花びらの欠片とメランコリー (ヴィオラとピアノ)
おひさしぶりです、皆々様。
卒論で忙しい忙しい言っておきながら、こんなものに手を出し始めてしまいました。
楽 器 擬 人 化 。
ピアノ弾きである私の、あまりあるヴィオラへの愛を、お確かめ下さい(笑)。
うららかな天気。 風も穏やかで、 空気中には春の匂いが立ちこめている。 道行く人々の顔も、自然に笑顔になってしまう、春の訪れ。理屈もなしに、心が高揚してくる、そんな季節だというのに、ひとり、浮かない顔をしたままの姿を見つけて、ヴィオラはふと足を止めた。
「ピアノ…?」
鳥が歌うようにさえずり、芽吹き始めた木々が花びらのシャワーを降らせる。 なのに、窓越しから見える見知った横顔は、物憂げに沈んでいた。
建物と歩道とを遮るようにして立てられた鉄柵のあいだから腕を伸ばして、ヴィオラが窓を軽く叩くと、部屋の中で考え込むようにしていたピアノが、びくりと肩を震わせてこちらを見る。 一瞬、怯えたような顔になったものの、それはすぐに安堵の表情に変わり、ピアノは譜面台にちらりと目を走らせてから、窓辺へと歩み寄った。
少々古くさい音を立てて、窓が開けられる。
「…っしょ、と」
ピアノらしい声を立てて、その一見華奢に見える両腕に力を込めると、充分に開いた窓から顔を出した。
「やあ、ヴィオラ」
「よ。 ピアノ」
無二の親友というわけではないが、中々、付き合いの長いふたりである。 人見知りの激しいピアノも、ヴィオラ相手には、飾らない挨拶をしてくれる。
「どうしたの?」
尋ねるピアノに、ヴィオラはその屈託のない笑顔を向けた。
「良い天気だろう? やっと、春が来た」
「はる……」
己に言い聞かせるように呟いてから、ピアノがその栗色の髪をかき上げる。 本人は短く切り揃えたいらしいのに、周りが、ピアノには少し長い髪が似合うと言って、切らせてもらえないそうだ。 ヴィオラとしては、ピアノの好きにさせてやれば良いのに、と思う。 この頼りになるようでいて、我をいまいち突き通せない友人は、周りの声に流されやすい。
「ほんとうだ……。 風も、すっかり春の匂いだね」
「春の匂い?」
「そう。 なんていうのかな…」
いったん言葉を切って、ピアノがその聡明そうな瞳を空に向ける。 ヴィオラの鉄色に近いグレーの瞳も、つられて、透き通るような晴れ渡った空に向けられる。
「空気中に、花びらの欠片が溶け込んだみたいな。 そんな匂いがすると思わないかい?」
「花びらの欠片ねえ。 さすが、ピアノ。 詩人みたいだ」
「お世辞なら、良いよ」
謙遜して頬を赤くするピアノを、ヴィオラは素直に褒めちぎる。
「お世辞じゃないって。 おれ、ピアノのそういうとこは、すごいなって毎回思ってるんだから」
「そ、そう? あ、ありがとう」
「どーいたしましてっ。 それよかさ、ピアノ」
「なに?」
「なんか、あったのか? 浮かない顔して、楽譜見てたけど」
「ああ……」
さりげなく尋ねたつもりだったのに、途端にピアノの表情が曇っていく。 眉間の皺はみるみるまに深く刻まれ、その口唇はかたく閉じられる。 友人が、内向的な性格であることは百も承知しているヴィオラは、慌てて、明るい声を出した。
「そ、そうだ。 ピアノ、時間ある? 今から、そっち行っていい?」
こくりと、言葉もなしに頷くピアノを見て、ヴィオラは友人がまたしてもストレスを抱え込んでいることを悟るのだった。
「ほら、ピアノの好きな紅茶」
急いでピアノのいる部屋に駆けつける途中に、彼の好きな紅茶を手に入れると、ヴィオラは熱いその液体を廊下にこぼしてしまいそうになりながらも、その歩みを速めることを怠らなかった。 その甲斐あって、今ピアノの手に渡ったそれは、まだじゅうぶん熱く、湯気をゆらゆらとたてている。
大好きな熱々の紅茶の香りに、少しだけ口元を緩めると、ピアノは淡い薄茶色をした瞳をヴィオラに向けた。 と思えば、その両の瞳が潤み始める。
「ありがとう、ヴィオラ~。ひとの親切って、心に沁みるよね……」
「う、え、ちょ、なんで? 何で泣いてんの、ピアノ?」
「泣いてないっ」
「でも、完璧うるっちゃってんじゃん! 泣く一歩直前だよ? どうしたってんだよ?」
「うるさい! 泣いてないってば!」
意固地にそう言い張るピアノに、ひとつだけ嘆息をついてから、ヴィオラが腰に手をやった。 似たり寄ったりの身長のふたりは、並ぶと視線が自然と同じ高さになる。 ため息に敏感に反応したピアノは、紅茶を手にした指に力を込めると、だんまりを決め込んでしまう。
「ぴあのー。 言ってくんないと、分からないぞ」
おどけた様に言ってみたけれど、効果はなし。 ついにはヴィオラに背を向けて、ピアノは窓辺の方に歩いていってしまう。
仕方なしに、ヴィオラは部屋の中に視線を巡らせる。 そしてふと、ピアノが譜面台を見ていたことを思い出し、そちらに近寄ってみた。
「うわ」
思わず声が出る。 それほど、そこに置かれた楽譜の量がすさまじいものだったからだ。 分厚い、百科事典のような楽譜が、何種類も置かれている。
「これ、全部ピアノのなのか?」
半ば、そうでなければ良いのに、と友人の心中を慮りつつ聞けば、ピアノが顔だけを横に向けて頷いた。 芸術品のような鼻筋が、やや緊張しているように見えるのは、気のせいだろうか。
「これは?」
その中でも分厚いものを持ち上げてみると、
「それは、ヴァイオリンの」
「こっちは?」
「それはクラリネット」
「んじゃ、これは?」
「それは、フルート」
「じゃあ、この若干薄いこいつは?」
「トランペット」
「これは?」
「チェロ」
「伴奏ばっかじゃん……」
「違うよ、デュオだよ」
律儀に否定するピアノを可笑しく思いつつ、笑う場面ではないと言い聞かせて、ヴィオラは真顔を保った。
「デュオばっかじゃん」
「うん……」
素直に頷いてから、がっくりと肩を落とす。
「また、断れなかったのか?」
おそるおそる確認すると、これにもまた、挫折感ありありの体で首を縦に振った。
「ピアノ……」
「もう、嫌だ……! なんで、次から次から、僕ばっかりこんなに弾かなくちゃいけないんだ! もう嫌だ」
「んなこと言ってもさあ。 同情はするけど。 ピアノくらいしかいないじゃん、どの楽器ともデュオ出来るやつ」
「分かってるよ、そんなこと! でも、なんで毎回毎回、僕ばっかりがこんな目に遭わなくちゃいけないんだよ」
「そりゃお前、ピアノが何でもかんでも、受け付けちゃうからだろう」
「好きで受け付けてるわけじゃない! ただ、ただ……、こ、断れないだけだっ!」
「だからさー。 たまには断ったって、誰も怒らないと思うよ?」
「でも、そんなことをしたら、僕の沽券に関わるんだ。 なんでも、どんな仕事でも完璧にやってみせるのが、僕なのに」
「いや、だからさ! みんながみんな、ピアノみたく完璧主義者なわけじゃないから。 ちょっとくらいの間違いや手抜き、みんな許してくれるって」
「ヴァイオリンは許してくれなかったぞ! 僕が、勇気を出して、リハーサルのキャンセルを頼んだら、ヴァイオリンに怒られた」
「ピアノー。 ヴァイオリンが特殊なのは、お前だって知ってるだろー?」
「とにかく!このままじゃ、もうおしまいだ。 ああ、もう……」
窓枠に紅茶をおいて、わしゃわしゃとナーバスに髪をかきむしるピアノを、ヴィオラは困った顔で見つめる。 Noと言えない性格が災いして、何でもかんでも背負い込んだ挙げ句、完璧主義者故にすべての仕事を完全に終わらせられないとストレスが増幅するという、厄介なピアノの負のスパイラルを目前にして、ヴィオラはうーむと首を傾げる。
「ピアノ。 とりあえずさ、散歩にでも行かない? ちょっと新鮮な空気でも吸えば、気分も晴れるかもしれないし」
そう言って手を差し出せば、ピアノは我に返ったのか、きょとんと彼を見つめ返す。 ヴィオラの手と、窓から垣間見える空とを、交互に見てから、ピアノが今日初めて微笑む。
「それも、良いかもね。 ありがとう、ヴィオラ」
「良いってことだ。 裏方の辛さは、おれだって解ってるつもりだからさ」
「なに言ってるの? 僕は裏方じゃないよ。 僕は、陰の支配者。 君と一緒にしないでくれる? 失礼だなあ」
「どっちが失礼だよ!」
突っ込めば、ピアノが朗らかに声を上げて笑う。 かなり失礼なことを言われたはずなのに、怒る気にもなれなくて、ヴィオラはやれやれと、軽い足取りでドアノブに手をかけたピアノの背中を見つめた。
ま、ちょっとでも元気になってくれたんなら、それでいっか。
注釈?
ピアノ+違う楽器(弦でも木管でも金管でも)は、原則的には「デュオ」扱いになります。
「伴奏」は、コーラスや協奏曲の伴奏の場合くらいにしか、ピアニストは本当は使いたくないと思っているはずです。
何故だか、「伴奏」よりも「デュオ」の方が、ピアニストは「大事にされている」感を感じやすいので。
以上、プチプチトリビアでした。
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