【LWP】これがアタシの愛だから
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冷蔵庫を開ける。そこに冷やしてあったレアチーズケーキを取り出すと、香ばしくも甘い匂いに顔が綻んだ。サクサクのタルト生地と、酸味と甘味が絶妙なレアチーズケーキにブルーベリーを乗せて、完成である。
なかなかの出来栄えに、クレーネー・タラッサは、うんうん、と満足に頷いた。
「完璧。これならバッチリ、バルディーンさまも喜んでくれるわ」
さすがアタシね、と胸を張り、食べやすいよう八等分にカットする。
鼻歌を歌いながら箱の中に入れると、鏡の前で自分をチェック。髪や服に変なシワや癖が、メイクは派手すぎないかを確認する。
「うん。アタシ、可愛い」
鏡の前でにっこりと笑って、今度こそ部屋を出た。
豪奢な装飾が輝く城の長い廊下を、城に勤める騎士たちと挨拶を交わしながら歩いていると、目当ての人物を見つける。
「……あ、バルディーンさま!」
黒い鎧を身につけた、金色の癖のある髪を持つ青年。その髪から伸びる漆黒の角。すらっと背の高い彼の姿を見つけ、クレーネーは箱の中のケーキを気にしながら小走りに足を動かす。
クレーネーが想いを寄せている相手。この城の主であり、エンターランド最強の大国であるネヴァーグリムを統べる魔王、バルディーン二世である。
最近は激務で休む暇もないと耳に挟み、少しでも休息を取ってもらおうと、朝からレアチーズケーキを作っていたのだった。
「バルディーンさ、ま……」
しかし、クレーネーは足を止め、とっさに近くの壁に背を預けて姿を隠した。
「……レイアム……」
「バルディーン様、お戯れは……」
そこには大きな手を伸ばすバルディーンと、腕を掴まれて困惑するレイアムの姿があった。
「戯れなどではない。レイアム、私を選べ。誰よりも幸せにしてやる」
「困ります……私は……」
箱を抱く腕が震える。こんな盗み見のような真似はよくない。けれど、足が動いてくれなかった。
「レイアム、私の何が不満なのだ? なぜ私を選ばない?」
「不満があるわけではありません。私は……」
そのとき、重い響きを持った足音が、クレーネーとは反対側から近づいてきた。
「バルディーン、その辺にしてやれ。レイアムが困っているだろう?」
「……ガルヴォ―ル様」
安堵したように、レイアムが騎士団長である彼の名を呼んだ。
「ガルヴォールか」
「ちょうど探していたんだ。異世界との交戦について……」
「何かあったか?」
少しムッとしていたバルディーンだったが、ガルヴォールの言葉に態度を一変させる。
「あぁ。東区で交戦している奴らだが、ガクザビート兵に押されているようだ。至急、対策を立てるための会議を」
「分かった。すぐに行く」
ガルヴォールの言葉を最後まで聞かず、バルディーンは大きく頷いてマントを翻した。
「レイアム。私は必ずお前を手に入れる」
自信に満ちた声で宣言する王に、レイアムは何を言うこともできずに目を伏せた。
レイアムはその場に取り残され、去って行く二人を見つめる。二人の姿が完全に見えなくなったのを確認して、クレーネーはようやく壁の奥から出て「レイアム」と、彼女の名を呼んだ。
「クレーネー、いたの?」
「いたわよ、ずっとね」
歩調に合わせて、クレーネーの長い水色の髪が揺れる。可愛らしいその顔の眉は顰められ、傍から見て怒っていることがすぐに分かるが、あまり迫力はない。
「レイアム」
クレーネーは押さえた声でもう一度彼女の名を呼んだ。
「どうして、バルディーンさまの想いを受け入れないの?」
レイアムはバルディーンの寵愛を受けている。そのことはクレーネーにも分かっていた。
だから訊くのだ。なぜ、彼を受け入れないのか、と。
クレーネーはバルディーンのことが好きだ。レイアムが彼の想いを受け入れないのは、どちらかといえば都合がいい。しかし。
愛とは尽くすもので、求めるものではない。
それが彼女の持論だった。
彼に愛して欲しいとは思わない。彼を愛していられればいいのだ。
「バルディーンさまが嫌い?」
沈痛な面持ちで黙るレイアムに、クレーネーは押さえて声で訊ねる。
「……嫌いではないわ」
「じゃあ好きなの?」
「それは……」
曖昧なレイアムの答えに、クレーネーはカッとなって声を荒げた。
「はっきりして!」
力を込めたケーキの箱がぐしゃりと潰れる。そのことに、クレーネーの意識が回らなかった。
彼女の叫びに、レイアムは困惑したように視線をさ迷わせる。
「そんなことを言われても……私は……。好きか嫌いかなんて……」
「好きじゃないなら嫌い、嫌いじゃないなら好き。相手に対する評価なんて、それしかないでしょ?」
少なくとも、彼女の中ではそれがはっきりしていた。
バルディーンのことが好きで、大切で。
それ以外のものなど、いくらでも切り捨てることができる。
「アタシは嫌いよ。アナタの、そのはっきりしないところも、バルディーンさまを拒むところも……大っキライッ!」
そう言い残して、クレーネーは踵を返して走り出した。
陽が沈む。城のベランダで赤く染まる城下を見下ろしながら、潰れた小箱を開けた。そこにあるレアチーズケーキは、箱が歪んだせいで形が崩れてしまっている。
「せっかく作ったけど……こんな不格好なもの、あげられないじゃない」
八等分されたレアチーズケーキを一つ取り、パクッと口に運ぶ。甘くて美味しい。美味しいはずだが、あまり味を感じなかった。
「それ、あたしにも頂戴?」
突然の声に、クレーネーは顔を上げる。そこには、ピンクの髪を靡かせて、蝙蝠のような羽で空を飛ぶ一人の少女がいた。紫色の瞳が、物欲しそうにレアチーズケーキを捉えている。
「……ノンナ」
ノンナ・ドラゴス。欲しいものはどんな手を使っても手に入れる、アイテムコレクターのダークエルフ。まだ交流は浅いが、友人と呼ぶに差し支えない仲だった。
「城に忍び込むなんて、いい度胸じゃない」
「あたしに掛かれば楽勝よ。それより、そのケーキ頂戴」
そう言って、ノンナは差し出されるより早く小箱ごとケーキを取り上げ、手すりの上に腰を掛けた。
「これ、あなたが作ったの?」
「そう。バルディーンさまに食べてもらおうと思ってね」
ふぅん、と適当に相槌を打ったノンナは、手についた欠片を舐め取り、次のケーキを食べる。
「クレーネーったら、本当にバルディーンが好きね。あんな子どものどこがそんなにいいわけ?」
ノンナの外見は自分とはそれほど変わらないが、それよりも長く生きていることを知っているクレーネーは、その発言に疑問を持たなかった。
「どこって、それは……」
そこまで言って、クレーネーは言葉を止めた。
どこが好ましいと思っているのか上げられなかった。
「それは? なに?」
「……分かんない」
何よそれ、とノンネは呆れたように言うが、クレーネーはすぐに思考を切り替える。
「別にいいの。どこが好きかなんて関係ないもん。好きだから好き。だから、バルディーンさまのために何だってする。それがアタシの愛よ」
バルディーンに助けられたあの瞬間から、それは変わらない。揺るがない。クレーネーの信念のようなものだった。
「へぇ? もし死ねって言われたら、あなたは死ねるの?」
「もちろん、やってみせるわ。バルディーンさまがそんなこと言うとは思えないけど」
やる、ではなく、やってみせる。
だって、死ぬのは怖いから。自分の身体に刃を突き立てるのが怖くないはずがない。
だがもし、やれと言った相手がバルディーンだったならば。
他の誰でもない、彼だったならば。
死んでみせる。
「ふぅん。じゃあ、あたしを殺せって言われたら?」
愉快そうにケーキを頬張りながら、ノンナは挑戦的に彼女を見る。
もし、ノンナを殺せと命じられたら?
一瞬の空白。
もちろん、そんなこと決まっている。
バルディーンの命令は、クレーネーの中では最優先事項だ。
「……殺すに決まってるじゃない」
「あら、できるのかしら? 魔法は苦手だけど、逃げ足なら誰にも負けないわよ」
ノンナが余裕たっぷりに挑発する。それは長年、欲しいものを手に入れ、奪い、そして逃げ切ってきたが故の自信だろう。その『逃げる』という選択肢を嗤う気はない。むしろ、己の力量を過信し、戦況を見誤って命を落とすことの方が愚かだと思う。
「あたしを捕まえられる?」
「当然でしょ。愛の前に、できないことなんてないわ」
「ふふっ」
すると、突然ノンナは肩を震わせて笑い出した。
「な、なによ。何が可笑しいの?」
「だって……」
そう言って、ノンナは人差し指でクレーネーの額を弾く。小さな痛みに額を押さえて目を丸くする彼女に、自分とあまり変わらない外見の少女は、その外見に似合わない大人びた、思いやりに溢れた表情で微笑んだ。
「そんな顔したヤツに、あたしが殺せるわけないじゃない」
そう言われても、クレーネーにはピンとこない。いったい、どんな顔をしていたのだろうか。自分の頬を触っていると、不意にノンナの肩がピクッと震えた。
「や、ヤバッ。クレーネー、これ返すわ。またね!」
「え? ノンナっ?」
ピュー、と慌ただしく羽を動かして去って行ったノンナに、クレーネーの頭が追いつかない。押しつけられた箱の中には、レアチーズケーキが申し訳程度に一つだけ取り残されていた。
遅れて足音が耳に届く。それに振り向き、クレーネーは軽く息を詰めた。
「バルディーンさま……」
どうやら彼の気配を察知したらしい。職業柄と言っていいものか、気配には人一倍敏感なようだ。
先ほどのレイアムとのやり取りを見ていたせいで、何となく目を合わせ辛い。しかし、目を逸らされたことに彼は気がつかなかったようだった。
「それは?」
それ、の指し示すものが自分の作ったケーキであると理解するのに時間が掛かる。
「あ、これは……」
すでに形が崩れてしまっているものを、「アナタに食べてもらうために作りました」とは言えなかった。
「ちょうど腹が減っていたのだ」
バルディーンの無遠慮な手が、最後の一つとなったレアチーズケーキを掴み、口の中へと運んだ。
「美味いな。疲れた身体に、甘さが染み渡る。全く、書類仕事をするために王になったわけではないというのに、どいつもこいつも紙ばかり持ってくる」
まるで心の内を見透かしたような言葉に、クレーネーは目を瞠った。
そうか。
やはり、理由などないのだ。
彼が彼だから。
それだけで、想うには充分すぎる。
「クレーネー」
ケーキを食べ終えたバルディーンは一転、固い声音で彼女を呼んだ。その声に、自然とクレーネーの背筋が伸びる。
「異世界との交戦に、東区の兵が苦戦している。かなり劣勢なようだ」
それは先ほど、ガルヴォールがバルディーンのところへ持って来た報告だった。
「そこでお前に、東区の兵への加勢を頼みたい」
「アタシに、ですか?」
問い返され、バルディーンは大きく頷いた。
「あぁ。お前なら信用できる。東区の兵を助けてやってくれ」
心が、満たされる。
彼からの信頼に、身体が歓喜に震えた。
その言葉だけで、本当に何でもできる気がした。
「死ぬなよ、クレーネー」
バルディーンの気遣う視線に、クレーネーは息を大きく吸う。
愛して欲しいなんて思わない。
たとえ愛してもらえなくとも。
「はい!」
自分はこんなにも満たされている。
レイアムさんは、まだキャラクターの外見が決まっていないので、外見描写を控えています。