(前回のあらすじ)
合鍵欲しさにTバックに固執したリオは、愛里の穿いていたTバックを掴んだ挙句、男子の前で愛理に恥をかかせるような言動を吐くというひんしゅく行動を取った。怒った愛理は廊下の真ん中でリオに馬乗りになり首を絞めるのだった。
放課後、晃、春斗、真治と共にコンテストに出るバンドでスタジオに入ったリオ。いいヴォーカルが見つからないので活動休止にしようというと流れになったのだが、たまたま歌ったリオのヴォーカルを聴いたとたん三人の顔色が変わった。
84・・・ヴォーカリストリオ、その1
「あ〜・・・、ちょっとトイレ〜・・・・・。」
曲が終わると、リオは即座にギターを外して忙しなくスタジオを出て行った。本人は「お腹がちょっとヘン」ということで頭がいっぱいなのだが、残された三人は今聴いたリオのヴォーカルのことで頭がいっぱいだった。晃も春斗も真治も互いに顔を見合わせて口々に「ヤベぇ」を繰り返している。
「何だよ・・・・・。イカれてんなぁ。」
と晃が言いながら二人を見た。
「すげぇ・・・・・ディストーションかかってたっ。どっから出してんだ?あの声。」
と春斗が言うと、ドラムの真治も笑いながら言った。
「マジぶっ飛んだ・・・・・。それに声、チョーでかくねぇ?」
スタジオ内は歓喜した三人の熱気と感嘆の呻きで溢れかえった。ここで終わると思っていたこのバンドは、リオの歌ったたった一曲で再び息を吹き返してしまったのだった。
「うげっ・・・・・最悪ぅ・・・・・。」
一方リオのほうはと言えば、トイレの便器に腰掛けながら一人ぼやいていた。何かヘンだと思ったら、月に一度の憂鬱な日が予定外に早く来てしまっていた。こんなとき無性に損した気分になり、やはり男に生まれたかったと思ってしまう。さらにこの不快感に重ねて腰までもが岩を乗せたように重くなり始めた。これでギターを抱えれば、きっとこの腰は不満を痛みに変えて訴えてくることだろう。
「うぅ・・・・・、もう、帰ろうかな・・・・・。」
リオは一人呟き、老婆のように曲げた腰に手を当てがいながらトイレを出て、引きずる足でゆっくりと地下への階段を降りた。
スタジオの重いドアを開けると、中にいた三人が待ち構えていたかのように集中して言葉を投げかけてきた。リオの様子がおかしいことなど誰も気付きもしない。
「何の曲なら歌える?リオちゃんが歌えるやつやろうっ。」
快活に言う春斗に晃と真治もそーだそーだと同調し、三人は勝手に異様な盛り上がりを見せている。リオだけがその世界に入って行けず、一人冷えた空気を放っていた。
「・・・・・何で・・・・・。」
リオの反応はいたって暗かった。ギターは春斗一人に任せて、自分は体調不良を理由に帰ろうかと真剣に考えていた。真面目な練習ならともかく、ついさっきこのバンドは活動休止ということで話がまとまったばかりだ。時間潰しのためのセッションなら別に自分がいなくても問題は無いはずだった。なのに・・・、
「もうちょっと他のもやってみようぜ?リオちゃんのヴォーカルでっ。」
いつもクールに構えている晃までもが妙にはしゃいでいる。この空気を壊すのは少々気が引けた。
「・・・・・んじゃ、あと一曲だけね・・・・・。」
仕方なくまたギターをぶら下げると、予定通り血の滞った腰が声の無い悲鳴を上げた。リオの眉間に皺が寄る。
「一曲じゃなくってもっとやろうぜ?」
晃の声掛けに真治と春斗も「やろうやろう」と笑顔で煽る。リオの右頬が素直に引きつり、それを隠すために下を向いた。自分がこんなに不調だというのに、何だか知らないがこいつらばかりがやたらに盛り上がっている・・・・・。しかも、今の自分の身体事情をこの場にいる誰にも説明することができない。話せるわけもない。リオの苛立ちは次第に募っていく。しかし、どうにもならない。とりあえずリオは演奏に没頭することでこの苦痛を解消しようと決めた。
曲が始まると、リオはマイクに向かって言葉に出来ない鬱憤を歌に代えて吐き出し始めた。すると腰の痛みに追い討ちを掛けるように腹部までもが痛み始めた。今月はハズレの月のようだ。腰と下っ腹の痛みは二重奏で絶妙なハーモニーを奏で、壮大な広がりを見せている。それを紛らわそうとするかのように、リオは「痛い」と叫ぶ代わりに怒号のごとく吼え捲り、狂気を思わせるシャウトを連発した。それは、ほぼヤケクソとでも言うのか。慣れないリオはエキサイトするあまりマイクが口から離れてしまい、しばしば音が途切れた。
そんな細かいミスは関係なく、リオに感化されたように他の三人のテンションも尋常ではなかった。曲が中盤にさしかかるころには晃も春斗も長い髪をばさばさと揺らしながら飛び跳ね、互いの体をぶつけ合っていた。真治の頭も前後左右に激しく振られ長い金髪が宙を舞っていた。
曲が終わると、リオ以外の三人は三種三様の奇声を発しながら一斉に拳を振り上げた。まるで事前に示し合わせていたかのように。
「燃えた〜っ!」
春斗が声を枯らしながら興奮気味に叫んだ。晃も真治も上気した顔を満足そうに緩めている。リオもリオで、叫び続けているうちに処々の痛みをうまく消化していた。が、終わって我に返ったところで思い出したようにまた痛み出した。リオだけが笑えない。
「お前、ヴォーカルやれよ。ギター弾きながらでいいから。」
昂ぶりが冷めない声で晃が言った。この意見は他の二人に確認するまでもなかった。
「は・・・・・?」
いきなり何を言うのか、とリオだけが三人の織り成す空気を読めない。それよりも晃からの突然の「お前」呼ばわりが無性に気になった。痛むお腹を手で押さえながらリオは反論した。
「無理だよ。女のヴォーカルなんて話にならないよ。限界があるもん。」
「いや、リオちゃんの女版デスヴォイス、マジでヤバかったよ。」
春斗が言うと、
「女の声って分かるんだけど、かえってそれがまたヤバいって感じ。」
と真治も言った。が、一向にリオに変化は生じない。
「無理だよ。さすがにあたし、マイクの前でゲップとかできないし、口に飲み物含んでブーっとか吹き出す勇気もないし・・・・・・・・・・。」
と早口で一気に言うと、すぐに春斗が「いや、それ別に必要ない」と言い、男三人は揃って笑い出した。
「どのヴォーカルもそれやるって決まってるわけじゃねぇし。理想重ね過ぎなんだよ。」
と真治が言った。うんうんと晃も春斗も頷く。しかしリオの好きなヴォーカリストは皆当たり前のようにライブでそれをやる。だからリオの中ではそれが基本だった。リオはしぶとく折れない。
「・・・それに、ヴォーカルってMCとかもやらなきゃいけないじゃんっ。「ついて来いっ」とか言って観客煽って?できないよ、そんな恥かしいことっ。あたしはいつもステージの隅にこっそり佇む小心者の地味ギタリスト・・・。」
とそこまで言い終えたところで、大股で踏み込んできた晃の弁慶がリオの尻に蹴りを入れた。痛みを訴える腰のすぐ下だ。不意打ちを喰らって軽くよろめくリオに晃が声を大にして言った。
「ふざけんなっ。てめぇはいつもヴォーカル押しのけてステージのド真ん中に躍り出てくんだろがっ。」
すると春斗も真治も腹を抱えて笑い出した。予想外の晃の攻撃に呆気にとられながら、リオは不憫な自分の腰に手を添えた。
誰が聞いても冗談にしか聞こえないリオの言いわけは、実は本人にとっては真剣な戸惑いに他ならなかった。ヴォーカルなんて冗談じゃない、絶対にできない、自分はギターだけだ・・・その一心だった。なのに今この場に立ち込める熱気は、着々とリオを不利な状況に追い込んでいる。
「でででも、ギター弾きながら歌うなんて難しいもん。軽いJポップならともかく、今みたいな激しいやつは絶対ムリだよ。両方いっぺんに何てできないよ・・・。」
仕舞いにはおろおろしだしたリオに晃がすぱっと答えた。
「いい。ギターはハルがメインで弾くってことで。」
「・・・・・へっ?」
「春斗が主体でリード。お前はヴォーカルに専念してギターは補助的に簡単なことやってればいいよ。」
「は・・・・・?補助・・・・・?でも、あたしがリードって最初に決めた・・・・・。」
このバンドを組むときに、リオは春斗に言われたのだ。
『リオちゃんリードで思い切り弾き捲っていいよ。俺はリズムやるから。』
笑顔で軽快に言う春斗の言葉にリオは素直に納得したし、それが自然だと思った。今更変更など考えられない。それにヴォーカルをやるといっても間奏のときは歌うわけではないし、そこだけはギターに没頭することができるはずだ。今ここでリードだリズムだとはっきり区分する必要は無い。
隠しきれないリオの不満気な表情を見て春斗が重い口を開いた。
「何、俺がリードじゃ不服・・・・・?」
今さっきまでにこやかだった春斗の顔が急に無表情になっていた。普段笑った顔が地顔の春斗から笑みが消えると、それは要するに怒っているという判断になる。
「いや別に、そんなんじゃなくて・・・・・ただ何で急にそうなるのかなって・・・・・。」
「俺のギターじゃダメかよ。」
「・・・・・そんなこと、言ってない。」
「じゃあ、何だよ。」
春斗はリオの問いを無視して自分の言い分だけを押し付けてくる。このやりとりを、晃と真治も余計な口を挟まずにただ見守っている。
リオは焦った。これではまるでリオが春斗に喧嘩を売っているかのような展開だ。
「あの・・・・・・・・・・。」
とリオは春斗を一度見てから、
「何でもない・・・・・・・・・・。」
と憮然とした面持ちで答えてから俯いた。春斗の尖った態度を前に、自分が折れるより道はなかった。
リオは腕組みをして仁王立ちしている春斗をそっと上目遣いで窺った。普段は無邪気でかわいい印象の春斗なのだが、何かの拍子に突然態度が豹変するということは最近の付き合いでだいぶ分かってきた。
「本当はさぁ・・・・・。」
話が一段落したところで晃が切り出した。
「三上をヴォーカルに入れたかったんだよなぁ・・・・・。」
いきなり優弥の名前が出てリオがぴくりと反応した。晃だけでなく春斗のほうもリオを見ずに意識だけを向けているのが感じ取れた。
「・・・・・でもお前を入れた以上、三上はNGだろうなってことで妥協したわけよ、うちらとしては。」
そう言って晃はリオを見据えた。しっかりと目が合った。非難めいた目を向ける晃に戸惑いつつリオは続きを促がした。
「・・・・・だから?」
「だから・・・・・、その責任をとってお前が代わりに歌え。」
と偉そうに言う晃にリオは愕然とした。一体何の責任なのか・・・。瞬時に頭に血が昇った。
「何それっ。意味分かんないんだけどっ。因縁もいいとこだよ、マジあり得ないっ。」
リオは一気に噛み付くように叫ぶと、晃を横目で睨みながら足早にスタジオを出て行った。人が秘かに体の不調に苦しんでいるときに限って神経を逆撫でするような事を言う、そんな晃にリオは怒りを抑えきれない。
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