自殺提案
自分という人間がどんな人間かと誰かに説明するなら、僕はきっと『ちょっと冷めたクロネコ』というだろう。
猫は猫でも雄だ。
メスネコは飼い主に対しても、その母性本能をさらけ出し、世話をやきたがるという。
触らせてくれる猫と触らせてくれない猫の違いは、雄か雌かでも分かれるらしい。
あくまでらしい、だ。
実際猫なんて飼ったことのない僕には分からない。
猫を飼ったことのない僕が、何故そんなことを考えているかというと、駅のホームで隣に立っている人の携帯待受が可愛い猫だからだ。
僕が学校に行くための交通手段が電車で、隣の人が会社に行くための交通手段も電車なら、当たり前のことだ。
はっきり言って、パッとしない感じの人だ。
いや、僕だって全然、今風じゃないけど、それなりに気は遣っている。
隣の人はよれよれだ。
「可愛いだろ、この子」
僕が見ていたのに気がついたのか、その人は黒縁眼鏡の向こうから、に゛っこりと笑った。
誤字ではなく、に゛っこりと、だ。
「可愛いですね。雌ですか?」
「そうなんだ。良く僕のこと舐めてくる変わった子でね」
その顔は、デレてる、と言うよりは懐かしんでる様で、僕は少しの違和感を感じた。
「メスネコはそうらしいですよね。猫、飼ったことないんですけど」
「僕も、この子が初めてだったから…他の子がどうなのか、分からないんだ」
「そうですか」
あ、過去形だ。
僕はそう思った。過去形の理由なんて一つしか思い付かない。
「死んじゃったんですか」
「うん」
間髪入れないその返事。
「悲しいですか」
「そりゃぁね。一人の家族だった訳だし」
「だからそんなよれよれなんですね」
「そうだね。もう、何をする気も起き無くて」
「……そうですか」
本当に疲れ果てた表情だった。
「お葬式は済んだんですか?」
「うん。ちゃんと火葬してもらって、小さいけど、お墓も造ったよ。最近のお墓事情は凄いんだね。ペットの葬式とかもあって…びっくりしたうえに、ありがたくって涙がでるよ」
「参列できなくて無念です」
「いやいや、気持ちだけで嬉しいよ」
そういいながら、未練がましく携帯の待受を見つめる彼。 駅は相変わらず人が多い。ますます多くなってきた。
僕らの電車が来るまで、あと十分。
「こう、喪失感って言うのかな。お葬式とかすると、本当に死んじゃったんだなぁってね」
携帯の画面を撫でる彼は、いろんな感情の詰まった溜息を漏らした。
「それは分かります。僕もそうでしたから」
「誰か、亡くなったの?」
「えぇ。学校の、友達」
「それは…お気の毒に」
「……の、彼氏なんですけど」
「それほどお気の毒じゃなかったね」
友達の友達バリの遠縁だ。
実際僕は、その彼氏さんと話したことはない。顔は見たことはある。
彼が死んだその場にいたから。
「彼女も言ってましたよ。葬式とかしてしまうと、彼が居なくなった事実を突き付けられたようだって」
激しく頷く彼に、僕も頷き返しておく。良くは分からなかったけど。
「居ないっていうことに、堪えようと必死なんだ、たぶん」
「その割には、居ないことを否定しそうな勢いですよね」
ずっと猫の写真を見ている限りは。
「少しずつ慣らしていこうと思ってるんだ。まだ、押し潰されてしまうから、こうして過去のものにすがって、少しづつね」
ふぅん。と言いながら、僕は彼の後ろに並んだ人を眺めた。
電車が来るまで、後、五分。
「彼女にも言ったんですけど」
「ん?」
「居なくなったことを認める必要はあるのでしょうか」
僕が言うと、彼は目を丸くした。
「居なくなったことを認める必要はないんだと思うんですよ。だって本当の意味で居ないのかどうかって言ったら、居るじゃないですか」
「え?」
「携帯画面の中に」
愛らしい、彼の猫は、そこにいる。
「存在しないわけじゃなく、居ない訳でもない。ただ触れられないだけなんです。だから、喪失感を感じる必要性なんてないでしょう? 居なくなるっていうのはきっと、そんなんじゃないんです」
「と、いうと?」
「何をどう頑張っても、会えもしない、見も出来ない、時の流れでただ風化していくだけの状態になって初めて、居なくなるっていうんですよ」
「例えば?」
「そうですねぇ…。貴方がここで死ぬとか、どうでしょうか」
ひらに大きく見開かれた彼の瞳。
どうして、という疑問が伝わってくる。
「僕が思うに、貴方はその子と二人で暮らしてたんですよね」
「あぁ、うん」
「貴方は家に誰かをあげるようなタイプの人間じゃないみたいだし、恋人もいないでしょ」
「う。うん」
そんな、いかにも根暗そうな感じで。どよんとしていて。
「だから、貴方が死ねば、いなくなるんです。貴方も、その子も」
「ど、どうして…?」
「分かりません? 猫と二人暮しで、それほど親しい人も居ない貴方なんですよ?」
「酷いな。僕は結構、人気者だよ。それに職場じゃ慕われてるし」
「そんな見てくれで何言ってるんですか」
「人を見かけで判断したら…」
「はいはい。分かりましたしたよ! 見栄張らないでください」
いや、だから! という彼を無視して、僕は話を進めた。
「貴方がここで電車に飛び込むとかすれば、猫の存在は抹消されたと同じです。貴方のことにしたって、時間が人の脳から消し去ってくれますよ。猫の葬式をした火葬場だって墓屋だって、貴方の自殺の処理をした駅員だって目撃した人だって警察だって、部屋を片付けに来た業者だって、大家だって、似たようなことは日常茶飯事だろうし、この不景気生き残るために必死ですから、比較的簡単に忘れてくれますよ」
何だか、ものすごく沢山語ってしまった。
気が付くと、彼の後ろには長蛇の列。
後三分で電車がやってくる。
「居なくなるって、そういいことか」
ぱちん、と、彼は携帯を閉じた。
「そうです。でもある意味、それもいいのかもしれません」
「居なくなることが?」
「えぇ。いえ、厳密には違います。貴方とその子…いえ、“二人”が、“二人”で居なくなることに意味があるんです」
まぁ、絶対に二人ってわけではないけれど。一番考えやすいのが、これだろうな、うん。
「ですからね、考えたんです、今。“二人”がいなくなるっていうことは、誰の記憶にも残らないってことです」
「うん」
「ということは、世界から、“二人”だけが隔離されたってことになりませんか?」
そうかもしれない、と、彼はつぶやいた。
「つまりですね、僕が言いたいのは、それはすでに“二人”だけの世界なんじゃないかってことです」
「二人だけ?」
「えぇ。世界から忘れ去られ隔離された、互いが互いを思う“二人”だけの世界。素敵だと、思いません?」
素敵だ…と、彼は呟いた。
後一押しだな、と思った僕の時計は、電車到着一分前を示していた。
「ここからは提案なんですが」
「え?」
「居ないことを認める前に、一度死んでみたらいかがですか?」
我ながら馬鹿げた提案だと思った。
自分で言ったことに、ここまで突っ込みたいのは初めてだと思った。
「……」
しかしながら無言の彼に、僕は追い撃ちをかけてみる。
「調度、そろそろ電車が来る頃ですし」
笑顔で、勧めてみた。
しかし。
「……やめておくよ」
ですよねー。と、思った僕。直線の線路の遥か向こうから、電車がやって来たのが微かに見えた。
「だって、二度目はないだろ?」
弱々しく笑った彼に、僕は思った。
二度目が会ったら死んだのか、と。
電車が近づいて来る。
ベンチに座っていた人達も、列の最後尾に加わりはじめた。
遥か彼方だった電車はガタンガタンと、駅の手前でスピードを落とす。
あ〜ぁ、と思いながら笑っている僕の前を、電車は通過した。
隣にいたはずの、あの人を巻き込んで、赤をへばりつかせて、それは停止した。
僕は学校に遅刻した。
けど、それだけだ。
学校の連中は僕に気を遣っていたけど、あの人と僕はそこまでの間柄ではなかった。
連中が勘違いしていたのだ。話をしていたからって、そこまで深い間柄じゃない。
それについてぶつぶつ言いながら歩いていると、何かの声が聞こえた。
見回してみると、ベタに電柱の影で鳴いていた、ステネコ。
……雌だった。
僕はそれを抱えて帰ることにした。別に、飼うつもりはないけど。
前日に人が死んだというのに、駅とは薄情なものだ。まぁ、そうじゃないとやっていけないんだろうけど。
僕はいつものように駅のホームに立っていた。
懐から、にゃー、という声がするのは、昨日拾った猫が居るからだ。
「あ、昨日の」
早速声をかけられた。振り向いた僕はびっくりした。
声は同じなのに、昨日のよれよれダサダサのお兄さんじゃなかった。
髪はセットされてるし、スーツはぴしっとしてるし、何より、眼鏡じゃない。
「言っただろう? やる気が起きなかったんだよ。眼鏡はね、目が腫れてて、コンタクト入れられなかったんだ。昨日は本当に酷い有様だったんだ」
「まったくですね」
この人がどうしてあんなになったのか疑問だ。
やる気がない以上のなにかが…。
「にゃー」
「え?」
あ。
「昨日拾ったんですけど……」
猫。
その瞬間の彼の目の輝き。
「もらってくれませ…」
「是非! 会社にいって有休取ろう! ありがとう、きみ!」
ものすごい感謝された。そして結局僕らは名前も知らないまま別れて、それから同じ電車に乗ることはなかった。
乗ってたかもしれないけれど、会わなかった。
ところであの日のことだけど、電車に轢かれて死んだのは、猫のお兄さんとは反対の隣にいた、友達だった。
彼氏を亡くしてへこんでいた女友達。
全く。友人の目の前で飛び込み自殺だなんてなんてことをするんだ。
彼女の彼氏にしたってそうだ。調子にのって出来もしないスケボーの大技決めようとするから、首の骨を折ったんだ。
……。まぁ、どうでもいいんだけれど。
僕としては早く二人のことを忘れてやりたいんだ。
だってそうだろう。
僕が言ったんだ。
実際彼女に対して言ったわけじゃないけれど、確かに言った。
誰からも忘れ去られ隔離された世界は“二人”だけの世界なんじゃないか。
と。
だから僕が覚えている時点で、それは成立しない。
僕という存在で、“二人”の世界が僕らの世界と繋がっているから。
二人のことなんてどうでもいいことにして、さっさと忘れてしまおう。
忘れる前に、いっぺん死んでみるって手もあるけど……あのお兄さんの言葉を借りるなら、そう。
二度目は、ないから。
一度死んじゃうと、二度目のチャンスなんてないから、僕は頑張って、二人のことを忘れようと思う。
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