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第8章 背水の陣(5)
「皇子、困ります」

 軽い足音が近づいて気たかと思うと、僕は後ろから抱え込まれる。
 グラフィアスだった。

「容疑者との接触は禁止されていますので。失礼」

 彼は僕の両腕を後ろで束ねると、近衛隊詰め所まで強引に後ろから押すように連行する。
 僕はスピカの警護が減るのが心配になって、後ろを振り向くと慌てて言う。

「もう用事は済んだ。一人で帰るから、見張りを続けてくれ」

 グラフィアスは一つ息をつくと、投げ出すように僕を離し、呆れたように見つめる。

「……『愛してる』ですって?」

 馬鹿にしたような響きだった。もう棘を隠すつもりもないらしい。

「あなたのような子供が使う言葉じゃありませんね」
「……いつまでも子供でいるつもりはない」

 僕はグラフィアスを睨む。
 僕だっていつまでも何も出来ないわけではない。

「お前たちになんか、負けない。スピカの心も体も全部僕のものだ」
「……傲慢な」

 鼻で笑われた。

「今の彼女には届きませんよ、誰の言葉も。心を閉ざしてしまっていますからね」

 そこで言葉を切ると、彼は意味ありげに僕を見つめる。

「侍女が調べましたら……彼女の体に陵辱されたような痕があったとか。夕方は伝えませんでしたが。彼女の様子と関係あるのではないかと調べています。……何かご存知です?」

 僕はギクリとして固まった。
 痕?
 そう思わず考え、はっとする。
 グラフィアスが僕の様子を注意深く伺っていた。
 ひょっとして……カマをかけられたのか。

 彼は納得したように言う。丸い目が急に鋭く細くなった。
 その手が力一杯握りしめられ、鍛えられた腕に筋が入る。

「誰の仕業か知りませんが、最低ですね。……それを愛とか言ってる男は余計にですが」

 容赦ない言葉に僕は言い返せない。自分でも最低だと思っているのだ。
 睨みつけるような視線を思わず避けそうになる。

「僕がスピカと一緒に居たことを知っているだろう?」
「皇子がそう言われているということは知っていますが、たとえそうだとしても……皇子の名誉のためにも言わずにいた方がよろしいのでは? 平民の娘にコケにされたと噂が立ちますよ」

 こいつは、僕の口を封じようとしているのか。

「僕の名誉なんか、関係ない」
「そうですか。……しかし隊長に伝わりますが?」

 さすがに青ざめる。

「レグルスが知れば……スピカはこの国からいなくなる。それはお前も困るんじゃないのか」
「いいえ? 私には皇子と違って失うものはありませんし。国外であろうと、追うだけですよ。
 それに、隊長のことです。あなたに手を出して捕まってしまうのではないですか? そうなれば、邪魔者が一気にいなくなって、いいこと尽くめです。
 ……いい加減解放してあげたらどうです? 
 成人の儀の時も臣下から恋人を奪うような真似をされて。男として恥ずかしくないのですか?」

 話しているうちに我慢が出来なくなったようで、彼は声を荒げ出した。
 そんな激した様子は初めて見て、僕は、彼がかなりスピカに本気なのだと思った。

「臣下?」
「ルティリクスですよ、まさかそれもお忘れになったのですか?」

 その名を聞いたとたん頭に血が上る。

「……奪ってなんかいない!!」

 奪われたんだ!

「成人の儀の翌日、二人で逃げたではないですか。それを無理に連れ戻して、しかも、無理矢理手篭めにするとは。
 ……彼女があんな風になるのも無理はありません」

 あまりの話の展開に僕はあぜんとするほかなかった。
 そんな風に見られていたなんて。

「彼女の自由をご自分で陛下に求められたのではなかったですか? 言われていることと、なされていることが全く違っていますね」

 話の出所は知らないが、妙に信憑性があるし、つじつまも合っていた。
 彼が信じても仕方がないくらいに。
 これでは、この男が僕の話をまともに聴くはずがない。

 流されていたのは、スピカの噂だけではなかったらしい。おそらく事情を知らない宮の者は、皆このように思っているのだろう。
 そして、スピカのことは、僕をそこまで狂わせた魔性のように。だから、皆不安なのだろう。僕が道を踏み外すのではないかと。
 そう考えると……排除しようとしても仕方がないのか。

 グラフィアスは突然はっとしたような顔をして、咳払いをする。

「とにかく……。彼女のことはもうお忘れ下さい」

 何かが心にひどく引っかかっていた。
 しかし、今は冷静に考えることが出来ない、そう思った。
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