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治療完了、目をさますよ 作者:天寧霧佳

【2】 十番目の子供

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第6話 食肉マーケット

【あらすじ】
ナンバーテンとの接触により、異様な夢を繰り返し見るようになった汀。
不安定な彼女は、圭介に当たり散らしてしまいます。

英国の皇族の治療を依頼される圭介。
理緒を伴い、ダイブさせられた汀達が見たものは、DIDで分裂した精神の狂気の世界だった……。

【登場人物】
高畑汀たかはたみぎわ
  半身不随の少女。左腕も動かず、寝たきりの生活を送っている。13歳。
  マインドスイーパーとしてとても高い能力を持っている。
高畑圭介たかはたけいすけ
  汀の主治医。とても冷酷で冷静な物言いをする。
大河内裕也おおこうちゆうや
  赤十字病院の医師。
小白こはく
  汀が拾った小さな猫。白い。マインドスイーパーの力がある。
片平理緒かたひらりお
  赤十字病院所属のA級マインドスイーパー。精神の中核を触れる。
この幸せがずっと続くと思っていた。
何とはなしに、この楽しい時間がずっと続くと、ただそう思っていた。
たとえそれが、与えられて、何者かに造られた記憶であっても、それが真実だと思い込もうとしていた。

「いつか僕らは、離れ離れになるよ」

一面のクローバーの花が広がる平野で、円になって寝転んでいた少年の一人が口を開いた。
彼は手に沢山クローバーを持って、何かを作っている。

「どうしてそんな悲しいことを言うの?」

私は、彼にそう聞いた。
彼――いっくんは、淡々とそれに答えた。

「だって、ここは現実じゃないもん」
「ここが現実じゃないって、誰が決めたんだよ」

私の隣にいた少年――たーくんが、口を尖らせてそう言う。

「誰が決めたんじゃなくても、夢は夢さ。現実じゃない。現実は、もっとこう……ドロドロしててさ。もっと汚いところだろ?」

いっくんがそう言う。
そこで、たーくんの隣に寝転んでいたみっちゃんが口を開いた。

「そうだね。いっくんの言うとおりだと思うよ」
「みっちゃんはいっくんの肩ばっかり持つよな」

たーくんが呆れたように言う。
私達の髪の毛は、みんな同じ様に灰色になりかかっていた。
色素が抜けてきているのだ。
私は、一面のクローバーの香りを吸い込んで、そして呟いた。

「でも、ここが現実じゃなくても。私はここの方がいいな」
「どうして? 現実じゃないのに」

いっくんがそう言う。

「だって、みんながいるもん」

私がそう言うと、いっくんは小さく笑って、そして立ち上がり、手の中のものを、私の頭に被せた。
そしてみっちゃんの頭にも、同じように被せる。
それは、沢山のクローバーで編んだカチューシャだった。

「あ……ありがとう……」

みっちゃんの顔は真っ赤だ。
いっくんは、私達にも立つように促して、そしてしゃがんで一つ、クローバーを取った。
それを顔の前に持ってきて、くるくると回す。
四葉のクローバーだった。

「じゃあ、約束しようよ。もし僕達が離れ離れになったとしてもこの四つ葉のクローバーの葉を、一つずつ持って、ここに帰って来るって」

いっくんは、クローバーの葉をむしると、私達に一枚ずつ渡した。

「そして、また一緒に遊ぼう」

彼は、にっこりと笑って、続けた。

「約束だよ。忘れないでね。みっちゃん。たーくん……なぎさちゃん」



汀は目を覚ました。
体中、汗でドロドロだった。
荒く息をつきながら、ベッド脇の電灯をつけ、手の平を広げて見つめる。
そこには、夢の中のいっくんに渡された四葉のクローバーの欠片は、存在しなかった。

「夢……」

小さく呟いて、ため息をつく。
額の汗を拭って、脇に寝ている小さな猫、小白の頭を撫でる。
そして、彼女は水差しからコップに水を注いで、口に運んだ。



「今度の患者だ」

圭介がそう言って、薄い資料を汀の前に放る。

「また、赤十字との共同作戦になる。一応目を通しておいてくれ」

しかし汀に反応はなかった。
ぼんやりと資料を見つめ、口を半開きにして、うとうとしている。

「汀」

呼ばれて、彼女は、ハッとしてとろとろと圭介を見た。

「…………何?」
「クスリも飲んでないのに、寝るなよ。それに、これから出かける予定なんだ」
「どこに?」
「赤十字病院だ」
「……今日は行かない」

汀はプイと横を向くと、眠っている小白の方に頭を向けて、ベッドに横になってしまった。

「どうした? 具合が悪いのか?」
「うん」
「大河内も来るらしいが」
「行かない」

頑なにそう主張する汀に、圭介はため息をついた。

「……具体的にどこが悪いんだ? お腹か? 手が痛いのか?」
「頭が痛い」

弱弱しくそう呟いた汀の額に手を当て、圭介は顔をしかめた。
そして、汀の毛布を剥がし、彼女を仰向けに寝かせる。

「何だ……熱があるな。どうして起きた時俺に言わなかった?」
「…………眠い。寝ていい?」
「駄目だ、ちょっと我慢しろ」
「……うん……」

圭介はそう言うと、点滴を外し、汗で濡れた汀の服を、手馴れた動作で着替えさせ始めた。

「今日は、これじゃダイブは出来そうにもないな……」

小さく呟いた彼に

「出来ないよ……頭が動かない」

と言い、汀はおとなしくモゾモゾと圭介の差し出したキャミソールを被った。

「仕方ない。しばらく仕事はキャンセルだ。今クスリをもってくるから、おとなしくしてろ」
「うん……」

キャミソールを右手だけで着ながら、汀はまた横になった。
圭介がそこに毛布をかけてやる。
そして彼は体温計を彼女の口にくわえさせ、早足に部屋を出て行った。

――なぎさちゃん。

呼びかけた、夢の中の少年の顔が汀の頭にフラッシュバックする。

――約束だよ。

少年が笑う。

――僕と、君だけの約束。

汀は目を閉じ、苦しそうにその場に丸くなった。
頭がガンガンと、内側から金槌で叩かれているように痛い。

――僕らは、ずっと……。

凄まじい耳鳴りが彼女を襲った。

「来ないで!」

汀は、耳を塞いで叫んだ。
夢の中の少年は、しかし笑いながら、近づいてくる。
手を伸ばし、微笑む。

「こっち来ないで! やだ! やだぁ!」

首を振って怒鳴る。
男の子は、伸ばした手を開いた。
そこの上に乗っていたものは……。

「汀!」

圭介に耳元で怒鳴られ、汀はハッ、と目を開けた。
耳鳴りと強烈な頭痛は、いつの間にか消えていた。
代わりに、倦怠感と熱による頭の疼きが、じわじわとのぼってくる。
汀は荒く息をつきながら、目を剥いて圭介を見た。

「どうした? 寝るなと言っただろ。クスリを持ってきた。注射してやるから、もう少し我慢しろ」
「圭介」

汀はそう言って、右手で圭介の手を掴んだ。
痩せた彼女の手は、叩いただけで折れてしまいそうだった。

「私、最近おかしいよ。どうしていいか、分からないよ」
「出し抜けに何だ? ただの夏風邪だろ」
「なぎさって誰!」

そう叫んで、汀は圭介の手を強く引いた。

「誰なの? 私の頭の中に、私じゃない私がいる! 圭介、怖いよ。どうにかしてよ!」
「落ち着け。それは夢だと、前に言っただろ。それ以上でもそれ以下でもない」
「でも……でも!」
「なぎさなんて人間はいない。お前は汀だ」

圭介はそう言うと、汀の手を握り、落ちている体温計を拾った。

「汀。大事なのは、お前が誰かを助けたいと思う気持ちだ。違うか?」

冷静にそう言われ、汀は答えた。

「何を言ってるのか分からないよ! 話をすり替えないで!」
「すり替えてなんていないさ。はっきり言おう。お前、クスリの投与と、複数の患者へのダイブの影響で、記憶が混濁してるんだ。多分、それはお前が頭の中で勝手に作った幻想だ」
「幻想? 違うよ! だって、私、こんなにはっきりと……」
「幻想だ」

もう一度繰り返し、圭介ははっきりと汀の顔を見た。

「俺の言うことが信用できないのか?」

問いかけられて、汀は一瞬押し黙った。

そして下を向いて、小さく呟く。

「でも……」
「でも、じゃない。俺が幻想だと言ったら、それは幻想なんだ。現実じゃない。第一、お前は俺の親戚だと、前に言っただろう。お前は産まれた時から、高畑汀だ」
「じゃあ、じゃあ圭介はどうして、私のお父さんとお母さんの話をしないの? どうして?」

汀に食い下がられて、圭介は苦そうな顔をした。
そして彼女の腕に点滴の針を刺しながら、息をつく。

「前にも言っただろう。お前の親は、お前に話すに値しないって」
「意味が分からないよ! はっきり言って!」
「何を興奮してるんだ」
「もういい! 圭介の馬鹿!」

怒鳴って、汀は点滴を刺そうとしている圭介の手を振り払い、腕に刺さっていた別の点滴を、乱暴にむしりとった。

「出てって! ここから出てって!」

悲鳴のように絶叫して、手元にあったテディベアの人形などを圭介に投げつける。
圭介は呆れたようにそれを体に受けていたが、枕が顔に当たり、メガネが床に落ちたところで、足を踏み出した。
汀は涙でぐしゃぐしゃの顔で圭介を見ていたが、彼が形容しがたい、どこか辛そうな顔をしているのを見て動きを止めた。

「分かった。出て行くよ」

圭介はそう言うと、汀の脇にしゃがみこんで、また点滴を腕に刺した。
そしてメガネを拾い上げる。
彼は、黙ってそっぽを向いている汀に構わず、ポケットから出した金色の液体が入った注射器を、点滴の注入口に差し込んで、中身を流し込んだ。

「これを飲め。置いておくからな」

そう言って、圭介は大きな錠剤を何粒かベッド脇に置いて、白衣のポケットに手を突っ込んで部屋を出て行った。
汀はしばらく荒く息をついていたが、やがて圭介が置いていった薬を掴んで、無言でドアに向かって投げつけた。
彼女の剣幕に恐れをなしたのか、小白がケージの方まで避難して目を丸くしている。
汀は手で涙を拭うと、緩慢とした動作でベッドに横になった。



『やってくれたな……完全にうちの姫は反抗期だ』

携帯電話の向こうから、圭介の苦い声を聞いて、大河内は椅子をキィ、と鳴らして少し回転させると、含みを込めて笑った。

「はは、私が何をしたと言うんだ?」
『とぼけるなよ、外道が』
「言いがかりはよしてもらおう。だが高畑、これで良く分かっただろう」

大河内は自分の医務室の中を見回して、息を吐いた。

「人間の記憶を完全に消すと言うのは無理だ。そんな鬼畜の所業は、技が認めても神は認めんさ」
『生憎と俺は無神論者でね』
「気が合わんな。今度お前と、カトリックとプロテスタントの合判性について、議論をしたいと思っていたところなんだが」
『御免こうむる』
「つれんな」

大河内は喋りながら、目の前に座っている人物を見た。
病院内だというのに、タバコの煙をくゆらせている彼……男性は、メガネの奥の瞳をやけに光らせながら、大河内を凝視していた。
表情は変わらない。
無表情のままだ。

『重ねて言うが、外道と取引をするつもりはない。汀は俺のものだ』
「どうかな」

大河内は、柔和な表情で、電話の向こうに対してにぃ、と笑った。

「いずれ汀ちゃんは取り戻す。必ずだ」
『強気だな』
「お前にどんなスポンサーがいるのか分からんが、私にもそれは同様でね」
『へぇ、興味はないが』

そう言って、圭介は一拍置いた。
そして低い声で続ける。

『これ以上汀を刺激するなら、こちらにも考えがある』
「……脅しか?」
『それ以外の何かに聞こえたなら、きっとそれなんだろう』

電話の向こうで醜悪に笑い、彼は続けた。

『世の中には、親切な人が沢山いるからな』

プツリ、と音がして電話が切れた。
今までの会話は、全てフリーハンドで周囲にも聞こえるように流されていたのだった。
携帯電話をポケットにしまった大河内に、タバコの煙を吐き出した男性が口を開いた。

「……その様子だと、まだ、のようだな」
「…………」

無言を返した大河内に、男は続けた。

「大河内君。『機関』としても、これ以上の干渉は望ましくない、と考えている」
「承知しております」

頷いた大河内を見て、男はタバコを灰皿に押し付け、火を消してから立ち上がった。

「ナンバーズの回収を急ぎたまえ。君の将来と、現在と、過去のためにもな」

言い捨てて、男はかばんを持ち、ハットを被ってから一言付け加えた。

「あぁそれと、その高畑とかいう男」
「…………」
「やはり、正規の医師ではない。元老院が庇っているので、詳しい調査は続行できなかった……が、それだけは伝えておこう」

男が、早足で医務室を出て行く。
大河内は換気扇のスイッチを入れて回すと冷蔵庫からコーヒーの缶を取り出して、プルトップを空けた。

「知ってるよ……」

その呟きは、換気扇の音にまぎれて消えた。



汀の体調が回復したのは、それから一週間経ってのことだった。
しかし、いまだ微熱が続いている。
圭介は自分と話そうとしない汀の車椅子を押して、赤十字病院の廊下を歩いていた。
汀は、意識が朦朧としているのに加え、質問をのらりくらりとかわそうとする圭介に、苛立ちを覚えていた。
いや、何より苛立ちを覚えていたのは、意味不明な夢を繰り返し見てしまう自分自身についてのことだった。
その不安と憤りが、一番身近にいる圭介に当たっているだけなのだ。
ここまで連れてくるのにも一苦労した圭介は、大汗をかきながら会議室に足を踏み入れた。
中には子供一人しかいない。
そこで汀は、椅子に座って折り紙を折っていた女の子に目を留めた。

「理緒ちゃん……?」

自信がなさそうにそう呼びかけると、女の子は汀を見て、パァ、と顔を明るくした。
赤十字のA級マインドスイーパー、片平理緒だった。
彼女が立ち上がって、足早に近づく。

「汀ちゃん、大丈夫? 私、お見舞いに行ったんですよ。でも、汀ちゃん、その時寝てて……」
「うん、大丈夫……」
「熱、まだあるの?」
「うん……」

力なく頷いた汀の車椅子を、圭介は理緒に渡した。

「頼む。俺は行くところがある。君がケアしてくれ」
「は……はい! 分かりました!」

元気に頷いた理緒の頭を撫で、圭介は汀に一言かけようと口を開いた。
だが、汀が自分の方を向こうともしていないのを見て、口をつぐんで、会議室を出て行く。

「……どうかされたのかしら? 高畑先生」

理緒が不思議そうにそう呟くと、汀はぼんやりとした視線のまま口を開いた。

「知らないよ、圭介なんて」
「喧嘩中ですか?」
「…………」
「そ、そうだ。私、汀ちゃんみたいにいろいろ持ってないけど、折り紙得意なんです。いろいろ折ったから、見てください!」

話題を変えた理緒に、汀は表情を僅かに明るくして答えた。

「うん……」



「元老院の要請で参りました、高畑と申します」

圭介がそう言って、薄暗い部屋の中、円卓状になっている会議スペースの一角で椅子に座っている状態で頭を下げる。

「随分と遅かったではないか。予定を一週間も繰り越して、どういうつもりだ?」

赤十字の医師の一人にそう言われ、
圭介は柔和な表情のまま、それに返した。

「別に、あなた方の道理に私が合わせるといった道理もないまででして」
「何を……!」

他の医師たちも眉をひそめる。
そこで、圭介と対角側に座っていた大河内が口を開いた。

「……時間が惜しい。打ち合わせを続けましょう。今回のダイブには、英国のメディアもかなり注目しています。一刻も早く結果が欲しい」
「それは、そうだが……」

医師の一人が口ごもる。
大河内はそれを打ち消すように続けた。

「今回の患者について、説明します。資料をご覧ください」

圭介が、興味なさそうに目の前に置かれた厚い資料をめくる。

「患者の名前は、エドワード・フレン・チャールズ。三十五歳。英国の王位第十五継承権を持つ、皇族の人間です」

医師達が、口をつぐんで大河内を見る。

「現在自壊型自殺病の第二段階を発症。それに加え、防衛型自殺病の第一段階を併発しています。英国の医療機関では治療が困難と判断され、一週間前、赤十字病院に搬送されてきました」

大河内は、周りを見回して続けた。

「二つの自殺病の併発に加え、英国では、自殺病の『完治』が望まれています。元老院は以上の点を鑑みて、今回、高畑医師との共同ダイブを要請されました」
「現在の患者の状況は?」

圭介がそう聞くと、周囲から鋭い視線が飛んだ。
それを無視して資料に視線を落とした圭介に、大河内は事務的に答えた。

「防衛型自殺病、第二段階症状前期兆候の確認がなされています」
「防衛型と自壊型の併発……か」

そう呟いて、圭介は口の端を小さくゆがめた。

「……DID※か」 ※解離性同一性障害=多重人格のこと
「……ええ。古い言い回しになりますが、分析によると二重人格の症状が見受けられているようです」

大河内がそう言って、資料を見る。

「今回の施術には、赤十字のマインドスイーパー、片平理緒を同席させることにしました。個人的にも、高畑医師と親交が深く、連携が取れると判断してのことです」

そして大河内は資料をめくった。

「それでは、詳細なダイブの予定についてご説明します。十五ページをご覧ください」



施術室に汀と理緒が入ったのは、それから二時間程してのことだった。
汀は眠そうに、コクリコクリと頭を揺らしている。
その車椅子を押しながら部屋に入ってきて、理緒は困った顔で圭介を見上げた。

「駄目です……私が呼びかけても、返事をしてくれなくなりました」

圭介は理緒から車椅子を受け取り、汀の隣にしゃがんで、額に手を当てた。
その様子を、大河内と医師たちが心配そうな顔で見ている。
圭介はしばらく汀を触診していたが、やがて立ち上がって言った。

「ダイブ可能です。施術を開始しましょう」

汀の膝の上の小白がニャーと鳴く。
大河内が眉をひそめて近づいて囁く。

「どう見ても意識混濁状態のように見えるが」
「やれるさ。これ以上は待てない」

圭介は断固とした口調でそう言うと、汀の車椅子を、ベッドに縛り付けられている患者の脇に持っていって固定した。
理緒も、隣のベッドに横になる。

「今回の施術では、俺が二人のナビゲートを同時に行う。理緒ちゃんは、それでいいな?」

問いかけられて、理緒は頷いた。

「はい……でも、汀ちゃんが……」
「夢の中での運動性が落ちているかもしれないが、君がサポートしてやってくれ。トラウマが現れたら、こいつらに任せて君は中枢の治療に専念しろ」
「……わかりました」

理緒の頭を撫で、圭介は反応がなく、よだれをたらしている汀の耳にヘッドセットをつけ、無理やりにマスク型ヘッドホンを被せた。



汀が目を覚ました時、そこは沢山のスーツ姿の人が歩いている、巨大な交差点の真ん中だった。
スーツ姿の人々の顔には、モザイクのような紋様が浮いており、顔は見えなくなっている。
彼女は熱に浮かされた顔をしながら、それをぼんやりと見回した。
足元でニャーと鳴いた小白を抱き上げて肩に乗せ、汀はヘッドセットのスイッチを入れようとしてふらついた。
そしてゆっくりとその場にしりもちをつく。

「あれ……」
『汀、聞こえるか?』
「…………」

マイクの向こうからの圭介の声に答えず、汀は苦い顔で周囲を見回した。
交差点のど真ん中でしゃがみこんでいる少女を気にかける人など、誰もいない。
皆、背筋をピンと伸ばし、話もせずにどこかへ歩き去っていく。
その光景が、ビル群を縫って、どこまでも続いていた。

「……やりたくないって言ったのに」

小さく毒づいた彼女に、圭介は淡々と答えた。

『贅沢を言うな。マインドスイーパーの資格があるんなら、仕事をしろ』
「現実の私の体調、最悪みたいだね。体が殆ど動かないよ」
『…………何とかしろ』
「それでどうにかなるなら、お医者はいらないんじゃない?」

冷たくそう返し、汀はゆっくりと立ち上がった。
体が、まるで水の中にいるかのようにもったりとしか動かない。
その様子を心配そうに小白が見ていた。
そこで汀は、人々を掻き分けてこちらに近づいてきた理緒を見た。

「汀ちゃん! 大丈夫?」

息を切らしている理緒がそう問いかける。
汀は息をついて彼女の手を握ると、頷いた。

「うん。現実の私の体が、あんまり良くないから、頭が働かないみたい。体が良く動かないから、サポートしてくれない?」
「はい! 分かりました!」

元気に理緒が頷く。

『その患者はDIDだ。二重人格だと推定される。つまり、精神世界の分裂が考えられる』

圭介が淡々と口を挟んだ。

『そして今回のダイブは、患者の「完治」が最大の目的だ。そのために理緒ちゃんを一緒にダイブさせた。精神中核をみつけて、ウイルスを除去してくれ』
「はい!」
「DID……こんな時に最悪」

汀がため息をつく。

「後日にすることは出来ないの?」
『無理だ。患者の精神分裂が進んでいる。これ以上放置すると、治療が不可能になる。中核が一つのうちに、何とかするんだ。そこはどこだ?』

汀が周囲を見回して、やはり苦そうに答える。

「無限回廊の中の一箇所だと思う。煉獄に繋がる道が見えないから、表層心理壁だね」
「汀ちゃん、見ただけで分かるの?」

驚愕の表情で理緒が聞く。
汀は頷いて、答えた。

「私、普通とちょっと違うから」
『…………』

圭介は少し沈黙してから言った。

「お前の体調が思わしくないから、時間は最大限伸ばして、十五分に設定する」
「無理だよ」
『それでもやるんだ。お前の使命を思い出せ』

汀は少し押し黙った後、足を引きずって歩き出した。

「……分かった」
「トラウマは……見られませんね」

理緒がそう呟く。

「だってここは、防衛型心理壁だもん」
「防衛型?」

きょとんとした理緒に、彼女に支えられながら歩きつつ、汀は息を切らしながら言った。

「いろいろ自殺病にはタイプがあるの。その中でも、防衛型は、意地でも精神中核に続く道を隠そうとするわ」
「そうなんですか……じゃあ、どうすれば……」
「こうするの」

汀は理緒から手を離すと、手近な男性と思われるスーツ姿の男の顔面を、思い切り殴りつけた。
もんどりうって倒れ、地面に叩きつけられてゴロゴロと転がる男。
唖然としている理緒の前で、汀は倒れた男に近づくと、無造作にその頭を踏み潰した。

「ギャ」

小さな叫び声が聞こえて、辺りに脳漿と、血液と、わけの分からない液体が飛び散る。

「汀ちゃん! それ、この人の記憶片だよ!」
「いいんだよ。ほら」

はぁはぁと息をつきながら返り血で血まみれになった汀は周りを見回した。
おびただしい数の、顔の見えない人々の動きが止まっていた。
そして、それぞれがぐるりと、汀と理緒に向き直る。

「ひっ……」

体を硬くした理緒の前で、人々は懐から、全て同じタイプの拳銃を取り出すと、コッキングして弾を充填した。
そしてザッ、と同じ動作で二人に拳銃を向ける。

「トラウマが出てこないんなら、トラウマの発生を誘発すればいいだけの話」
「そんな……ど、どうすればいいんですか!」
「こうする」

汀は手近な一人に一瞬で肉薄すると、腕を叩いてその拳銃を奪い取った。
そして、自分を狙っている近くの男女の頭部に、立て続けに発射する。
正確に銃弾は頭を抜けると、血液脳漿を飛び散らせながら、明後日の方向に飛んでいく。
汀に向けて、そこで大勢の人々が拳銃を発砲した。
小白が風船のように膨らみ、汀と理緒を覆い隠す。
実に二十秒ほども続いた銃撃が止み、硝煙の煙と、反響する銃声が止んだ頃、小白が体を振った。
バラバラと銃弾が地面に落ちる。
小白の体には傷一つついていない。

「あ……ああ……あ……」

ガクガクと震えて小さくなっている理緒を尻目に、小白の体の下から這い出ると、汀は言った。

「防衛型は、こういうときにすぐ逃げようとするから、見つけるのが簡単ね」

同じ動作で銃の弾倉を交換し、コッキングした人々の右後方、そこに、同じような顔が隠れている男が、人々の波を掻き分けながら逃げようとしているのが、遠目に見えた。

「欧米社会は銃を持ってるから嫌い」

そう言って、汀は逃げる男の頭めがけて拳銃の引き金を引いた。
パンッ! と血液が飛び散る。
ゆっくりと男が倒れる。
そこで、空間それ自体がぐんにゃりと歪んだ。
顔がない男女の姿が、徐々に消えていく。
空がいきなり夜になり、ビル群も消えていく。

「ここから転調みたいだね」

汀が息を切らしながら、しかし楽しそうに言う。
小白からプシューッ、と音を立てて空気が抜ける。
小さな猫に戻った小白を抱き上げる汀。
そこで、彼女達の意識はホワイトアウトした。



彼女達が次に目を覚ましたのは、肉と獣の臭いと、血の据えた臭いが交じり合った、不快な空気の滞った場所だった。

「何……ここ……」

平気そうな汀とは対照的に、理緒が鼻をつまんで顔をしかめる。
そこは、沢山のテントが並んでいる場所だった。
丸太のテーブルに、丸太の椅子。
そして、テントそれぞれには、血まみれのエプロンを羽織った、顔がモザイクで隠れた男性達がそれぞれ肉切り包丁を持って、『作業』をしていた。
少し離れた場所に、サーカスのテントのような場所が見える。
先ほどと同じように、スーツ姿の男が入り混じって歩き回っている。
しかし先ほどと違ったのは、幾人かがテント前のテーブルに座り、何かを、犬のようにがっついて食べていることだった。

「何かしら……」

理緒が鼻をつまみながら、近くのテントを覗き込み――。

「ひっ」

と小さな悲鳴を上げて、危うく卒倒しそうになった。
それを支えて、汀が笑顔で彼女のことを覗き込み、手を握る。

「どしたの?」

聞かれて、理緒は震える手でテントの中を指した。

「だ……だって……だって、あれ……」
「ん」

小さく相槌を打って、汀は軽く笑った。

「あれが、どうかした?」

理緒が震えながら指差した先。
そこには、天井から伸びた大きな鈎針で吊るし切りをされている、生物だったモノがあった。
否。
女性の、体だった。
頭部は舌を伸ばし、鼻や口から血を流し、目玉をひん剥いた状態で脇に投げ捨ててある。
首にあたる部分に鈎針が刺さっていて、時折肉切り包丁を持った男が、女の体を切り裂いて、『肉』を取り出しているのが見える。
良く見ると、テーブルに座って『肉』を貪り食っているのは、男の外見をした人だけだった。
女性はいない。
歩いている人の中にも、女性は見受けられなかった。

「汀ちゃん……!」

引きつった声を上げて、理緒が汀にしがみつく。
汀はそれを怪訝そうに見ると、息を切らし、熱で顔を赤くしながら、その場に手を広げてくるくると回って見せた。

「どうしたの? 面白いじゃない。こんなに狂ってなきゃ、楽しめないよ」
「楽しむ? 何を楽しむっていうんですか!」

ヒステリックに問い返した理緒に、汀は近くのテントを覗き込んで、面白そうに笑い、答えた。

「全部だよ。ほら、しっかりして。行こ」

手を引かれて理緒が、ふらつきながら狂宴の中を歩き出す。

まだ生きている女性もいるらしく、所々で、絞め殺す断末魔の声が聞こえる。
その度に耳を塞ごうとする理緒を、汀は不思議そうに見ていた。

「折角だから入ってみよ」

サーカステントの前について、汀は、係員と思われる男性を見上げた。

『汀、状況を説明しろ』

そこで圭介の声に邪魔され、彼女は頬を膨らませた。

「今、いいところなの」
『端的でいい』
「中核に近い心理壁の中に入り込んだよ。おそらく、この人の主人格だね。自壊型の特徴が見れる。前後左右トラウマだらけだよ! 以上報告終わり!」
『……残り十分だ。慎重に行け』
「主人格……これが……?」

理緒が、そこで震える声を発した。

「高畑先生、こんなのおかしいです! どうしてレベル2の人の心の中が、こんなに濁ってるんですか!」

悲鳴のような声を発した理緒に、汀は息をついて答えた。

「そっか。理緒ちゃんはDIDの人の心の中にダイブするのは、初めてのことなんだ」
「そうですけれど……」
『……DID患者は、既に何らかの強い心的外傷を受けて、精神分裂を起こしている。つまり、冒された主人格の方は、「もう既に崩壊している」状態なんだ。人の心は不思議なもので、そんな状態になったら、正常な人格をつくり、「自己」を保とうとする』

圭介はそう説明し、何でもないことのように言った。

『一般的なDID患者の主人格、その崩壊レベルを自殺病に換算すると、レベル7に相当する』
「な……っ!」

唖然と硬直した理緒の手を引いて、汀は受付の男に言った。

「Two Children and a cat, please!」

汀の肩の上で、小白がニャーと鳴いた。
顔にモザイクがかかった、ピエロ風の男は、チン、チン、チンと切符を切ると、それを汀に手渡した。
インクではなく、血液で「999」とプリントされている。

「これは……」
「持ってた方が良さそうだよ。悪魔の数字、欧米では『666』って言われてるけど、夢の世界では、それが反転して逆になるの」
「私、そんなこと知らない……マインドスイーパーの学校では、そんなこと教えてもらわなかったです。汀ちゃん、どうして……」
「早く。始まっちゃうよ」
「始まるって、何が……」
「ショーだよ」

目をキラキラさせながら、汀はそう言った。

「この人の心の中で、一番狂ってて、一番面白いショーが始まるんだよ!」



緊張のあまり過呼吸のようになりながら歩く理緒の手を引いて、汀は最前列に腰を下ろした。
周りには、手にフライドチキンのようなモノを持った、顔にモザイクがかかった男達が、ワーワーと意地汚い野次を飛ばしながら銀幕に向かって騒いでいる。

「やだ……怖い……怖い……」

震えている理緒の肩を叩き、汀は売り子の男が差し出してきたフライドチキンのようなモノを二つとって、彼女に差し出した。

「うん、味は悪くないよ」
「何食べてるの!」

悲鳴を上げる理緒。
汀はフライドチキンを頬張りながら、銀幕に向かって声を上げた。

「時間がないの! 早く始めてくれる?」
「汀ちゃん、こんなのおかしいよ。一度戻った方が……」

理緒の制止を無視して、汀はもう一つのフライドチキンを、銀幕に投げつけた。
薄い膜がバリンと破れ、次いで、陽気なオクラホマミキサーの曲とともに顔にモザイクがかかったピエロ達が出てきて、全くテンポのずれた踊りを踊り始める。

「あはは! きゃははははは!」

面白くもなんともない光景。
全員が全員バラバラの、意味のない踊り。
しかし汀は心底楽しそうだった。
呆然としている理緒の前で、ピエロたちが引っ込み、ドラムの音と共に、銀幕が上がった。
周りの男達の歓声が大きくなる。
ドラムの音とともに引っ立てられて、鎖を引きずりながら、次々と全裸の女性達が舞台上に現れる。
彼女達はオクラホマミキサーの陽気な曲と共に悲鳴や絶叫を上げながら、処刑人の服を着た男達に、一列に並べられた。
タン、タン、タン、と曲が終わる。
次の瞬間、客席の男達が立ち上がって、手に持った拳銃で、一斉に女性達を撃った。
理緒が絶叫して耳を押さえ、丸くなる。
汀は対照的に、目を輝かせて手を叩いて喜んでいた。
恐る恐る目を開けた理緒の視界に飛び込んできたのは、動かなくなった女性達だったモノと、飛び散った血液、体液だったもの、内臓だったモノ、良く分からない液体でべしょべしょになったぐちょぐちょの舞台だった。

「いやぁあああああ!」

理緒が悲鳴を上げる。

それを皮切りにして、またオクラホマミキサーの曲が流れ、ピエロたちが出てきてテンポ外れの踊りを踊り始めた。
彼らは、動かなくなった女性だったモノの一つを持ち上げた。
客席の男の一人が、声を上げる。
続けて沢山の男達が、値段を示す単語を口走る。
最後に手を上げた男のところに、ピエロ達は死骸を放った。
まだ生暖かいそれが、理緒の目の前にびちゃりと着地する。
四肢が無残に嫌な方向に曲がった女性の死体。
苦悶の表様に、怒り、憎しみ、全ての負の感情を込めた、醜悪な表情をしたそれの髪の毛を掴み、落札した男が、ずるずると「ソレ」を引きずりながら外に歩いていく。
またオクラホマミキサーの曲が終わり、女性達がぐちょぐちょの舞台の上に引きずり出される。
中には反抗する女性もいたが、問答無用で処刑人の持つ斧に頭をカチ割られて動かぬ人形と成り果てていた。

「嫌、こんなの嫌……嫌だ……嫌……」

癲癇の発作のように震えながら呟く理緒の脇で、ヒートアップした汀が騒いでいる。

「私にも銃! 銃頂戴! 銃!」

売り子から拳銃をむしりとり、女性の一人に狙いをつける汀。

「何してるの!」

理緒が悲鳴を上げて彼女を客席から引き摺り下ろす。
熱で真っ赤な顔をしている汀が、怪訝そうに彼女に聞く。

「どうしたの? お腹痛いの?」
「私がどうしたのって聞きたいです! 汀ちゃん、おかしいよ!」
「何が?」
「だ、だって殺されてるよ! 女の人が、銃で……きゃあああ!」

また舞台の上が銃撃され、女性達が崩れ落ちる。
ピエロ達が、今度はバラバラなコサックダンスをしながら、
死体を掴み上げる。
無残な落札が始まった。

「ちぇ、撃てなかった」

不満そうにそう言って、汀は頬を膨らませた。

「折角のDIDなのに、何が不満なの?」
「全部だよ! 汀ちゃん、早く中枢を探そ? 頭がおかしくなるよ!」
「おかしくなんてならないよ」

ニッコリと笑って、汀は言った。

「これ以上おかしくなったら、みんな困るもん」

絶句した理緒と、汀の耳に圭介の声が聞こえてきた。

『時間が差し迫ってる。早めに手を打て』
「手を打てって言われてもなぁ……」

汀はそこで始めて、困ったように周りを見回した。

「この人、過去に女性に酷い目に遭ってるね。多分母親だ」
『患者の過去は検索しないのが礼儀だ』
「知ってるよ」
『理緒ちゃんがお前についていけないそうだ。早く中枢を探せ』
「ついてけないって……何で?」
『いいから探せ』
「命令されるのは好きじゃない」
「汀ちゃん……お願い、本当に早く……」

動悸が治まらないらしく、理緒が胸を押さえながら言う。
その様子を呆れたように見て、汀は一言、呟くように言った。

「理緒ちゃん、マインドスイープするの何回目?」
「……私、今まで小さい子にしかマインドスープしたことなかったから……それに、こんな、世界全体がトラウマなんて、見たことも聞いたことも……」
「世の中にはもっとドロドロでグチャグチャなところもあるんだよ?」

首をかしげて、汀は銃を舞台の上に向けた。

「それに比べれば、これくらい」

パンッ、と彼女は躊躇なく引き金を引いた。
壇上の女性の一人が頭を撃ち抜かれ、白目を剥いて倒れる。

「どうってことないじゃない」
『汀、あと三分だ。カウントダウンを始めるぞ』

圭介の声を聞いて、汀はチッと舌打ちをした。
そこで売り子が近づいてきて、汀の前にしゃがむ。
小白の分までチケットを切って、売り子は理緒の前に屈んだ。

「理緒ちゃん、チケット」

そう言われ、理緒は悲鳴をあげた時にどこかに落としてしまったことに気がつき、青くなった。

「え……わ、私……」

次の瞬間、理緒の首に巨大な鉄枷が嵌められた。

「理緒ちゃん!」

汀が慌てて近づこうとするが、よろけて倒れてしまう。
舞台に引きずり上げられ、理緒は泣き喚いて首枷を外そうと抵抗していた。
やがて、首枷から伸びている鎖が、台に設置されて巻き上げられる。
それに、首吊り自殺のような形で吊り上げられ、理緒はオクラホマミキサーの曲の中、必死に体をばたつかせていた。

『どうした!』

圭介の声に、汀が青くなって返す。

「理緒ちゃんがトラウマに捕まっちゃった!」
『いつまでも遊んでるからだ。汀、時間がない。GDM―Tを注射するぞ。理緒ちゃんは無傷で助けろ』
「分かった!」

汀は緩慢とした動作で、舞台に向かって走り出した。
観客席の男達が、銃を構える。
オクラホマミキサーの曲が聞こえる。
ピエロ達が踊っている。
そこで、汀の体が消えた。
否。
地面を、床が砕けるほど強く蹴って、まるで弾丸のように理緒に向けて飛び上がったのだった。
残像を残しながら、およそ人間とは思えないほど速く汀は理緒に到達すると、近くの処刑人を殴り飛ばし、目にも留まらない勢いで斧を奪い、鎖を断ち切った。
理緒が地面に崩れ落ち咳をする前に、彼女は息を切らしながら彼女を抱き上げ、舞台裏に転がった。
銃撃が聞こえた。

「ゲホッ、ゲホ、ゲホッ!」

理緒が激しくえづく。
涙目で震えている彼女の脇で、汀は体を震わせると、盛大にその場に吐血した。

「みぎわ……ちゃん……」

首の鉄枷を外し、汀に這って近づく理緒。
汀は、真っ赤に充血した目で、彼女を見て、その肩を掴んだ。

『効果時間は十一秒か。良くやった』

圭介の声が聞こえる。

「そこ……」

汀が指をさす。
そこには、オクラホマミキサーを流していると思われる、古びたレコード機があった。

「壊して……早く……!」

タン、タン、タン。
と音楽が終わった。
顔を上げた理緒の背筋が、ゾッと寒くなった。
舞台に、男達が全員上がり、銃をこちらに向けていたのだ。
小白がシャーッ! と鳴いて威嚇する。
理緒は無我夢中でレコード機に駆け寄ると、それを引き倒し、レコードを床にたたきつけた。
そこで、彼女達の意識はホワイトアウトした。



汀は、理緒に支えられ、真っ白な空間に立っていた。
そこには、砂画面が映っている小さなブラウン管型テレビが一台、置いてあるだけだった。
周りには何もない。
どこまでも、何もなかった。

「寂しかったんだって」

汀は、荒く息を吐きながら呟いた。

「寂しいってことは、一番残酷なことなんだよ……」

彼女はそう言って、血痰を吐いてから、その場に崩れ落ちた。

「汀ちゃん!」
「早く……治療して……」

彼女に背中を押され、理緒はブラウン管型テレビの前に立った。
そして震えながら、そのダイヤルに手を伸ばし、回す。
慎重に回していくと、プツッ、という音がして青空が映し出された。

「怖くない……怖くないよ……」

自分に言い聞かせるようにそう言い、理緒はテレビ画面の中に手を突っ込んだ。
画面が水面のように揺らめき、手を飲み込む。
しばらくして、彼女は両手で持ちきれないほどの、黒いミミズを抱えて、画面から引きずり出し、嫌悪感で顔を真っ青にさせながら、それらを地面に叩き付けた。
プツッ、という音がして、テレビの砂画面が消え、真っ白になる。
汀はゴロリ、と地面に倒れると、ヘッドセットに手を伸ばし、言った。

「治療完了……二人とも、目を覚ますよ」



圭介は、朝、誰もいない診察室の中で、硬い表情で資料を眺めていた。
そこには、以前汀がダイブ中、助けたことがある少女の顔写真があった。
灰色の髪の写真と、赤茶けた髪の写真。
そこには、「加原岬」と書かれている。
圭介は携帯電話を取り出すと、どこへかコールして、口を開いた。

「…………やられたな。まさか、マインドスイーパーの意識を弄ってくるとは思わなかった」
『やっとそれに気づいたのかい。遅すぎるね。だから先手を取られるんだ』

電話の向こうの声は、明らかに面白がっているように、弾んだ声で続けた。

『加原岬、十五歳。以前、「そっち」のマインドスイーパーとは、死刑囚の頭の中でご対面したことがあるんだっけか』
「ああ」
『現在は関西総合病院にいるらしいけど、どうしてだか知ってるかい?』

問いかけられ、圭介は口元を醜悪に歪めて笑った。
しかし、抑揚なくそれに答える。

「知らんな」
『……そう。ならいいんだ』

電話の向こうの声はそう言って、端的に付け加えた。

『それじゃ。これ以上話すと逆探知されるから、次からは「鯨」の番号にテルしてね』
「分かった。それじゃ」

プツッ、と電話が切れる。
そこで圭介は、インターホンの呼び出し音が鳴ったのを聞いて、壁のモニターに近づいた。



「……汀ちゃんは、あれからずっと寝てるんですか?」

唖然として理緒が言う。
余所行きの、今時の女の子の服を着て、髪を綺麗に結っている。

「見ていくかい?」

そう言って圭介は汀の部屋のドアを開けた。
ベッドでは、やせ細ってやつれた女の子が、すぅすぅと頼りない寝息を立てていた。

「汀ちゃん……私のせいで……」
「一時的に脳の働きを活性化させるクスリを投与したのは、何も君のためだけじゃない。依頼を成功させるためだったんだ。気に病むことはない」
「高畑先生は……」

そこで、理緒は視線をそらしながら、小さな声で言った。

「高畑先生は、それでいいんですか……?」

問いかけられた圭介は、一瞬沈黙してから答えた。

「……患者を治すことは、汀が一番望んでいることだ。俺は、その助けをしているに過ぎない」
「でも……このままじゃ、汀ちゃん……」
「大丈夫だ。汀は絶対に死なせない」

圭介は目を細めて、汀を見た。

「絶対にだ」

その視線をちらりと見た理緒は硬直した。
どこか、言い知れぬ冷たさ……いつもの彼とは違う、異質の何かを感じ取ったからだった。

「あの……私、失礼します。これ……汀ちゃんが起きたら、渡してください」

そう言って、お土産のお菓子が入った包みを圭介に渡し、背中を向ける理緒。
そこで圭介は、しゃがんで汀の脇に置いてあった箱を取ると、理緒の肩を叩いて振り向かせ、それを渡した。

「持っていくといい。中に、ソフトも何本か入ってる」

それは、3DSの箱だった。
まだ新品と見れるものだ。

「そ、そんな……こんな高額なもの、いただけません……」
「そうでもないさ。別に気に病むことはない。汀が、君とやりたいゲームがあるって言ってたから、買ってきただけなんだ。あいつからのプレゼントだと思って、受け取ってやってくれ」
「…………あ、ありがとうございます……」

肩をすぼめて、小さな声でお礼を言う。
そこで彼女は、思い出したように圭介に聞いた。

「あの……」
「ん?」

柔和な表情をしている彼に少し安心したのか、理緒が続ける。

「私達が治療したあの患者さん……DIDは、治ったんですか?」
「……」

圭介は一拍置いてから、何でもないことのように言った。

「治ってるわけないだろう? その治療までは頼まれてない」
「え……」

絶句して、理緒は言葉を失った。
固まっている彼女に、圭介はにこやかに笑いながら言った。

「DIDをマインドスイープで治療するのは無理だよ。君達は、頼まれていた通りに、自殺病を完治させた。何か、問題があるかい?」
「で、でも……それじゃ、患者さんは……」
「理緒ちゃん」

理緒の言葉を遮り、圭介は言った。

「自殺病にかかった者は、決して幸せにはなれない。そういう病気なんだよ?」

言葉を返せないでいる理緒の前で、ドアを空け、彼は続けた。

「暑いだろうから、タクシーを呼ぼう」
「え……大丈夫です。それにお金が……」
「いいんだ。請求書は大河内にツケといてくれ」

圭介はそう言って、ニコリと笑った。

「それくらい別に、保護者ならしてくれてもいいだろ」

笑顔の奥に、どこか暗い場所がある表情だった。
理緒は何か言葉を発しかけたが、やがてそれを飲み込んで、小さく微笑んでコクリと頷いた。
汀のベッド脇で丸くなっていた小白が、大きくあくびをして、また目を閉じた。
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