~モルガン財閥~
「モルガン商会は銀行ではない。アメリカの国家であり、アメリカの法律であり、アメリカの制度である」」
* アメリカの大財閥モルガン家も、ロスチャイルド一族であった。
「モルガン・グレンフェル」というマーチャント・バンクは、“ユダヤ人嫌いのモルガン”と、その“ユダヤ人ロスチャイルド”が合体した投資銀行だ。
では、なぜ、犬猿の仲であるはずの両家が、パートナーとなったのか??
「ロスチャイルド家は、重要な19世紀にアメリカへの投資に意欲的でなかった。そのため、ロックフェラーとモルガンに出し抜かれた」-このような俗説が氾濫しているが、それは、家計図を調べたことのない、投資エキスパートが陥り易い結論である。
1837年、金融王ネイサンがこの世を去った翌年、ロスチャイルド家は、アメリカに刺客を送り込んだ。誰あろう伝説の富豪;オーガスト・ベルモントであった。
彼は、新天地アメリカに着くと、ロスチャイルド家の代理人を名乗りながら、そちこちで、女を物色し始めた。こうして、探し当てたのが、キャロライン・ペリーだった。このキャロラインこそ、浦賀までやって来たペリー提督の娘であった。
ペリー一族も、ベルモントの「寝台戦法」を学んだ。かくして、ペリー提督の兄の曾孫;アリスが、ジョゼフ・グリューと結ばれた。グリューは、ボストンの上流社会に属する人物だ。
オーガスト・ベルモント(-)キャロライン・ペリー ⇒ アリス・ペリー(-)ジョゼフ・グリュー…
…このような関係となり、グリューは、ベルモント一族となった。
その後、ジョゼフ・グリューは、太平洋戦争前に、アメリカ日本大使として、三井・三菱財閥を渡り歩き、軍人と交流を深めていった。その狙いが、中国大陸での石油利権であった。
そして、このグリュー一家のジェーン・グリューが、当時全米一の富豪J・P・モルガンJrの妻となっていたのである。
したがって、今日、アメリカの巨大財閥モルガン家は、消滅したという話が定説になっているが、しかし、彼らは、姿を変えて生きている。
まぎれもなく、ロスチャイルド家の代理人オーガスト・ベルモントと閨閥をつくり、「モルガン・グレンフェル」のなかに融合している。 モルガン家は統一ドイツの象徴「ドイツ銀行」に入り込んでいる。
第二次世界大戦中に、ロスチャイルドとモルガンの仲は、ファシズムの台頭によって引き裂かれたが、それも一瞬の出来事であった。現在でも、モルガン財閥のペン・セントラル鉄道の大株主は、ロスチャイルド財閥の「リオ・チント・ジンク社」である。
フランス・モルガン商会の社長メイニアルの弟は、ロスチャイルド財閥の大手金属会社「ペナロヤ」の重役。ロスチャイルド家の大物J・ゴールドスミスが買収した、大手スーパーマーケットに投資しているのは、ほかならぬモルガン・スタンレーである。
**追記**
1989年、「ドイチェ・アセット・マネジメント・グループ」の前身となる「モルガン グレンフェル」は、1世紀を超える長い歴史と伝統を誇る「ドイツ銀行」と統合。人と技術の融合により、グローバルな資産運用グループとしての地位を確立しました。そして、さらに「バンカース・トラスト」、「チューリッヒ・スカダー」と統合することによって、その事業基盤を不動のものとしてきました。
沿革:グローバル
1838年 ビーボディ リグス アンド カンパニー(マーチャントバンク)設立
1864年 J.S.モルガンが参画、J.S.モルガン アンド カンパニーとなる
1870年 ドイツ銀行設立
1910年 J.S.モルガン アンド カンパニーにエドワード・グレンフェルが参画、
モルガン グレンフェル アンド カンパニーとなる
1989年 ドイツ銀行がモルガン グレンフェルを買収、同行の資産運用部門となる
2002年 ドイツ銀行がチューリッヒ・スカダー・インベストメンツを買収
http://www.damj.co.jp/JA/showpage.aspx?pageid=27