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一章:いつもと違う朝(8)
 
「由里、ご飯よ」
 
 私は目を開けようとした。しかし上手く開かなかったので、その目を擦った。お母さんの声で目が覚めたようだ。私はどうやらあの悪夢で起きた後もまた寝てしまったようだった。ようやく開いた目を時計に向ける。短針と長針は七時であることを示していた。つまり丸々四時間近く寝たということだ。
 
 私は体を起こした。すっかり開いた目が自然に私の着ている制服を捉えた。そこには皺になってしまった制服があった。私は顔をしかめる。
 
「あらあら」
 
 お母さんも私と同じように顔をしかめた。私の顔はお母さんにそっくりだと、両方を見たみんながいうものだから、きっと私もこんな顔をしているに違いない。
 
「どう、食べれる?」
 
 私は一瞬、目をつむった。そして笑って答えた。もう、甘えは言わない。
 
「うん。もうお腹ペコペコ」
 
 私は、由里だ。
 
 ふらつく体を動かしながら、階段を下りる。そのまま廊下を歩くと、洗面所のドアが開いていて、大きな鏡が目に入った。部屋は暗かったので気づかなかったが、よく見ると、私の目の回りには明らかに泣いたと見える跡があった。私はちょっと恥ずかしくなり、蛇口を捻って冷たい水を出し、それで顔を洗った。さっぱりして、気持ちがよかった。眠気が冷めて丁度良い。
 
 タオルで顔を拭いてリビングに入る。そこにはさっきまで私の部屋に居たはずなのに、さっきからここにいたかのようにせかせかと料理をテーブルに運んでいる私のお母さんと。ゴールデンタイムについ最近入ってきたバラエティ番組を見ている私の弟と。私のために普段より仕事を早く切り上げて帰ってきてくれた、新聞を読んでいる私のお父さんがいた。
 
 私はお母さんの手から皿を受け取ってテーブルに運ぶ。
 
「正和、手伝いなさいよ」
 
 私はお母さんから受け取った野菜炒めののった大皿をテーブルの中心に起きながら弟に注意した。
 
「は~い」
 
 そこまでバラエティ番組に執着が無かったのか、弟は言われるや否や、テレビから視線を外した。そして間延びした返事を返しながら座っている椅子を引いて立ち上がった。
 
「よし、えらいえらい」
「はいはい」
 
 私はいつも私がそうするように弟の頭を撫でる。すると弟もいつものように照れるようにその手から逃げる。
 
 全ての料理を並べ終え、家族全員が所定の位置に座る。私は弟の隣。向かいに座るのはお父さんで、その隣にお母さんだ。

「じゃあ」 
「いただきます」
 
 お父さんが一声かけると、全員で声を合わせてそう言って、我が家の晩ご飯は始まる。といっても、お父さんの帰りはだいたいご飯には間に合わないし、日が長い間は弟の正和の部活が長く、私とお母さんだけで言うことになるのだけれど。その時はお母さんが声をかけて、二人で言う。座る席も、斜向かいに座るなんてことはなく、私かお母さんがどっちかにずれて座る。
 
 みんなで「醤油取って」だとか、「これおいしいね」とか、それに他愛のない会話――私達の学校の話や、お母さんがお昼に見たテレビ番組や、お父さんの冗談とか――を混ぜながらこの家の食事は進む。
 
 いつも通りの、楽しい食事。いつも通り、家族四人全員が楽しんでいる。少なくとも、表面上は。
 
 こうしてみてもわかる。我が家は家族の仲がいい。とっても優しい家族だ。『私』がこうして居ても、心が落ち着くし、とても楽しいと感じることができる。
 
 だから、だからこそこの家庭を崩すわけにはいかない。『私』は嘘をつき続けるのだ。こんな嘘なら、許されるんじゃないかと、私は思った。
 
 そこまで考えて気付く。私は由里なんだ。そんなことを考えちゃいけない、考えられないはずだ、と。由里はそんなことを知らない。
 
 しかし、現実は非情だった。突如私の頭の中に現れた情報が楽しい夕飯の時間に水を刺す。私の頭は送られてきた情報を素早く処理し、整理する。
 
 ポイントはC。時間は最速で六時間後、遅くても九時間以内。私がこの世界に来て最初に張り巡らせた探知能力からの情報だった。
 
 幸い、時間は深夜なので家を抜け出すには好都合だ。後は私の覚悟のみか――
 
「お姉ちゃん?」
 
 正和の言葉にはっとする。気づかなかったが、正和が私の顔を前からのぞき込んでいる。少し意識がとんでいたようだ。私の口は手に持った箸の先をくわえ、左手は茶碗を持ったままだった。
 
「大丈夫? なんか怖い顔してたけど」
「やっぱり、まだ具合悪い?」
「学校行って疲れたんじゃないのか?」
 
 家族の皆が代わる代わるに心配してくれる。私は箸を持った手を慌てて振り、笑みを浮かべた。
 
「大丈夫大丈夫、ちょっと考えごとしてたの」
「考えごとって?」
 
 すかさずお母さんが不安そうに聞いてくる。思えば、今まで彩乃と美奈以外の友人の話を家でしたことはなかったし、二人が居なくなった今、交友関係の問題でお母さんは心配してしまっているのかもしれない。
 
 そう思って私はとっさに答えていた。
 
「休んでいる間のノートを作ってくれてた人が居てね、その人に何かお礼しなきゃなぁ、って」
 
 お母さんの顔がパッと明るくなった。
 
「あら、お友達?」
「うん、そう。圭織っていうんだ」
 
 聞いたことのない新しい友人の名前にお母さんの声が弾む。私の推測は当たっていたようだった。
 
「あら、じゃあ家に呼ぶってのはどう? お母さんにも紹介してくれない?」
「うん、それいいかも。今度声かけてみるね」
 
 私は適当に返して、この話を終わらせた。お茶碗に残った一口のご飯を同じく、取り分けた皿に一口残った野菜炒めでかきこむと、自分の皿を纏めて持って立ち上がった。
 
「ごちそうさま。私、お風呂入ってくるね」
 
 私はそう言い残してリビングを後にした。ここは今の私には優しすぎた。これ以上ここにいると、今日の夜出かけるのが嫌になりそうだった。


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