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【未完】牙喰らい  作者: 蜂八
一部
3/17

一話:発端

初投稿になります。宜しくお願い致します。


 産み落とされたのは強者だった。


 猪は「額を殴れば肉が食える動物」であり、石を投げれば食えるのが鳥、川に尖った木を突き込めば食えるのが魚、潰れてしまい食えないのが虫。

 癇癪を起こされたら無言で見つめ続けると黙るのが母、いつからか姿も見なくなったのが父。喋ると楽しいのは子供、その子供を連れていってしまうのが大人。

 陽が昇り起床、陽が沈み就寝、空は蒼く地は紅く。

 史志(しし)、の名が幼名だった頃――未だ十歳に満たない時期の世界認識はその程度。






**********


「待て」


 かけられた声に呂布は足を止めた。

 周囲を積みあがった屍が彩るこの状況にて、知らない声が彼女の耳に届いた。ならばそれは、戦の場において呂布を呼び止めるものに他ならない。


 彼女は呂奉先――姓は呂、名は布、字は奉先、真名は(れん)

 敵兵の命を吸い赤黒く染まった左袖と、それに近しい血の色に似た髪を揺らし、闘志を帯びる瞳で声の主を探すその身――健康的に焼けた肌の、腹や肩に深海を思わせる色の刺青が刻まれた、少女にしては長身の体――が、ゆぅるり……振り向く先にはこちらへ歩み来る青年、少々の幼さを戦血で汚したその姿。

 胸と腕以外の上半身を大胆に晒した、白を基調とした服を纏う呂布は彼を見る。戦場で鎧すら纏わずに前線で生き抜ける傑物の視線は、それだけで圧力を有す。


「……」


 彼が着込んでいるのは敵兵の軍鎧ではなかった。つまり呂布の敵では無い。

 襤褸の布きれに簡素な皮を貼り付けたような、世辞にも精悍とは言えない外装を着た青年が傭兵の類であり、今回の戦で同軍に居たことなど呂布は知らず、そして知ろうとする必要も無い。呂布に必要なのは、殺す敵と殺さなくて良い者の区別だけ。


 故に、対面する青年が口を開くまで、その意志も意図も彼女には判らなかった。


「おまえが深く、五つ呼吸するだけの(とき)を俺にくれ」


 右手の鉄棍――中央に文字が刻まれた以外に装飾の無い、七尺(約210cm)程度の無骨な黒い鉄の棒で、死体を聊か乱雑に除けながら、彼は呂布の前に立つ。

 所謂西洋の棍棒ではなく、一見しては持ち手の無い杖に似た円柱形の棒。だが、武器として放つ怖さは本物。その棍には、青年の相棒らしい貫禄があった。


 彼女より拳ひとつは背の高い彼が、棍を右肩に担ぎ直し、一歩分だけ前に出した左脚の腿に置いた左手で、下穿きを軽く握り僅かに引き上げ、腰を落とす。

 ざんぎりかざんばらか、整うことを知らない黒髪に隠されていた視線が定まり。

 そうして――


「呂奉先。吐き出させてくれ」


 力が込めに込められた双眸で呂布を射抜く姿に、彼女の右袖が翻る。己が紅瞳を貫く視線に迸りを感じた少女は、自然と得物を、方天画戟を構え殺気を孕んでいた。

 大きな肉厚の刃を光らせる穂先と、そのすぐ下に突き出された三日月状の横刃ひとつを備えた大槍……呂布が振るえばその多機能を余さず使いきる長戟が、獲物を睨む。


 一対一で対峙した時、改めて武器を構えることなど、呂布には久方ぶりだった。

 覚悟を帯びた凄まじい眼力を受けた経験はあった。が……今感じている"これ"が別物であると理解したからこその、瞬間に充満させる殺意。闘志は一足飛びで染まる。


「吐き出させてくれ……抱えてきた猛りと、」


 破砕の気勢から鉄棍が振り下ろされ、空気を引き裂いて戟が跳ね上がり――


「おまえが存在することの喜びをッ!」


 鉄の火、華と散る。






 盤面が、撤退する敵軍の殲滅戦に移る最中、先を行く自隊の頭が足を止めたことに眉を上げ、同じく足を止めて眺めだした自分を今、心の底から褒めてやりたい。

 呂布隊配下の数人が同じことを思い、それ以外の遠巻きは、偶然目にした光景にまずは唖然としてから、やはり同じように喉を鳴らす……それ程の"武"であった。

 陣の両翼が敵を殲滅しているのを横目に、中央後部の隅で突如発生した一騎討ちを目に出来たものが何人いたか考えれば、この幸運に更に感謝したくなるだろう。


「――ふッ!」

「ツェェェイ!」


 戟が袈裟に走れば、回る棍が刃の腹を舐め、逸れた刃は紙一重で掠る鎧に痕を残し。


「しィィ ……かァッ!」

「は……ァ、ァァアアッ!」


 鉄の凶突が胸を刺す直前、到着する戟に払われ、軽くない衝撃のみを土産だと渡し。


 打ち合いの最中、青年が右脚を前に出す右半身の形となった……その瞬間、腰の傍で鉄棍の把段(はだん)――棍の下部、根元から三分の一までの部分――を握る左手によって、強く押し出される突き。棍中央に添えた右掌の上を通過し、左下から呂布の顎へ高速で襲い掛かるそれは、強靭な牙を持つ猛獣の下顎を連想させた。


 だが相手は呂奉先。呂奉先である。


 鉄が唸る音を立てた、凄まじい速さの突き――自分から見て右下から伸びてくる凶器に対し、その半ばから袈裟に叩き落とさんと呂布は長戟を振り下ろす。彼女は超高速を超高速で迎え撃てる力量の武人であり、直前の打ち合いによる反動で丁度良く右上に戟が跳ね上がっていたことも、その行動を容易とした。

 ……――そして少女は気付く。奥歯を噛んだ。


 相手の得物を袈裟斬りしやすい体勢を"丁度良くとっていた"? 違う。跳ね上がった戟を見て一瞬で相手が選択したのだと、"呂布にこの袈裟斬りをさせた"のだと気付く。野生動物が危機を察知する如く、本能で拙い、と悟った。


「あ――ッ、ぐ……!」


 果たして棍は落とされる寸前、そうはならずに呂布に血を流させていた。

 勘付いても避け切れなかった彼女の右腿に、叩き裂かれた傷ひとつ。


 何故、どうやって呂布が傷つけられたのか。その答えは、戟の振り下ろしが棍に届く刹那、青年が同時にふたつのことを行ったからである。

 ひとつ。突きの途中で、添えていた右掌を右肩の斜め後方まで引き上げ。

 ふたつ。左脚で大きく一歩前に踏み込む。


 結果、右掌で棍を引き寄せつつ左半身の体勢となり、最後に右手が握り込まれて完成――左下段からの顎突きより一転、右上段からの脚突き構えへと変化。


 体勢の変化を使って呂布の攻撃を避けると同時、青年は右の逆手で握った棍を、その中央を緩く包む左手の中、再びの高速で通過させた。

 猛獣の下顎は砕かれる寸前、脚突きという牙を生やした上顎と成りて噛み付いた。


「まだだ」


 そして。見事、呂布に怪我を負わせた牙はそれで止まるはずもなく。

 逆手一本で重い鉄棍を更に引き回し、少女の右脇腹目掛けた薙ぎ払いへと繋ぐ青年の技量は見事なもので、片手での攻撃なのに当たれば肋骨を粉々に、下手をせずとも絶命させるだろう凶悪な一撃だったのは間違いない。


 その一撃を、戟が弾く。


 鉄棍の中心に戟の柄尻を打ち込む点の迎撃――白兵狙撃とでも呼べるか。

 衝撃と痛みで崩れた体勢をものともせず、少女が腕力だけで無理矢理作ったその防衛手段はだが、弾かれた棍の梢端(しょうたん)――細められた先端――を地に落とし、土を抉らせるほどの重みを誇示した。そこから即座に次弾へ繋がる。


 愛用の戟が揺れ、乱れた体幹を姿勢制御だけで直す少女、隙は一瞬にも満たない。

 赤瞳の呂布は寡黙、冷徹。己の右斜め前の位置で鉄棍を突き落とした方天画戟、それを握る右手首を返し、腕ごと振り上げる暴威はまるで閃光。


「……せェッ!」


 右下から左上へ、相手の身体の中心を通る斬り上げ一閃。

 逆襲の刃に乗せる殺意は世の全てを断絶せん。斬って殺す、只それだけの。


「づ ……ッ、ぎッ!」


 このままでは腕ごと斬られると判断した青年は、攻撃を弾かれても離しはしなかった右手の棍を逆側に投げ込み、左手で掴み直しながら、地面を浅く窪ませるほどの膂力を注いだ後方跳躍を慣行。間一髪の回避。

 だがそれで尚、胸鎧は斜めに断ち斬られその下の生身に紅い線、一筋。浅くとも傷、血を吹き雫が滴る爪痕。


 彼の紅花を見遣る呂布の目には不満の色が浮かぶ。

 対して呂布の腿傷を確認した青年の目には、()けた歓喜。


 呂布の傷は浅いものだったが、戦闘において重要な脚という部位から血を流しているというのに、特に顔色も変えず反撃してきた凄みを肌で味わった故に。

 呂奉先、期待通りかそれ以上かと、青年の唇が喜悦に引き攣る。


 我慢しきれず飛び出す男と迎え撃つ女。刃鉄鳴り合う覇の宴――――






 時間にすればとても短くて、その日の戦を手とすれば小指の先にも満たない。砂時計で測れる時の中、敵同士でもない少女と青年、龍と虎が打ち合った数は五十か百か。

 並大抵では目測も出来ぬ速度で放たれる互いの武器が……斬り、突き、薙ぎ、叩き、巡り、防ぎ払って幾度と競り合い、跳ねる身体の拳足が踊り、眼光は爛々と。


 ()が爆ぜる音をばら撒いた何十度目かの拮抗が弾けて終わり……しん、と澄んだ静寂を飲み込みながら龍虎が離れたのは、戦闘開始から深呼吸七つ分の頃だった。


「ッは……ァ、はッ、はッ……愉快すぎて二息越えちまった、なァ」

「ふゥ、ふッ……ゥ、ふゥ……」


 右頬の切傷を親指で撫ぜ舐め取りながら、されど玉の汗を拭いもせず青年は笑う。

 乱れ髪を纏める気も無く、額から落ちる雫を首振り払い、呂布は構えを解いた。


「感謝する、呂奉先……願わくはもうひとつ」

「……ん」

「何より強者たれ」


 言外に話せと告げた紅の視線に返ってきた言葉に対し、無言を通す気にならなかったのは何故かと呂布は考えるが、思考が渦巻くより早く唇が紡ぐ。


「……弱い人間は、すぐ死ぬ」


 彼女がこれまでの生で確信していることがそれで、即ち。


(れん)は強い」


 絶対の強者宣言が、さも当然と吐き出された。


「そうか。ありがたい。 ――本当に、ありがたい」


 鉄棍を右肩に載せ、青年は呂布の隣を通り過ぎる。

 浮かべた表情は真に嬉しそうで、すれ違い様に零した二度目の感謝も声音は嬉々……視線は前だが心は彼女を向いていた。


「おまえがとても強いから、俺は生きていることが楽しいよ。奉先」

「……どうして?」


 怒声と悲鳴の上がる左翼目指して歩き出す彼は、目尻を下げ唇端を軽く吊り上げた。


「俺がとても強いからだ」

「……」

「更なる高みでまたいつか。七つより長く、長く」


 喧騒の中に消えていく、名も知れぬ背中と発された言葉を呂布は覚える……己と拮抗する武威を持つ人間が存在したことは、忘れようにもどうしても忘れられない。

 (それ)は異質であるからだ。其等は我等は、男は異質であるからだ。だが同時に。


「……更なる、高みで」


 どれだけ強くなろうと、どれだけ異質だろうと喜ぶ人間。

 否。


 幾らでもだ。


 強ければ強いだけ、その異様を望むと笑う人間だった。






**********


 一騎討ちを見ていた兵士達は、戦を終えてから青年を捜したが見つけられず……報奨を受け取ってさっさと何処かへ行ってしまったざんばら髪の武人の行方は不明。呂布と真正面から戦える人間が居たという、真偽定かではない噂が生まれた。

 しかしこれ以降、戦場に出た呂布の特異と言っていい武威を目にする者は増え、あれに敵うは人ではないとの畏怖が高まり、彼女自身の強さだけが事実として話に上る。


 反面、これに押し潰される形で、真偽不明な男の噂などさらりと消え去る。

 元々、この噂が生まれた当事は呂布が飛将軍と讃えられる前であったため、然程注目されたわけでもなかったし、後々に似た話が持ち上がろうと、自分を売り込もうとする者の偽証か、呂布との一騎討ちで数合持ちこたえた武将のことかと判断され、信憑性が皆無な酒の肴と消えた……が。


 漢帝国が光武帝により再興され、二百に近い年月が流れた時代。長き時が澱みを生み政が乱れ、民の多くが困窮にあえぎ、腐敗と諦念、憤り、そして野心が渦を巻いた――後々の歴史で後漢末期と呼ばれることになる、衰退と飛躍の時世。

 ()の時、中華の大地に、その男は確かに存在した。


 男の姓は(えん)、名は(らい)、字は呼阮(こげん)、真名は史志(しし)

 龍が天へ翔け上がる時代、虎は川辺で牙を磨いていた。






**********


「羊肉焼きあがったぞ! 給仕の尻眺めてる暇あるならおまえが持ってけハゲ!」

「おま、呼阮! 店長に向かってハゲとは何だ!? クビにされたいのか!?」

「いいから七卓様だよ早く行けよ薄らハゲ!」

「包丁を向けるな!」


 包丁も磨いていた。


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