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この当時、日本陸軍は3機一個小隊で運用したそうです。
ノモンハン事件 2 〜空戦〜
1939(昭和14)年7月5日
満州 ノモンハン上空

この日、上空には97式戦闘機及び95式戦闘機が編成を組んで飛んでいた。

「しかし、露助の野郎はまだ懲りねえのか?」

『それだけ、スターリンが執念深いんですよ。田北大尉。』
田北大尉
「だがな多田上等兵、考えもみろ。ただでさえヒトラーの事故死で疑われた人間が余計怪しまれる真似するか?」

『前回の第一次ノモンハン事件で味を占めたんでしょう。あ、ちなみに第一次ノモンハン事件とは5月11日から30日に発生した紛争で東捜索部隊もこのこの時、壊滅しました。』
田北大尉
「西岡軍曹、誰に喋っているんだ?」
西岡軍曹
『読者にです。』
田北大尉
「読者て…(--;)」
多田上等兵
『大尉殿!。前方、敵です!』
そう言われ前方を見ると、ぽつぽつと黒い点が出てきた。
黒い点をよく見ると二種類。一隊は単翼単葉のIー16、もう一隊は復葉機のIー153、どちらも引き込み脚だ。それが、10機ほどの編隊が向かってくる。

『全機、【対ソ空戦心得】どうりに行動せよ。空戦開始!』
中隊長の坂田少佐が編隊周波数で命令すると敵編隊に突っ込んで行く。


さて、【対ソ空戦心得】とは陸軍の航空本部が作製したものである。(噂では人事異動で、航空本部長になった石原莞爾中将が作製を命じたとか。)
この心得には、復葉のIー153は同じ復葉の95式戦闘機、単葉のIー16は97式戦闘機で対応する、などが書かれていた。
最初は機種によって戦う相手を変更するのは面倒だと思われていた。
しかし、空戦ではこの割り当てにより、技量の高い日本側が優勢であった。



田北大尉は一機のIー16と戦っていた。
最近のソ連機はコックピットの後ろに防弾板を溶接している為、パイロットを狙っても、一連射では墜ちなくなった。
その為、数度の射撃でやっと本日一機目の敵機を撃墜できた。
田北大尉
「ふう〜、やっと墜ち『大尉!、危ない!』え!?」
この時、体は自然に反応していた。
反射的に操縦捍を倒して、機体を横滑りさせる。
すると…
4つの曳光弾が先程大尉の機体あったところを通過した。
そして、銃撃したと思われるIー16が大尉の横を通過した。
しかし、そのIー16は後ろから追い駆けてきた多田上等兵機から多数の銃弾を浴びて撃墜された。
田北大尉
「ふ〜、危なかった。ありがとう、多田上等兵。」
多田上等兵
『いえいえ、大尉殿のお陰で一機撃墜出来ましたので。』
西岡軍曹
『大尉、どうやら粗方片付いた様です。』
田北大尉
「そうだな、よし。引き上げよう。」

『『了解』』



帰還途中

多田上等兵
『しかし、大尉。この無線と言うのは便利ですね。』田北大尉
「あぁ。さっきはこいつのお陰で助かったからな。」西岡軍曹
『整備兵に聴いたんですけどね。なんでも、我々が使っているのはイギリス製だそうで。』
多田上等兵
『へぇー、イギリス製なんですか!』
田北大尉
「これがあったら支那事変の時にどれだけ便利だったか…」
なお、彼らはノモンハン派遣前は支那で戦っていた。西岡軍曹
『そうですね。』



その頃
モンゴルの首都 ウランバートル

「なぜ、制空権が獲れん!」
1人の男が叫んでいた。
彼こそ、スターリンより、ノモンハン事件を任された、ゲオルギー・コンスタンチノウィチ・ジューコフ大将である。
参謀
「機数は足りておりますが、パイロットはほとんど新米で、指揮を執る隊長の数が足りません。以前は揃っていましたが、ほとんどがGUGBに逮捕されているのです。」
ジューコフ
「判った。モスクワへ掛け合って熟練者を大至急派遣してもらう。」
これは、相当苦戦するな。そう思ったジューコフだった。



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作者「どうでしたか?第一次ノモンハン事件は後に語らせて頂きます。ご意見ご感想お待ちしております。」


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