

「冗談じゃない? それは喧嘩を売ってると解釈していいのかしら。私にはアナタがここにいること自体、冗談だと思うのだけれど」


 すぐに怒らなかっただけ、美保はよく耐えたと言える。兄の話題は、二年前から彼女の逆鱗になっていたのだから。

 レティシアは自分の身体を見て、少し考え、無表情に首を傾げて戯けたことを言い放った。


「……私がここにいることは冗談じゃない」


 パシッ! 平手で振り抜かれた美保の手は、またレティシアの小さい手に受け止められた。

 憎々しげに美保はレティシアを睨みつけた。


「そろそろいい加減にしないと、怒るわよ?」


 怒るも何も、今し方平手を見舞ってくれてじゃないかと言及しようと思って、彼女は口を噤んだ。この身体に入れられて以来、めっきり人の感情に疎くなってしまったと自覚しているレティシアも一応成長しようとしているのだ。

 その為に、かつての仲間は大変苦労したのだが、当のレティシアは知らん顔である。

 頬がぴくぴくと動いている美保を見て、彼女は不思議と心が安らぐ気がした。最初澄まし顔の美保を見たときには何事かと思ったが、直情的なところは変わっていない。

 嬉しくて、そのことを伝えたくて、でも口は空気を吸うだけだった。感情が希薄になってしまったということは、同時に自分の思いを伝えるのが苦手になってしまったという事だった。

 よっぽどキャパシティを越えるほどのものでないと、表情も変わらない。

 

 美保は変わってないけど、自分は変わりすぎるほど変わってしまった。


 そのことが信じてもらおうとする気持ちを萎えさせた。


「……信じて、ほしい」


 だから彼女ができた抵抗は、これが限界だった。

 無表情だったレティシアが、ほんの少し眉尻を下げる。縋るように、喉から絞り出した声。


 それを無視できるほど、美保は人でなしではない。

 

 美保はうぐと喉を詰まらせて、はぁと息を吐いた。


 どっかりとレティシアが座るベッドに腰掛ける。


「……そうね。私が納得できる説明ができたら、信じてあげてもいいかしら」


 彼女はそう言った。

 もう一つ言えば、美保は直情的であっても馬鹿じゃない。頭に血が昇っていただけで、易々と兄の最大の手掛かりになるのかも知れない少女を手放すわけにはいかなかった。

 たとえ、信じる気が毛頭なくとも、少女から情報を少しでも引き出すために信じるフリをするのだ。


 レティシアは顔を輝かしこそできないものの、声音を少し弾ませて説明を始めた。

 異世界、召喚、勇者、魔法、そして帰還。話すべきではない部分は随時省いて脚色しながら、二年間の軌跡を美保に語って聞かせた。

 言葉が足りなかったり、上手く言い表せられなくても、一生懸命に美保に信じてもらおうとレティシアは努力した。

 慣れない手つきの身振り手振りで説明する様は、いかに彼女が必死かが伺える。そしてそれに気付いてなお、刺々しい態度を取るほど美保は冷血漢ではない、冷血漢ではないのだが、


「……あり得ない。現実的じゃないわ。それならまだ、あなたが兄をさらった悪の秘密結社の一員だとでも言われた方が万倍マシよ……」


 異世界だの、魔法だの言われてすぐに信じられるほど美保の頭はお花畑ではなかった。

 科学信仰のこの世界の風潮に魔法なんてオカルト、電波女と断じた方がまだマシだ。それにしても、鬼気迫る物言いは、イヤにリアルで、残酷だ。特に、戦場の描写は見てきたとしか思えないほど、緻密で、吐き気がする内容だった。

 作り話だなんて、思えないほど。


 頭が痛いと額に手を添える。


「なんなら魔法を使ってみせる」


 そう言って、レティシアは手の平を上に浮かべて見せた。傍目から見たら気狂いにも似た行為。幽霊の正体見たり枯れ尾花、ではないがそんな自分から嘘を露見させる行動は違和感が生じる。

 そして、レティシアができると疑っていない表情も。


「なにを──」


 ──手の平に炎が現れた。

 ……横1m、縦4m程の火柱が。

 現出した炎は天井を焦がし、あわや大惨事か、という所でレティシア自身がそれを止めた。

 美保は口元をひくひくと引きつらせて呆然としている。ある意味、腰を抜かしていない時点で剛胆と言えば剛胆か。

 しかし、かつて天を燃やした炎を使ったものと思えば、どれだけ小さな炎か。それを知っていれば、美保はもっと慌てたに違いない。

 

「ちょっと失敗」


 わなわなと震える美保に向き直り何でもないことのように言う少女は、空気の読めなさでも最強の名を欲しいままにした。

 

「ちょっと失敗……?」


 ここは美保にとって兄の部屋である。毎朝掃除をするほど、思い入れのある部屋である。よって、魔法のような超常よりも、


「じゃないわよ、このアホんだらぁーー!」


 兄の部屋を燃やされかけた事実の方が、よほど大事だったりする。三度、拳を振り下ろし、

 パシッ。

 

「受け止めんなぁー!」


 三度その拳は受け止められた。


「妹がグレた」

「誰が妹よ!」

「……信じてない?」

「ま、魔法は信じていいけど、それとこれとは別よ!」


 半ばヤケクソ気味に叫ぶ美保にレティシアは冷静だった。次になにを言えばいいのか考えて、考えて、結果──


「……朝起きられるようなった?」

「え」

「朝の準備一人でできる?」

「な」

「歯くらい自分で磨ける……?」

「ぬ」

「顔まで人に洗わせて……朝ご飯だって……宿題……お風呂……甘えん坊……」

「ストップ! それ以上は私の名誉のために止めたげて!」

「わかった」

「なんっ、あ、そうね、うん」


 脱力、ぶつぶつとレティシアが言った言葉は全部身に覚えがあるものばかりだった。具体的に言えば、兄がいなくなる前までの生活習慣。


 ただ、となると──


「……まさか本当にお兄ちゃん?」

「やっと信じた……?」

「ま、まだ半信半疑よ。ただ、私のダラシナい姿を知ってるのは家族以外にいないし……まさかお兄ちゃんが言い触らすとは思えないし……」

 

 ぶつぶつと否定する材料を探す美保は、下を向いて頭を抱える。


「……相変わらず強情だ」


 嘆息して、レティシアは美保の頭の上に手を置いた。昔は見下ろしていたのに、今では見上げかねない身長の差。それでも、懐かしくてレティシアは美保の頭を優しく撫でた。自然と口から、今では違和感しか残らない口調が出た。


 そして、それが懐かしいと思ったのはレティシアだけじゃない。


「あ、あれ……? なんで、私……?」


 ポロポロと、美保の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。

 どれだけ頭で否定しようと、心が認めてしまった。手の大きさも、見目形もなにもかもが違うのに、温もりだけは一緒で。

 涙で濡らしてしまった顔で、美保は縋るように目の前の少女に視線を交わす。


「おにぃ……ちゃん?」

「ん。なに、美保?」


 言葉が足りない。喋り方も違う。声なんて別人だ。

 なのに、なのに、記憶の中の兄とダブる。どうしようもなく、愛おしいと感じてしまう。

 認めよう、美保は思った。

 目の前の愛らしい少女は、


「お兄ちゃん!」


 二年間、求めてやまなかった兄、その人であると。


「────」

「……え?」


 抱きつこうとした彼女は、少女によってベッドに投げ飛ばされた。

 見事、スウェーで避けてバランスを崩した所に片手を取って引きずり落としたのだ。


(……あ。失敗)


 要するに、突然抱きつかれそうになったのを攻撃と判断し、それを防いでしまったのだ。


 レティシアは、ベッドに埋まる妹を見て、どうやって謝ろうかとまた頭を悩ませるのだった。


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