86 大魔王
86
一体、何が起きているんだ。
先生と天界の神々に殺されかけ、命からがら逃げ出したと思ったら、次は魔界の神々が次々と現れ、訳もわからないまま俺達に味方してくる。
そして今度は、魔界に行ったクラスメイト――六道あやねが現れたのだ。
【眼力】スキルで見つめると、黒い霧の中に見えるその姿は、間違いなく魔界で別れたきりのクラスメイト――六道あやねだった。セミロングの黒髪に、黒尽くめのドレス風軽鎧。鈍い光を放つ黒色の大剣を手に、六道は群がる天使どもを次々と両断していた。
六道と魔界で別れて一ヶ月ほど。久しぶりに見たがあいつ、圧倒的に強くなっていやがる。
「大魔王――六道あやねです」
「は?」
アンラが微笑を浮かべながら言った。なんか今、とんでもない言葉が聞こえたが……
「大魔王……だと? なんだよそれ。魔界にそんな制度、あったのか?」
「いえ、ありませんでした」
アンラは少し肩をすくめながら言う。
「先日、天獄戦――魔王を決める為の戦いが、百年ぶりに執り行われ、私はその場で六道あやねに負けたのです」
「って事はお前、今は魔王じゃないのか?」
「本来はそうでした。しかし天獄戦が終った後、六道あやねは言ったのです。『私は魔王になんか興味ない。すでに魔王が居るなら、その背後で魔王を操る"大魔王"こそ私に相応しい』っと」
……頭が痛い。なんだよそれ、中二病にもほどがあるぞ、あいつ。
確かに、六道の奴は相当な隠れゲーマーだ。別れる直前に話した時も、魔王になるとか何とか言ってはいたが、まさかの大魔王とくるとは……
「で、お前は魔王に据え置かれ、六道が大魔王となったわけか」
「はい。実質的に魔界の体制に、ほとんど変化はありません。あるとすれば、七悪魔が一人――傲慢の君ルシファが反乱を起こしたくらいでしょうか」
涼しげな様子で話すアンラ。それは、結構な問題のように聞こえるのが……
六道の奴、しばらく見ないうちに魔界で相当好き勝手やっていたようだ。あいつなら魔界でも上手くやるだろうとは思っていたが、予想のさらに斜め上を行っていやがった。
まあ、六道はいい。こっちに向かっているようだから、後で問い詰めよう。それよりも気になるのは、世界蛇ヨルムンガンド――そして魔王アンラがここにいる事実だ。
ヨルムンガンドは王子が、俺との約束にしたがって太古の地で足止め、もしくは撃退するはずだった。さらに王子は魔界に向かい魔王を打ち滅ぼすとまで言っていた。
それらが一切なされず、ぴんぴんした様子でこいつらは天界――俺達の目の前に現れた。しかも大魔王六道という、意味不明なおまけつきで。
これは、つまり――
「アンラ」
「はい」
相も変わらず、アンラは全てを見透かしたような微笑を浮かべていた。
「お前さっき、『説得するのに時間がかかった』って言ってたよな? それって――」
「お察しの通り、あの方の説得ですよ」
アンラが再び、世界蛇のいる方向へと視線を向ける。するとヨルムンガンドの頭部が、激しい光に包まれるのが見えた。
やがて光の中から、数人の男女が現れる。そいつらは完璧に連携された動きで、周囲の天使達を打ち倒し、次々と葬り去っていった。
それは王子――天王寺淳のパーティだった。
「王子達を説得したのかよ。あいつが魔王に説得されるなんて、信じらられん。世界の半分をくれてやる約束でもしたのか?」
「あはは! そんな事は言ってないですよ」
アンラは、愉快そうにクスクスと笑っていた。
「ただ、この状況――世界に危機が迫っているという事実を伝えただけです。詳しい事は本人達に聞いてください」
……
ヨルムンガンドに乗って現れた六道と王子達は、互いに競うように天使達を食い破り、俺達のいる場所へと駆け抜けて来た。
「クーさん!」
「王子。助かったぜ」
王子が、心配そうな様子で駆け寄ってくる。事情はさっぱり飲み込めないが、助けに来てくれた事に、とにかく感謝だ。
しかし見ると、王子に付き従うパーティは御手杵と霞の二人だけだった。
「これだけか?」
「はい。他のメンバーは地上防衛の任に就いてもらっています。魔界への侵入も三人で行うつもりでした。ですが――」
王子が困ったような顔で、六道に視線を向ける。
「ヨルムンガンドを撃退した直後に魔王を名乗る男、そして六道さんが現れまして……」
見ると王子と共に来たはずの六道は、不機嫌そうに腕を組み仁王立ちしていた。整った顔立ちとモデルの様にスレンダーな体付きに加え、今は妖艶さの様なものも感じる。そしてユニークスキル【闇術】によるものだろうか、今も黒い霧を周囲にまとっていた。
「久しぶりだな、六道」
「……」
俺が声をかけても、六道はため息を吐くだけだった。そして不機嫌そうに黒のブーツで地面を蹴り上げると、俺と王子を一睨みし、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
「……王子?」
「ええっと。なにから話せばいいのやら……」
王子は、少し困った様子で話し始めた。
……
王子が話した内容は、次のようなものだった。
まず、王子達は予定よりヨルムンガンドとの戦闘に時間がかかってしまい、ヨルムンガンドを撃破するよりも前に、俺が大結界を解除してしまったそうだ。
大結界が消え去り、全力が開放された竜の君に苦戦したものの、王子達は何とか撃退する事に成功した。そしてヨルムンガンドは太古の地の大穴の中に、一度は沈んでいったそうだ。
しかし、直後に現れたのが魔王アンラと六道あやねである。一応、俺から六道は魔界側だとは聞いていたが、実際に二人が現れて名乗るまで、王子はやはり信しられなかったそうだ。
その後、六道達と王子達は激しい戦闘を繰り広げた――
「死闘でした。六道さんと魔王は、今まで僕が戦った誰よりも強かった――しかし、結局は僕達が勝ちました。でも、それは相手が本気ではなかったからです。そうでしょう? 六道さん」
王子がそっぽを向く六道に話しかける。しかし六道は不機嫌そうに腕を組んだまま、黙りこくっていた。
「六道。お前――王子相手に、手を抜いて戦ったのか?」
俺は、以前に六道が語っていた話を思い出していた。こいつは前に、嬉々として俺に語っていたはずだ。
「魔王に挑んでくる勇者達を、容赦なく倒すんじゃなかったのかよ」
「だって!」
六道が突然、勢い良く振り向いた。セミロングの黒髪が大きく広がり、整った顔が少しだけ悔しさで歪んでいた。
「だって……仕方が無かったのよ」
「それは、この状況の事か?」
天界は現在、意思の無い天使共に埋め尽くされいる。この周辺は先ほどヘルとフェンリルによって掃除され、さらに東の空もヨルムンガンドと王子達よって、大部分が排除されたが、残りの方角にはまだまだ天使共が大量に湧き出していた
六道が、小さくうなずく。
「そう――放っておけば、この世界は滅ぼされてしまう。王子君と……戦ってる場合じゃなくなったのよ」
六道は、王子達との戦いを心待ちにしていたはずだ。なのに、泣くほど悔しい思いをしながら、それを放棄した――
つまり、王子以上の敵が現れた事に気が付いたのだ。
「あなたはもう、あの人に会ったのでしょう?」
「あぁ。さっき、手酷くやられてきたよ。俺達の、担任にな」
「……やはり、そうなのですか」
その言葉に王子は心底悲しそうに顔を伏せる。どうやら今回の騒動の原因が先生という所までは知っているようだ。
「良くわかったな。担任が黒幕だって」
「えぇ。魔界で一度、会っているの。でも、今はそんな事はどうでもいいわ。さっさと先生を倒しに行くわよ。私の邪魔をした事、後悔させてあげるんだから」
六道は怒りの色を隠さずに、続けて言った。
「アンラ!」
六道の背後にいた魔王が、微笑を浮かべながら返事をする。
「了解しました大魔王様。それではフェンリル、ヘル」
「うむ」
「おう」
アンラは後ろに控えていた三柱神に振り向き、抑揚の無い声で言った。
「天使共を撃滅しなさい」