87 密談
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「ふはは! 任せておけ」
先に動いたのは破壊の君フェンリルだった。
「ウラナ。我の姿――とくと目に焼き付けておけ」
「しらねーよ。さっさと行け」
姉御は、心底うざそうに言った。本当にフェンリルは痛々しいほどに邪険にされているようだが、本人は一切気にすることなく、再び姉御にウインクして飛び出していく。
フェンリルが再び――先ほど周囲に大爆発を引き起こしたときのような遠吠えをあげる。今度は声だけとどまらず、めきめきとその姿を変化させていった。
みるみるうちに、巨大な牙と白銀の毛並み――巨大な狼の姿となったフェンリルは、猛然と天使の群れへと突進した。
そしてフェンリルが向かった一帯は、一瞬にして火の海ならぬ、爆発の海へと変わっていった。
「おう。おうおう。腕がなるのう。来い! わが僕よ」
カラカラと笑いながら、骨少女が右手に持った大鎌を振りかざす。すると上空にあった骨飛空艇がバラバラと崩れ落ち、次いでヘルの目の前でカタカタと組み上がっていった。やがて完成したのは――ヘルとはじめて出会った時に見た、巨大なスケルトンだった。
ヘルは巨大スケルトンの髑髏に飛び乗る。その際、ずっと鷲掴みにしたままだったミルをぽいっと投げ捨ててしまったため、ミルがぎゃーぎゃーと喚いていた。
「覚えておれよ、死神めが」
「アハハハハ! ユミールよ、これが終ったら、久しぶりに遊ぼうぞ」
「だから、我はユミールでは無いと言っておろうが!」
ミルは悪態をつきながら、復活した十の肩に飛び乗った。どうやら、俺よりも姉御の肩の方が居心地が良いようだ。
それを見届けるとヘルは、フェンリル、ヨルムンガンドとは別の方角へと突撃していった。そしてゴーカートに乗ってはしゃぐ子供のように楽しげに声を上げながら、巨大スケルトンの頭蓋骨にしがみつき、無数ともいえる天使の大軍へと飛び込んでいった。
先ほどからその巨体を振り回している竜の君ヨルムンガンドとあわせ、三方でそれぞれ魔界の三柱神が大暴れしていた。その結果、無限とも思える数が湧き出していた天使達が、目に見えてその数を減らしていく。
だが、それでもまだ天使共は湧き続ける。魔界の三柱神でも、あの天使の軍勢は食い止めるのが精一杯のようだ。
「おい、アンラ。周りをいくら倒しても意味無いだろ。発生源を倒さないと」
この場合の発生源は魔法陣、もしくはそれを起動している人物――つまり先生を倒さなければ、きりが無い。
実際、周囲一帯から湧き出す天使達は三柱神によって押さえられてはいるが、ヴァルハラ宮殿から湧き出してくる天使達はいまだ健在だ。天使達は現在進行形で、もりもりと溢れ出ている。あれをどうにかしなければ、先生の所にまでたどり着けない。
「少し、お待ちください。時間を稼いでいまして」
「時間稼ぎ?」
「はい……あぁ、来ましたね。これで最後です」
アンラは、上空を見上げながら言った。つられてその方向を見上げると、そこにはいつのまにか空飛ぶ帆船が現れていた。
木造の帆船に空色の装甲を張り合わせた飛行船。その空飛ぶ船は天使の群れを避けながら、縫うように飛行していた。
あの船は最近見たばかりだ。エスタブルグ帝国の――ブルゲール商会の飛行船。それを見て、王子達が歓声を上げた。
「タクヤだと……お前が呼んだのか?」
「はい」
アンラはニコニコと、微笑の仮面を崩さない。しかしそんなアンラを見つめながら、俺はある違和感を感じていた。これは明らかにおかしい――
ユグドラシルを起動し、三界が繋がってからまだ数時間だ。世界を何週も出来るような、世界蛇ヨルムンガンドに乗ってやって来た王子達と違って、タクヤが乗ってきたのはただの飛行船だ。今も大した速度も出さず、ゆっくりとした様子でこちらに近づいてきている。
タクヤの飛行船は、ヨルムンガンドよりもはるかに航行速度が遅いはずなのだ。つまり、タクヤがこんなにも早いタイミングでこの場所に現れるはずがない。
「どういう事だ。アンラお前、タクヤを呼んだは少なくとも今日じゃないだろ」
「はい。先日――3日ほど前ですか、一足先に地上の帝都エスタブルグに赴きました。まあ、使い魔の形で――ですが」
使い魔、つまりいまのミルのような形態をとって、大結界が解除される前にアンラは地上に来ていた。
「その時、牧原タクヤに事情を説明したのです。天界に訪れた災厄により、一橋空海が――この世界全体が危機に陥る事を」
事情を……説明だと? そんな事、できるはずがない。コイツは……アンラは世界がこの状況に陥る事を、知っていたとでも言うのか?
「アンラ、お前なんで――」
「知っていたというより、読んでいたという方が正しいでしょう。貴方達が地上に召喚された時から、天界で何か異変が発生し、少なくともオーディン達神々が死んだという事は予想していました」
「なんだと?」
タクヤの飛行船が大分近づいてきた、もうすでに、飛行船の甲板から数人のクラスメイトが手を振っているのが見える。こちらも王子や姉御達が手を振り返していた。
俺とアンラだけが、それを無視し小声で話し続けていた。
「……じゃあ、魔石十二宮と天界の情報、それに人神ロキに会えば元の世界に帰れるって話はなんだったんだよ」
「間違いではありません。すべて事実です。私は事実のみを伝えた。しかし一方で、天界に災厄とも呼べる異世界人が召還され、それによりと天界が滅ぼされたいう話は、私にも推論の範疇を出ないものだった――ゆえに伝えなかった。それだけです」
こいつは、最初っから――俺に魔石十二宮の話をした時から、こうなる事を予想していたとでもいうのか?
「言葉は悪いですが、あなたを利用させてもらった。大結界の解除、ユグドラシルの起動、そして――」
「そして、俺達を災厄にけしかけて、取り除いた後、俺達を元の世界に追放する。そうすれば最後にこの世界に残るのは、魔界の神々だけ――そんな所か」
自分達は危険を侵さず、異世界人を使って天界の神々の代わりに居ついた災厄を処理する。
その後、俺達が元の世界に戻れば、結果だけ見るとラグナロクは魔界側の大勝利だ。天界の神々が全滅してるんだからな。それが、魔王アンラの描いた筋書か。
「その通りです。一橋空海、あなたは本当に聡明な方だ」
アンラは、事も無げに言った。全てを見透かしたような、余裕げな眼だった。
やれやれ。何でも見透かした奴だとは思っていたが、ここまで見通していたとは、さすがにお手上げだな。
「……計画をばらしてよかったのか? 俺達の中には、そんな話に納得するとは思えない奴が何人かいるぞ」
「あなただから、話したのです。一橋空海。あなたがもしこの話を受け入れなければ、我々魔界の神々は、あなた方異世界人と敵対します。我々はあなた方を皆殺した後、総力を挙げて災厄を取りのぞく。最終戦争を実行するだけです」
アンラは毅然とした声で言った。やれやれ、ほとんど脅迫じゃねーか。
「……要するに、俺達を当て馬に使おうとしているんだな」
「はい。天界の神々を滅ぼしたという災厄の力――それを正確に見極めなければ、我々も危ない。私は安全に漁夫の利を得たいだけです。戦闘中と戦闘後の、あなた方との命と地上の安全は保障しましょう。我々は全力であの天使達による侵攻を食い止めます。そして――」
『私としては、全てが終わった後、あなた方にはぜひ穏便に外の世界に帰っていただきたい』――魔王アンラは、そう締めくくった。
まあ俺としては、この世界の未来なんて物には全く興味が無い。最終的に元の世界に戻れるならなんでもいいので、諸手を上げてこいつの計画に乗っかって行きたい所だ。
問題は他の連中だな……
「俺に、どうしろと?」
「今は、天王寺淳や六道あやねを含め、ここにいる方々は全員、世界の危機という状況下で結束しています。しかし、危機が去れば必ずや我々といさかいを起こすでしょう。あなたにはそうなる前に、彼らと共に元の世界に帰る様に計らって欲しいのです」
アンラの言った通りに事が進めば、天界が消滅し、魔界の神々が三界を支配する事になる。それを、例えばあの王子が納得するかといえば、かなり怪しい。そこで同じ異世界人である俺を使って説得してしまおうという話だ。
「この話を受けていただけるならば、これをお渡ししましょう。交渉の材料となるはずです」
「……?」
そう言ってアンラが取り出したのは、半透明の魔石だった。それぞれ魔石の中で青い炎が揺らめいている。
「冥界に送られてきた、異世界人達の魂です」
「冥界に……あぁ。なるほど」
これは死んでしまったクラスメイト、石内、友森、唐松の三人分の魂のようだ。冥界の盟主――死神ヘルが居るのだから、そういう事も出来るのか。
だが、なぜ今ここで?
「この方々は、あなた方の世界の意味では生きています。そして元の世界に戻りさえすれば、彼らは元の姿を取り戻すでしょう」
「本当か?」
なぜ、そんな事がわかる?
「勿論、推測です。ただ、試してみる価値がある――違いますか?」
アンラはにやりと笑った。アンラの言う話が本当かどうかは分からない。だが、あり得ない話でもない。石内達――脱落組を材料にすれば、頭の固い王子も説得できるかもしれない――か。
罠の可能性もある。だが今の状況でこの話を突っぱねて、魔界の連中と敵対するのも、ほとんど利益が無い無謀な選択だろう。ここはこいつの話に乗っかって、先生を倒しに行くしかないだろう。その後の事は、その時考える事にすればいい。
――さあきも、待っているしな。
「わかった。担任を倒して元の世界に戻る手段を手に入れたら、王子達を説得してやる。全員で元の世界に帰るようにな」
アンラは俺の言葉に頷いた。契約成立だ。
そうして俺とアンラの密談は終わった。同時に俺達の真上までやってきた飛行船から、牧原タクヤ――そしてブルゲール商会の連中が飛び降りてきた。