誰かに追われていた。街の光の届かない暗い路地裏、幾ら走っても追手との差は広がらない。寧ろどんどん縮まっていく。振り返ると、血走った目をした男が刃物を持っているのが分かる。角を曲がるとその先は行き止まりだった。最早逃げ場は無い。壁を背にして向き直ると、もう目の前まで来ていた男は、刃物を両手で持ち一直線に自分の胸元に……!!!
(あれ、ここは……)
気が付いたら、そこは見慣れた自分の部屋だった。布団を押し上げて体を起こし、ベッドから足を下ろす。まだ頭はぼんやりしていたが、さっきまでのが夢だったという事は理解できた。時計を見ると丁度朝の9時、もうそろそろあの二人も起きている頃だろう。とりあえず顔を洗おうと思い、部屋を出て洗面所へと向かった。
「蘭、起きたか。もう朝飯用意してるぞ」
顔を洗って居間に入ると、お父さんとコナン君はもう起きていた。お父さんは珍しく朝御飯の用意をしてくれていた。
(買ってきたおせち料理が並んでいるだけだけど)
「おはよう、蘭姉ちゃん。あけましておめでとう」
コナン君が早速新年の挨拶をしてくれた。今日は元旦、昨日の晩は一緒に年越しのカウントダウンをしてそれから寝たけど、コナン君の方が大分早く起きたみたい。お父さんはまだパジャマだが、コナン君はもう服も着替えている。
「ところでおじさん、機嫌良さそうだね。何かあったの?」
コナン君がお父さんに話しかける。言われてみれば確かにそんな風にも見える。朝御飯を用意してくれたのもそれが関係しているんだろうか。
「フフン、聞きたいか。実はな、今朝丁度夢を見たんだが……」
話を振ってもらったお父さんは、身振り手振りを使いながら得意げに語り出した。
「夢の中での俺は犯人を追跡していてだな、その犯人を富士山頂まで追い詰め、逃げ場を失った犯人が悪足掻きで飛び掛ってくるのを一本背負いで返り討ち。日本一高い所で見事事件を解決するって夢だ! どうだ、凄い夢だろう?」
「それって、犯人を逮捕したのが凄いって事?」
コナン君が不思議そうに聞き返した。
「バーロォ、昔から一富士二鷹三茄子っていう言葉があってだな、初夢に富士山の夢を見るのは最高に縁起が良いって言われてるんだよ」
どうも縁起物の夢を見たから機嫌が良いという事が分かった。
「俺みたいな一流になると、ツキも太かったりするもんなんだが、ここまで出来すぎてると怖いくらいだぜ。去年一年間で毛利探偵事務所は一気に全国区になったが、この分だと今年は一気にワールドワイドだな。ナーハッハッハ!」
お父さんは本当に嬉しそうに初夢の話をしている、でも私は一緒に喜べなかった。さっき見た夢の事を思い出してしまったから。お父さんのは犯人を追い詰めて捕まえる夢なのに、私のは追いかけられてしかも刺される夢。去年は色々な事件に巻き込まれて大変な一年だったのに、今年はもっと酷い目に遭うんだろうか。そう考えると少し憂鬱になった。
「蘭姉ちゃん、何か元気ないね。どうかしたの?」
視線を下げると、コナン君が私の顔を覗き込んでいた。観察力があって、本当によく気が付く子だと思う。
「今朝、変な夢見ちゃったから。初夢が嫌な夢だなんて幸先悪いなって。でも大丈夫、気にしてないよ」
そう言って精一杯の作り笑顔を見せた。たかが夢ぐらいでいちいち心配させちゃ悪いと思ったから。
「蘭姉ちゃん、それ違うよ」
「え?」
「初夢っていうのは、一月一日の晩から二日の朝にかけて見る夢の事なんだ。だから蘭姉ちゃんの見た夢は初夢なんかじゃないよ」
「あ、そういえば……」
言われてみれば確かにそう聞いた事がある。お父さんが初夢だと言うのを聞いて、私も勘違いしていたみたいだ。
「オイ、一寸待て。それじゃあ俺の見た夢は……」
「富士山の夢、一日フライングだったね、おじさん」
「ふっ、フライング!?」
さっきまで浮かれ気分だったのが一気に冷めて、お父さんはガックリとうなだれた。
「蘭姉ちゃん、おせち食べよ。美味しそうだよ」
「あ、そうだね。食べよっか」
おせちを食べながら私はある事を考えていた。どうも前にも、これと似たような事があった気がする。一体誰に聞いたんだっけ? どうしても思い出せないのでコナン君に話しかけてみた。
「コナン君って何でも知ってるよね。どこでそんな事知ったの?」
「えっと、その……新一兄ちゃんがそんな事言ってたから!」
「新一が? あ、そういえば……」
そうだ、あれは確か中学生の時。元旦に新一が家に電話を掛けてきて、その時も私が嫌な夢を見た話をすると新一が「それは初夢じゃない」って私に言ってくれた。あの時と一緒だったんだ……
「蘭姉ちゃん」
「何、コナン君?」
コナン君は私に微笑んで言った。
「今夜は、良い夢が見れるといいね」
その一言が、何だか嬉しかった。コナン君は、観察力があってよく気が付いて、そして本当に優しい子だ。
(良い夢か。新一の夢が見れるといいな……)
その日は久しぶりに、日付が変わる前に早寝をした。何だか、良い夢が見れるような気がした。
翌日の朝、七時半に目が覚めた。まだ誰も起きていないと思ったけれど、居間に行くとコナン君がもう起きていた。
「お父さんは?」
「さっきまで起きてたんだけど、また寝ちゃった。富士山の夢が見れるまで二度寝するんだってさ」
それを聞いて思わず笑ってしまった。昨日フライングをした事がよっぽど悔しかったみたいだ。
「蘭姉ちゃんは、どんな夢見た?」
コナン君が急に夢の事を訊いてきて、ドキッとした。
「えっと……茄子の夢よ」
「ホント? それ縁起物だよ、良かったね!」
コナン君は、自分の事のように喜んでくれた。私は慌てて話を変えようとした。
「コナン君はどんな夢見たの?」
「それがよく覚えてないんだ。何も見なかったのかも」
「そっか。それじゃそろそろ朝御飯にしよっか。トーストでいいよね」
私は食パンを焼き、マーガリンをつけて二人分をテーブルに並べた。コナン君は美味しそうに食べていたが、私はぼんやりと考え事をしていた。頭の中にあるのは今朝に見た夢の事。
「蘭姉ちゃん、食パン冷めるよ?」
「あ、そうだね。今から食べる」
その後パンを食べ終わって服を着替えた後、自分の部屋に戻った。その間コナン君とは殆ど会話も無かった。私は部屋に戻ると、ベッドに腰掛けて溜息をついた。さっき嘘をついた。本当は茄子の夢なんて見ていない。でも本当の事はとても話せそうに無かった。まさかあんな夢を見るなんて思わなかった……
思い出の場所、米花センタービル展望レストラン。ここで私は待ち合わせをしていた。大分早く来てしまったみたいだ。入り口の近くでずっと彼を待っている。その時肩をポンと叩かれた。彼が来たんだと思って振り返った。
「新一! ……え?」
新一じゃなかった。似ているけど違う。背は私よりも少しだけ低くて、顔立ちはまだあどけない。そして眼鏡をかけている。
「コナン……君?」
「遅くなってゴメン。さ、入ろう」
そう言うと彼は私の手を引いて中へと入っていく、私もそれに続いた。外の景色が見える窓際の席に案内され、私達は向かい合わせに座った。目の前の彼が、真剣な面持ちでいるのが分かった。
「これ、僕から蘭に」
蘭姉ちゃん、ではなく蘭と呼ばれた。渡された物は、宝石付きの指輪だった。綺麗な緑色、多分エメラルドだろう。私が黙っていると、彼が口を開いた。
「出会った頃からずっと、蘭の事が好きだった。この想いを、いつか素直に伝えられたらって……蘭、ずっと一緒にいよう」
「コナン君。私……」
返事の続きを紡ぐ前に、意識は現実へと引き戻された。
(何か、妙にリアルな夢だったなぁ……)
元旦の朝に見た夢よりもよっぽど現実感があった。肩を触られた時の感触は、本当に現実のものかと思った。今より少し成長したコナン君、夢の中の彼は中学生ぐらいだっただろうか。
「中学生でプロポーズって、ありえないよね。でもコナン君ってませてるから、ひょっとしたらあるのかも……」
夢の中で彼に好きだと言われ、プロポーズをされた。そして私は……
「私、何て言おうとしたんだろう?」
途中で覚めてしまった夢。もし続きがあったら、どうなっていたんだろう。
(ひょっとして、OKだったのかな……)
夢の中の成長したコナン君はちょっとカッコよくて、今から考えても満更でもないような気がした。
「って何考えてんだろ。ただの夢なのに」
私は頭を振って、一瞬過ぎった考えを振り払った。しかしこの後、あの夢の事を意識せずにコナン君と話せるようになるまで、大体三日ほど掛かるのだった。
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