簡単に説明すると言って長くなり2000字以上になりました。すいません。しかも、試験中に……。 長いですけど読んでください。
日ソ激突 張鼓峰事件
1938(昭和13)年8月7日
満州東南端 満朝ソ国境
張鼓峰
ドカーン!
ズドーン!
ズドドーン!
「くそ!」
周りにソ連軍野砲弾が着弾、炸裂し陣地を揺らす中、1人の陸軍士官が悪態を吐いていた。
彼の名は佐藤幸徳、階級は大佐で歩兵第六五連隊長である。
史実では、第三一師団長としてインパール作戦に参加、しかし、本作戦の司令官で悪名名高い牟田口廉也中将が約束していた補給が届かず、要請するも届かない。それどころか進撃せよの一点張り。 要衝コヒマを占領するも第三一師団を含め、参加部隊は補給が届かず、疲労困憊の状態だったが、牟田口中将は作戦続行を命令、これに怒った佐藤少将は独断で撤退、その後更迭・予備役編入された。これが有名なインパール作戦『抗命』事件である。
軍制度上、抗命であるのは確かだが、私が思うに現場の状況を無視し、なおかつそれによって撤退した佐藤少将以下参加師団長を更迭して事を済ませた様だが、牟田口中将も更迭するなど処分する必要があったと思うのは作者である私だけだろうか?
失敬、話が逸れてしまった。 とにかくそんな彼が後に『張鼓峰事件』と呼ばれるこの事件に連隊長として参加していた。
事の始まりは7月12日ソ連軍が空白地帯であった張鼓峰頂上に進出、陣地を構築し初めた。これに対し14日、15日に日本と満州がソ連政府に抗議したがこれを無視。
それどころか29日、ソ連軍は張鼓峰北方に進出、陣地構築を始めた。
これに対し、朝鮮軍(朝鮮駐屯の日本軍)第十九師団長が独断で撃退を決意、師団より一個旅団(五千から一万人規模、ちなみに師団は一万から二万人規模)を派遣、30日に夜襲を決行し翌31日朝までに張鼓峰を含めたソ連軍進出地域を奪取した。
しかし、翌8月1日にソ連軍は砲爆撃を開始、奪回しようとしたが失敗する。
一方、撃退に成功した日本軍も朝鮮駐屯軍指令部に増援と航空支援を要請するが、支那事変を抱えて為、これを拒否した。
そして、8月6日ソ連軍は再び攻撃を開始した。
ソ連軍の事前砲撃が終わり、佐藤大佐は双眼鏡でソ連軍の様子を見ていた。
すると、ソ連軍はT26軽歩兵戦車を先頭に歩兵が進撃してきた。
どうやら、昨日の戦闘で装輪装甲車が近距離まで引き寄せられ、37ミリ速射(対戦車)砲や75ミリ山砲で撃破されたのを見て今度は戦車を繰り出して来たようだ。
佐藤大佐
「戦車が出て来たか…。総員対戦車肉薄戦闘用意!」この命令が出されると準備が始まり戦車の接近を待つ。
その間、機銃と擲弾筒が発射され、弾幕を形成する。
これは歩兵を足止めするためである。
そして、歩兵を欠いた戦車が陣地に接近すると……、佐藤大佐
「よし、今だ。かかれー!」
歩兵が次々に地雷や火炎瓶、手製爆弾を抱えて陣地を飛び出し、戦車に向かって行く!
端から見れば無謀な行動だが、戦車の構造を知っていれば無謀ではない。
砲塔の死角から背後に回りこみ機関室に向かって火炎瓶を投げつける。
また、手製爆弾を履帯に押し込み点火したり、地雷を戦車の履帯の前に放り込んだりする。
火炎瓶の場合、ガソリンエンジンのT26は加熱気味であり簡単に発火炎上するし、爆弾や地雷の場合は履帯が破壊され、立ち往生してしまう。
立ち往生した戦車はただの鉄の塊だから、乗員は脱出するか、このまま戦車と運命をともにするかだ。
歩兵の肉薄戦法に弱い戦車は歩兵とともに進撃するのだが、上記の通りソ連兵は弾幕の為、追い散らされるか、立ち往生していた。
またもや砲撃が始まり、日本兵は陣地に退避した。
副官
「しかし、なぜソ連兵は地形を利用せず進撃してきたんでしょうか?」
佐藤大佐
「あぁ、それなら簡単だ。赤軍大粛清のせいで有能な士官達がいなくなったからだろう。」
赤軍大粛清については別の機会に語らせてもらうが、この為、ソ連兵は指揮官や政治委員に促されるまま突進を繰り返すだけだった。それにソ連軍は攻撃に失敗すると国境の向こう側から砲撃を開始して放置された死傷者もろとも粉砕するのであった……。
副官
「連隊長殿!、敵機が来襲しました!」
佐藤大佐
「来たか、総員対空戦闘よ……」
通信兵
「連隊長殿、指令部から入電。『我、航空隊派遣せり。』以上です。」
佐藤大佐
「なに!、あれだけ要請して派遣しないと言っていたのに…、何故だ!?」
実際、数分後上空で空中戦が始まった。
この航空隊派遣には裏があった。
7月29日の時点で、この紛争がスターリンの計画的紛争ではないかと疑っていた人間がいた。
それは、明子天皇、永田参謀総長、石原参謀次長、米内海相、山本次官、そして今や山本次官の秘書みたいな仕事をしていた、福本、マリーダ、遠地、千歳だった。
そして、彼らは秘密りに会合し、専守防衛に徹し、越境しての作戦は禁止、航空隊は進撃する敵機及び敵部隊迎撃にのみ使用することを条件に航空隊派遣を朝鮮軍指令部に許可した。
6月10日から始まった外交交渉が成功し、11日に停戦協定が結ばれ、この紛争は終結した。
被害及び戦果は以下の通り。
日本側 戦死 596名
負傷 914名
ソ連側 戦死 約800名
負傷 約3300名
戦車・装甲車の撃破・損傷 約100両
対空砲火(重機関銃使用)による撃墜 3機
航空機による撃墜 約20機
次号へ
福本「今回、僕達は出番なしですね。」マリーダ「そうね。」作者「今回は張鼓峰事件の説明みたいな感じに書いたので…。」遠地「そう言えば実史と違うところがあるんだよな。」作者「はい、実史では航空機は出撃してませんし、航空隊派遣によってソ連側の損害が増えてます。」千歳「ところで、作者さん。次号は?」作者「次号は新キャラが出ます!!」千歳「本当ですか?」作者「はい!」マリーダ「それでは読者の皆さんご意見ご感想お待ちしています。」
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