第二話
「須堂道臣 昨日からここに配属になった、平たく言えば青春に悩む若者達の心を慰めようとする心優しい職業の人だ―・・・ちなみにボランティアじゃなくて、ちゃんと給料は貰っているよ」
「・・・は?」
挨拶をするや否や、男は突然自己紹介をし出したので、少年はまたぽかんとして男を見る。
「君が言ったんだろう?あんたは一体何なんだって」
「あ・・・」
昨日の放課後、自分が言った台詞を反芻されて、ようやく理解する。
この男はまた自分のした質問に応えているのだ。
唐突過ぎて、適当過ぎるが、確かに。
「それで?君は何も教えてくれないのかな?」
じいっと、上目遣いに見てくる顔は、笑っている。
少年は慌てて答えた。
「あ、お、俺は、犬飼隆弘。ここの生徒で、2年A組。図書委員」
「なるほどねー・・・君が此処に来たのはその為かー」
ふむふむ、と男―須堂は頷きながら言った。
その言葉の真意は、相変わらず掴めない。
「君は何か僕に言うことがあるのかな?」
「え・・・」
またもや唐突に訊かれる。この男は、もうちょっと解りやすくモノを言うことが出来ないものか。
「何か言うことがあるから、僕を見つけたんじゃないのかな?」
そう言われて初めて、拾った犬のことを思い出す。
『ノコル』と名付けた犬のことを話すと、須堂は愉快そうに笑った。
「分かりやすい名前だねぇ〜・・・しかし、『ノコル』か・・・」
最後の方の言葉にやや影が差していたので、犬飼は気に止めた。
「?何かあるんですか」
「いや、別に何でも。それより、用が終わったんなら、仕事に戻った方がいいんじゃないかなぁー」
後ろを指差されて振り向くと、そこからカウンターが見えた。
「あっ・・・!」
空のカウンターに、並んで待っている列が出来ていた。
本を借りようとしている人達が、受付待ちをしているのだ。
「いっけね・・・!」
少年犬飼は慌ててカウンターへと向かった。
途中、振り向いて
「何時もここにいるんですか?!」
と、やや怒鳴るようにして訊いた。
「月・水・金はいるよ。火・木はお休み」
須堂はこちらに手を振りながら言った。
犬飼は微かに頷いて、カウンターへと入っていった。
須堂は少年が受付を始めたのを視界に入れて、ぽつりと呟いた。
「『ノコル』ね、・・・『君』から、『残される』ものにならないといいね・・・」
謎めいたその言葉は、しかし、誰の耳にも入らなかった。
「ふう〜・・・」
とりあえず並んでいた人たちの受付は終わった。
後の人たちは、座って本を読んでたり、何かを探してたりする。
誰かが本を借りようとここに来なければ、カウンターに座ってるのはひたすら暇なだけだ。
犬飼は溜息をついて、ふと奥の方の一角を見た。
そこには、先ほど須堂と名乗った男が、生徒と話している。
(カウンセリングに来る人・・・いるんだぁ・・・)
犬飼は今まで半信半疑だったので、そこでようやくあの男が本当にカウンセリングとしてここで働いているという事実を認めた。
(・・あれ・・・?あの人・・・)
須堂と向き合うようにして座っているのは、女生徒だった。
その女生徒に、犬飼は見覚えがあるような気がした。
(あの人って・・・確か3年で・・・歌姫って言われてる人じゃないか?)
犬飼は、3年生に天才的な歌唱力を持つという女生徒がいることを思い出した。
(その人は、確か―・・・)
横嶋美咲
「それが君の名前かい?」
「はい・・・」
犬飼が見つめるその場所では、今まさにカウンセリングが始まった所だった。
「それで、君の悩みは何かな?」
「・・・・・」
顔の両側に長い三つ編みを垂らし、やや俯きがちな少女―横嶋美咲は、黙り込んでいる。
「君は確か、歌が上手いんだったねー・・・今度のコンクールにも出るそうじゃないか」
“コンクール”という言葉に、膝の上で握っていた手が反応した。
須堂はそれに気付いているのかいないのか、言葉を続けた。
「君の悩みは何かな?言ってくれないと、解らないんだけどー・・・」
再び繰り返された言葉に、少女はやっと口を開く。
「・・・自信が・・・ないんです・・・」
周りには誰もいないその空間で、遮る音はないはずの場所で呟かれたその言葉は、うっかり聞き落としそうなほど小さかった。
「・・・母や、先生が・・・金賞をとれっていうんですけど・・・皆にも、とれるっていわれるんですけど・・・自信がないんです・・・」
「それで、上手く歌えなくなっちゃったとー」
「!」
さも当然のような男の言葉に、少女は驚いた。そのことを何故、昨日来たばかりのこの男が知っているのだろう。
「そう、昨日来たばかりだ」
男は突然そう言った。
「昨日僕は、校舎を歩き回ったんだよ。その時、合唱部の子達の話を聞いた。君は、最近調子が上手く出ないと」
「・・・・・はい」
「どうして、自信がないのかな?」
男は、まるで保父さんが園児に話しかけるような口調で訊いた。
「だって、金賞なんて、あの大会は、音大の附属のところから来る人もいるのに―・・・」
「金賞をとれる自信がない、と―・・・それは、君にとって大事なのかな?」
「え・・・?」
「君の目的は、金賞をとることなのかな?」
男は、真っ直ぐに少女を見つめた。その瞳は穏やかなのに、何故か、心の底まで見透かされているような気がした。
「だって、とれたら、とれた方がいいですしー・・・」
「じゃあ、とりなよ」
「そんな・・・」
誰にでもとれるかのように軽く言い放つ男に、少女はやや反論した。
それでもその言葉は、遮られた。
「賞というのは、参加者の誰かに与えられるものだ」
「・・・・でも・・・」
「その誰かが君でも、不思議じゃない」
「・・・とれません、金賞なんて・・・」
与えられる言葉に、少女は首を振った。
賞をとることの難しさを、幼い頃から何度も経験してきた少女は知っているのだ。
「出来ないって思ってることは、何時まで経っても出来ない」
男は相変わらず少女を見つめているが、少女は相変わらず俯いていて、目が合うことはない。
「でもね、君がそれでいいんなら、出来ないままだっていいんだよ」
「!」
その言葉に、少女は弾かれるように顔を上げた。
必然的に、男と目が合う。
「出来ない、自信がない・・・だからしない。そうしていることっていうのは、君が一番に思い描いている『したいこと』とは違う。本当にしたいことならば、どんな条件がついていても君はしようとするはずだ」
男は、一度少女から視線を逸らし、再び合わせる。
「出来なくていいことはしなくてもいい。他に君がやりたいことがあるのだから」
「やりたい・・・こと・・・」
少女はややたじろいだ。半ば呆然としているように、言葉を反芻した。
「君はどうして、歌うんだい?」
「え・・・」
突然質問されて、少女は瞬時に切り返せない。
「大会のため?賞を取るため?親のため?先生のため?」
「・・・・違う・・・」
少女はふるふると首を振った。その顔は再び俯いている。
「じゃあ、どうしてだい?」
「歌いたい・・・から・・・」
「それはどうして?」
男は肘をついて、組んだ手の上に顎を乗せていた。
「好きだから・・・歌ってると、楽しいから・・・」
「なら、それでいいんじゃないかい?」
「え・・・」
少女は、今度は虚ろな表情で顔を上げた。
その瞳には男の穏やかな微笑が映っていた。
「君がやりたいことをやるといいよ。やれることをやるといい・・・ただ」
男はそこで一度言葉を切った。
「出来ないと思っていることは何時まで経っても出来ない。何かを成し遂げるというのは、心のどこかでその可能性を信じているからだ。・・・君にとってはとってもとれなくてもいいような賞なら、とれると思ってみても、別に罰はあたらないんじゃないかな?」
「・・・・・」
「どう?」
「・・・・とれたら、いいなと思います」
「もう一声」
「・・・とります。・・・とれると、思います」
「うん。きっととれるよ」
「はい」
少女は俯いていた顔を上げて、席を立った。
歩き出した少女に、男は声をかけた。
「自分の好きなように歌っておいで」
少女は振り向いて・・・微笑った。
「はい」
少女が遠くなり、カウンターに差し掛かった頃。男は愉快そうに口の端を上げた。
「・・・出来ないと思っていることは、何時まで経っても出来ない・・・でもね、」
その表情と裏腹に何処か暗い呟きは、誰も聞いていない。
「出来ないと思っているのも、“シアワセ”の1つかもしれないねー・・・」
その言葉に被さるように、時計が鳴った。五時になったのだ。
「あ、仕事終わりー。帰ろうっと」
先ほどとは打って変わって呑気な声を出した須堂は、上着を持って席を立った。
そしてそのまま、出入り口へと歩いていく。
「出来ないと思ってて出来ないのと、出来ると思ってて出来なかったのは、一体どっちが―・・・」
歩きながら囁くようなその言葉は、ドアを閉める音に掻き消された。
カウンターに来る前にある教員用の出入り口から出て行った須堂の言葉は、受付中だった犬飼には届かなかった。
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