act.2 月色の眼差し<3>
演劇部から台本を手渡され、一念発起したそれからの昼休みは。
台本を頭に叩き込むことに集中する時間になった。
声に出して読む方が覚えやすいからと、アドバイスをくれたのは未遊だ。
始めはブツブツと呟いているだけだったから、練習するのはどこでもよかった。
だけど回を重ねていくと台詞に多少なりとも感情移入するようになってきて、自然と人目の少ない場所を選ぶようになった。
南向きの校舎に対してL字になるよう西向きに配置された文化棟の裏には、園芸部が管理する小さな温室がある。
その温室の北側はコンクリート壁と挟まれて建物の陰になり、温室を突き抜けて差し込む光のお陰で明るさのある割には人目につきにくい。
ここのところの練習場所は、専らそこを利用していた。
「“お前を、同胞にはしたくない”」
愛してしまった人間の娘に、吸血鬼にしてくれと懇願されて言う台詞だった。
好きなのに、同じようには生きられない。
同じ身体にしてしまえば、永遠に血に飢え彷徨わなければならなくなる。
人を愛して初めて、他人の血でしか生き永らえない身の上を悲哀だと気付いた吸血鬼。
「悲しいね」
温室横に置かれていた脚立を拝借して、椅子代わりに腰掛ける。
すると、地盤の柔らかな部分に脚立の足が位置していたらしく、ぐらり、倒れる脚立と共にバランスを崩した。
「うわっ」
共倒れしそうになったところを、辛うじて間逃れる。
顔を上げた視界に、物陰から人間の腕らしきものがだらりと地面に投げ出されているのが見えた。
(・・え、ヤバいモノ・・とかじゃ、ないよね?死体とか、シャレにならないから)
ゆっくりと近付いて、裏を覗いてみた。
手足が脱力気味に投げ出され、積み重なったグレーのコンテナに寄り掛かるようにしている。
僅かに胸が上下しているから、眠っているのだろう、その男。
「碧?」
ネイビーブルーの髪の持ち主の、彼だった。
「・・・・・」
ゆっくりと屈んで間近に迫ってみたのは、余りにも無防備な姿にちょっとした興味が湧いたからだった。
斜めに流した長めの前髪が、サラサラと風に泳ぐ。
やけに長い睫毛が印象的な寝顔。
こうして黙っていれば綺麗な顔立ちが目を引くのに、普段会話をやり取りしている間はそんなことは気にも留まらない。
引き上げられる口元と、吊り上がった勝気な瞳ばかりが目に付いてしまう。
『あの人は、美人さんよね』
どうして今、未遊の言葉が思い出されたのか分からない。
脳裏に浮かんだ彼女の声を振り切るように立ち上がった腕を、予想外の何かに引っ張られて心臓が止まる思いだった。
「なっ!」
「・・ヒトの寝顔、タダ見かよ」
格好はそのままに、眩しそうに瞳を細めながらあたしを見ている。
「タヌキ寝入り!?」
「昼寝邪魔しといてその言い草・・相変わらず可愛げのない・・」
「うるさいな」
うん、と一つ伸びをしてすっかり覚醒した男は、立ち上がってもまだ、掴んだ手をなかなか離そうとはしなかった。
「手、離して」
「・・・・細ぇな」
こっちは完全シカトで掴んだそれを持ち上げ、しみじみと眺めている。
細いけれど骨張った男特有の指が容易く回ってしまう腕は、あたしの目にも明らかに華奢に映った。
実際華奢なのだけど、気丈さをウリにしているあたしにとっては、嬉しくもなんともない。
眺めながら余裕気に笑みが浮かぶ碧の顔も、気に入らなかった。
ただ、屈辱的。
所詮女だろと、たったそれだけのことで露呈されるのが、悔しかった。
居た堪れなくなって反対の手に持っていた台本を、叩きつける。
「離せってば!」
「・・・痛ぇよ、暴力オンナ」
離れた手が、地面に落ちた台本を拾い上げる。
「滑舌悪過ぎ」
練習していたのは丸聞こえだと言わんばかりの言葉を、手渡した台本に添えて。
離れていくのにまだ近くにいるように感じる、その匂い。
風に乗って鼻に届いた清涼感のある匂いに、あたしは眉を顰めた。
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