十話:烈風
「こぉれの、どぉこがッ――弱小勢力やねん!」
「張遼将軍! 敵はまだ崩れません、回り込むのは……」
「わかっとるわ! しゃあない、崩れるまでかき回したる!」
兵数は自分達が勝り、また兵の質も勝っているのは自分達だと自負がある。しかし、兵を率いる将の質では分が悪い――その実感から、張遼は檄を飛ばし馬を走らせる。
驍将張遼率いる董卓軍張遼隊は、久方ぶりの強敵と矛を交えていた。
張遼――字は文遠、真名は霞。"神速"の誉れ高い将の名だ。
群青の外套を羽織り、サラシ一枚胸に巻き、袴姿で馬を駆る女は目立ちに目立つが、張遼の真価は外見の派手さなどとは勿論違う。通り名そのもの、神かと慄く速度の巧みな用兵術こそ、紫髪碧眼の彼女が驍将と呼ばれる所以である。
「ったく……こない苦労せなあかんのも、華雄隊のアホのおかげやで」
汜水関を出る原因となった仲間――分断され、敵の思惑通りに孫策と戦っている華雄隊の兵士達に、独特の鈍り言葉で毒づく張遼の表情は苦々しい。
関羽や張飛にどれだけ罵倒されても必死で華雄を宥めた張遼の努力を、一瞬で無駄にされた怒りがまだ晴れないのか、彼女の口調は棘だらけであった。
孫策の罵倒にも耐えさせたまでは良かった。が、孫策のみならず劉備までもが無造作に関へ兵を寄せてきた光景に、華雄よりもその部下が爆発してしまった。
報告に来た部下を皮切りに、出撃許可を華雄に求める声がそこかしこから。
「華雄将軍! 戯れ言を吐き出すあの口を動かなくさせてやりましょう!」
「最強の将軍に率いられし我等、弱兵何するものぞ!」
「――よくぞ言った、おまえ達。華雄隊、出陣する!」
このような流れで、将と同じく武に誇りある兵士達に出撃を煽られた華雄は、驍将の言葉でも抑えきれない出撃意思を持ってしまった。汜水関を抜けた先にある、最後の砦たる虎牢関で戦備中の賈駆に伝令を送り、汜水関はもたないと連絡させつつ張遼自身も出陣するしかなかったのだ。
劉備軍と孫策軍の挟撃を受けてしまいかねない華雄を、見捨てることは出来ない……その判断が吉と出るか凶と出るか。
一心に孫策を追っていった華雄との合流は叶わず、分断を狙って動いた劉備軍と対決の様相となった張遼隊――そして冒頭、現在となる。
破竹の勢いで成り上がろうと、兵数や領地の規模で見れば弱小勢力と呼ばれても仕方無い劉備軍。が、二人の優秀な将が率いる軍勢の戦闘力に関しては、弱小などとは絶対に言えぬ高さがあると張遼は実感した。
「ウチと違う張の旗もえらいやれるが……あの黒髪美人はたまらんなぁ」
神速を誇る張遼隊の行動で起こされる兵の混乱を、その度に僅かな時間で整え、大抵の動きに対応してくる関旗の将は、完全に張遼の予想の上を行った。
元より敵に起きるはずの混乱が少なく、それだけであの武将の統率力が尋常ではないと分かるが、将本人の武力も高いのだからたまったものではない。
それでも押しているのは張遼隊なあたり、驍将の名は伊達では無いのだが、これでは暫く華雄隊との合流は難しいだろう。まずはこの相手を崩すことだけに集中しなければ自分達の身が危ない――張遼はそう判断した。
「別嬪で格好ええ……関羽、言うたか。武器もウチのと似とったし、名ぁ覚えとくで。旗文字同じの張飛もや……せやからな?」
劉備の双刀の名、その噂をどうにか思い出し張遼は独白。兵馬と刃矢の海泳ぎ、怒号の中で健在な関旗をねめつけ、偃月刀――赤い長柄の先に湾曲した幅広の刃を持つその愛刀を振り上げる。刃に描かれた飛龍は、既に血塗られ赤龍と化けた。
「アンタらもウチの名ァ、よお刻んどきぃやッ!」
騎馬隊を生き物の如く操り、疾駆する碧眼の女傑は神速。
砂で汚れた唇を舐め、張文遠は風となる。荒び斬り裂く烈風に。
**********
「流石に賊とは格が違わァな」
「ええ。うちの突撃喰らっても屈してねえです」
弓兵を騎馬の脚で踏み潰しながら、燕来隊副官を務める男――冀州黄巾党戦では伯長の一人だった彼――は、隊長の独り言に同意を繋げた。距離をとって矢を番えんとするもう一人の敵兵に槍を投げつけ、腰の刀を抜きながら周囲の掃討を確認する。
振り下ろす鉄棍で敵兵の頭蓋を武器ごと叩き潰した燕来と共に、今しがた走り抜けてきた華雄隊前線を振り返る副官の表情は険しく、されど眼だけが笑っていた。
「後曲にまで突っ切れなかったのも、向こうが猛者の証拠ですかねぃ」
「傷口と切欠は作った。欲張るのはもう少し先だ」
燕来達にとっての向こう――華雄隊の士気保持力は高かった。足止めを喰らった状態で燕来隊の強烈な突撃を受け、騎兵に突き抜けられて陣形を乱されたにもかかわらず、今も孫呉の圧迫に抵抗し続ける彼等の士気は挫けていない。
黄巾党と比べるのは失礼で、孫呉の兵と比べても一切劣らぬものだった。異民族相手に潜り抜けてきた戦で、現在と同じような苦境を味わったことがある故に、多少劣勢になったら即退避、なんて不様とは縁が無い。
しかしそれでも、華雄隊と孫呉の違いは大きい。
華雄は確かに猛将にして良将だが、配下の将の厚みが呉と比べるに程遠いことは事実であった。兵数に勝る張遼隊が劉備軍を落とせない理由と同じだ。
更に軍師の存在がある。孫策軍では、自軍将兵の能力を深く理解している軍師二人が絵図を描き、また彼女達自らが一部の指揮を執っていたが、対する華雄隊には目覚しいと言えるほどの知謀の徒は見当たらず、大将の気質もあって攻撃一辺倒だった。
そしてその攻撃一辺倒が、今回の孫呉相手では下策になる。
あくまで客将の孫策軍が大規模な演習を多数行なうことは難しいが、日頃の調練では紅白戦を何度も行なえている。そこで燕来が紅組に所属した場合、当然だが白組の防衛は燕来率いる突撃隊を防ぐかいなすかすることになるのだ。
つまるところ、孫呉の兵士は、華雄隊以上の突破力を日常的に相手としている。
「歩兵は陣を乱さず列を組み、槍を突き出し迎撃しろ。その背に護る弓兵に、敵軍騎兵を届かせなければいいだけの簡単な仕事だ。呼阮を防ぐよりは楽だろう?」
「いいですかぁ、私の合図で奥を押さえますよぉ。さーん、にぃ……」
右翼を指揮しながら周瑜が告げた通り、呉の精兵は破壊力に慣れていた。兵数に多少の差があってもこれくらい耐えきってやると、じりじり前進しながら笑ってみせた。
それを予想していた陸遜が、己の隊を柔軟に動かし追随する。
堅固に護りつつ矢を降らす周瑜隊と、その補佐を的確に行なう陸遜隊は簡単に抜ける壁では無い。その後、瞬発力の高い甘寧隊と周泰隊が穴を見つけては深く穿ち、両翼の背後から遊撃を慣行――これに対応出来る優秀な将が、華雄配下には少なかった。
突破に長けた燕来が突撃で蒔いた種を、堅固な周瑜、柔軟な陸遜、激流の如き甘寧と電光石火の周泰……それらの将が育て、華雄隊に赤い実を――出血を生ませる。
機を伺い敏に動くため、戦況の推移を把握せんとしていた燕来に、慌てた様子で部下が近づいてきたのは、熟れた赤い実が戦場の半ばを染めた頃だった。
「た、隊長! 孫策様が――」
「いたいた。呼阮、顔貸して」
「ぬ……意地の悪そうな顔してンぞ、伯符。どうした」
「ぶーぶー。失礼ねぇ、極上の微笑みと言いなさいよ」
剣刃を赤黒く染めた愛剣――南海覇王の銘を持つ両刃剣をぶらさげた孫策は、本人に曰く美しい微笑、客観的なら闘争本能に満ちた笑顔で燕来を手招いた。
馬頭を一撫でして男が近づけば、馬上の王は招き手で前線を指差し。
「私、華雄の顔が見たいな」
「……おまえなァ……くは、ッは」
「ちょーっと前線潰してくれるだけでいいから」
街の市場で美味い酒買ってこい、と頼むような気軽さの孫策だった。その口調に、眉を顰め諌めるのを忘れ、思わず小さく笑いを零してしまう燕来。
彼は顎に手を当て視線を僅か下に向ける。考え込む時の癖だ。
戦勢は孫策軍側に傾き、華雄が何らかの手を打たない限りは孫呉が押し込んで勝利に向かう流れである。この状況で華雄隊が奮闘し逆撃を起こさないとも言い切れないが、今回の戦闘が野戦で始まった瞬間、大局は決していた。
そうであるのに、態々燕来を使ってまで華雄の顔が見たいだのと孫策が言い出した。その理由は……本当にただ顔を拝んでやろうというだけかもしれないが、そう考えるにはどことなく腑に落ちない。
孫策という女は五割、もしかすると七割方は勘で動いているが、その行動が無意味であったことは皆無なのだ。特に戦場では、恐ろしいまでに冴える勘がほぼ間違いなく益を掴む。これまで常に掴んできた。
彼女のそれは一種の超感覚で、合理的な手を鼻で笑ってしまえる本能的な感性だが、経験や洞察力による無意識的な状況認識が含まれていると燕来は感じていた。
「伯符の勘が、今やれと言っているわけか」
「そ。やっぱりこういう勘に関しては、武人の方が理解が早くて良いわ」
「部隊はどうする。俺の隊だけ突撃、で良いのか?」
事前の作戦案では、孫策が直接率いる兵士は自身の親衛隊だけで、甘寧と周泰に指示を出しながら全体の指揮を執る役目だった。言わば今回の孫策は指導役である。
連合での戦を、甘寧や周泰といった孫呉内では若手と見られる将の修練の場にする。王と参謀はそう決めて、多大な経験を積ませやすい配置に若手を送った。
自分の隊だけで、と燕来が尋ねた理由はそういった背景からだったのだが、孫策の首は横に振られた。そのまま、燕来から彼の副官へと視線を送る。
「今なら、燕来隊の指揮はこの子に頼んでも大丈夫。だから呼阮、あなた一人で突撃」
「……あァ!?」
呉王から直接指名され慌てる副官をよそに、こいつは何を言っているのか、という顔の燕来が孫策に聞き返す。確かに彼女は、燕来一人で突撃しろとそう言った――前線を潰す目的を独りで果たせとそう言った。聞き間違いかと思う内容は間違いではない。
何故なら孫策の笑み、ケダモノでなく獣のそれで、眼光が本気を宿している。
「言い方を変えましょうか……呼阮、"一人でやっていいわ"」
「ッ――――」
燕来は、開くはずだった口を一言で止められた。
「精強な董卓軍華雄隊の前線を、一人で崩しにかかり戦果を挙げる……そんな将こそ、虎牢関の、呂布への呼び水には相応しいと思わない?」
「……呂布と対峙する大役なのだから、汜水関では力をやや抑えておけと。公瑾殿からそう言われたこと、伯符も聞いていただろうが」
「戦前は戦前、今は今。華雄に噛み付く程度の仕事で、呂布と戦えるだけの体力を全て使いきってしまう器じゃないでしょ、あなた」
重く言葉を発する燕来に対し、挑発的な物言いのまま孫策は笑う。
「思春と明命は問題無くやれてるからこの戦は孫呉の勝ちで、場数を踏ませるっていう目的も達成。でも、このまま終わったら物足りないの……張遼と合流される前に、華雄に大きな土産を渡してやる。今代孫家も怖いってこと、刻み付けてやらなくちゃ」
本当は私が自分で突撃したいんだけどね――と、そこで女は言葉を切り馬首を返す。棍を握る男の分厚い右手に力が篭ったのを視認したからだ。首を回し目を細め、鉄の楔を投入する場所を見定める。
口調と表情を、奔放な孫伯符から呉王孫策に切り替え、王命を下す。
「おまえは隊の指揮を継げ。呼阮が暴れだしたら、その喰い残しを掃除しろ」
「は……はッ! 御意でさぁ!」
「伝令! 周瑜、陸遜、甘寧、周泰、それらの将に伝えよ。中央を荒らす、と」
「は、お伝えします!」
燕来隊の副官がやや堅いながらも頷き、伝令役数名が馬を駆るのを見届けた孫策は、会話の途中から閉じられていた燕来の瞼を開かせる覇言、厳かに発す。
「行くぞ、呼阮。――我が剣が示す先を、砕け」
揺らしていた南海覇王を、孫策は真っ直ぐに突きつけた。
剣先を追った燕来は、その先に劣勢ながらも前線を維持し、持ちこたえている華雄隊の奮闘を見る。眼に焼きつけ、――バリッッッ――奥歯を噛み鳴らした。
「つくづく……つくづく、伯符の勘を面白がったあの日の俺を褒めてやりてェわ」
髪の毛一本たりとも視界を遮らぬよう、額に布をきつく巻きつけ。
「勘で戦勢を見極めたから、指揮なんか放棄して将一人で貫いてこいだと? それが王の言葉か、狂ってやがる。戦狂いのひとでなしが」
鼻鳴らす馬の手綱を握りもせず、右手で高く構えた棍で陽射を跳ね返し、その黒い鋼を燕来、眼前で一振り薙ぐと、跨る者の意志を感じ取った馬が走り出す。
「伯符よ、おまえは最悪だ。最悪すぎて、燕来との相性が最高だ」
黒瞳の瞳孔が開いた。
「燕呼阮。――王命、確かにッ、承るッッ!」
孫策の横を駆け抜ける男は、歯茎まで剥き出しにして凶悪に吼える。
突撃する熱気が通っていったはず、なのに。近くに居た兵士達は例えようのない寒気を感じていた。孫策だけが、血臭の前兆に頬をひくつかせた。
「鎖の半分、千切らせちゃった……ッあはははぁ! あはは、あッはぁはははぁ!」
凶貌の将、哄笑する王。
将は走り、王はその後をゆるゆると追っていく。
普通であれば兵達は将と主君の狂態に気味の悪さを感じるところだが、呉王の親衛隊は久々なれどまたいつもの病気かと嘆息し、烈将の配下は彼と一緒に行けぬことを残念に思った。感じる寒々しさが消えておらずとも、己が主への信頼感は変わらない。
片や主君を護るため、片や隊長の討ち漏らしを片付けるため、王に続いた。
彼等が行き先を見失うことは無かった。
人間が打ち上げられていく場所に向かうだけで良いからだ。
「くッ……潰されるな、怯むな、我等は華雄隊ぞ!」
前線を率いる士官の叫びに兵が力強く応えるも、華雄隊はその攻撃的な地力を上手く発揮することが出来ずにいた。乱された陣形を修復して再突撃するには、一度は下がる必要があったのだが、その猶予を孫策軍から奪うことが出来ずに混戦にされてしまい、攻守の割合が逆転した故に。
出撃当初は三万を越えていた華雄隊も、数千の損害を出した今では総兵数が孫呉以下に減ってしまっていた。各指揮官は頭の片隅で退く際の行動を考えつつも、それを表には出さずに戦線を維持しようと躍起になっていたくらいである。
その甲斐あって、地力は出せずも兵達は未だ粘り強く戦っていた。
嗚呼、確かに戦えていたのだ、倒れなかったのだ――その時までは。
彼等の終わりの始まりは、大空を舞う同僚の姿を目にしたその時だった。頭上高くの蒼天を、仲間の死体が幾つも幾つも通過していった、その時。
「……あ?」
どさり、十人が仰向けに倒れ、五人がうつ伏せに落下。七人は上半身が捻じ曲がり、その全てが、彼等がいつかどこかで見たような死体だった。
どさり、どさり、どさり。どさり。ぐちゃ。ごぎン。ぐしゃり。
吹き飛ばされ死んでいく仲間の数が百を越え、彼等は自分達に今何が起きているのか理解した。蹴散らす、と言う範疇ではない。蹂躙されている。
人知では計れぬ何かに暴れられたような現実――と認識したことで気付く。
「呂布将軍か!? 何故敵の中に居る! いや、あのお方が寝返ることなど……」
どこかで見たような死に様――無数の人間が塵か屑の如く吹き飛ばされる姿は、今日までの戦場で呂布が賊徒や黄巾党などの敵へ与えてきたものに酷似していると、華雄隊の将兵は皆が思い出した。される側に回る恐怖と共に。
呂布は虎牢関の守備を担当しているはずで、離反以前に関を抜け出した報すらこちらには届いていない。華雄隊は大混乱に陥った。
そして新たに上がる鬨の声、中央に幾本も掲げられる旗――焼土の燕旗。
華雄隊にとってその旗は、先だって自軍を突き抜けていった突風を示す旗だった。名も知らぬ将の地味な旗にしては強い、そう思った旗だった。
「誰だ、燕旗の将なのか!? 誰が"あれ"をやっている!? ――伝令ッ! 華雄将軍に前線が崩れると伝えよ! 燕旗の下に、孫家の飛将軍が居ると!」
「は、はいッ!」
飛将軍・呂奉先の武威がどれほどか、間近で見てきた董卓軍はよく知っている。攻撃を防ごうとすれば死に、数で潰そうとすれば全て殺される。
黄巾の乱において、掛け値無しに呂布一人で一軍に匹敵すると実証されている。あれと同じことがやれる者をこの状況で投入されたのならば、前線は確実に潰されると判断した彼は将として正しかった。
対策を打つには盤面が進みすぎたが、今まで奮闘していた兵のおかげで、後曲の華雄が退却する程度の時間は稼げるはずだった。後は張遼と上手く合流し、虎牢関にて雪辱を果たして欲しい――最前線を率いる男はそう願った。大柄な体躯に決意を秘め、自慢の髭を撫でる手癖で己を落ち着かせる。
馬鹿らしいことなのだが、華雄隊の兵士がどのあたりから吹き飛ばされているのかを見ていれば、燕旗の将の位置と進軍方向、速度がわかってしまう。じきに来る。
そんな彼の予想を違えることなく、呉の飛将――燕来が彼の視界に映った。
突入時、空から初撃を振り下ろすために飛び降りた馬は既に後続が拾っており、適度に軽装化した黒鎧に包んだ身ひとつで地を走る燕来。鉄棍を武器に暴れるその怪物が、女でなく男であることを意外に思いつつも、前線指揮官は叫び問う。
「貴様が、孫家の飛将軍か!?」
「しィ……ッふ、はァ……ああ、ああ、随分な褒め言葉じゃねェか。そうか、俺はあれに例えられるくれェのことがやれてンのか、嬉しいなおい。嬉しいなァおォい!」
ごッ がンッッ――左から右へ大きく薙ぐ鉄棍で、密集していた十数人を打ち殺し、歩幅を広くとる踏み込みから黒い落雷と見紛う打ち下ろしに繋げ、地面ごと進路上の兵を全て砕き殺し燕来は返答。その有様に、迎え撃つ側の男は納得し諦観した。
同じ人間とは信じ難い、生物としての格が違うと思わされるこの感覚……彼はそれを一度味わっていた。その時は仲間側から見た感想であったが、二度目の今回は敵だ、死を覚悟しても口は抗った。
「儂は例えが下手なのでな。実際は貴様など、我等の飛将軍には遠く及ばんわ!」
「そうであれば尚ッ嬉しいなァァァアアア!?」
指揮官が剣を振り上げるより速く、その頸に燕来は致死の一撃を突き込んだ。血の泡を吹き黄泉路に向かう彼を切欠に崩壊を始めた最前線を突っ切る。
背後からは孫策達や燕来隊の馬蹄が作る地鳴りが響くも気にとめず、漆黒の華一文字を真っ直ぐ目指す。走って殺し、跳ねて殺し、荒げて殺す。
張遼が切り裂く烈風ならば、燕来は打ち叩く烈風であった。
戦場に吹き荒れる風は、まだ止まない。
**********
「あれはあかん……ホンマにあれはあかんで。生きとけよ華雄ゥ!」
劉備軍をどうにか振り切り、隊の半数以上に一足早く退却を命じた張遼は、残り半数の部下――騎馬のみを率い、主戦場を迂回しながら馬を急がせていた。
関羽と張飛は、張遼が拍手を送りたくなるほど優秀な武将で、必ずや大陸に名を残す者達だと彼女には思えた……尤も、己が劣るつもりも無かったが。
華雄が砦を出た時点でいずれ汜水関は落とされると予想していた張遼は、この好敵手達と全力で鎬を削る戦場を虎牢関に定め、この場では一旦連合軍――劉備軍と孫策軍を押し返し華雄隊を救う方向性に決めていた。故の退却、合流狙い。
張遼ほどの将が本気で退路を開くことに徹すれば、事は難題ではなくなる。
頃合を見計らったそれを成功させ、どうやら劣勢にされだした砂塵上がる華雄隊の元へ駆けつけんとする最中、張遼もまた華雄隊の兵士と同じものを目撃した。
即ち、兵士が次々に空へ打ち上げられ、焦燥と混乱を招いた光景である。
「恋が二人おったなんて思いたないんやけどなァ……見えたッ! 華雄!」
張遼が目的の人物と顔を合わせた時、銀紫の鎧を纏った銀髪茶瞳の長身女性――華雄はまだ無事であった。今回は大将よりも早まった配下の将が前線を率いていたことが、彼女にとっては幸運で、隊にとっては不幸だった。
大抵の戦で先陣を切る華雄だけに、生存よりも死亡の確率が高いと読んでいた張遼は胸を撫で下ろし、ひとまずの息を吐く。だが。
「張遼!? 劉備を抜いてきたのか! よし、おまえがいればまだ……」
「だァ、このドアホゥ! 退かんかったら死ぬわ! はよせいッ!」
「張遼将軍の仰る通りです、お早く! 前線は壊されました!」
「ぐッ、だが奴を、あの燕旗を討ち取れば……がああ、くそッ! 忌々しい孫家め!」
継戦の意を告げる華雄に張遼が怒鳴れば、華雄の部下も切羽詰った表情で声色に焦りを乗せて肯定を示す。こうして喋っている暇も惜しいといった感じだ。
仕方なし、といった口ぶりで退却の銅鑼を鳴らすよう命じる華雄。その顔には、孫家に二代続けてしてやられた事実に、歯がゆさと屈辱が苦味走っていた。
「虎牢関では負けんぞ……孫策、それに燕旗の将!」
「そうや、そうしとき。――それでな、その燕の旗や。なぁ、おまえんとこの兵に集団で空中遊泳させとる奴は一体誰やねん? あんな真似出来るんは恋だけやぞ」
「知らんッ! 知っていたら私が前線を率いていたわ!」
「乾坤一擲の初撃だけならまだ納得出来たわ。せやけど今も続いとるし……」
響き渡る銅鑼と走り回る伝令が退却を促し、後退を始める華雄隊は最早壊走の態か。伝令が行き渡ったことを知らせに戻った兵士に、彼が前線で見聞きしてきたことを報告させながら、張遼と華雄は汜水関へ――その先の虎牢関へと馬を返す。
今にも迫る武、暴力の極みで以て戦に異常を持ち込んだ者は、燕旗を掲げる将。
孫家の牙門旗から、まるで突き出る槍のように真っ直ぐと突き進み、個人の武威だけで中央戦線を滅茶苦茶にしたのだと、伝令兵は青い顔で張遼達に語った
前線に再び出てきた孫策が燕来に指示し、張り上げさせたその名乗りを、伝令兵の彼が一語一句間違えずに覚えていたのは、衝撃が強すぎたからだ。
「孫呉の大牙、燕呼阮ッ! 燕来歩めば敵は等しく塵と知れッ!」
華雄の顔は拝むに至らずも、誇張を事実に変えた武名が此度の戦功。
先鋒と救援だけで難関を落とした事実と合わせて相応に満足した孫策は、獰猛な虎眼の微笑を浮かべていた。
黒鉄の凶器を数多の血に染め叫ぶ燕来、その背に向けて、凄烈に。
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「名乗りって無茶苦茶恥ずかしいなこれェ……」
「武人は慣れなくちゃいけませんぜ」
総じて武人は厨二病だったと、後世の書に記されたとか何とか。