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治療完了、目をさますよ 作者:天寧霧佳

【1】 攻撃性に抱かれて

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第4話 蝶々の鳴く丘で

【あらすじ】
高畑汀たかはたみぎわはマインドスイーパーである。
彼女は半身不随の体でありながら、他者の夢の中に入り、トラウマを消去できる力を持つ。
小白と共に死刑囚の頭にダイブした汀。
彼女は赤十字のマインドスイーパーを一人救出します。
しかし、中枢にたどり着いた汀は、死刑囚を助けることは出来ないと言い出し……。

【登場人物】
高畑汀たかはたみぎわ
  半身不随の少女。左腕も動かず、寝たきりの生活を送っている。13歳。
  マインドスイーパーとしてとても高い能力を持っている。
高畑圭介たかはたけいすけ
  汀の主治医。とても冷酷で冷静な物言いをする。
大河内裕也おおこうちゆうや
  赤十字病院の医師。
小白こはく
  汀が拾った小さな猫。白い。マインドスイーパーの力がある。
みさき
  赤十字病院所属のマインドスイーパー。
圭介は、白衣のポケットに手を突っ込んだまま、病室をゆっくりと見回っていた。
その隣で資料をめくりながら、大河内が重い口を開く。

「こっちの区画は、もう駄目だ。お前の探してる適合者は、見つからないよ」
「駄目って、どの基準で駄目って言ってるんだ?」

問いかけて、圭介は感情の読めない瞳で、近くの病室を覗き込んだ。
ぼんやりと視線を宙に彷徨わせた女の子が、ベッドに横たわっていた。
鼻や喉にチューブが差し込まれ、いくつもの点滴台が設置されている。

「この子は?」

聞かれた大河内は、言葉を飲み込んでから答えた。

「……網原汀あみはらなぎさ、この病棟の中でも、特に重症な子だよ」

圭介は無造作に病室に足を踏み入れ、女の子に近づいた。
そして顔を覗き込む。
女の子に反応はなかった。
目を開いてはいるが、意識はないらしい。
人形のように顔が整った子だった。
その子の艶がかかった黒髪を撫で、圭介は言った。

「一番安定してるように見える」
「……バカを言うな。左半身と、下半身麻痺にくわえて、自殺病の第八段階を発症してる。もう長くはないよ」
「この子にしよう」

圭介は軽い口調でそう言うと、ポケットから、金色の液体が入った細い注射器を取り出した。
大河内が目をむいて口を開く。

「おい、高畑……本気か? 一番重症だって、さっき言っただろう。聞いていなかったのか?」
「狂っていればいるほど好ましい。第八段階? 最高じゃないか。それで、この子はそのまま何日生きてるんだ? いや……『生かされて』るんだ?」
「…………」
「答えろよ、大河内」
「…………三十七日だ」
「取引をしよう」

圭介はそう言って、女の子の点滴チューブの注入口に、注射針を差し込んだ。
そして大河内が止める間もなく薬品を流し込む。

「この子をもらっていく。その代わり、お前はこの子の過去を全て消せ」
「GMDが効くかどうかも分からないんだぞ! それに、もう長くはないと……」
「効くさ。そのために開発されたクスリだ」

淡々とそう言って、圭介はポケットに手を突っ込んだ。
そして背を向けて、病室の出口に向けて歩き出す。

「意識が回復したら、連絡をくれ」



汀と小白が目を覚ました時、彼女達は、ゆっくりと落下しているところだった。
小白がまるでパラシュートのようになって落下速度を低減しているのだ。

「猫って凄いねぇ。夢の世界では、私より無敵なんだ」

感心したようにそう呟いて、汀は下を見た。
何かが、草のように、果てしなく続く荒野の中突き立っていた。
真っ赤な夕暮れ景色に、光を反射して煌いている。
それは、日本刀だった。
柄の部分が土に埋まり、ぎらつく刃を上に向けている。

「……攻撃性が強すぎるよ」

呆れたように言って、汀はまだ磔にされている状態の女の子に構うことなく、十字架を下に向けた。
ゆっくりと落下していって、十字架の木が、日本刀の群れに切り裂かれながら、地面と垂直に着地する。
汀は十字架の上に、器用にしゃがみこんでいた。
ポン、と音がして小白が元の小さな猫に戻る。
猫が右肩にへばりついたのを確認して、汀は、もう少しで日本刀の群れに串刺しにされそうになっている、磔られた女の子に声をかけた。

「起きて。ね、起きて。もしかして死んでる?」

手を伸ばしてパシパシと女の子の顔を叩く。

「起きて」
「…………ッ!」

そこで意識が覚醒したのか、女の子は激しくえづいた。
グラグラと十字架が揺れる。
その上で器用にバランスを取りながら、汀は面白そうに続けた。

「拷問されたの? ね? どんな感じだった?」
『汀、赤十字のマインドスイーパーを救出したのか?』

マイクの向こうの圭介に問いかけられ、汀はヘッドセットの位置を直しながら、首をかしげた。

「うーん……助けたというか……助かってないというか……」
『どっちだ。はっきりしろ』
「動けないの。刀がいっぱいある」
『その子だけ帰還させることはできるか?』
「異常変質区域の中にいるから、無理だよ」
『なら見捨てて、お前と小白で中枢を探せ』
「…………」

汀はそれに答えず、周囲を見回した。

『汀?』

問いかけられ、汀は刀で体を切らないよう、注意して地面に降り立った。
そして手近な一本を手に取り、周囲の刀をなぎ払う。

「連れて帰るよ」

そう言った彼女に、一瞬沈黙してから圭介は言った。

『手負いなんだろう。無理だ。時間も残り少ない』
「だからって、置いていけないよ」
『いいか汀。お前の仕事は何だ?』

汀は少し考え、また近くの刀を、自分が持った日本刀でなぎ払った。

「人を、助けることだよ」

はっきりとそう言う。
圭介はまた少し沈黙してから、言った。

『……分かった。なら好きにしろ』
「好きにするよ?」
『ああ。でも、危ないと思ったらすぐに見捨てて中枢を探せ』
「もう危ない状況なんだけど……まあいいや」

ボコボコと地面が波打ち、汀を取り囲むように競りあがった。
一……二……三。
合計十三体の包帯を巻いた蜘蛛男の姿を形取り、それが先ほどまで彼女達を取り囲んでいたものと同じように、刀の群れの中を、体が切り刻まれるのもいとわずに動き出した。
切り傷がつくたびに、悲痛な声を上げる男達。
だが、その顔は笑顔だ。
とても嬉しそうに、悲鳴を上げている。
手に持っていた包丁を、それぞれ脇に放り投げ、手近な刀を、六本の腕に持つ。
刀と、刀を持った男達に取り囲まれ、汀は日本刀を構えて周囲を見回した。
そして、まだ磔られている女の子に、厳しい声で言う。

「起きなさい。あなたもマインドスイーパーなら、少しは私の役に立って」
「あなたは……」

か細い声でそう言うと、女の子は体中の痛みに、小さく声を上げた。
まだ、両足と両手の平が釘で木に打ち付けられており、血が流れ出ている。

「なぎさちゃん……?」

呼びかけられ、汀は怪訝そうに振り返った。

「なぎさ?」
「なぎさちゃんだよね……? あたし、みさきだよ。覚えてる? あたしだよ……!」

汀よりも少し年上の、どこか赤みがかったショートの髪の毛の女の子――岬は、青ざめた顔のまま、汀にそう言った。
汀は彼女から視線をそらして、近づいてくる蜘蛛男達を睨んだ。

「今トラウマに囲まれてるの。お話はあとでしよう。あと、悪いけどあなたのことは覚えてない。てゆうか知らない」
『チッ』

耳元のヘッドセットから、圭介が小さく舌打ちをしたのが聞こえた。

「どうしたの圭介?」

問いかけると、彼は一拍置いてから、何でもないことのように言った。

『いや、こっちの話だ。それより、トラウマに囲まれてると言ったな。そこはどこだと思う?』
「異常変質心理壁であることは間違いないと思うけど……中枢どころか、心の外壁にさえたどり着いてないことは確かだよ。十五分じゃ間にあわないと思う」
『間に合わせろ』
「……最悪」

毒づいた彼女の目に、後方の平原が、空ごと……つまりその空間そのものが、ブロック状になって、下方に向かって崩れ落ち始めたのが見えた。

「……訂正。間に合わせなきゃ。精神構造の崩壊が始まったよ。この人、もうじき死ぬね」
『知ってる。承知の上での治療だ』

そこで、汀の右後方の男が奇声を上げて宙に飛び上がった。
実に二、三メートルもふわりと浮き上がり、六本の刀で汀に切りかかる。
汀は、おぼつかない手つきでそれを一閃して弾いたが、小さな体が押されて後ろに下がる。
そこで、突き立っていた刀で背中をしたたかにこすってしまい、彼女は

「痛っ!」

と叫んで、一瞬硬直した。
背中からたちまち血が溢れて、流れ落ちる。

『どうした?』

圭介に対して

「何でもない。大丈夫!」

そう答えて、汀はまた切りかかってきた男の刃を避け、地面を転がった後、少女とは思えない動きで一気に間合いを詰めた。
そして男の首に、日本刀を突き立てる。
頚動脈を一瞬で切断したらしく、日本刀を抜いたところから、凄まじい勢いで血液が噴出し、汀に降りかかった。
返り血でドロドロの真っ赤になりながら、汀はトドメとばかりに男の胸に、もう一度刃を突き立てた。
それを抜くと、蜘蛛男の一人はビクンビクンと痙攣しながら、その場に仰向けに倒れた。
突き立っていた刀の刃が、後頭部から口に貫通して串刺しにする。
十二人になった男達は、血まみれの汀を見て、楽しそうに笑い声を上げた。
切られた蜘蛛男の体が、粘土のように溶け、地面に流れる。
それが、今度は二人の蜘蛛男の形をつくった。
一人から、二人に増えて十四人。

「キリがない……」

毒づいた汀の肩で、小白が威嚇の声を上げている。
そこで、地面に崩れ落ちた岬の声が聞こえた。

「なぎさちゃん、助けてくれてありがとう……早く、ここを抜けなきゃ……」
「私はなぎさなんて名前じゃないよ。それに、そんなこと言われなくても分かってる」

冷たくそう返し、汀は、無理やり足から釘を引き抜いている岬を見た。

「歩ける?」
「何とか……」
「トラウマと戦ってもキリがないから、逃げたいんだけど時間がないの。この世界はもうすぐ崩壊するし」

汀達の、数十メートル先の空間が、ブロック状になって崩れ落ちる。

「とりあえず、無理にこじ開けるしかなさそうだね……!」

汀はそう言って、足元の地面に刀を突き立てた。
男達が、その瞬間同時に絶叫した。
血走った目を丸く見開き、彼らがゆらゆらと揺れた後、同時に汀に切りかかる。
汀は、抵抗のある感触を感じながら、ズブズブと刃を根元まで押し込んだ。
そして力任せに、地面から飛び出た柄を踏み込む。
男達がまた絶叫し、汀が刀を突き立てた部分からおびただしい量の血液があふれ出す。
それを見た岬が、青い顔を更に真っ青にした。

「な……何してるの? 心理壁を直接傷つけたら、この人の体にどんな障害が残るか……」
「どうせ死ぬんだから関係ないよ」

そう言って、汀は血の出ている部分に足をたたきつけた。
ボコッと地面が歪み、ブロック状に抜け落ちる。
その先は、真っ黒な空間になっていた。
岬は、荒く息をついて涙を流しながら、折られた腕の骨を、力任せに元にはめているところだった。
彼女のもう片方の手を掴み、汀は言った。

「行くよ。逆にこっちが死ぬかもしれないけど、まぁそれって、運命だよね」
「割り切ってるね……」
「言われるまでもないよ」

軽く微笑んで、汀は岬を先に穴の中に投げ入れ、小白を抱いた。
彼女達は、ブロック状に空いた穴の中に飛び込んだ。
その瞬間、男達を飲み込むように、空間が崩れ落ちる。
彼女達の意識は、またホワイトアウトした。



気がついたとき、彼女達は打って変わって爽やかな、小鳥がさえずる丘の上に立っていた。
岬が体の痛みに耐え切れず、足元の草むらに崩れ落ちる。
彼女を一瞥してから、汀は木が立ち並んでいる丘を見回した。
蝶々が沢山飛んでいる。
それぞれ色や大きさは違ったが、共通していたことは、紙で出来ていたということだった。
近くの蝶々を一匹捕まえて、汀はそれを握りつぶした。
途端、周囲に青年の悲痛そうな声が響き渡った。

<僕はやってない! 僕は違うんだ。頭の中の人が命令したんだ!>

くしゃくしゃになった蝶々を広げてみる。
そこには、血液のようなもので雑に、先ほど流れた音声と同じものが書かれていた。
汀はそれを脇に放ると、もう一匹蝶々を捕まえようと、その場をはねた。

『汀、どうだ?』

圭介に問いかけられて、汀は言った。

「ダイブ、心理壁の中に進入成功したよ。」
『トラウマに囲まれてたんじゃなかったのか?』
「この人の心理壁を壊しちゃった。どうせ自己崩壊してる途中だったから」

それを聞いて、圭介は一拍置いてから深くため息をついた。

『お前……』
「廃人になるね。この人」

何でもないことのように言って、汀は面白そうに、紙の蝶々に囲まれながらくるくるとその場を回った。

「でも、いいじゃない。どうせ死刑で死んじゃう人だよ?」
『…………』
「圭介?」
『治療を続けろ。いいか、お前は人を救うんだ。そのためにダイブしてるんだ。分かるな?』
「圭介、私思うんだけどさ」

そこで汀は、ヘッドセットに向かって、困ったような顔をした。

「死刑で殺される人を治して、それで、救ったって言えるのかな?」
『ああ。お前は余計なことを考えず、救えばいいんだ』
「圭介、それは違うよ」

汀は淡々とそう言った。

「助けない方がいいよ、この人」

また近くの蝶々を一つ掴んで、握りつぶす。

<うるさい! うるさい! 僕は殺すんだ! あの女を……僕を笑った女を! 殺してやる! 殺してやる! 殺してやる!>

『どうして?』

圭介に聞かれ、汀は答えた。

「だって、屑は死んでも治らないもの」
『…………』

圭介はしばらく考え込んでいた。
が、断固とした口調で彼は言った。

『治せ』

汀は、また一つ蝶々を握りつぶした。

<誰も僕を分かってくれない、誰も僕を分かろうとしない。誰も彼もが僕を見下すんだ。僕は……僕は……>

そこで、突然木々の間に蜘蛛の巣が出現した。
蝶々達が、次々と網にかかっていく。

<僕は……僕は……僕は……>
<殺してやる! 殺してやるんだみんな!>
<血……ひき肉……>
<興奮する。絶叫を聞くと>
<僕を拒絶する声を聞くと、僕は生きている実感を得ることが出来るんだ>
<だから鳴いてよ。もっと、もっと鳴いて>
<誰か僕を分かってよ! 僕はここにいるよ!>
<どうして誰も分かってくれないんだ! 父さんも、母さんも……>
<僕は……! 僕は!>

<僕は、誰だ?>

最後の呟きは、ぐわんぐわんと丘に反響して消えた。
蝶々達は、動きを止めていた。
おびただしい数の蜘蛛が、カサカサと動いて蝶々達を食べ始める。
蜘蛛も、紙で出来ていた。

「この人は自壊を選択してる。生きてても、自分のことが何だか分からなくなってるよ」
『でも、治すんだ』
「どうして?」
『……俺達が、医者だからだ』
「医者?」
『医者は人を治す。それが、人を救うということだ。お前は目の前のことしか見ていない』
「…………」
『汀』

圭介は、彼女の名前を呼んで、優しく言った。

『人を、救いたいんだろう?』
「…………」
『沢山の人を、お前の手で救ってやりたいんだろう?』
「…………」
『目の前だ。そのチャンスを、お前の手で掴め。それは、お前の「踏み台」だ。それ以上でも、それ以下でもない』
「私……私は……」
「なぎさちゃん!」

そこで、うずくまっていた岬が大声を上げた。
ハッとした汀の足元に、紙の蜘蛛の大群が迫ってきていた。
岬が這って逃げようとしている。
小白は、汀の肩の上で、シャーッ! と毛を立ててうなった。

「貴方達が欲しいのは、これ?」

汀がニコリと笑って、蜘蛛達の前に、閉じていた右手を開いた。

そこには、いつの間に捕まえたのか、虹色の羽をした蝶々が一匹、握りこまれていた。

「あげてもいいよ」
『汀!』

圭介が大声を上げる。
汀は、動きを止めた蜘蛛達に言った。

「でも、自分が自分であるのか分からないままでいるのは悲しすぎるから」

彼女はそう言って、虹色の蝶々を、折り紙を元に戻すように、ゆっくりと開き始めた。
空間がざわついた。
蜘蛛達の口から、男の拒否を示す凄まじい絶叫が辺りに轟きわたる。

「私が、あなたにあなたの顔を見せてあげるよ」

折り紙を開く。
それは、顔写真だった。
赤ん坊の、写真だった。

「中島正一。それがあなたの名前。あなたは何にもなれないし、何かになれるわけでもない」

汀は、クスリと笑った。

「これから、殺されにいくの。それから逃れることは、多分できないの」

いつの間にか、おびただしい数の紙の蜘蛛は、足を上に向けて、硬直して死んでいた。
代わりに、丘の向こうがざわついた。
次いで、地面が揺れた。
ミキミキと木を押しつぶしながら、何かが地面の下から出てくる。
それは、体長十メートルはあろうかという、巨大な蜘蛛だった。
八つの赤い目を光らせながら、巨蜘蛛は地面を踏みしめ、汀の前まで移動すると、顔を屈めて蟲の口を開いた。

「シャーッ!」

小白が地面に降り立ち、風船のように膨らむ。
巨蜘蛛の半分ほどの大きさに変わった小白は、牙をむき出して蜘蛛を威嚇した。
その化け猫を制止して、汀は一歩前に進み出た。
そして赤ん坊の写真を、蜘蛛に突きつける。

「良く見て。これが、あなたよ。あなたは蜘蛛じゃない。あなたは人間。何の変哲もない、平凡で、ごくごく普通の何の力もない、無力な人間の一人よ」

巨蜘蛛が悲鳴を上げた。
嫌々をするように首を振った蜘蛛に、汀は淡々と続けた。

「あなたが思い描く現実なんて、どこにもない。誰も、あなたのことを理解なんて出来ない。あなたが、あなたを理解できないように。私も、あなたを理解することができない」
「危ない!」

そこで岬が悲鳴を上げた。
汀が気づいた時は遅かった。
蜘蛛が足を振り上げ、汀に向かって振り下ろしたのだ。
小白も、とっさのことで反応が出来ないほど、すばやい動きだった。
蜘蛛の足は、簡単に汀の背中を胸まで貫通すると、向こう側に抜けた。
そして地面に、まるで蟲のように、少女のことを縫いとめる。

「ゲボッ」

口から血の塊を吐き出して、汀は胸から突き出ている蜘蛛の足を見た。

「……ガ……あ……」
『汀、汀……どうした!』

彼女の声に、圭介が狼狽した声を上げる。
汀はそれに答えることが出来ず、鼻や口から血を垂れ流しながら、震える手で、赤ん坊の写真を前に突き出した。
そして、歯をガチガチと鳴らしながら、かすれた声で言う。

「良く……見て。これがあなたよ……誰も言わないなら……私が言ってあげる……」
「なぎさちゃん!」

岬が声を上げて、這いずって汀に近づこうとする。
汀は彼女に微笑んで、また血を吐き出してから、硬直している蜘蛛に、一言、言った。

「ただの人間のくせに……世界中で何百何億といる、ただの人間のくせに……」
『汀!』
「何を、粋がってるの?」

蜘蛛が絶叫した。
その長い絶叫は周囲に轟き渡り、丘をグラグラと揺らした。
たまらず目を閉じた汀の体を固定していた足が、フッと消える。
胸に大穴を空けて地面に崩れ落ちた汀の目に、空中に浮かんでいる、膝を丸めた赤ん坊の姿が映った。
汀は血を吐き出し、脇の小白に支えられながら赤ん坊の前に這って行った。
そして、写真を赤ん坊の頭につける。
白い光が辺りに走り、赤ん坊の姿が消えた。
同時に丘の蜘蛛の巣が消え、真っ白な蝶々達が周囲を飛び回り始める。
汀は小白に寄りかかって、ゼェゼェと息をついて、また血を吐き出した。

『良くやった、汀。戻って来い、早く!』

圭介がマイクの向こうで怒鳴る。
汀は、しかしそれに答えることが出来ずに、地面に崩れ落ちた。
そこに岬が到着し、彼女の体の上に倒れこむ。
そしてヘッドセットに向かって、叫ぶように言った。

「四番、五番、治療完了しました。目を覚まします!」



激しく咳をしながら、汀は目を開いた。
息が詰まり、呼吸が出来ない。
過呼吸状態に陥っている汀の口に、備え付けてある紙袋の口をつけ、圭介はその背中をさすった。

「大丈夫か? 落ち着いて、息を吸うんだ。しっかりしろ。ここは現実の世界だ」
「ゲホッ! ゲホッ!」

強く咳をした汀の口から、パタタタッ! と血が袋の中に飛び散った。

それを見て、圭介は歯噛みして汀の頭からマスク型ヘルメットをむしりとった。
そして車椅子から彼女を抱き上げ、出口に向かって走り出す。

「続いて、この子の処置に入ります! 私が病室まで運びます。早く準備を!」



「負担をかけすぎだ……」

数日後、自室のベッドの上で呼吸器を取り付けられ、意識混濁状態になって眠っている汀を見て、大河内が苦そうに口を開く。
あの直後、汀は意識を失い、まだ目を覚まさない。
大河内は圭介に向き直って、彼をにらみつけた。

「いい加減にしろよ、高畑。この子は人間なんだぞ。お前の『治療』は、この子に負担をかけすぎている」
「だが、結果的に中島は一命を取り留めた」

資料をめくり、壁に寄りかかりながら口を開く。
大河内は一瞬黙ったが、また苦そうに言った。

「秋山さんは訴訟を起こすつもりらしい」
「へぇ」

「中島は命は取り留めたが、自分が何をしたのか、何者なのか、全ての記憶を失っていた。そんな人間を断罪したところで、意味はないとさ」
「いいことじゃないか。元々この国は死刑廃止論者が多いんだ。この機会に、死刑について考える人が多くなれば法治国家としてのレベルアップが図れる」
「ふざけている場合じゃない」
「ふざけてなんていないさ。俺はいたって真面目だよ」

圭介はそう言って、資料を閉じた。

「レベル6の患者の治療に成功した例は、日本では初だ。これで、俺達は更に高みを目指せる。元老院も満足だろう」
「お前はそうやって、結果結果と……」
「だが、それが全てだ」

淡々と圭介はそう言った。

「結果を残せなければ、生きている意味も、存在している意味もない。過程なんてどうだっていいんだ」
「そのためにこの子を犠牲にしてもか。そうでもしなきゃ、お前の復讐は成し得ないとでも言いたいのか?」
「ああ」

簡単にその言葉を肯定し、圭介は鉄のような目で汀を見下ろした。

「精々働いてもらうさ。死ぬまで、俺の道具としてな。それが、この子の贖罪でもあり、義務でもあるんだ」
「…………」

大河内は無言で圭介の胸倉を掴み上げた。
そして、腕を振り上げ、彼の頬を殴りつける。
床に崩れ落ちた圭介を、荒く息をついて、大河内は見た。

「それがお前の本心か」
「……酷いじゃないか。大人のすることじゃないな」

頬を押さえながら、メガネの位置を直して圭介が立ち上がる。
彼は薄ら笑いを浮かべながら続けた。

「気が済んだか?」
「もう五、六発殴らせてもらわなきゃ、収まらないな。汀ちゃんのためにも」
「お前、勘違いしてるぞ」

圭介は小さく息をついた。

「治療は、汀が自分で望んでおこなっていることだ。俺が強制しているわけじゃない」
「騙していることは確かだろう。この子に真実を告げるんだ!」
「嫌だね。真実を告げたら、こいつは道具としての価値をなくす」

拳を握り締めている大河内の言葉を打ち消して、圭介は続けた。

「そういえば……岬とか言ったか? あの赤十字のマインドスイーパー」
「……その子がどうした?」
「目障りだな。関西総合病院にでも飛ばしてくれ」
「どこまでも最低な男だな……!」
「お前に言われたくはないね」

壁に寄りかかり、圭介は資料を脇に放った。

「さて、外道はどっちかな」

二人の男が睨み合う。
それを、ケージの中で小さくなって小白が見つめていた。



汀が目を覚ましたのは、それから一週間経った夜中のことだった。
しばらくぼんやりしていたが、苦しそうに呼吸器を外し、何度か咳をする。
そして汀は、ナースコールのボタンを押した。
しばらくして、寝巻き姿の圭介が、駆け足で部屋に入ってきて、電気をつける。

「汀、目が覚めたか」
「圭介……」

汀はぼんやりと答えて、首をかしげた。

「私、どうしたの?」
「急に具合が悪くなったんだ。それだけだ。気にするな」
「何だか、すごく疲れた……」
「無理するな。今、クスリを持ってきてやる」
「圭介」

汀は彼の名前を呼んで、言った。

「なぎさって、誰?」

問いかけられて、圭介は一瞬停止した。

「岬ちゃんって、私の友達だよね?」
「誰の話をしてるんだ?」

圭介は汀に向き直り、ポケットから金色の液体が入った注射器を取り出した。
それを汀の点滴チューブの注入口に差込み、中身を流し入れる。
そして彼は、微笑んで汀の白髪を撫でた。

「俺はそんな子、知らないな」
「夢に出てきたの。じゃあ、私の勘違いかな」
「ああ、お前の夢の中での出来事だよ」

圭介はそう言って、汀の手を握った。

「今日はゆっくり休め。お前、疲れてるんだよ」
「うん……」

頷いて、汀は圭介に向かって言った。

「ね、圭介」
「何だ?」
「私、また誰かのこと治したんでしょ?」

問いかけられ、圭介はしばらく押し黙った後、笑って頷いた。

「ああ」
「私、人を助けることが出来たの?」
「お前は立派に人を助けたよ。立派にな」
「嬉しい」

微笑んで、汀は呟いた。

「私、人を助けるんだ。もっともっと、沢山の人を……」
「ああ、そうだな」

頷いて、圭介は言った。

「俺は、それを出来る限り助けるよ」



女の子は目を覚ました。
ぼんやりとした頭のまま、周囲を見回す。
見慣れない病室。
見慣れない人達。
髭が特徴的の人が、にこやかに笑いながら、彼女に言った。

「私達が分かるかい? 分かったら、返事をしてくれないかい?」

女の子は頷いて

「……分かります」

と答えた。
髭の男性の後ろで、腕組みをしたメガネの男性が、壁に寄りかかって資料を見ている。

「私の名前は大河内。君の主治医だ。先生と呼んでくれればいい」

髭の男性に助けられて上体を起こし、彼女は猛烈な脱力感の中、ぼんやりと彼を見た。

「せんせ?」
「ああ、先生だよ」
「ここは、どこ?」
「赤十字病院だよ。君は、大きな事故に遭って、ここに運ばれてきたんだ。覚えてるかい?」

女の子はそれを思い出そうとした。
しかし、頭の中が空白で、何かガシャガシャしたものが詰まっていて、それが邪魔をして思い出せない。

「私……名前……」
「ん?」
「私の、名前……」

それが分からないことに、女の子は愕然とした。
大河内は少し押し黙った後、何かを言いかけた。
しかし後ろの青年が、資料を見ながら声を上げる。

みぎわだ。苗字は、高畑」
「たかはたみぎわ?」
「ああ。お前は、俺の親戚だ」

資料を閉じて、メガネの青年は彼女に近づいた。

「俺は高畑圭介。圭介と呼んでくれていい」
「私の親戚?」
「そうだ」
「お父さんと……お母さんは?」

問いかけられ、圭介は一瞬苦い顔をした。
しかしすぐにもとの無表情に戻り、彼女に言う。

「お前に、お父さんとお母さんはいないよ」
「いないの?」
「お前が小さい頃、事故に遭って他界した。それからずっと、お前は俺と二人暮しだ」
「私、どうしたの?」
「大型トラックに撥ねられたんだ」
「体が動かないよ……」
「右腕は動かせるはずだ」
「他のところは?」
「麻痺が残ってる。無理だろうな」
「高畑」

そこで大河内が圭介を制止して、口を開く。

「まぁ……まだ起きたばかりで分からないことが多すぎるだろうから、ゆっくり理解していこう、な? 私が、君のリハビリと訓練を担当させてもらうから」
「リハビリ? 訓練?」
「うん。大丈夫だ。少し頑張ればすぐによくなるさ」

問いかけに答えず、大河内は続けた。

「何か、流動食くらいだったら食べられるかな? おなかは減ってるかい?」
「全然減ってないよ……」

そこでみぎわと呼ばれた女の子は、壁に取り付けられた鏡を見て、動きを止めた。
そこには、老婆のように髪の毛を真っ白にさせた女の子……ガリガリに骨と皮ばかりのやつれた姿をした子が映っていた。
動く右手で顔を触り、それから髪を触る。
白髪には艶がなく、パサパサとした感触が手を伝わってくる。

「これ……私……?」

目に見た事が信じられず、汀は呆然と呟いた。
その頭を撫で、大河内が言う。

「私は、今の髪の方が好きだよ。白い方が素敵だ」
「…………本当?」
「ああ、本当だ」

彼がニコリと笑う。
その後ろで、圭介が持っていた資料を、汀の膝の上に放った。
パサリと音を立てて薄い資料が、彼女の目に留まる。
表紙に、端的に
『Mind Sweeper 契約書』
と書かれている。

「お前はこれから、マインドスイーパーとして、俺と一緒に働くことになる。暇な時にそれをよく読んで、サインしておけ。重要な書類だから、なくすなよ」
「マインドスイーパー……って、何?」
「ワンダーランドに行ける職業だ。夢の国。行きたいだろう? 女の子だもんな」

皮肉気にそう言って、圭介は背中を向けた。

「それじゃ、また来る」

歩いていく圭介を見送り、汀は呟いた。

「あの人……怖い……」
「無愛想な奴なんだ。根はいい人間だ。信用してやってくれ」

大河内がそうフォローして、汀の手を握る。

「とにかく、一命を取り留めてよかった」
「せんせ、私、もう体動かないの?」

「そんなことはない。リハビリして、ちゃんと過程を踏めば段々動くようになってくるさ。今はただ、麻痺しているだけだよ」

圭介とは真逆のことを言い、大河内は優しく、汀のことを抱きしめた。
汀がびっくりしたような表情をし、しかし冷えた体に感じる人の体の温かさに、安心したように息をつき、大河内に体を預ける。

「泣かないで。一緒に治していこう。一緒に」

いつの間にか汀は泣いていた。
涙が、次々と目から流れ落ちていく。

「あれ……? あれ……?」

呟いて、汀は右手で目を拭った。

「どうして私……泣いてるんだろう……」

「人の心は難しいものだ。君がどうして泣いているのか、分からないけれど……」

大河内は汀から体を離して、また頭を撫でながら言った。

「これからは、私がついている」
「……うん」

涙を流しながら、汀は頷いた。
いつの間にか、彼女の病室の表札は、「高畑汀」となっていた。
振り仮名で、「なぎさ」ではなく「みぎわ」と書いてある。
その意味を、彼女はまだ知らない。



びっくりドンキーのいつもの席で、汀はチビチビとメリーゴーランドのパフェを食べていた。
圭介がステーキをナイフで切って口に運ぶ。

「でね、圭介。3DS、結局値下げしたんだって。ネットに書いてあったよ」
「もう一台欲しいとか言い出すなよ」
「使わないからいらないなぁ。それより、PSVITAが欲しい」
「あれの発売日はまだ先だろ?」

他愛のない会話をしながら、圭介はナイフを置いた。
そして汀の前に、一抱えほどもある包装された箱を置く。

「ほら、プレゼントだ」
「どうして?」

目を丸くした彼女に、圭介は笑いかけて言った。

「覚えてないだろうけど、お前、レベル6の患者の治療に成功したんだ。そのお祝い。前から欲しかったって言ってた、雪ミクのプーリップ(ドール=人形)だ。数量限定だから、手に入れるの苦労したんだぞ」
「圭介、大好き!」

そう叫んで、汀は包装紙を手荒に破いた。
そして中に入っている頭が大きいドールを見て、嬌声を上げる。

「わあ、可愛い!」
「大事にしろよ」

そう言って食事に戻った圭介に、汀は箱を抱きながら言った。

「ね、圭介」
「ん?」
「この前ネット見てたらね、死刑判決が出た人、あのさ、女の人拷問して殺した人」

それを聞いて、圭介の手が止まった。

「自殺病は治ったけど、死刑を取り下げるようにって、被害者の人たちが言ってるんだって。不思議だよね。どうしてだろ、って私は思ったよ」

圭介は何事もなかったかのように食事を再開して、そして彼女に微笑みかけた。

「人間って、不思議な生き物だからな」
「それで片付けるの?」
「だって、それが全てだろ」

彼はステーキを咀嚼してから、続けた。

「ほら、アイスが溶けるぞ」
「……うん!」

人形を大事そうに抱きながら、汀はパフェを食べる作業に戻った。
隣には、小白が眠っているケージが置いてある。
圭介はしばらく、感情の読めない無機質な瞳で彼女を見ていたが、やがて自分も、ステーキを食べる作業に戻った。
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