前回のあらすじ
リオが数人の男たちに襲われているところに優弥の助けが入った。しかし、優弥は腕をナイフで刺されて負傷してしまう。パニックを起こしているリオの元へ母親の理沙がやって来た。
99・・・優弥の未来
何の目印も無い荒地だったため場所を説明するのに少々手間取ったが、十分後には通報を受けた救急車が無事三人の元へ到着した。優弥とリオは近くの綜合病院に一緒に運ばれ、到着すると優弥は即外科に、そしてリオはその乱れたきった風貌から自動的に婦人科のほうに回された。
「えーっ、何でっ。リオ、へんな診察やだよーっ。」
婦人科と聞いてリオは診察室の前で大声を出して尻込みした。内診など未だ全く経験が無い。また赤の他人の前で足を開くのかと思うとうんざりした。しかし理沙は、リオの肩に両手を置いて真剣な面持ちで訴える。
「あのね、リオ。ここでできる限りのことをしておかないと、後で後悔することになるかもしれないの。我慢して。」
「えー、やだやだ。恥ずかしいもんっ。」
頭を振りながら半泣きになるリオに、付き添っていたベテランらしき女性看護師が代わって淡々と諭した。
「大丈夫。何も恥ずかしいことなんて無いの。大人になれば検診とかでみんな普通にやってる事よ?」
「やだ、やだ、絶対やだっ・・・・・!おうち帰って自分で洗うからいいっ。」
「リオ、お願いだから・・・言う事、聞いて・・・。」
理沙は努めて感情を出さないように説得したが、リオは聴かない。小さい頃からそうだった。この娘はいやと言ったら頑としてきかない子なのだ。娘は不満げな口調で言った。
「だって、胸だけだもん・・・・・。」
「・・・・・え?」
リオはもじもじしながら言い辛そうに言う。
「触られたのは胸だけだもん・・・。だから、シャワー浴びれば済むと思うし・・・。」
そんな具体的なことを説明するのは本人には苦痛だったのだが、それは朗報に他ならない。
「・・・本当なの?」
理沙が目を輝かせて高い声を出した。ふて腐れたようにリオが頷く。
「じゃあ・・・・・もしかして・・・・・・妊娠するようなことは、されていないの?」
感極まった理沙はリオの肩を両手で掴み、がくがくと揺らしながら追求する。振動しながらリオは答えた。
「だって・・・『もうダメだ』ってときに優弥が助けてくれたから・・・。あと一秒遅かったらアウトだったよ。」
「・・・・・まあっ。」
発見したときの様子から、既に手遅れだったのだと理沙は勝手に思い込んでいた。極力リオを傷つけまいと、暴行の細かい内容はあえて追求してはいなかった。
「・・・ああっ、リオちゃん、良かったわぁ・・・・・!」
叫ぶように言うと理沙は力の限り娘を抱きしめ、「リオちゃん」を繰り返しながら周囲の目も構わず声を上げて泣き出した。横にいた看護師も「あー、良かったわー」と言いながら安堵の息を付いた。
リオは、なんでいきなり「ちゃん付け」なんだろうと思いながらも、いつも気丈な母らしくない態度につられて自分も涙した。そしてやっぱり、今日のところは家出はやめておこうと思い直したのだった。
優弥は出血が多かった割には腕を四針縫うだけのケガで済み、大事には至らなかった。リオのほうも顔や胸の傷を軽く手当てされただけで簡単に済んだ。開きっぱなしだったブラウスは、気を利かせた女性看護師が白い絆創膏でうまく留めてくれた。
一通りの処置を終え、リオと優弥は急患用の待合場所を離れて人気の無い長いすに並んで腰掛けていた。理沙は自販機で買ったブリックパックを二人に手渡すと、精算の手続きをすると言ってどこかに行ってしまった。
「でも良かった。てっきりもうヤラれちゃったのかと思った・・・。」
今になって初めてリオから事の詳細を聞いた優弥は、苦痛から解放されたかのようにそう言った。リオはコーヒー牛乳のパックをすすりながら応える。
「うん。ホントに救われた。死ぬかと思ったよ。・・・でも、何であそこにリオがいるって判ったの?」
「・・・あ?ああ・・・。」
優弥が下校しようとして三階の窓から何となく外を見ると、リオが一人で校門を出て行くところが見えた。優弥はリオに話したいことがあったので丁度良い機会だと思い、すぐに後を追いかけることにした。しかし、駆け足で昇降口を飛び出して通学路に出てみると、いるはずのリオの姿がどこにも見えない。ふと気付けば、見慣れない怪しい車が不自然な場所に駐車していた。不審に思ってよくよく周囲を観察してみると、雑草畑の草の間からリオの鞄らしきものを発見した。危機感を感じた優弥は鞄を拾うとすぐに荒地に駆け込み、リオの名を呼びながら一心不乱にその姿を探したのだった。
「うちのママね、あいつらの乗ってた車のナンバー、携帯に画像残しといたんだって。後で警察に届けて身元調べてもらうって言ってた。」
「・・・マジ?警察?そしたら俺もヤバいんじゃね?相手殴ったりして怪我させちゃったし。」
「・・・・・う?・・・・・でも、先に襲ってきたのはあっちなんだし、ナイフで刺したほうが悪いことになるんじゃないの?ナイフって持ってるだけでもダメなんでしょ?」
「あぁ・・・。けど俺、相手のタマ、潰しちゃったんだよな・・・。足で思い切り踏んづけて・・・。」
「え・・・大丈夫でしょ?だってあの後すぐに起き上がって元気に襲ってきたし。潰れてはいないよ、きっと。」
「そうかな。」
「そうだよ。あの、首にザリガニのタトゥーが入ったヤツでしょ?」
「・・・ザリガニ・・・?それを言うならサソリだろ。」
「ザリガニでしょ?」
「サソリだよっ。ザリガニのタトゥーなんて絶対あり得ねえだろっ。じゃあ、何か?追加で彫るとしたら次はメダカか?アメンボか?」
「な、何でいきなりメダカなの・・・・・。」
「川で生息する仲間だから。」
そこで二人は揃って吹き出した。少し笑ってから、リオは男のタトゥーがすぐ目の前に迫ってきたときの瞬間を思い出して苦い顔になった。
「リオの体、汚れちゃったよ・・・。」
リオが口を尖らせて言うと、即座に優弥が振り返って言った。
「汚れたって・・・ちょっと胸を触られただけなんだろ?」
するとリオは急に「でもっ」と力んで優弥を見た。
「アイツ、車ん中で鼻ほじほじしてたんだよ?その手で触られちゃったんだよ、リオのおっぱいっ。鼻くそ菌で汚れちゃったよ、リオの大事なおっぱいっ。」
と言いながら、服の上から自分の胸を両手でわし掴むのだった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
いいだろ、それくらい・・・と優弥は言いたかった。そんなことよりも普通、ナイフで胸を傷つけられたことのほうを気にするもんじゃないだろうかと思ったが、リオがそう言うのならあえて口にしない。呆れつつも、優弥はわざとおどけたように言ってみる。
「きったね〜。寄るなよ、バイキンマンっ。」
「えっ・・・ひ、ひどいっ。」
「うそっ。」
「・・・・・。」
優弥がリオを見て顔いっぱいで笑った。髪形が変わったせいか、そんな優弥は人が変わったように清々(すがすが)しい。
「・・・・・優弥、髪切ったんだね・・・・。」
じっと見つめながら、ぽそりとリオが言った。
「どうだ、イケてる?真面目っぽい?」
と言って優弥は自分の前髪を指先で引っ張ってみる。
「・・・何か健康的になった。ちょっと太った?」
「うん。二ヶ月で八キロ増えた。」
「・・・・・いっ。」
思わず優弥を見た。笑顔が応える。
「・・・筋トレとかやってたら食欲出てさ。あと、お前にもらったチョコも全部食べたよ。」
「ホントに?」
と、言っても優弥は元々異常に痩せていたので、八キロ太ったと言われてももっと太ってもいいくらいだった。チョコレートの影響か、頬骨辺りにできた三つほどのニキビが短い髪形と相まってさらに高校生らしく、以前よりも幼い印象を与える。
二ヶ月前にリオは、麻薬をやっているという優弥に大量のチョコレートを渡した。それは怜から得た、「薬が欲しくなったら代わりにチョコを食べるといい」という不確かな情報がきっかけだった。そして優弥はその大量のチョコを「元に戻るための薬だと思って食う」と言って受け取り、「これを食べ終わる頃には復活する」とも言っていた。
「薬はもう、完璧に断ったよ・・・。」
優弥は負傷した左腕を包帯の上から静かに撫でながら言った。
「本当に?!」
「ああ。でなけりゃ病院なんて、怖くて来れねぇーよ。」
「そっか・・・。そうだよね。」
「・・・・・ありがとう。」
ふいに言われてリオは慌てた。恐る恐る優弥を覗き見る。優弥も首だけ動かしてリオを見た。そんな優弥は真摯でいて、その表情は努めて穏やかだった。先ほど見せた炎上するような攻撃的な一面がうそのようだ。
「・・・お前のお陰だよ。倉田先生にもだいぶ助けられたけど、やめるきっかけを作ってくれたのはお前だ。感謝してる。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
改まって言われ、リオはどうしていいか判らなくなった。ひとまず下を向いて照れ隠しに言った。
「リオは何もしてないよ。・・・それより彼女は?彼女もちゃんと、やめられた?」
優弥の顔から笑いが消えた。
「それでお前に話したいことがあったんだ・・・・・。」
「・・・・・何?」
急に神妙な面持ちになった優弥を不思議そうに見る。
「俺、結婚することにした。」
「・・・・・へ?」
「結婚するんだ。今の彼女と。麻里江と。」
「・・・・・・・・・・・・。」
優弥に見入ったままリオは凝固した。言葉が出ない。
「・・・アイツ、妊娠したんだ。病院行って調べたから確実。最初はすげえ悩んだけど、堕ろすとか考えられなくて・・・。それにアイツまだ、どっぷり薬漬けなんだ。全然やめられなくてさ・・・。それで俺が結婚しようって言ったらアイツ泣いて喜んで、お腹の子のためにも頑張って薬止めるって・・・・・。」
リオは五ヶ月前に自分の前に現れた、白ウサギのような小さな少女を思い出した。あの子のお腹の中に優弥の赤ちゃんがいる・・・。あんな童顔で中学生のような子が麻薬中毒の上妊娠し、優弥と結婚する・・・。その事実を受け容れるにはとても時間がかかりそうだ。
何も言えず、しかし何か言いたくて口をぱくぱくさせていると、気を利かせた優弥が笑顔で言った。
「・・・学校は卒業するよ。そのちょっと前に子供が産まれる。卒業したら働こうと思ってる。」
「あっ・・・・・・・・。」
とリオが咽たように漏らした。
「ん?」
「・・・ピっ・・・ピアノっ・・・。」
「・・・・・あ?」
「ピアノ・・・とか、バンド、とか、大学、とか・・・・・は?」
動揺するリオの口からは単語を出すのが精一杯だった。優弥はほんの少しだけ笑顔を減らし、リオから視線を外して遠くを見るように言った。
「・・・ピアノは趣味で時々弾くかな。バンドとか大学はもう考えて無い。そんな余裕は無いだろうし、無事高校を卒業することだけ考えてる。周りのヤツラとも全く生活が変わるだろうし・・・一足先に大人になるよ、俺だけ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
それでいいの・・・?後悔しないの・・・?・・・そんな質問をするのは無神経なことだろうか・・・。
「お前はバンド続けるんだろ?Bloody Dolls。あと、晃や春斗と一緒にコンテストに出るんだって?」
優弥は至って明るく問いかける。
「う、うん・・・。」
「そっか・・・。頑張れよ。応援してっから。」
「・・・・・うん・・・・・。」
しばらく下を向いていたリオは、一息ついてやっとまともな質問をした。
「親とかにはもう言ったの?今日、面談だったんでしょ・・・?」
「・・・まだ言ってない。知ってるのは倉田先生とお前だけ。麻里江の体からもう少し薬が抜けてからみんなにも言おうと思ってる。もう、すぐだけどな。」
そう言う優弥の目は真っ直ぐ未来を向いていた。決心は固いのだろう。それを横から余計な口出しをして何になるのか。それよりも今、自分がしてあげられることは何だろう・・・。
付け焼刃で考えた抜いた挙句、リオが出した答えはこれだ。
「ほんじゃあ・・・麻里江ちゃんにもリオがチョコレート買ってあげます・・・・・。」
それを聞いて、優弥はとたんに嬉しそうな顔をした。
「マジで?・・・そしたらきっと、アイツも喜ぶよ・・・。」
「・・・・・うん。」
「・・・・・じゃあ・・・・・無事話もできたし、俺、帰るから。」
「へっ?」
負傷していないほうの手で鞄を掴み、優弥が椅子から立ち上った。
「・・・帰っちゃうの?何で?一緒に車に乗ってってよ。」
「いいよ。うち、こっから近いし。」
優弥はリオを顧みず、手を上げてさっさと帰ろうとする。
「・・・・・・・・ゆ、優弥っ・・・・・待って・・・・・・!」
リオが手を伸ばしながら立ち上ると、左腕に包帯を捲いた優弥が立ち止まり、ゆっくりと振り返った。視線が重なり、リオは戸惑うように言った。
「今日は、助けてくれてありがとう・・・・・。リオ、ホントに救われました。」
優弥は黙って感情の無い顔でリオを見据えると、おもむろに口を開いた。
「俺・・・・・、役に立った?」
「え・・・・・?」
「俺、少しでも・・・お前の役に立てたかな。」
「・・・・・・・・・・・。」
唐突に愚問をぶつけられ、解せないながらもリオは声を大にして言った。
「あたりまえじゃんっ。役に立ちすぎだよっ。てゆーか、優弥は命の恩人だよっ。」
「・・・・・それは大げさだろ。」
と言って優弥はまた微かに笑って見せた。そして、
「何かしたかったんだ・・・・・。」
と独り事のように言った。
「俺もお前のために、何かしたいってずっと思ってたんだ・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
それだけ言うと優弥はすっと背を向け、「じゃあな」と言って再び手を上げながら閑散とした廊下を一人で行ってしまった。リオはぼんやりとそれを目で追っていたが、頭の中では今聞いた驚愕の事実が円を描いて踊っていた。
玄関を出ると、湿気を含んだ温い風が暗闇と共に優弥を包み込んだ。そのとき急患用の駐車場に、一台の赤い車が乱暴に入って来るのが見えた。瑠偉の車だ。連絡を受けて急遽駆けつけたのだろう。
優弥は相手に気付かれないよう、さりげなく他の車両の陰に身を潜めて瑠偉が通り過ぎるのを待った。瑠偉は慌しく車を降りて、今優弥が出てきた救急入口と書かれた自動扉の中に駆け足で消えていった。それを確認してから優弥は再び歩き出した。
片手で通学鞄を肩から背負うようにして持ち、次第に遠ざかっていく病院を背にして黙々と歩いていく。そして真っ直ぐ前を向いたまま、優弥は自分だけに聞こえる声で呟いた。
「さよなら・・・・・リオ。」
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