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第12章 最後の日(2)
 現場は未だに血痕が残っていた。
 扉を開けようとすると、部屋の前の乾いた血が足の下で滑る。
 僕はなるべく足跡を残さないよう、慎重に扉を開けると部屋の中に足を踏み入れた。
 そこは何とも言えない生臭い匂いが充満していて、思わずハンカチで鼻を押さえる。


 部屋に入りつつ僕は思い出す。

 あの時、僕はまずスピカが死んでいるんじゃないか、そう思って、動揺して。
 そうではないと分かったら、次は、スピカの置かれた立場に動転して。
 その後は「さようなら」と言われたことで打ちのめされた。
 思い返すと、まったく頭が働いていなかった。……当然か。
 
 スピカが倒れていたあたりに白く印が付けられている。僕のせいだろう、血痕が大分剥がれてしまっていて、僅かに床の木材に染み込んだ痕が残るだけだ。凶器の落ちた辺りにも同様に印がついている。
 きっと何人かは目撃しているはずだった。あの時凶器が握られていた、あの手を。
 スピカを犯人に仕立てる側にとって決定的と思えるあの場面――、あれが逆にスピカの無実を示していた。
 おそらく犯行時間が夜であったこと、それからスピカのことをよく知らなかったがためにやった失敗だ。
 遺体を調べればもっと確実になるはず――。
 その辺はあとでイェッドに頼むつもりだった。

 ともかくは……この部屋の謎だ。

 僕は部屋を右回りに歩いた。そして、まず暖炉を調べる。
 べられていた薪などは全て持ち去られていた。後には焦げた石の台が置かれているだけだ。
 下から覗き込むと小さな空がそこから見える。幅は僕が通ればぎゅうぎゅうになるくらいで、僕より体格の良い男となると……まず肩がつっかえて通れないだろうと思えた。周囲を確かめたが……煤がべっとりと張り付いていて、こすれたような痕などは何も見つからない。近衛隊の調査通りのようだ。

 ――ちがう、か。


 僕は次に窓の方へと向かう。
 厚い布に格子の影が映っていた。僕は布を持ち上げると、窓の外を調べる。
 枠を掴むと少し力を入れて揺さぶってみた。ぴくりとも動かない。
 格子の幅は頭の大きさより少し狭いくらいで、子供でさえ通ることは難しいと思えた。
 ここから逃げることは……無理だと思えた。

 ――他に、他にはないのか。

 壁側の棚を揺さぶってみても、やはり抜け道のようなものはないし、天井は打ち付けられていてやはり登れそうにない。床を調べてみても、頑丈な板が整然と並ぶだけ。

 何か見つかると思って、来たのに。……手がかりは見つかりそうにない。
 
 僕はベッドに腰掛けると、唯一の出口を見つめた。
 通常なら、そこから出たのだろうと、何の疑いも持たない、その扉。
 再び立ち上がり、扉を調べた。

 扉が廊下側に開くのなら、この部屋が密室になることはなかっただろう。
 しかし、扉の構造上、いくら廊下側から引っ張っても、扉の枠に遮られ、外側に開くことはない。

 ため息をつきながら、自分の足元をじっと見つめる。
 僕の足元には血痕が広がっていた。なんとなくそれを追って目線を扉まで移動する。

 そしてたどり着いた場所を見て、僕は違和感を感じた。
 そこにはエリダヌスが倒れていた痕を示す印があった。しかし……白く囲むように描かれたその下にはあるべきものが無い。


 足元からじりじりと寒気が登り出す。それなのに、頭だけが妙に熱くなっている。全身に鳥肌が立つのが分かった。

 ――ちょっと待てよ……。あの時――

「……そうか。……そういうことか!! ……でも」

 ――『あの人物』が、どうして……!?

 僕は、はっとした。

「……そうだ、イェッドの宿題!!」

 あいつ、もしかして、知ってたんじゃないだろうな!? その上で、僕を試してたんじゃ……。
 ちらりとそんな疑いが頭の隅をよぎる。

 ああ、でも、イェッドのことだ。

『だから、早くやれって言ったでしょう』

 そう言われるのが目に見えていた。……つくづく食えない。

 いや、……でもこれで間に合う。きっと。
 僕はあの、百枚を超えるだろうという書類の束を思い浮かべる。
 必ず、そこから答えが導き出せるはずだ。
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