85・・・ヴォーカリストリオ、その2
階段に続く扉を押すと、三畳ほどの休憩所には長椅子に座って談笑している四人の少年たちがいた。それは、たまたま同じ時間に隣のスタジオに入っていたHYENAのメンバーだった。
「お、リオだ。」
最初に気付いた早坂が声を掛けてきた。それを無視し、壁に寄りかかって煙草を吸う優弥をリオの目が条件反射で捕らえた。一度目が合うと気まずそうに目を逸らした優弥に、リオの抱えたやるせない悔しさは一際増幅した。
「ムカ〜っ!」
とリオは天井に向かって叫ぶと、どかどかと足音を立てながら猛烈な勢いで階段を駆け昇っていった。怒りの元凶は晃だったが、そんなことは今のリオには関係無い。
「何だ機嫌悪いな、アノ日か〜?」
という松本の声があとを追いかけた。そのあとに数人の微かな笑い声も聞こえた。当たっているだけに余計に腹が立つ。腰は痛い、お腹も痛い、晃に変な因縁はつけられる・・・、リオの精神状態は壊滅寸前だった。
「リオ。」
一階のトイレに籠ろうとした直前に背後からリオを呼び止めたのは怜だった。カウンターを出てこちらに歩いてくる怜を振り返り、リオは複雑な表情で目を潤ませた。
「・・・・・何だ、どうした・・・・・?」
切羽詰ったリオの様子に怜が心配そうに顔を覗きこむと、リオの茶色の目は着々と水気を増していった。
「ううっ・・・・・怜っ・・・・・お腹痛い・・・・・腰痛い・・・・・ムカつくぅ・・・・・。」
「お腹?・・・腰?」
「うぅっ、うん・・・・・。」
かくかくと首を縦に動かす。リオの顔は次第に泣き顔になって皺を寄せていく。そしてついには、
「うぅぅっ・・・・・うぇぇぇぇぇ・・・・・・・・・・。」
と声を上げ、怜の胸に顔を預けて泣きだした。リオの髪から放つ微かな柑橘系の匂いが怜の鼻腔をくすぐった。
「そんなに泣くほど痛いのか?待ってろ、今薬あるか見てきてやるから・・・・・。」
と言った怜の腕をリオはしっかりと掴んだまま放さなかった。拘束された怜は仕方なくそのままリオが落ち着くのを待って、優しく頭を撫でてやるのだった。
「晃が言ったことって言っちゃマズイことだったんじゃねぇの?」
真治が右手でスティックを回しながら目の前のスネアに視線を落として言った。新参者の真治には細かいことは分からないが何となく事情を察したようだった。
「そうだよ。あれはマズイよ。禁句てゆーか、ただの言いがかりだろ。」
と春斗は言い、そこで真治を横目で見て、
「・・・・・さっき晃が言った『三上』ってリオちゃんの元彼ね。」
と説明した。真治は、「なるほどね」と言いながら何度か頷いた。
「そうかぁ・・・・・?いや、俺もちょっとムリがあるとは思ったんだけど、他に脅し文句も思いつかねえし・・・。」
と言う晃に、「脅してどうする」と春斗が抗議した。すると真治も、
「そうだよ。それに、『だったらバンドやめる』とか言いそうじゃね?せっかく盛り返したのに。」
と晃を見た。晃の顔が引きつった。
「あのヴォーカルならいけるよ、このバンド。」
真治が言い終えたところでスタジオのドアのレバーが動く音がした。三人が注目した。開いた扉からぬっと現れたのは、今春斗から真治に説明のあった優弥だった。
「よぉ・・・・・。」
と優弥が言うと、「おぅ」と晃と春斗が少々動じながら返事をし、続いて春斗が話しかけた。
「あれ・・・、HYENAもスタジオだったの?」
「そう、Aスタ。・・・・・アイツどうかしたの・・・・・?」
「・・・・・え・・・・・?」
聞き返す春斗から視線を晃に移動して、優弥は淡々と続けた。
「今さっき一階でリオが泣いてた。」
それを聞いて、「え?」と目を凝らす三人に、
「何かな・・・・・と思ってさ・・・・・。」
と言った優弥の言葉自体は軽いのだが、遠まわしに咎めるような響きがあった。しかもまるで今までの会話を聞いていたかのように鋭い視線を晃に送っている。その威圧感に晃は少々たじろいだ。
けれど、優弥は片手を上げて愛想笑いらしきもの浮かべると、そのまま呆気なくドアの向こうに消えてしまった。
閉まる扉を見ながら晃が上ずった声を上げた。
「泣く・・・・・?泣くのか、アイツがっ。マジで?」
すると春斗が、
「ひっでぇ〜、晃っ。女泣かした〜っ。」
と真顔ながらもちゃかすように大げさな声を出すと、
「鬼畜な男だなぁ・・・・・。」
と真治もからかい気味に、それでいて冷ややかに責めた。
「・・・・・やべぇ・・・・・あり得ねぇ・・・・・。」
晃は少々焦ったようにポケットをあさりながら春斗と真治を見て訊いた。
「お前らも探せよ。何かいいもん持ってない?チョコとか・・・・・。」
「・・・・・って食いもんでごまかす気か?」
と言う真治に、
「とりあえず応急処置だ。女って甘いもん一つで機嫌良くなったりするじゃん。」
と晃は必死で鞄の中をかき回している。
結局、飴のように個包装された薄っぺらいチョコレートが唯一春斗のポケットから発掘された。今日春斗が学校でクラスの女の子に貰ったものだ。晃はそれを受け取りジャケットの右ポケットに入れると、ダッシュでスタジオを出て一段抜かしで階段を駆け上がった。
現場に辿り着くと、誰も客のいない楽器店の受付カウンターを挟んで椅子に座る怜とリオを見つけた。リオは無言でカウンターにうつ伏せになり、怜は目の前で何となくリオの様子を見守っている。
怜が頬杖を着きながら晃に一瞥をくれた。すると、怜のその目に責められているような錯覚を覚え、再び晃は怯んだ。だがすぐに気を取り直しリオの横にあったパイプ椅子に跨いで座った。
顔を上げたリオの目は、泣き腫らしたように充血していた。それが晃による言動以外の理由も混ざってのこととは晃は知るわけも無い。少し気後れしながら晃が問いかけた。
「あー・・・・・、泣いてた・・・・・?」
すると、とたんにリオはぷいとそっぽを向いた。
「別に、泣いてないよっ。」
それは不機嫌だが負けん気の強い声だった。晃は少し安堵した。
「悪かった、変なこと言って。俺が無神経だった。」
そう言われ、リオが少しだけ晃のほうを見た。それを確認してから晃が続けた。
「とにかくお前にヴォーカルやってほしくて、へ理屈でも何でもいいから理由つけてやらせようとした。・・・・・ホント悪かった。」
横でギターをいじりながら聞いていた怜が「へえ」というように晃を見た。怜はリオから何も聞いていなかった。ただリオが泣き止むのを待って鎮痛剤を飲ませてやっただけだ。しばしの沈黙のあと晃が言葉を継いだ。
「俺だけじゃなくってアイツらもホント乗り気になったから。それくらい燃えた、お前のヴォーカル聞いて。お前的には納得いかねぇとこもあるんだろうけど、うちらはお前のヴォーカルでやりたいってマジで思ってる。」
リオは身動きせずに俯いたまま黙っている。泣いたせいか、その横顔は少々浮腫んで疲れた様子だった。
「いいよ・・・・・・・・・・。」
下を向いたまま陰気な声でリオが答えた。諦め、とでも言おうか。しかしリオも歌うことで得られる快感というものを、先ほどの一曲でそれなりに感じとってはいた。ただ、ヴォーカルという事実上バンドの中心になるというプレッシャーと、ギターを弾くことに専念できないというのがネックなのだが・・・。
「マジ?・・・・・よしっ。」
リオの返事を聞いたとたん、晃は嬉しそうに勢い良く立ち上がった。そして急に何か思い出したようにズボンのポケットを右手であさった。
「あ、これ。あげるよ・・・・・。好きだろ?」
そう言いながら、さっき春斗から貰ったチョコレートを掴んだ手をリオの眼前で広げた。しかし、晃の掌に乗っていたのはチョコレートではなく、それによく似たコンドームの袋だった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
絶句して、見開いた目でそれを凝視するリオを見て、ようやく晃は自分の犯した間違いに気付いた。
「・・・・・ヤベぇ、違った。」
入れた場所を勘違いしていた。慌ててその手を引っ込めて今度はブレザーのポケットを探した。が、もう遅かった。
「いらないよっ!」
と声を上げ、リオはパイプ椅子が倒れんばかりの勢いで立ち上がった。怒りに震えるリオを見上ると、
「あ、やっぱ生が好き?」
と口元に下卑た笑いを浮かべながら晃は言った。リオは晃の肩にぶつかりながら大股で横を通り過ぎ、あっという間に地下への階段へと消えた。ようやく出てきたチョコを握った手を上げ、
「ねぇ、チョコあった・・・・・。」
と晃が階段に向かって声を掛けたが返事は無かった。
横に座っていた怜がギターのネックを握りながら呆れ顔で訊ねた。
「お前さぁ・・・・・、一体何がやりたいの・・・・・?」
すると晃は振り返り、
「いや・・・まだアイツとヤる予定は無いんで。」
と答えてから立ち上がった。晃の後を見送りながら、怜は開いた口が塞がらないまま、抱えたギターにだらんと腕を下ろしストロークさせた。
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