四章:Intermission-past(9)
「…………」
意味をうまく受け取れなかったので、彼の言ったことを反芻させる。
「そうして僕と一緒にいたいと思ってくれることが、僕には嬉しいよ」
――これは……?
「僕と一緒にいたいと思ってくれることが、僕には嬉しいよ」
――!?
頭の中が混乱する。これでは、言っているのと大して変わらないじゃないか。今まで、その言葉をお互いに口にしたことはなかった。今の彼の言葉のように、そうだと受け取れるような言葉も言ったことがないし、言われたことがない。というよりも、お互いに避けていたような気すらする。口にしなくてもわかるというのは言い訳で、ただ恥ずかしくてそれを避けていた。いや、違う。今のやりとりを忘れたのか?
――もし彼に嫌われていたら? 彼はなんとも思っていなかったら?
確かに、周りから付き合ってるとか、恋人と言われて彼は否定したことはない。でも、肯定したこともない。
――もしかしたら、否定するのが面倒だっただけかもしれない? それか、女避けに使われているだけだったら?
そんな考えが頭のどこかにあって、私は今まで言うのを避けていた。聞くのを避けていた。そうじゃないのか? 今ならわかる。そうだ。
長々と何についてかだって? それはここまででわかって欲しい。察して欲しい。でも、今までそうして伝わらなかったんだ。ならはっきりと述べておく。『好き』という気持ちについてだ。
話を戻す。そう、彼の言葉はそうだと受け取ってもいいんじゃないか? それに、私もよく考えたら後先も考えずにあんなに感情を爆発させて、思いの丈をぶちまけて、あれでは好きだと、そう言ってるようなものじゃないか。
思い出して、そして彼の言葉の意味を考えて私は顔を真っ赤にする。その突然襲いかかったことは私の頭の容量をオーバーする。彼の顔を見る。
まっすぐで真剣な目が私を見つめていた。そこで私は力つきた。体が動かせなくなる。そうなると当然私は彼の目を見つめる格好になってしまい、互いに見つめあうようになる。そのうちに彼も頬をうっすらと赤く染め始めた。
「…………」
「…………」
そうしてしばらくたって、ようやく体のコントロールが私に戻ってきた。とりあえず、何かを言わなくては。
「あ、その……」
何と言ったらいいのか皆目見当もつかない。そうして視線をあっちこっちに散らすと、時計が目に入った。
「あっ、そう、時間!」
彼の口が開いた。と言っても、何かを口にしようとしてではない。自然に開いたのだ。まさに、ポカンという擬音がぴったりなように。
そりゃそうだ。あんなことを言って、こんな言葉が返ってくるのだから。私だって驚いてる。しかし、言い始めたのだから言い終えなくてはいけない。私は先を続けた。
「そう、時間だよ! もうすぐ授業始まるし、そろそろ準備しないと!」
まだ授業の時間には余裕があった。長い時間だったと私が思っていたあのやりとりは、ものの数分の出来事だったらしい。
「あ、ああ……」
彼は一拍遅れて時計を目にし、赤く染めた顔を後ろに向けて言った。
「そ、そうだね。そろそろやらないと……」
「う、うん……」
結局、私は先延ばしという選択肢を選んでしまったのだ。彼も恥ずかしくなって同じ選択肢を選んだ――いや、私に選ばされたと言った方が正しい。
彼は数枚のプリントを手にし、ペンで印をつけていっていた。やはり、彼が最初に言ったとおりに片手間にできるようなことであり、忙しいというわけではない。今この部屋を出ていくというのには気まずさが残る。結局、話せるのに話さないという、互いに互いを意識しまくりなこの状況ができあがる。
――何か、何かいわないと。
「すごいよね、そうやってささっと。私なんかぜんぜんわからないのに」
しかし、そうやって無理矢理ひねりだしても、声の調子にはぎこちなさが残るわけである。けど、それは彼も同じだった。
「ん、まあ、好きでやってることだしね」
「…………」
結局、話はそこで途切れてしまう。私は作戦を変えることにした。
「そういえば、授業とは関係ないけど、色々知りたいことがあるんだよね、化け物とかのことで」
「ん、何?」
「どうして、化け物たちは人間ばかりに乗り移るのかな、とか。他の生き物は襲われないじゃない?」
「ああ、それはね、別に化け物は人間――人類を襲っているわけじゃないんだ。本来はその世界の食物連鎖の頂点、つまりはその世界の支配者と言い換えてもいいかな。その生物を狙って乗り移りを行うんだ」
すらすらと説明し始めた彼の声にはぎこちなさは残っていなかった。
「支配者?」
「そう、支配者。他のどんな生物を相手にしても勝つことができる。そういった状況に立たされた時、その生物には余裕が生まれる。心の余裕がね。『負けるわけが無い』とか、そういった感じに。そして、そしてその余裕も世代を重ねるごとに忘れられていく。その心の余裕を隙として、化け物は乗り移りを行う。そして人類という種族は、どの世界でも類稀な適応能力を活かしてその世界の支配者に立つことが多いんだ。さらに、他の生物と違って知的能力が高い。心の余裕が元々備わっている。これらの理由から人類は様々な世界で襲われやすい」
「ってことは、他の世界、人類がその世界の支配者でない世界ではその世界の支配者である生物が襲われるってこと?」
「そういうこと。だからそんな世界に派遣されるということもあるんだ」
「へえ、それって何だか寂しそうだね……」
こうして彼の知っていることを教えてもらう、こういう形であれば私も理解するために真剣にならざるを得ないし、彼も、余計なことを考えずに私に理解させるために言葉を選びながら話すことになる。
「…………」
「…………」
しかし、一度説明を終えてしまえば状況はまた戻ってくる。
「あっ、じゃあ今の研究のこととか教えてよ! もうすぐ終わりそうなんでしょ?」
――なんとかこうして話題を出し続けて彼を質問攻めにするしかない……。
「ああ、前にも言ったけど……」
「わ、忘れちゃった……」
これは本当のことだから仕方が無い。覚えているのは化け物関係のことだってくらいで。
「うん、ちょっと難しいんだけど、一言にすると空間をコントロールできるようにするってことかな」
「空間をコントロールって、どういうこと?」
全然意味がわからない。繰り返すが、私はこの分野が苦手である。
「うん、具体的なことだと化け物の出現する世界をコントロールしたりとか。そういった転移とか歪みとかの空間についての理論を統合しようとしてるんだ」
「ふーん、全然わかんないや。凄いよね、全く誰もやったことがないことなんでしょ?」
「まあね。でも一つの研究を完成させたとしても、また疑問や問題は生じる。そうしたらまた多くの研究が必要になる。現に、今僕がまとめようとしている研究からも多くの疑問や問題が生じている。今の僕たちもそういった積み重ねの上で生きてるんだ。僕もその一段だけでも積み重ねることができればいいなって思うんだ」
私は彼に感心した。自分のやりたいこと――明確な目標――があって、それを現実にしようとしている彼に。彼が羨ましかった。私なんて誰かの役に立ちたいとは思ったことはあっても、はっきりとした何かがあるわけじゃない。
「凄いね。やればやるほど問題が出てくるなんて、私なら気にしないで先に進んじゃうよ」
「いいんじゃないかな、さっきも言ったことだけど、『われわれの持っている天性で、徳となり得ぬ欠点はなく、欠点となり得ぬ徳もない』そうやってただ前に進むことが解決の方法になることもあると思う――――」
彼は急にそこで言葉を止めた。顔は私の方を見ていたが、その眼は私のことを見ていなかった。そして彼は急に呟き始めた。
「わからないことは無視する。『最も不自然なものもまた自然である。至る処に自然を見ない者は、どこにも自然を正しく見ない』――つまり、間違っていると思っていたそれで自然であったとすれば? 『仮設は、建築する前に設けられ、建物ができ上がると取り払われる足場である。足場は作業する人になくてはならない。ただ、作業する人は足場を建物だと思ってはならない』――つまり、間違っているのはこの理論じゃない。今までの理論のどこかに間違いがあったと考えれば――『理論的意味での絶対なものについて、私は敢えて語ろうとは思わない。しかし、現象の中に絶対なものを認めて、それから常に目を放さぬ人は非常に大きな利益をうけるだろうと、主張することはできる』――目を向けるべきは過去ではない、現実。今実際に起こっている現象そのもの――――」
「ど、どうしたの? 大丈夫?」
急に様子の変わった彼を心配し、声をかける。しかし、彼は反応せずに、呟きを続けている。私は彼の肩に手をかけ、ゆすってもう一度声をかけた。
「ねえ、大丈夫!?」
彼はゆっくりと首を回し、私のほうを見るとはっと気付いたようにして喋り始めた。
「ああ、スウォン、ごめん。今日の授業は中止になるよ。理論が完成する。授業なんかやっている場合じゃない」
そう言って彼は立ち上がって研究室の方へと歩いていった。
「そ、そうなの? じゃあ、私邪魔になるから帰ったほうがいい?」
彼は歩みを止め、もう一度私の方を見た。彼の目はさっきと違い、まっすぐに私を捉えていた。
「スウォンにはここに居て欲しい。研究が完成する時に居て欲しい」
「えっ、でも……」
「終わったら、さっきの話の続きをしよう。さっきはあやふやにしてしまったけど、そろそろ僕たちはちゃんと考えるべきだと思う」
「…………わかった。でも、一度部屋に戻りたいの。とってくるものがあるから。大丈夫、もう、逃げない」
もう、誤魔化すような話ではなかった。逃げずに、ちゃんと、きちんと話し合う。しかし、彼の研究が完成して、そういう話となるなら、私はやはり一度部屋に戻る必要があった。
私は彼の横を通り、彼より先にドアを通った。
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