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【未完】牙喰らい  作者: 蜂八
二部
16/17

十四話:破天荒


 正確な時期は定かではないが、少なくとも前漢が興った時点で既に女性の台頭は一部で著しかったという歴史を、大陸の古今を多少なりとも学んだ者は知っていたし、学問などに関わらない庶人とて、飛びぬけて優秀な人間や名家の跡取りの多くが女人であることを、日々の生活や噂から実感していた。


 尤も、高名な者、重要な官職についている者、名高い武人、それらの半数以上に女性の名が挙がり続けていたものの、一般的にはまだまだ旧態依然で、男は力仕事の労働や政務を、女は内職や家事や雑務などを担当するのが当然の家は少なくなかった。

 戦の多いこの時代に、依然として兵士の大多数が男であることも、内情的に男女関係が逆転していない証明。しかしそれでも、天下に名が知れる一握りの人物の中では女性の比率が高かった。これは確かな事実である。


 知能においての性別による差異はともかく、こと武力に関しては男女の身体的な違いを覆すことは難しいはずだった。筋肉質で骨格が太く肩幅も広い男性に対して、女性は皮下の脂肪が多く骨格も華奢で細い。当然個人差はあるが、女子台頭中の現在も全体的な印象は変わらず、男性は男らしく女性は女らしい身体のままだ。

 男女が同じように鍛えたのならば、身体的な隔たりから(オス)が優位に立つ。


 では何故、武官でも頭抜けた強者に女性が多いのか。

 その答えは、男よりも女の身体の方が"氣"の存在に慣れやすく、自ずと氣を扱うことにも長けるからだと一部では考えられている。


 ()は気功とも呼ばれ、例外を除き大抵は不可視であり、その解説は難しい。

 体内に保持するそれを活性化させることで、身体能力の上昇や感覚強化を齎す神秘的な生命力。――氣を知覚し扱う者には概ねそのように捉えられていた。

 詳細を語るには陰陽五行思想等も絡んでくるが、虎牢関で起きている戦にあって重要なことは、自覚無自覚問わず氣は行使され、細身の麗人や小さな少女であろうと、その筋力や諸力は外見から全く判断出来ない場合が多々ある、という点。


 筆頭は言うまでもなく、飛将軍こと呂奉先だった。


「…………」


 口も開かず武器を振り続ける彼女の武を言葉で表すには、まずは"攻撃"を表現する際によく使われる単語を選ぶと良い――速く、鋭く、重い。そしてそれらの単語に、呂布に相応しい装飾をつける。"圧倒的"もしくは"異常"か"桁外れ"だ。


 飛将軍の武威は、圧倒的に速く、異常に鋭く、桁外れに重い。


 また、この表現は戟の一閃に限らない。

 騎馬の民が誇る速さで馬を走らせ、状況に応じて必要な行動を選び取る動物的な直感は鋭く、彼女の存在が敵味方の士気に与える影響は重く大きい。闘志漲る呂布隊が戦意を挫かれた敵に与える損害は甚大となる。

 これに対抗するには、知恵を絞り策で閉じ込めるか、一流の武人複数名で呂布を一斉に襲うか、戦略時点で出陣を封じるか……最良は味方にしてしまうことだ。


 その全てが間に合わなかった袁術軍前線は、崩される砂山のようだった。援軍が来るまで防御に徹すべし、そう定めた彼等は易々と壊せる壁ではなかったのだが、袁紹軍と同程度に質の高い武具を揃え、どうにか密集陣を組むことが出来た万の兵ですら、時間稼ぎの役目を果たすためにその命を死に物狂いで賭ける必要があった。

 歩兵の大半は農民で、本来ならば皆が一目散に逃げ出したかっただろう。が、基本的に指揮官はそれを考慮して隊列を整える……――密集陣は、逃げられない。


(まなこ)を開けッ! 耐えて押し返す以外に生きる道は無いと心得よ!」


 前曲を預かる部曲将の叫びは、半ば自分自身に言い聞かせる内容でもあり、この指示を広める伯長や隊卒もそれは同じ。故に、手にした槍を向ける先は前方。密集陣は名の通り歩兵が密集した形を指す、逃げ出そうとしても隣の仲間が邪魔になる。

 自分の前で戦っていた仲間が倒れたら、その死体を踏もうが構わず前に出る。人間という名の鱗を一枚剥がれたら、奥の鱗がせり出され、棘を生やして再び戦うのだ。


「…………まだ?」


 その棘壁を他愛無く雑に剥ぎ取る縦一閃。

 鎧を拉げ血肉をばら撒く長戟にあるのは、打倒する道具としての冷たさを紅で染めた無慈悲な熱さ。無機質を生命で彩ったその武器を片手で御し、ぽつり、感情表現が酷く薄い声音で零した呂布は、もう一度周囲を見回した。


 騎兵突撃で敵前曲に突き込み錯乱と崩しを行ない、それを利用して突入してくる自軍の歩兵に混ざり――先頭に立ち、何度も何度も鱗を砕いていく勇姿は、馬上に在らずも馬上の将以上に目立ち、健在と脅威を示す……飛将軍は此処に在る、と。

 そんな彼女が待っているのは、袁術軍が総崩れになる光景ではない。自軍後方の砂塵が突如増した理由から推測される、間も無く訪れるであろう敵手だ。


 呂布は予測したまでだが、この時、華雄隊との分断を狙った甘寧隊が呂布隊の後方に突撃し、早期に対応せんとした陳宮が伝令を走らせる最中であり、また、分断の開始を確認した劉備軍が秘密裏に華雄隊へと向かっていった頃でもあった。


 だから、骸に骸を抱かせ続ける紅眼の将がその旗を目にしたのは、彼女が呟いてから僅か後……旗の基本色を統一しない董卓軍の中でも一際目立つ真紅の呂旗、己のそれとは似て異なる赤い旗――派手さのない赤色の中心に燕の文字。


 朱銀の周旗を従えた、炎緋に金字の孫家牙門旗、その更に前を行く焼土の燕旗。

 旗下を駆ける騎馬、黒鎧の男を認めた瞬間、呂布は待ち人が来たことを悟る。


「……ここは、もういい。あっちに行く」

「は? ……ッ! はい、ご随意に! ――前衛ッ、追撃を抑えながら下がれ!」


 呂布が投げたのは気まぐれのような言葉。しかし、此処が戦場である以上は最上級の下知となる。彼女の背後でそれを受け取った士官は目を丸くしたが、剣呑さを増す呂布の瞳に理由を知った。この眼をしている飛将軍を、以前に見たことがあったのだ。


「ですが師団長、せめて騎乗をなさって下さ……ッ、遅かったか。伝令! 騎馬精兵の何名かに、飛将に相応しい駿馬を連れて師団長に付き従えと急ぎ伝えよ」


 部隊中曲へ走る呂布を見送る彼には、その背中に立ち昇る闘気が目視出来たような気がした故に、前線と伝令に指示を広めながら、あの覇をぶつけられる相手を哀れむ。


「孫家の飛将などと噂が立つ程度に強かった自分を恨め、強者よ」


 彼が皮肉げな顔を向けた先で、横撃をかける赤い旗がはためいていた。






**********


「甘寧様より伝令! 分断完了、損害は予定より約一割増、とのことです。現在は周泰隊と合流、指揮を引き継ぎ、孫策様の麾下で戦闘中の御様子」

「ほう……陳宮侮りがたし、と言ったところか。了解した、作戦に変更は無い」


 眼鏡の奥の眼光を強めた周瑜は、頬撫でる黒髪の先を指で払い、長い睫を一度瞬かせ伝令を下がらせた。たったそれだけの時間で、彼女の脳内では戦況と軍配置が今の実情に限りなく近い形で浮かび上がり、それまで胸中で深慮してきた戦術論理が呂布の撃退及び虎牢関突入までの分岐路を確定させ、歩みを再開する。

 事前との修正点は微々たるもので変更の不要な道程であったため、余分な思考の無い流麗さを保ち、晴天たるこの空から下界を見下ろすかの如き視点で、周瑜は戦場の把握に勤めた。


 虎牢関側に視線を投げれば、虚兵の劉旗を従えた公孫賛軍が賈駆と競り合っている。そこから左方、張遼の旗が曹旗と袁旗に囲まれ――実質曹操が張遼を包囲した形か。

 こちら側へ意識を戻すと、袁術軍前線を押し込んだが劉備軍に挟撃された華一文字。更に、各所から袁術や公孫賛の下に救援を送り出した他諸侯の疎らな軍。


「曹操の精良は予想して当然だったが……劉備、いや、伏龍鳳雛を得た劉玄徳、だな」


 対話した時に感じた強さから、大きくなるだろうと思っていた周瑜だったが、それはいずれの話であった――しかし。あれは既に注意で終わらせて良い勢力ではない、今後は対応を"警戒"まで引き上げなければならないと判断し、少しだけ眉根を寄せつつ吐息を零した。世に在る英傑の何と眩きか。

 同盟を結んでおいたことが望外の成果になったな……と、それで劉備に対しての思考を切り上げた周瑜、見据えるは真紅と焼土。呂と燕。


「賭けに乗る筆頭軍師か……ふふ。まぁ良い、幕だ」


 周瑜が自分自身に向けた幾許か冷笑気味の笑いは、躓き方次第では孫呉の今後の躍進を減速させる可能性が高いからこそ、小さくとも確実な成功を取るべきだろう虎牢関において、大戦果を狙った賭けに出た己への驚きと呆れから零れたものだ。

 あくまでも、呉の頭脳たる周公瑾が許容する領域に限った賭けではあるが。


 物事の筋道、法則を論じ、生みだされる利害を冷徹に計算して、現実的に最良の結果を現出させる……それこそを軍師の責とする周瑜が、"理"と"利"の人として妥協可能な範囲に、今回の作戦を内包しても良いと判定を下した。

 故に今、燕旗が呂旗を喰らいに征くことが容認されている。


 許可しなかった場合、あの狂虎はどうしただろうか。

 ――考えるのも馬鹿らしい。わかりきったことだと、周瑜は終局を見届ける。






**********


 孫策軍の人間が命じられたのは、呂布隊を圧しろ、ただこれだけである。

 猿にかまけている隙に横撃断行、隔離してこちらを向かせた董卓軍最強の矛を、孫呉の全てで押さえつけろ。それが孫策の厳命で、後は軍師の指示に従って各指揮官が兵士を鼓舞し動かせば、膠着した現場で死闘の頂を見ることが出来ると王は微笑した。


 一方の呂布隊は、長の下知に従い袁術軍前線から離脱する折に一撃を加え、追撃する余裕を奪ってから態勢を整え、孫策軍と対峙した。

 やっと退く機会を与えられた袁術軍前線は後方に下がったが犠牲は多く、戦線復帰を果たすには時間が必要。復帰したとしても華雄隊を攻めている仲間に増援する方向性を選ぶのが上策だと思ったのか、呂布隊に近寄る素振りを見せなかった。


 かくして孫策軍と呂布隊は戦闘に突入する。

 劉備から奇襲を受けて乱れた華雄隊とは違って、陳宮が早期に紛糾を抑えたおかげで混乱は起こらず、軍と軍の対決が整然と行われた。弓で相手を固め騎兵中心に打ち出し歩兵で押し詰めるのは両軍同じで、孫策軍は歩兵で勝り、呂布隊は騎馬で勝る。


「一騎討ちを望む者以外はッッッ」


 しかし、騎馬では劣る孫策軍で一人、騎馬で戦場を席捲する将。

 燕旗の主は前に立つ者を叩き、走り来る者を抉り、焦がれた相手を欲して駆ける。


「――退けェェェェエエエイッッ!!」


 人も馬も矢も武器も、邪魔する鎖の何もかもを薙ぎ払う燕来の頭にあったのは、奉先は何処だと幾らでも叫んでしまいそうな渇望。隊の指揮役からも解放された男は、自由勝手にひたすら飛将軍を探していた。

 彼が包囲されぬよう周囲警戒等で必死に補佐する数十名の騎兵は、もう勘弁してくれと愚痴を吐いてもいたが、このまま仕事を全うすれば武の宴を最前席で見られる権利が確実に手に入る、という餌には勝てず、汗に塗れて走り続ける。


 そして、両軍が接戦を続ける中、気付いたのは燕来。


 研ぎ澄まされた清冽な凄みに指先から首筋まで舐められ、ぞわりと泡立った剣呑が彼の心臓に浸みる。それが誰の仕業か理解した途端、感じていた冷気が焦熱に変じた。

 馬首をめぐらす燕来は間違いなく赤髪紅眼を目に映し、真紅の旗を従えた呂布が視線で射抜くのは黒鎧鉄瞳。――殺気が互いを一直線に繋ぐ。


 無言で駆ける両者が、肉眼で互いの表情を視認出来る距離に近づくまでの間……徐々に増していく重圧が、燕来の補佐と呂布の部下に口を閉ざさせ、周囲で戦っていた兵士達は二人の武人から我知らず一歩二歩と離れていった。

 紅と黒が数年を経て再会した場面で、先に口を開いたのは意外なことに紅、呂布。


「……おまえか」


 確認の言葉は簡素だが、やはりあの男か、という呂布の思いが塗られていた。

 馬の足を止めた彼女に倣い相対する燕来は、あの日の呼吸七つが呂布に忘れ去られる程度の出来事ではなかったことに悦び、微かに口端を歪めた。


「応」


 万感の意を籠めて、だがそれでも不十分と男は続ける。


「燕来、字を呼阮と言う。……なァ、奉先」


 ざんばらの髪を雑に撫でつけてから、燕来は鉄棍を片手で握り、右肩の裏に隠すように担いだ。焼き尽くさんばかりに熱された鋼を彷彿とさせる、鉄の双眸で呂布を射抜き――過去を、かつてを焼き直す。


「おまえが此処で、倒れるまでの(とき)を俺が貰う」

「――――…… 恋は、倒れない」


 呂布は多くを語らない。

 語らないからこそ、言葉とは別のものが――不純物を含まない深奥の眼光、ひたすら制圧を志す気迫、世俗から孤絶した武勇、それらが際立つ。ひとつまみの発言を最大限に昇華する行動が、彼女の性質を表し、それは特に戦場で顕著となる。


 開戦の合図はもう終えたと、本家飛将軍の跨る奔馬の蹄が再び土を蹴り、孫家の飛将に戟が届く剣域に踏み入る瞬間、愛槍を掴んだ呂布の右腕が殺意を帯びて霞む。

 明確に燕来一人だけを狙ったその斬撃は、鍛えた兵士十数人を無造作な一振りで瞬きに葬る呂布の威が凝縮されたものだが、刃が落とすはずだった頸の持ち主も尋常の者では無い。故に死なぬ。


「いや。打ち倒す」


 分厚い城壁は難しいが石壁なら素手で殴り砕く膂力と氣力を、刃を迎え撃っても折損しない特異な鉄棍に注ぎ、剛撃を真っ向から受け止められる人間だったからだ。

 薙ぐ戟と打ち下ろす棍、一度の邂逅で衝撃の波すら空気中に巻き起こす、呂布と同じ高みに在る武人だから、男は体勢を崩さずその頸も繋がっている。


 競り合いはせずに肘を支点に前腕を廻し、戟刃の裏側へ潜り込ませた棍で武器弾きを狙う燕来の技巧を、引きながら縦に立てた戟の柄で防いでみせる呂布。

 その柄を跳ね上げ棍を殴り弾けば、顔の横で鈍く輝く方天画戟があり――振り上げた刃は重風を纏い、先程の余波を斬り裂いて敵対者の脳天に落とされるのだが……それを赦す男ではなく、一合目とは逆に、呂布の打ち下ろしを燕来の薙ぐ棍が叩く。


 耳をつんざき腹に響く硬質な激動。

 三度、鋼と刃が噛みつくその姿を目にしてやっと、孫呉の若者――燕来についてきた騎兵――が、呆然とした様子で言葉を吐き出した。


「おい……嘘だろ。呼阮の旦那と打ち合って全く怯んでねえぞ……」

「……あれが飛将軍、呂布か」


 双方が馬上で上体をやや捻り打ち合ったこの三合が、たった一拍程度の間に行われた剣戟だと信じられた者は、目の前で実演を見せられた周囲ですら少数。


 馬に騎乗して操る馬術自体が特殊な技術の一種である以上、馬上槍――乗馬した状態での本格的な槍捌きがどれだけ高等技能かは誰もが理解するところであり、それを高い次元で修めていることは、優れた武人の代名詞になった。

 呂布と燕来が馬上槍を扱えるのは当然だが、その剣速が予想以上に速過ぎ、見るだけで疲れを覚え、一撃の重さに唾を飲まされるなど、両者の部下達は思っていなかった。飾らない言葉を使えば、"化け物の本気"が"化け物の本気"と正面衝突を起こした場合、此処までのものになるとは、未知故に計れなかったのだ。


「……は、ッ!」


 短い呼気が戟を奔らせ、三日月で断頭台を描く。

 周囲が奇妙な空白を挟んでいる間も、異端同士の殺し合いは全く休まずに続けられていた。いつでも頸を狙えると告げるように、呂布の持つ凶器は空から真横から、馬の鬣を剣風で逆立たせる豪速で致命的な部位を襲う。


 いずれも必殺の一刃に値したが、そのいずれも凄烈な一打で相殺された。

 しかしこれは、往々にして燕来が後手に回っている証。


 呂布の攻撃を相殺し、次撃が来る前に迎撃準備を完了させられる――いや、迎撃準備しか間に合わせられない。刃を合わせる度の衝撃に揺れる馬上で、体軸を乱さないよう反動を抑え込む、それに費やす刹那の抵抗が、紅眼の女より長いのだ、燕来は。


 呂布の攻勢は、初対面の頃より明らかに数段は上。

 彼女の斬撃と斬撃の接合時間は、彼のそれより短い。馬上槍では己が劣っている事実をはっきり認めた瞬間の悔しさを、燕来は暫く忘れられそうになかった。


「ち、ィ……埒があかねェ、なァ……!」


 悔しさと同時に格上と戦える嬉しさも覚えながら、男は現状打破を試みる。

 単純を装い複雑な連撃を行ってくる戟刃を撃ち返す際、可能な限りの最速最良で返し続けていたこれまでと異なり、敢えて遅速に落とし、その分だけ棍の角度を急にした。

 突如の変化にも呂布は動揺を見せず、だが皮一枚の遅れが次弾に影響する。その一枚が燕来の望んだ変化、その一瞬が次手の取っ掛かり。


 左手を武器から離すだけの時間が稼げた――即、棍を片手持ちに移行。

 心臓を抉りに閃耀する剛突を、多少体勢が崩れても無理矢理に払い除けた燕来、その左手は馬の鞍に掛けられ、瞬間に躍動した筋肉が腕力だけで身体を浮かす。折り曲げた左脚が鞍を蹴飛ばして膝伸ばし、――だン ッッ――男の巨体が乱暴に宙を舞った。


 そうなれば中てやすい(まと)だ、砕かれ落ちろと戟が一閃する。


「づァ ァァア ッ――!」


 食えば死ぬ一撃を、間一髪で両手持ちに戻した棍で逸らし、男は全霊で受け流す。

 当然だがそのような無茶をすれば衝撃を吸収しきれず、弾き飛ばされるのは彼にでも予想出来ていた。よって、結果的には吹き飛び落馬となるのだが……その、直前。


 燕来の右脚が中空で消える。

 ――高速で振り抜き、蹴り砕いたのだ。呂布の跨る馬、その首を。ぐしゃりと。


「あ、ッ……! おまえ……ッ、く……!」

「ッだ、ぐ……ッは、は!」


 背中から地に落ちた燕来は詰まる息を吐き出し、横転の勢いを利用して立ち上がり体の前で棍を斜めに構え……絶命した馬から咄嗟に飛び降りた呂布は長戟を中段に引き、目元に浮かべた静かな抗議で、鉄面皮に少しだけの皹を入れた。


「……馬を殺すな」

「悪ィ。真髄見せるために、仏ンなってもらった」


 右脚を後ろに引き、回転させた棍の杷段を左手で握り、梢段を右脇に挟む燕来。

 上段袈裟打ちと下回しの振り上げ、右中段の払い、左側面を奪う捌きと右捌きの下段打ち、等々五種類以上に攻防派生するこの構えは、馬上では精々が三種派生である。


 武器比較において、総合なら燕来の鉄棍"強示叫(きょうしきょう)"は、呂布の長戟"方天画戟"の性能に負けていなかった。武器本体の威力と鋭さは方天画戟に遅れをとるのだが、棍という得物はその端部――根元の太い部位と、先端のやや細められた部位――に差異が少なく左右両端が等しく攻防に使え、技を放てる。この利点は大きい。

 尤も、これは使い手が燕来であることを前提としての話だ。


 燕来は、利き腕ではない方の腕も利き腕と同様に動かせる――右利きだが左腕を中心に据えて使っても技量が落ちない鍛錬をこなしており、且つ、瞬時に状況を判断し左右の手と構えを即座に切り替える瞬発力と、斬鉄を免れるまでに圧縮された重量の鋼鉄棍を片腕で自在に振り回せる屈強を併せ持つに至っている。

 男性では珍しい内気功に長ける才を下地に、修練で武技を磨き上げた虎。それだけの男に揮われる故に、強示叫は方天画戟と遜色なしに張り合える。


「おまえが約束を守ったように、俺も言葉を違えていないと証明する」


 そして棍の優位性は、地に脚をつけ、存分に棍術の本領を発揮してこそ得られる。

 焼けた土を踏み締める燕来が、借りは返すと口角を吊り上げた。


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