エンジェル畑でつかまえて
テレビを見ていたら、若い頃好きだったレイなんとかという作家が亡くなったというニュースが流れてきた。そういえば叙情的な優しいあの文体は、現代日本に溢れてる気が触れたような小説と比べて何と美しかったことか。
昔は、今みたいに酷くなかった。少年犯罪は起きていなかった。女は慎みを持っていたし、男は根性があった。そして何もなかったが人の温もりがあった。
思うにあのパソコンというものが流行り出してから悪くなった気がする。家にいながらにして何もかも知ることができるというのは、多分核と同じで人が持つには大きすぎる力なのだ。子供たちは毎日家でパソコンに向かっている。それが心配でならない。
テレビで言っていたが、パソコンで卑猥なものや血しぶきなど醜悪なものを子供でも簡単に見ることができるらしい。それに町の本屋に行けば、最近の漫画や雑誌は、目を疑うような扇情的なものばかり。これでは子供たちにマトモに育てという方が無理というものである。
というわけで子供たちのことを考え、そうしたものを規制していくという政党に投票することにした。老人会で会議した結果、やはり皆、孫やその世代のことを考えると満場一致でその政党を応援していくことに賛成だった。
老眼になってからというもの、新聞や本はめっきり読まなくなってしまった。テレビはよく見るが、世界がどんどん酷くなっていくのがわかる。早く食い止めなければ。
応援していた政党が青少年エンジェル化法案を出した。詳しいことはテレビでやっていなかったので知らないが、施行されると劇的に社会に変化をもたらすものらしい。駅前で反対運動が起きていたが、テレビではそんなニュースはやっていない。どうして反対するのかわからない。自分たちがとことんパソコンの毒に染まりきっているからではないか。
私は子供たちを守りたいだけだ。この法案についての演説を聞こう。
「性や暴力、麻薬や酒で可愛い子供たちが汚されてはいけない。子供たちは天使だ」
そういうことらしい。とてもよくわかる。今ではないのだ。子供たちの未来のためにこうするのだ。
――以上は、治安維持法以来の悪法とも言われる青少年エンジェル化法案(※1)を立案した政党を支持していた有権者の思想痕跡(※2)を探ってわかった当時の意識である。この老人の意見は当時としては何らおかしいものではなく、同じ老人会内でも同様の思想痕跡が残っている。
興味深い点は、彼らが子供たちに対する善意によって動いていた点である。皮肉にも彼らの孫たちは上記の法案が施行された後に産まれた者ばかりであり、天使連続飛び降り事件(※3)やアン・ファン・テリブル紛争(※4)により全員亡くなっている。
※1 青少年エンジェル化法
十八歳以下の青少年に不適切なものを完全に見せないようにする法案。この法律が施行されて以降の子供たちは、出産後すぐに眼球角膜に対して生体PCで作られたコンタクトレンズを寄生させられることになった。子供たちの目には、政府や各自治体の定めた「不適切なもの」(アダルト関連、麻薬関連、猟奇犯罪関連などで、画像や文字・立体物含む)は全て光学処理がなされ、あたかも「そこに無い」かのように映し出される。十九歳以上になって役所に届け出れば、この寄生したPCを目薬で殺してもらえる。この法律は多くの問題を孕んでいたが、それが起こり始めたのが施行されて十九年後であった点、政府の対応の遅れから多くの後遺症患者を出しつつ二十五年間続いた。
※2 思想痕跡
死んだ人間の残した脳細胞から得られる、その人間の思想を綴った日記のようなもの。この発見により犯罪捜査が楽になると同時にプライバシー問題が複雑化した。
※3 天使連続飛び降り事件
十九歳になり、生体PCを取り除いた者による連続自殺事件。「本当の世界」の汚さに耐えきれずに死を選んだ者たち。異性の肉体に過剰な期待を抱いた後に絶望した者がいる一方、やはり想像通り世界は汚い欲望にまみれていてホッとした者もいたという。
※4 アン・ファン・テリブル紛争
青少年エンジェル化法を支持する老人や中年層を中心としたグループと、それに反対する子供たちを中心としたテログループが起こした紛争。日本中を巻き込み、百万人以上の人々が行方不明もしくは死亡した。
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