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ライブラリ
作:トカゲ



キャスト


目の前に、真っ赤な服と帽子が有る。クリスマスに現れる、あの、例の、子供達に夢とプレゼントを配る老人の衣装だ。俺は、それを手にとって、
 「これを着るのか?」
 と、隣で満足気な笑みを浮かべている若者に確認を取った。俺がよく行く喫茶店のマスターの、弟だ。確か、灰音という名前だ。吊り上った眼に、細い身体。若干茶色が混じった髪の毛が、風に吹かれて揺れている。
 「この夏場に、この衣装を手に入れるのは大変だった。二組も手に入るなんて、奇跡に近い。そうだろ?」
 俺の方が七つは年上の筈で、しかも、決して友人と言う訳でもなく、先日初めて言葉を交わした仲にも関わらず、灰音は、まるで十年来の友人に接するかの様な態度だった。
 「だけど、近いだけで、奇跡じゃない。全てはこれからだ」
 奇跡を起こしたい。灰音はそう言った。奇跡を起こして、運命を変えるんだ。とも言って、それから、運命が変わる瞬間、奇跡は付き物だ。そうも言った。
 俺は、灰音の様子を見る。興奮に上擦っている様子でもなければ、これから自分達が起こす珍事を冷静に見つめ直して、「やっぱり止めよう」と言い出す素振りも見せない。
 老熟した登山家が、遥か高きエベレストの頂上を見つめる様な、静かな決意がそこには有った。
 そんな灰音とは対照的に、俺は、溜息交じりの息を吐く。こんな子供の悪戯に、本気で付き合うつもりか?いつもの、常識人ぶっている、つまらない俺はどこに行った?
 そして俺は記憶を手繰り、灰音との出会いを思い出す。とどのつまり、この面倒事の発端は、あの瞬間だった筈だ。

 その日、俺は自分が出演している映画を、わざわざ金を払って劇場で観るという暴挙に出ていた。暴挙以外の、何者でもない。どうして金を払って、自分の姿を見なければ成らないのか、自分でも判らなかった。ただ、金を払って、自分の姿を見てしまう程度には退屈だったのも確かだった。
 有名所ではないが、コアなファンが支持する作家の作品を映画にしたもので、俺自身も、有名所ではないが、コアなファンに支持して貰っている役者だ。
 映画の内容は、そこそこアリガチであるが、アリガチな作品を面白く見せる事には成功している様に見える。主人公が、綺麗な女性と劇的な出会いをして、悲惨な結末を迎える。端的に言ってしまえば、そんな内容だ。似た様な作品は数多く有るが、この映画の評価はその中でも、高い方だった。
 自分の姿が、スクリーンに映った。何年も無視された汚い髪を振り回して、主人公に銃を向けながら、哄笑している。何故か俺は、狂人の役を振り分けられる事が多く有って、俺のファンは、「そこが好きだ」「似合いすぎ」「狂人、悪党と言えば彼!」という者で、多くを占めている。
 その所為か、俺は私生活でも、相当狂っていると思われているらしい。が、それは全然外れ、俺は、我ながらつまらないくらい、常識人のつもりだった。
 この映画でも、俺は賞こそ取らなかったものの、「似合いすぎ!」という高評価を貰っている。ただ、もっぱらの評判は、この映画に出ている可愛さが売りの女性アイドルに向けられている。女性アイドル曰く、「似た様な経験が有るので、これは私の物語だ。そう思いながら、一生懸命演技をしました」らしい。
 ちなみにその女性アイドルは、この一週間後に、交際中の男性アイドルとの破局を新聞でデカデカと取り上げられる羽目に成るが、その話は別の機会にしておこう。
 エンドクレジットが流れると同時に立ち上がって、劇場を出ようとした。最後に、振り返ると、キャストの中に、自分の名前を発見した。

 それから買い物帰り、俺はいつもの喫茶店に向かう。《ライブラリ》という、古びた外観の喫茶店だ。珈琲が特別美味しい訳でも、サンドイッチが極端にでかい訳でもない。一つ星の喫茶店とは程遠いが、それでも何故か、俺は《ライブラリ》が気に入っていた。
 だから、《ライブラリ》のドアの前に垂れ下がっている、「本日は営業しておりません」というプラカードを見たときには、少なからず落胆を覚えた。贔屓の野球チームの試合が大雨で中止に成った時と同じ程度には落胆した。
 暫くは、未練がましくドアを見つめていたが、その内、諦めが付いた。別に喫茶店に行けなかったからといって、死ぬ訳ではない。口が煙草を求めているが、死ぬ程ではない。
 ただそこで、不意にドアが開いたので、思わず「あ」と声を出した。中から、若い男が顔を出している。マスターの、弟だ。大分前に、マスターに話を聞いた事が有る。名前は確か、灰音といったか。
 「あ」
 と、灰音も声を出した。灰音の隣では、「本日は営業しておりません」と書かれたプラカードが蓑虫の様に揺られている。
 「客かよ」
 ぶっきらぼうに、そう言った。マスターも、客商売をしている人間としては、致命的なほどぶっきらぼうだとは感じるが、灰音のそれとは、また性質が違う様に感じられた。灰音のぶっきらぼうさには、若干ながら、攻撃的な要素が見え隠れしている。
 灰音の口調に、若干の苛立ちも感じながら、俺はそれを押し止め、確認の為に、
 「今日は、やっていないのかな?」
 と、出来るだけ平静を装って聞いた。
 「アンタ、映画俳優の奴だろ」
 灰音は質問に答えずに、逆に質問をしてきた。質問を質問で返すとは、悪党としての素養が見え隠れしているな若造め、と、俺はこの時はまだ、余裕を見せていた。
 「まぁ、そうだね。映画も、ちょっとだけ出ているかな」
 俺は、胸を張ってそう言った。どうだ!と叫びだしたかった。
 「アンタの映画、観たよ。どれもつまらなかったけど、アンタだけは格好良かった」
 ニヤリ、と灰音は笑った。俺は照れくささから、「いやぁ」と頭を掻いて、それから、
 「まぁ、今日はやってないみたいだね」
 と、立ち去ろうとした。が、
 「いや、今、この瞬間から、開店だ。入れよ、茶くらい入れてやるからさ」
 最近の若者は、と呆れる権利が、この時だけは有った筈だ。少なくとも、今、この時だけは。茶くらい入れてやるよ、と客を招き入れる喫茶店など、聞いた事も無い。
 だがそれでも、俺は灰音に招き入れられる形で、《ライブラリ》に足を踏み入れた。何故か。俺はこの時、珈琲を飲みたかった以上に、この、灰音という若者と話がしたくなっていた。と言っても、お茶でもしながら和やかに。と言う訳ではなく、いっちょ、この若者に、説教をたれてやろうじゃないか、という意気込みが有った。人は時折、人生の先輩面をしたくなる。そういう事だ。
 最大の過ちだった。大袈裟に言ってしまえば、それこそが、悪夢の始まりだった。

 《ライブラリ》の中は、がらんとしていた。いつも流れているジャズの音も、当然ながら客の談笑も聞こえない。人が一人も居ない。寒々としていて、得体の知れない緊張感が有った。
 「今開けたばっかりだからよ。客はアンタ一人だ」
 「お姉さんは居ないのかい?」
 「姉ちゃんなら、風邪で寝込んでるよ。だから、今日は俺がマスターだ。マスターってのは、言っちゃえばご主人様って事だよな。今、この空間の中じゃ、俺が一番偉いって訳だ。アンタは、可愛いメイドって所かな」
 その言い草に、ム、と眉根を潜める。「君ねぇ」と口を開きかけるが、それを阻止するかの様に、灰音が口を開く。今となっては、「君ねぇ」の後に、なんと続けようとしていたのかすら判らない。
 「珈琲を出してやるよ。約束だからな。俺は約束は守るんだ。アンタは確か、砂糖もミルクも使わねぇんだよな。ブラックな大人だ」
 言いながら、灰音が珈琲を煎れ始めた。中々の手際の良さに、感心する。顔の作りが似ている事も手伝い、本当にマスターがそこに立っていて、いつも通りの調子で珈琲を入れている様な錯覚を覚えた。
 「なぁ」
 と、灰音が声を掛けてきた。
 「アンタ、いくつなんだ?」
 咄嗟に、俺は答えていた。
 「今、二十四だけど」
 「じゃあ俺よりも、七年も長く生きている訳だ」
 「そうなるな」
 七年も、人生を長く生きている先輩なのだ。と付け加えても良かった。
 「そんな大先輩に聞きたいんだけどよ。二十四年生きてきて、一度でも奇跡ってやつを目の当たりにしたか?」
 「え?」
 唖然として、俺は止まった。まさかこの場で、「奇跡」という単語が飛び出してくるとは思っても見なかった。それに、「奇跡」という単語は、高校生程度のヤングにとっては、恥ずかしい単語の一つだろう、と勝手に決め付けていた。更に言うなれば、殆ど初対面同士の二人の会話で、「奇跡」の話題は、どこか犯罪に触れているのでは?と感じてしまうほど不安にさせられる。
 「奇跡?」
 「奇跡だ」
 「えっと、海が割れたり。水がワインに変わったりする、あの奇跡か?奇跡の生還だとか、奇跡の逆転勝利だとか。あの奇跡?」
 「そうだな。その奇跡だ。奇跡のマジックショー、だなんて使い方もされる時があるな。後は、出会いの奇跡とか。まぁ、マジックショーはカウントしないでくれ」
 「えっと、これは一体何の話なんだ?」
 「奇跡だよ。神の悪戯。運命の分岐点。偶然の牙。ホモ・サピエンスのトリック」
 灰音の様子は、こちらをからかっている様には見えない。どちらかというと、淡々と、珈琲を煎れるついでの様な調子だ。
 気が付くと、俺は二十四年間の過去を探っていた。奇跡を、探していた。今にして思えば、会話開始から二、三分程度で。「この若造に説教をたれる」という、当初の目的を忘れていた。記憶の箱をひっくり返す。奇跡らしい奇跡は、無い。高校生の頃、高校のマドンナ的才色兼備の生徒会長と交際を始めて、三日で別れた事を不意に思い出す。これは奇跡にカウント出来ないだろうか、と考える。
 俺が答えられないでいると、灰音が、
 「奇跡は、誰もが眼に出来る訳じゃない」
 まるで、失策した部下を、上司が慰めるかの様な口調だった。思わず、有難う御座いますと口に出してしまう所だった。
 「君は、奇跡を見た事が有るのか?」
 だから、こんな話を持ちかけてくるのか?
 「無いよ」
 あっさりと、灰音は認めた。
 「ほら、珈琲、おまちどおさん」
 「あ、ああ。有難う」
 珈琲がテーブルに置かれて、香ばしい匂いを発している。別に俺は、珈琲の良し悪しが匂いだけで判るほど鼻が利く人間ではないのだが、それでも、良い匂いなのは確かだった。実際に口を付けてみる。マスターが煎れた珈琲と、遜色は無い。
 「御代は良い」
 と、灰音が言った。この時、「無料より高いものは無い」という有名な言葉を咄嗟に思い出す事が出来たのは、自分にしては上出来だったと思う。例えその言葉が無かったにしても、価値の有るものには相応の代価を。そう考えるのが、俺の性格だ。うん、この珈琲は、悪くない。
 「いや、払うよ。珈琲代くらい」
 「無料より高いものは無い。という言葉も有るしな。確かに俺も、そんな重荷をアンタに払ってもらいたくはない。ここは遠慮なく、きっちりと、四百五十円、頂きます」
 灰音は続ける。
 「役者ってのは、どうだ?」
 「まだ話は続いていたのか」
 「役者ってのは、奇跡を起こせるか?」
 言われて、俺は考える。「奇跡の演技!」など、確かに聞いた事も無い。役者は奇跡に縁が無いのかもしれない。奇跡と縁が有る職業といえば、スポーツマンくらいの気がした。「奇跡の逆転勝利!」というフレーズは、いつだって耳に心地良い。
 「どうして、そんなに奇跡にこだわるんだ?」
 俺は、逆に質問をしていた。それも、自分でも驚く程、興味が有って、本心からの質問だった。
 「運命というのが有るだろ」
 「そういう言葉は、有るな」
 運命が実在するかしないかは別として、運命という言葉は、確かに存在する。
 「運命を変えたいんだ」
 灰音の眼は、真剣そのものだった。眼の奥に、ぎらぎらと光る、炎の様なものを確かに見て取れた。その余りの真剣さに、俺は背筋が凍りつく。その真剣さは、誠実な者が真面目に取り掛かる真剣さというよりは、狂人の執念の様な真剣さに近い。
 「運命を変えるには、奇跡が無ければ成らない」
 「運命なんて、自分で切り開くものだろ」
 良く聞く台詞を、俺は言う。自分で言っておきながら、恥ずかしかった。
 「そうだ。だから、自分で奇跡を起こすんだ」
 「奇跡を?」
 スポーツマンに成る。という意思表明にも聞こえたが、違った。
 「奇跡を起こす。俺の運命も、周りの人間の運命も全部ひっくるめて、些細でも良いから、運命が揺れ動く様な奇跡を、俺達が実行するんだ」
 その言葉には、聞き逃せない点が有った。
 「達って、なんだ」
 「俺と、アンタで、奇跡を起こす。アンタも、奇跡を起こしたいだろ?何せ奇跡だ。誰だって、起こしたいに決まっている」

 「いや、待て」
 俺は、かなりの必死さで言う。対して、灰音は飄々としたものだった。
 「達って、なんだ」
 「俺とアンタだ」
 「勝手に仲間にしないでくれ」
 「運命が変わるぜ」
 その言葉は、現状に満足する事を知らない若者にとって、夢の様な言葉に違いない。子供だな、と笑い飛ばす事も出来たのだが、それはしなかった。笑い飛ばすには、灰音の必死さは、度が超えている気がした。
 「『此処では無い何処か』って言葉が有るだろ。俺が思うに、皆、本当は此処が嫌いなんだ。そうだろ?」
 「そうだろ?と言われても、困る」
 「奇跡を起こしたい。奇跡を起こして、運命を変えたい。運命が変わる瞬間には、奇跡が付き物だ」
 「大体、奇跡って、何をするんだ」
 俺は海を割れないし、ワインを水に変える事も出来ない。空だって飛べない。いや、そもそも、陳腐なマジックの一つとて知らない。奇跡を起こすのに、俺ほど向いていない人材は、他に居ないんじゃないかな、とすら疑う。
 「そうだな、何をしようか」
 灰音が、これから何をして遊ぶかの相談を始める少年の様に、そう言った。
 「てっとり早いのは逆転勝利だよな」
 俺は半ばヤケクソでそう言った。若干の、揶揄も含まれていた。
 「二人じゃ、野球は出来ないな。キャッチボールしか出来ない。キャッチボールで奇跡の逆転勝利を起こすのは、流石に俺も難しいとは思う」
 難しいというよりは、不可能だろう。いや、不可能を可能にする事も奇跡なら、キャッチボールで奇跡の逆転勝利を演じる事が出来れば、それ以上の奇跡も無い気がした。奇跡尽くめの、キャッチボールだ。
 馬鹿らしい。と唸って、それから、さっさと珈琲代を置いて、この場を離れるべきだと考えたが、既に、帰るタイミングを見失っているのも事実だった。
 「別のアプローチを考えようぜ」
 灰音は、何故かすっかり俺が仲間に成った気でいるらしい。
 「言っておくけど、俺は付き合わないからな」
 「まぁ、そう言うなよ」
 「悪いけど、そろそろ帰らせてもらう」
 俺は立ち上がって、金を取り出す。良かった、と安堵する。多少急だが、これで帰れるぞ、と。ただ、そこで、灰音が、
 「アンタも、結構普通なんだな」
 と、そう言った。俺は「何?」と眉根を潜める。
 多分、「普通」という言葉は、昨今の日本人にとって、指摘されたくない言葉のベストテンに入る言葉なのだろう。俺は、「普通だと?」と灰音を睨む。普通の奴だ、と言われる事を嫌う人間は、多い。俺も例外ではなかった。灰音は知ってか、知らずにか、俺の闘争心に火を点けた。
 そして、俺は驚くべき事に、「判ったよ」と言っていた。おい、何が判ったんだよ、と自分を責める声が聞こえたが、無視した。
 「奇跡を起こしてやるよ。それで良いんだろう?」

 「形は大事だろ。逆転の奇跡を生み出すなら、スポーツ選手の格好をしなけりゃ始まらないし。水をワインに変えるなら、ひげを生やして、肋骨が浮き出る程痩せなきゃ」
 「ずいぶん、こだわるな」
 「参考までに、アンタの尊敬する人物は誰だ?」
 唐突の質問に、俺は突っかかる。誰だ?そんな事、今まで考えた事も無かった。
 「ガ、ガンジーかな」
 言ってから、悪くない答えだ、と思った。ミスター非暴力。十分に尊敬に値する人物だとは思ったが、灰音が苦い顔をしたので、「どうした?」と尋ねる。
 「誰だ、それ」
 「なにぃ?」
 今時の高校生は、ガンジーを知らないのか。そう考えたが、流石にそんな事は無い気がしてきた。多分、灰音が特別なのだ。言ってしまえば、馬鹿なのだ。
 「インドの、非暴力を訴えた賢者だ。彼は」
 「判りづらい、そんな奴を尊敬するのは止めちまえ。もっと、判りやすい奴を尊敬しようぜ」
 灰音が、無茶な事を言う。
 「たとえば、誰だよ」
 「サンタクロースとか」
 よどみなく、灰音がそう言った。それから、
 「俺が言いたいのは、つまり、サンタからあの赤い服と白いひげを取ったら、それはサンタじゃないという事だ。完全に、別物だよ。夢が壊れちまう」
 確かに、俺も最近現れ始めた、ミニスカのサンタクロースに首を傾げてはいる。
 「あ、いや、そうだな。サンタってのは、悪くねぇな」
 灰音が、ぶつぶつと何かを呟いている。俺は若干心配に成って、灰音の顔を覗き込んだ。ほぼ同時に、灰音が「これだ!」と叫んで立ち上がった。
 「ど、どうした」
 「サンタだ。奇跡を実行するに、サンタは相応しい。そうだろ?」
 「そうなのか?」
 「そうに決まってるだろ。それも、今は夏だ」
 「一応確認するけど、この国じゃ夏にサンタは現れないよな」
 「だから良いんじゃないか。夏にサンタが現れたら、それこそ」
 奇跡だ。灰音はそう言って、拳を握った。

 そして一週間後。俺はサンタの服を手に取り、俺は何をやっているんだ?と首を傾げていた。「全てはこれからだ」と灰音が言った。それから、
 「ちゃんと、ヒゲも付けろよな」
 「おい、本当にやるのか?これは、かなり」
 馬鹿らしいんじゃないか?今更だが、その事に気付いた。そして更に、警察の事も心配に成った。
 「警察に止められるんじゃないか?」
 「どうして警察が、サンタを止めるんだよ。言っておくが、サンタを止められる国なんて、この世にゃ存在しねぇって」
 「サンタは期間限定の存在だから」
 俺は、怖気づいている。
 「カゲロウだとか、セミだとか、そういう刹那的なものと一緒なんだ。どうせ、十二月二十四日、たった一日の命なんだろ?だから警察も見逃してる。そうじゃなきゃ、不法侵入だ。アメリカなら、きっと撃たれる」
 それに、と俺は続ける。
 「協会が、怒るかもしれない」
 「協会ってなんだよ」
 「デンマークには、ちゃんと、本物のサンタクロースが居るって知ってるか?サンタに成る為の厳しい訓練を突破した、本物のサンタクロースの精鋭部隊だ。国が認めているんだ。以外と知られていないけど、本当だ、嘘じゃない」
 「嘘付け」
 事実なのだ。サンタは、実在する。嘘じゃない。とはいえ、俺達みたいな偽サンタを一々相手にする程暇ではないだろう。つまり、俺は、「だから、やっぱり止めよう」と言いたかっただけだったのだ。
 灰音は、怯まなかった。俺は、灰音が一体何に対してそんなに必死なのか、理解出来ずにいる。
 灰音の計画は、簡単なものだった。幼稚と言ってもいいものだ。俺達はただ、バラバラに行動して、真夏のアーケードで、「ホーホーホー!メリークリスマス!」と叫びながら、灰音がどこからか調達してきたプレゼントを通りがかった子供に配る。プレゼントが無くなれば、終了。
 「プレゼントの数は、そんなに用意出来なかった」
 灰音が悔しそうに、そう言ったのを覚えている。灰音と俺で、四つずつ。赤い包装紙に包まれた、小さな、小箱だ。袋は必要では無さそうだった。俺達はプレゼントを直接持って、真夏のアーケードに、現れる。
 「終わったら、あそこで集合しよう」
 集合も何も、たったの、二人だ。と俺はこっそりと思う。全世界に、たったの二人に立ち向かう。まさに今の俺は、そんな気分だった。
 灰音が指差したのは、小さな本屋前の、小さなベンチだった。終わったら、あの場所で二人のサンタの反省会が行われるのだ。「そういえば、今日読みたい小説の発売日なんだよなぁ」と、関係の無い事も呟いた。
 本当に、やるのか?この後に及んで、怯えている自分が居る。隣の灰音の強さには、驚愕するばかりだった。
 「奇跡を起こす。運命を変える。運命は、奇跡によって変わる」
 呪文の様にそう呟いたのが、印象的だった。
 「行こう。サンタを演じるなんて、役者冥利に尽きるだろ?」

 「メリークリスマス!」
 五分後。驚く程ヤケに成っている自分が居た。お前は、馬鹿だ。そう言いながら冷たい視線を送ってくる自分も居るのだけれど、真夏の太陽を浴びながら、真っ赤で分厚い服を着ている俺には、冷たさを感じる余裕は無かった。というか、死ぬ程熱い。死ぬ程、というのが冗談ではないのが、驚きだ。実際、これは死にかねない。直ぐに汗にまみれて、息苦しくなり、頭の回転が鈍くなる。水分が必要だ。
 真夏に現れたサンタクロースに近寄ってくる子供は、余り居なかった。辺りを行きかう人々は。なんらかのイベント、もしくは呼び込みだと思っている様で、「こんなに熱いのに、大変そうな仕事だな」と、声を掛けてくるものもいた。
 「これが、仕事ですので。サンタの。ホーホーホー!」
 これが、奇跡か?この生々しさはなんだ?灰音は何がしたいんだ?そもそも俺は一体何をやっているんだ?疑問が頭に浮かんでは消える。考える力が、熱さに溶けていく。途中で、自分は本物のサンタクロースなんだ、と思い込んでしまった。つまり、それほど危険な状態に居るわけだ。
 たった四つのプレゼントを配るだけだ。五分も有れば、終わる。そう思っていた。甘かった。実際には、たっぷりと三十分は掛かった。体感的には、丸一日はサンタの格好をしていた様な気もするが、時計を見てみると、三十分しか経っていない。時計と、自分の頭のどちらかを信じるか。時計を選んだ。普段ならいざ知れず、今の俺は、何も考える事など出来ない。
 最後のプレゼントを渡すと、俺はがっくりと膝を付いた。今まで感じた事の無い、達成感がそこには有った。終わった!と叫びだしそうになった。終わったぞ!見たか!無事に終わった事こそが、奇跡じゃないか?そう思った。
 ただ、そこで、
 「これで何か変わったのか?」
 口に出してみたが、答えは出なかった。多分、俺がこうしている間にも、地球の裏側では戦争で大勢が死んでいる。絶望から自殺をしているかも人も居るかもしれない。例えば今この瞬間。妻の復讐に駆り立てられ、復讐すべき相手を見つけ、叫びだしながら走り、車に轢かれて死んでいる誰かがいるかもしれない。我ながら、陳腐な妄想だが、今の暑さ、いや、熱さに溶け出している脳みそでは、この程度が限界だった。
 そして次の瞬間、目の前を走り抜けていく、黒い犬を見ながら、俺はもう一度呟く。
 「灰音。これで何が変わるんだ?」
 俺は、集合場所に向かって、重たい足を引き摺りながら歩き出す。

 灰音は、ものの見事に警察に捕まっていた。パトカーに乗せられ、不貞腐れている様に頬を膨らましている。「馬鹿」思わず声が出てしまった。何が、「サンタは警察に捕まらない」だ。パトカーに乗せられたサンタは、中々シュールだった。
 更に悪い事に、待ち伏せていたかの様に、警察が集合場所のベンチから飛び出してきた。明らかに、その視線の矛先は、俺に向いている。
 「ああ、君、ちょっと」
 「ワシか?」
 思わず、サンタ口調が出た。
 「彼の、仲間だよね」
 と、警察の男は、パトカーを見た。正確には、パトカーの中の、もう一人のサンタを見た。
 仲間じゃない。そう言い放つ選択肢も有ったかもしれない。そう思った時には、既に、
 「ああ、仲間だ」
 と、そう言っていた。その瞬間、吹っ切れた。
 「サンタ仲間だ。見て判らないか?」
 「悪いけど、ちょっと署まで来てもらえるかな」
 ちっとも悪くなさそうに、警察が言った。
 「サンタを捕まえるなんて、問題だろうが」
 「いや、君達は、サンタじゃないだろう」
 「お前らは警察か?」
 「見て判らないか?」
 「お前らが警察な程度には、俺はサンタだよ」
 もういい。なんでも言ってやれ。冷めた自分ですら、自分をそう応援した。呆れているだけかもしれない。
 「話は署で」
 「警察ってのは、どうだ?」
 「続きは署で聞くから」
 「警察ってのは、奇跡を起こせるか?」
 警察は、うんざりと言った様子で、顔をしかめた。もしかすると、俺が来る前にも、灰音とこの問答をやったのかもしれない。いや、やったに決まっている。
 灰音は、奇跡を求めている。しかし、何故?
 俺は、ここで漸く、自分が何者なのかを思い出した。俺は役者だ。演じる者だ。俺は一度目を瞑って、思考を研ぎ澄ます。灰音の顔を頭に思い浮べて、その前に、鏡が有るとイメージする。俺は、灰音に成った。奇跡を求める、恐れを知らない若者に成った。
 眼を開ける。目の前の警察が、驚いて後ろに下がったのが判った。多分、今の俺の人相は、先程までとは別人なのだろう。今の俺は、灰音だ。
 「さっきから、あの子といい、アンタといい。一体何の話をしているんだ」
 警察の口調は、もう勘弁してくれ、と言い出しそうなものだった。
 「奇跡だよ。神の悪戯。運命の分岐点。偶然の牙。ホモ・サピエンスのトリック」
 奇跡、と口にすればするほど、幼稚に感じられたが。それでも、縋る様な思いだった。
 灰音は、奇跡に縋っている。だが、何故?
 俺は、更に深く、灰音になるつもりで、深層に潜っていく。何故、奇跡を探している?その答えが、そこに有る様な気がした。だが、後一歩の所で、俺は灰音に成り切れずに、意識を本来の自分に戻す。

 警察には、大人しく捕まっておいた。抵抗するのも無駄だし、そもそも、警察も俺達が憎くて捕まえる訳ではないだろう。というより、俺が警察の立場なら、真夏に現れたサンタは、やっぱり逮捕しなければ成らない。
 「捕まっちまったなぁ」
 灰音がのんびりと言う。俺も「捕まっちまったなぁ」とのんびりと思う。不思議な事に、焦りや苛立ちは無かった。
 「可愛く言えば、一夏の思い出だ」
 「まぁこれで多分、俺の役者人生も終わりだろうな」
 俺がそう呟くと、車を運転していた警察が声を上げた。
 「アンタ、役者なのかぃ。サンタじゃなくて」
 助手席では、先程、俺を直接捕まえた方の警察が、何を言っているんだこいつは、と言いたげな視線で、運転をしている警察を見ている。
 「良い演技だった。かなり、サンタらしかった」
 それは明らかに、冗談を言っている口調だったが、それでも俺は、その冗談が嬉しかった。
 「そうか、そうだろ」
 「アンタ、きっと凄い役者なんだろうね」

 結果から言えば、俺の役者人生は終わらなかった。むしろ、加速した。
 《ライブラリ》で、テレビ雑誌に眼を通す。俺の名前が載っていた。「サンタクロースの格好で、警察相手に大立ち回り!」そんなタイトルで、若干の脚色を加えられ、俺の人生が、俺以外の誰かの手によって書かれている。
 元々、俺は悪党、狂人役中心の役者だった。これで俺が、主人公格を務める二枚目俳優だったならば、結果は大きく変わっただろうが。今回のサンタ騒動は、ファンが夢想する俺の姿と、なんら違和感が無かったらしい。むしろ、「あの男がやってくれた!」と賞賛の拍手すら有った。
 「これは、喜んで良いのか、悪いのか」
 俺は判断出来ずに、顔を歪める。
 「素直に喜んでおけばいいじゃねぇの」
 灰音が、いけしゃあしゃあとそう言って。マスターにメニューで叩かれていた。

 てっきり。この灰音という若者は、日常的に「奇跡、奇跡」と連呼しているものだとばかり思っていたが、そういう訳でもないらしい。むしろ、「奇跡」という単語を、遠ざけている節が有る。「奇跡?馬鹿じゃねぇの?」そんな調子だ。実際に《ライブラリ》に設置されているテレビで見ていた「出会いの奇跡特集」という番組に向かって、そう言い放っていた。
 一体、あれはなんだったのだろう。そう首を傾げるが、聞く事は無かった。灰音が大人しく理由を話すとは、到底思えなかった。
 「あれで、何か変わったのか?」
 俺はそう呟きながら、《ライブラリ》の店内を見渡す。殆ど、代わり映えしない客層だった。相変わらずアイスコーヒーの男が居て、奥の席に赤い髪の男が居る。この二人は殆ど毎日居るらしい。今日は少々混んでいて、満席に近かった。
 ただ、自分と同じく常連の、オレンジジュースばかり飲んでいる中年の姿は見かけなくなった。と、ふと思った。変化といえば、それくらいだろうか。
 今日は、少々混んでいる。早めに出るとするか。そう思った所で、マスターが水をもう一杯入れてくれたので、もう少しだけ長居をすることにした。












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