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黄色いひよこ  作者:ふじたごうらこ
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五冊目・ねずさんの日本の心で読み解く百人一首 小名木善行

小名木善行 「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」
       彩雲社発行、平成27年7月現在、定価3200円税別


 恒例の長ったらしい前置きから書きましょう。

 中学生になると古文というものが授業に登場します。その中の一環として和歌というものを習います。五七五七七のリズムで整えて自分の言いたいことを文字に託す。
 そのお手本というか、昔の人はこういうことを考えていましたと教えられるのがかの有名な百人一首です。千年以上前の昔の日本にはこういう文字文化があり、それが今現在にも生きています。私の場合は百人一首のうち、この人とこの人の歌はテストにでますから丸暗記しましょうとそんな感じでした。
 当時の私はこの古典についてはまるで関心がなく、かるた取りもしない。あくまでテスト用の学問と割り切っていました。第一授業がおもしろくなかったです。ところで古文や国語の先生って気弱そうで大人しい人多くないですか? この日本語がいい、この文体がいい、この文学がいいぞと熱く語れる先生は残念ながら私の人生には登場してくれたことはない。

 百人一首、当時から想像力だけはたくさん持っていたので、これって妖怪ぽい名前だよな、とノートの裏に一つの首に百通りの顔を持つ妖怪を描いたりしていました。ひゃくにんいっしゅ……そのオドロオドロシイ響きにうっとりする私。王朝時代の雅な感覚はまるで待ち合せず、古文の先生の授業にも魅力を感じず専ら落書きするか、せっせと何か物語を作っていた私。
 ただ当時からこれっておかしいよな、という感覚はありました。坊主なのになぜ恋の歌? 高貴な身分の人なのにどうしてこういう女々しいみじめったらしく思える歌を詠む? 紅葉や雪景色を詠うものはよいとは思うがそれがどうした? なぜいちいち恋愛に結び付けて解釈しないといけないの? 昔の貴族は全員色キチかよ? という感覚……古文の先生もおっしゃっていましたよ。王朝文学はとにかく恋の歌が多いです。一夫多妻制でしたし当時の支配層にいる人はそんなことばかり考えていたのでしょうね、とあっさり笑っていましたし。
 恋する相手がこないからって袖を濡らす。一晩中泣く、年老いて哀しい、もののあわれを感じてどうのこうのって当時の貴族はよっぽどヒマだったのだな、庶民をあくせく働かせてその上がりでエバリまくって生活している支配階級のエライ貴族様。その実態は恋愛のことで頭がいっぱい。
 あの短い五七五七七のリズムで自分の言いたいことを短い単語を連ねてしかもズバリ言わない。はっきりモノをいうと下品とされていたのだろうな。その文面外の感情を読み取れる人はどうぞ読み取ってちょうだいという推測の文学。
 この推測っていうものがもう嫌で嫌で。当時の私にとっては王朝文学はシーラカンスと同じです。勝手に好きなように解釈してくださいと言われるならまだしも下二段活用他無数にルールがあってそれがどうしたと怒鳴りたくなるぐらいにめんどくさい。
 和歌を詠んだ歌人もまさか千年後に下々から(私のことね)こういう文句が出るとは思っていなかっただろう。でも今もなお古文に興味のない学生にとってはテストの教材でしかないのは事実。
 以上、当時の百人一首の作者が私の感情を知ったら憤死するようなことを考えていました。そのくらい私には百人一首に惹かれるものはなかったのです。百人一首で私が熱くなれるのは坊主めくりぐらいでした。こんなもんだわと。

 しかし。

 時は来たり。
 百人一首の新解釈をする人が現れました。その人はそれをまとめて本を出されました。
 それが題名の本です。

 小名木善行の名前は数年前に知りました。彼のHPをのぞいてみてちょっとした衝撃を受けました。元々は国史学の学者さんのようです。私の知らない日本史をよくご存じでそれを無料で公開しておられたのです。彼のHPを見て感動していなければ、そして彼が書いたものではなかったら私は百人一首の本なんか読まないでしょう。(そのくらい百人一首とは縁がなかったということです)

 分厚いうえに値段も高い。私が貧乏学生だったら買わないで立ち読みするだろう。図書館で順番待ちをして読むだろう。だけどこれは言える。立ち読みで読んでいても心ある人ならば絶対に手元に置いておきたい本になる。なぜならば今まで習っていたこと、うろ覚えながら解釈していた名句がまったく違う意味を持って説明されていたからです。
 大体小倉百人一首は藤原定家が編集したと言われています。掲載される和歌の順番を巡っての解釈、詠まれた当時の政治背景や詠み人の状況など詳細に説明したものを素人にもわかるような本というのは今までになかったことです。(小説家がわかりやすく想像を交えて書いたエッセイは読んだがあくまで読物という扱いですね)
 物事は最初と最後が肝心といわれています。この百人一首もそう。どういう意図を持って誰の句を冒頭にもっていき、誰の句を最後のトリにもっていったか。その理由が明確に記されたものはなかったように思います。これを私のような和歌に無教養なド素人でもわかるように説明されています。一読してこれって受験勉強には役立たないが日本を愛する日本人には役立つわ。最初から真面目に読もう、読まなきゃと思いました。多分編集した定家も千年前からいる草葉の陰からやっとわかってくれたかよ? と安堵しているかもしれません。無教養な私にとってはまことに衝撃的でまさに目からウロコの解読書だったのです。
 当時の定家も編集意図など最初からしっかり説明してくれたら、何も義務教育の子供たちや受験勉強用もしくはかるた取りや遊びにだけの割り切りで世の中に浸透することはなかったとも思います。このねずさん(小名木氏の別名がねずさんというらしい)が出してくれて遅くはなかった。私の生きているうちに百人一首の正当な解釈をした本を読めてよかったと思っております。
 まずは飛ばしよみで好きな句があればそこから読んだらいい。これは教科書でもないし、テスト用の本でもない。気楽に読んだらよい。浅く読むのも深く読むのも買った人の自由。そして今住んでいる日本を改めて好きになってかつ誇りに思える愛国の本です。ちなみに愛国といえば右翼、という固定観念は間違いです。最初の最初は持統天皇が愛国という文字を用いられたとか。由来には感動の物語がこめられています。ねず先生はこの本を通じて著名な和歌にこめられたメッセージを掘り起こしておられます。
 今回私は和歌に今まで興味を持たなかった人にご一読をすすめたいと思って書きました。












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