81 天界
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「じゃあ、呼ぶぞ」
「うん」
「さっさとしろー」
次の日は、まず最初に【境界のトパーズ】を手に入れる事にした。祭壇の前で、ユミールから貰った使者を呼び出す為の魔石を取り出し、砕く。するとしばらくして空間に裂け目の様なものが現れ、その中からユミールが言っていた使者が現れた。
「おぉ……」
「わぁ!」
現れた使者の姿にさあきと十が歓声を上げた。そいつは手のひらより少し大きい程度――ハムスター並みの大きさをした女の子だった。白く透けた肌に流れるようなブロンド、そして青と赤のオッドアイ――境界神ユミールをそのまま小さくした、人形のみたいな小人だった。
……てか、こいつユミールだろ。
「我を呼んだのは貴様らか」
「……ユミール。なに、やってんだよ」
「む!? 我はユミールでは無いぞ。断じて違う」
なんで、否定するんだよ。
「じゃあ、あなたは誰? お名前を教えてくれる?」
さあきがしゃがみ、目線を合わせながら聞いた。すると少女は真剣な表情で答えた。
「そうだな。ミルとでも呼べ。お前もな、クーカイ」
「俺、まだ名乗ってないけど」
「……ユミール様から聞いておったのだ。当たり前ではないか」
何も隠しきれていないが……
「やばい……ちょー可愛いんだけど」
「ね。触っても良い?」
「構わぬぞ」
すぐに姉御とさあきの玩具にされ始めたミル。手のひらサイズでちょこまかと飛び回る少女に、二人はすぐに虜にされてしまった。
どうやらこいつ、ユミールとは別人で押し通すつもりのようだ。別にそれ自体は構わないのだが、何がしたいんだろうな。神のする事はわからん。
「……で、ミル。【境界のトパーズ】の件なんだが」
「む。そうであった」
十の肩に腰を掛けていたミルに質問する。
「【境界のトパーズ】を用意するのに、どれくらい時間がかかる?」
「大結界ならすぐに解除できる。一瞬だ。【境界のトパーズ】自体は、我がすでに持っておるしな」
「そうか。それともう一つ。ユグドラシルが完全に起動するのはどれくらい時間がかかるか知っているか? 正確には、十二個の魔石十二宮を柱に設置し終わって、天界に行けるようになるまで、どれくらい時間がかかるか――だ」
「さて。我も詳しい事は知らぬ。が、おそらくそこまで時間のかかる事でもあるまい。数分の事だろうよ」
なら、時間の心配は無さそうだな。俺は皆にむけ指示を出す。
「それじゃ、計画通りユグドラシルは正午に起動する。それまで自由にして良いぞ」
「よっしゃー!」
「それじゃあ、早めにランチにしようよ。ミルちゃんも、一緒に食べよう!」
「よかろう。楽しみだ」
そうして午前中一杯使って用意された早めのランチを、ミルも含めた六人で頂き、俺達は正午になるまで時間を潰した。
……
「始めるぞ。ミル」
「あい分かった」
十の肩に乗っていた人形の様なミルが、ぴょんと祭壇の上に飛び乗る。そして右手を前に突き出すと、何もない空間から手品のように黄色に輝く魔石を引き出した。【境界のトパーズ】だった。
続けてミルはそれを両手に抱え、目を閉じる。するとミルの抱えた【境界のトパーズ】が、みるみると輝きと色を失っていく。同時に、周囲の空気が冷たくなった気がした。その異変を察知したのだろうか、周囲の森からいっせいに鳥達が飛び立つ。
地上に展開されていた大結界が、解除された。
「完了だ。大結界は解かれた」
「早かったな」
「しかしクーカイよ、急ぐがよい。この事はすぐに魔界の連中に気付かれる。とくに、あの世界蛇などはすでに行動を開始していよう」
ヨルムンガンドか……王子の奴が出向いているはずだが、無事だと良いな。
「王子なら大丈夫だろ。あいつ、この私より強いんだし」
「そうそう。あの王子だよ? 心配するだけ無駄無駄」
十と三好がお気楽に言い放つ。ま、その意見には俺も大賛成だがな。俺達は俺達の目的を果たすだけだ。
「よし。ユグドラシルを起動させるぞ」
ミルから最後の魔石十二宮――【境界のトパーズ】を受け取り、祭壇の周囲に囲む柱の中で、一つだけ輝きを得ていなかった場所にそれを置いた。
祭壇を囲む十二の柱すべてが、それぞれ魔石十二宮を得、対応した色に光り輝く。光はやがて輝きを増し、目の前にそびえ立つユグドラシルすらも包み込み、天に向かって広がっていった。
光がユグドラシルを包み、しばらくして巨大な振動が俺達を襲った。
「きゃ!」
「地震か?」
「違う。三界が繋がるのだ。数万年ぶりだな……」
いつの間にか十の肩に戻ってたミルが、どこか寂しげに言った。地震はどんどんと大きくなり、立っていられない程の激しさとなってきた。
さあき達がぎゃーぎゃーと騒いでいるようだが、轟音で声が聞こえない。大丈夫なのか、これ? いきなり大地が避けて、足元から魔界に落下とかは勘弁して欲しいが。
数分間、大地は大きく揺れ続けた後、ようやく地震は止まった。
「終わったか……」
「クー、すげえぞ。空見ろ!」
興奮した様子で叫ぶ十の指の先を見上げると、先程までは雲しかなかったその場所に、巨大な大地が現れていた。上空に――だ。
どうやら、あれが天界のようだ。
「どうなってんだよ、あれ」
「飛んでるねー。前の空中神殿みたい」
確かに、空中神殿の様に大地が空を飛んでいる。だが、規模は段違いだ。浮かぶ大地の端が見えない。所々穴が開いて空が見えてはいるが、天界の地は見渡す限り続いていた。
「でもあれ、どうやって行くんだ?」
俺が呟くと、ミルが呆れたように言った。
「なんだ貴様ら。そこの祭壇の説明を読んでいないのか?」
「読めなかったんだよ。久遠がお手上げだったからな。何か知ってるのか? ミル」
「まったく。少し待っておれ――」
ミルは起動した祭壇の上に飛び乗ると、小さな手をチョコチョコと振り回す。すると祭壇に翠色の電子ウィンドウが現れ、古代文字の羅列と共にいくつかの選択肢らしきものが現れた。
ミルがその中で一番上の選択肢を選ぶと、画面には雄大な古城の姿が映し出された。
「これが主神オーディンが居城にして、天界の中心であるヴァルハラ宮殿だ。転移陣を起動させたから、祭壇の上に乗れば近くまで転移できる。位置的には世界樹の目の前――要するにこの祭壇のほぼ真上だがな」
「……これって、もしかして魔界にも行けるのか?」
ウィンドウに表示される選択肢は、ヴァルハラ宮殿以外にもいくつかあるのが見えた。
「勿論だ。冥界五重門だろうが、伏魔殿だろうが、魔王城にだって行けるぞ」
なんだよ。すげー便利なもんがあるじゃねーか。王子の奴もついて来させとけばよかったな。もう遅いが。
「はっはー。じゃあ行くぜ! お前ら!」
「一応、リーダーはクーだから。姉御さん」
「ほらクー。指示出してよ」
「あぁ。わかってる。行くぞ」
俺達はミルが起動した、天界行きの転移陣に飛び乗った。
……
天界は、その名に違わぬ美しい場所だった。目の前には少し霧のかかった新緑の草原が広がり、奥では切り立った大地から、キラキラと輝く滝が遥か下界へと流れ落ちている。草原には小石で舗装された道が続いており、その先には白亜とガラスによる美しい造りの宮殿が、周囲の風景に溶け込むようにたたずんでいた。
「これが天界か! 最高に綺麗だな!」
「ほんと、天国みたい」
一番乗りした姉御が駆け出し、さあきがそれに続いていた。その後ろを男子三人がのんびりと歩く。
「まあ、天国ってのは間違いではないんじゃない?」という三好。たしかに、天国で間違いない。ただ、天国が俺達にとっての楽園とは限らないというだけだな。
「さあき、周囲を確認しろ。久遠、七峰に【変化】して【空術】【マーキング】を使っておけ。またここに来るかもしれない」
「はーい」
「了解した」
ワープから降り立った場所は丘のように一段高くなっており、周囲を広く見渡せた。見た感じ住人の姿は見えないが、油断は出来ない。いつ、何のイベントが起きるかわからないからな。
「ミル。あれがヴァルハラ宮殿か?」
眼下にたたずむ白亜の城を指差し、姉御の肩に腰掛けるミルに聞いた。
「その通りだ、懐かしいのう」
「じゃあ、とりあえずあそこに行ってみるか。当ても無いし」
「クー。あの城まで何もレーダーに反応は無いよ。誰もいないみたいー」
「そうか。じゃあ久遠の【マーキング】が終わったら――」
「……おかしいな」
その声は、七峰に【変化】した久遠のものだった。相変わらず、姿形は七峰そのものだが、表情と口調は久遠だからひどく違和感を感じる。久遠はその姿のまま、こちらを向いて言った。
「【マーキング】が発動しない」
「なんだと?」
【マーキング】は転移魔術【空術】【シフト】を使用するために必要な魔術だ。【マーキング】をした地点にのみ【シフト】で移動先に設定する事が出来る。逆に言えば【マーキング】しないと、その場所に【シフト】を用いて転移する事が出来ないのだ。
その【マーキング】が発動しないという事は、もしかして――
「久遠。【シフト】は使えるか?」
【空術】【シフト】
七峰の姿をした久遠は、かるく右手を突き出して詠唱した。しかし、いつもならすぐに現れる光り輝く平面は、今回は現れない。久遠が両手を開いてお手上げのポーズをとった。
「どうやら、使用不能なようだな」
その後確認すると、【空術】の中でも【シフト】と【マーキング】だけが使用不能なようだった。【空術】の他の魔術や【火術】などの基本魔術、それに十の【爆術】などは問題なく使用できたので、理由はまったくの不明だ。
「どういう事?」
一様に首をかしげる皆。俺はこの中で唯一事情を知っていそうな少女に声をかけた。
「……ミル。何か知ってるか?」
「知らぬ。だが、おそらくはユグドラシルが起動した為では無いのか?」
ミルは興味なさそうに言った。ユグドラシルを起動させたら、なんで転移魔術が使用不能になるんだよ。訳がわからん。
まあ、仕方が無い。とりあえずピンチになる前に気が付いてよかった。【シフト】を当てにして行動して、最後の最後で使用不能だって気がつくよりは遥かにましだ。
一抹の不安は感じるが、もう後戻りは出来ない。ここまできたら、やるだけだ。
「とにかく、ヴァルハラ宮殿まで行くぞ。そこからは状況次第だが、いつでも動けるように気を張っとけ」
「はーい」
「はいはい」
「了解した」
「はっはー。楽しくなってきたな!」
みな、思い思いに返事を返す。いよいよだな。