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(前回のあらすじ)
瑠偉の帰りを待っていたリオは、瑠偉が女連れで帰って来るのを見て「浮気した」と泣くが、結局相手の女は瑠偉の母親だった。そのあと瑠偉から咲の近況報告を聞く。咲からもらったワンピースを着て写真を撮っていると、瑠偉がリオのために合鍵を作ったと言ってきた。だが、それを渡す条件として「Tバックを穿いてきたら」と瑠偉は言った。
83・・・Tバックの憂鬱
「今日って何やるんだっけ?サッカー?」
 廊下を歩きながら、白いTシャツと紺の短パンに着替えた松本が、たまたま隣を歩いていた同じ服装の白井に尋ねた。
「えっと・・・、マラソンって言ってなかったかな・・・・・。」
 と、白井は首を傾げて考えるように言った。他にも体育着を着た数人の男子生徒が、昇降口に続く廊下を同じように歩いている。

「えっ、マラソン?・・・・・マジかよ〜何とかしろよ、白井〜っ、お前学級委員だろ〜っ。」
 松本はそう言いながら、白井の横に並んで細いその首を片腕で挟んで締め上げた。
「俺にそんなこと言われても・・・。」
 首に絡んだ腕に両手を添えて白井が身をよじった。小柄な白井が身長181センチの松本にそうされると、見るからに痛々しい。松本はよく、変な因縁をつけてはこうして白井をからかっていた。

「きゃぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・・・・・・・。」
 突然聞こえてきたのは女の叫び声だった。彼らが歩いていた廊下の横にある女子更衣室からのようだ。それまで聞こえていた数十人の女子の話し声がぴたりと止んで、一人の女子の声のみが一枚の壁を抜けて松本と白井の耳にまで届いた。
「何、すんのよ〜、リオっ。」
 それを聞いて松本と白井は勿論、そこを歩いていた二、三人の男子生徒も、『秘密の花園』と呼ばれるその部屋の扉に吸い寄せられていった。中からは次第にざわざわと控えめな笑い声が聞こえてきた。
 更衣室の中では、ロッカーの前で愛里がリオの手首を掴んで必死で抵抗しているところだった。愛里に掴まれたリオの手は、愛里の穿いているショーツの真ん中の紐を後ろから掴んでいる。
 勿論、扉は閉まっているのでその状況は外の男子たちには分からない。聞こえるのは扉の隙間から漏れ出る音のみだ。

「これが、Tバックというものか・・・・・。」
 それをじっと見つめながら、真剣な面持ちでリオが呟いた。リオが掴んでいるのは愛里の尻の割れ目の上にある、文字通り「T」の字を描いている部分だった。見ようによっては、それは「Y」にも読めるが。
「何がしたいの、リオっ。とにかく手ぇ放せってば〜っ。」
 勝気な愛里は豪快にわめいている。周囲の女子たちは二人のやり取りを遠まきに眺めながらくすくす笑っている。「リオちゃん暴走〜」と誰かが言った。リオは何も耳に入らないかのように、同じ姿勢のまま愛里の尻を見下ろしながら言った。

「・・・・・こんなの紐でできたただのフンドシじゃん。パンツの機能、全然果たしてないし。」
 そう言うとリオは、すぐに自分の手からそれを解放した。ゴムが入っているのか、愛里の腰の辺りで水色の紐がぱちんと音を立てて元の位置に戻った。すると愛里は急いで膝で止まっていた短パンを引き上げてそれを隠した。もう気が済んだのか、リオはロッカーに向き直り何も無かったかのように黙々と着替えの続きを始めた。
「・・・だから、何なのよっ。」
 と言う愛里の抗議に、リオはロッカーに制服をしまいながら思い悩むように言った。
「それのどこに合鍵の価値があるんだ・・・・・。」
 独り言のようだった。一体何が言いたいのか・・・愛里はイライラしながら再びわめき散らした。
「まーた自分の世界かよ。付き合いきれないっ。」

 冷めているリオと燃える愛里、この相対的なやりとりを、周囲の女子たちは着替えながら面白そうに横目でうかがっている。するとそのとき、更衣室の外から叱責する男の声が聞こえてきた。
「こらっ、お前たちそこで何をしているっ。」
 口調からして、それは教師の声のようだった。廊下で誰かが怒られている。リオは更衣室の出入り口に歩み寄り、ガラリと音を立てて勢い良く扉を開けた。すると、すぐ目の前に松本と白井、そして他の男子も三人立っていて、背後には体育教師の村山がいた。声の主は当然、村山だろう。

「な〜んだ覗きか?松本っ。痴漢じゃんっ。」
 リオはあえて大きな声でどうでも良さそうに言ってから廊下に出た。とたんに、更衣室にいる女子たちの間に不快な空気が漂い始めた。それを割るようにして、愛里が足を踏ん張りながらリオの背中に向かって叫んだ。
「痴漢はお前だろ、リオっ。」
 それを聞くと、リオは思い出したように急に振り返った。そして二メートル離れた位置から、松本を含む男子たちの横に立つ愛里を見て言った。

「愛里〜、愛里の今穿いてるTバックさぁ、お尻の真ん中に食い込んで気持ち悪くなぁい?」
 そのとたん、教師の村山と男子たちの目が一斉に輝き、それは愛里に向けられた。地声の大きいリオの声が廊下いっぱいに響く。
「それってやっぱり、彼氏に穿いてって言われたのー?もしかして、今日デートー?」
 そこまで言ったところでリオの体は、突進してきた愛里に体当たりをされて床に尻を着いた。「うぎゃっ」と言いながら仰向けに倒されたリオに愛里が馬乗りになり、リオの首に両手を掛かる。
「リオ〜っ、お前、いい加減にしないと〜っ・・・・・。」
 そう言う愛里の白目には昆虫の足を思わせる血管が数本走っていた。体重を預けられた上に首を締められ、リオは天を仰いだ亀のようにもがきながら、弱弱しく訴えた。
「じゅ・・・・純粋に・・・・・聞いてるんだ・・・・・よぉ・・・・・。」
「ウソつけっ。思いっきり濁ってるじゃんかっ。」
「そんなぁ・・・・・。さわやかに、澄みきってるよぉ・・・。」
「どこがっ。」

 通路のど真ん中で繰り広げられている女の修羅場から距離を置いてけながら、生徒たちが次々と昇降口に向かって通り過ぎて行く。
「ほら、お前たちも、早く行かないと遅れるぞー・・・。」
 と体育教師の村山もリオと愛里を見下ろしながら苦笑気味に声を掛けた。
「愛里〜、あんまり暴れるとTバックが見えちゃうぞ〜。」
 松本がだらしなく歪んだ顔で言葉を投げると、愛里は頭に血が昇った顔で叫んだ。
「うるさいっ。」


 その日の放課後、リオはスタジオRISEでコンテストに出るバンドの練習が入っていた。
「これ・・・・・・・・・・。」
 一階の受付に座っていた怜を見つけると、リオは丁寧に洗濯しアイロンをかけたシャツを、怜に向かってうやうやしく両手で渡した。先日咲に服を汚されたときに、代わりに怜から借りていたものだ。
「こんなきっちりしなくて良かったのに。いつもしわだらけで着てるから。」
 と、怜は優しく笑った。
「ううん、いいの。ありがとう。助かっちゃった。」
 なぜか照れ笑いをするリオだった。正直なところ、怜の服を着るというのは気恥ずかしい反面、なぜか手放したくないという妙な思いもあった。
 それからリオは、今回の試験で自分の順位が高かったこと、英語の点数が学年トップだったことを自慢気に怜に報告した。

「すっげーじゃんっ。その先生・・・あきらの兄貴?・・・のお陰か。」
「うん。でも、『もううちで勉強してもいい』って言われてるから、怜がまた教えてね。」
「あぁ・・・・・別にいいよ・・・・・。」
 怜の返事にリオはふふ〜んと笑い、顔いっぱいに喜びを表現した。リオはいつもギターを持って勉強をしにくる。そして勉強よりも、ギターを弾いている時間のほうが絶対的に長い。勉強というのは口実で、実は遊びに来るのが目的なのだと怜は察している。
「そろそろ下、行くね。Bスタだったよね?」
 とリオが丸いパイプ椅子から立ち上がった。
「あぁ・・・。もうドラムのヤツは来てるぞ。」

 十分後・・・。Bスタジオには晃、春斗、真治、リオの四人が時間通り揃っていた。
「ヴォーカルなんだけどさぁ、知り合いでいいヤツ、見つからないんだよな・・・・・。」
 と、若干暗めにあきらが切り出した。他のメンバーも音を出さずに、神妙な面持ちでスタジオの中芯を向いてたたずんでいる。晃の後を春斗が引き継いだ。
「他の高校とかから探すのも手だけど、全然知らないヤツをいきなり入れるのも何かな、と思って・・・。そうまでしてこのバンド続けるってどうなのかなぁ、って・・・・・。みんな他に自分のバンドがあるわけだし。」
 そこで四人は一度沈黙した。晃と春斗は予め話し合って結論を出してきたのだろう。それをリオと真治にも投げかけて同意を求めているのだ。
 リオは考えあぐねた。このメンバーでやるのなら最高のヴォーカルを入れたい。もしどうでもいいヴォーカルで妥協するくらいなら、別に自分たちのバンドのLIVELAで出たとしても同じだ、と晃と春斗は思っているのだ。それに、このバンドはコンテストに出るのが目的であって、プロを目指すためのバンドというわけではない。だから、全くの他人の中からメンバーを探してまで続ける気力も無い。ここで終わりにするのが無難な選択かもしれない。リオだけでなく、真治の表情にもそんな意志が読み取れた。

「とりあえずこのバンド、保留ってことにする・・・・・?」
 とリオが言うと、残りの三人も同意した。このままどうにも動けずにコンテストの予選の日が来てしまう、という段取りになるだろう。事実上、このバンドは企画倒れのただの徒労に過ぎなかったことになる。
「・・・・・つーことで・・・・・、せっかくスタジオにも入ったことだし、コピーでもやって終わりにしようか。」
 晃の意見に三人が頷いた。
 この展開を予測していたのだろう。リオと真治のところにも三日前に春斗からメールがきていて、練習してきてほしいと言われた曲があった。それもなるべくメンバー全員に共通の趣味を考慮しての選曲だ。

「じゃあ、最初パンクっぽい早いやつのほうからやるか。誰か歌詞分かる人・・・・・。」
 晃が言いながら全員の顔をざっと見回すと、すぐに「は〜い」とリオが明るく手を挙げた。
「・・・・・マジ?キー合うの?・・・んじゃ、リオちゃんヴォーカルね。」
 男三人が笑いながら意外そうな顔をした。男性ヴォーカルの、暗くて激しい直線的な曲だった。周囲の反応など気にも留めずにリオは春斗に向かって訊いた。

「あたし、リードのほうで良かったんだよね?」
「うん。俺もリズムのほうで練習してきた。」
「・・・オッケー。そしたら、回転ヘドバンもしちゃおうか。」
「この曲で回転は無理でしょ。次の曲で全員でやるんだろ?」
 原曲のPVを思い出して言っている。「そっか」と言うリオと春斗が笑い合っていると、
「え?俺もやらなきゃいけないの?曲しか知らないんだけど。」
 と真治が戸惑うように口を挟んだ。洋楽中心の真治はこのバンドをあまりよく知らない。
「ドラムは例外。あれやりながら叩くのはムリじゃね?」
 晃のセリフにリオと春斗もまた笑った。何はともあれ、落ち込み気味だった空気がここで少し活気づいた。

「それじゃぁ、ワン・・・・・、ツゥ・・・・・、ドンでヴォーカルすぐ入ってね。いくよ・・・・・。」
 リオがうなずくの確認すると、真治の声とスティックのカウントが鳴った。出だしはドラムとヴォーカルのみだ。ベース、ギターが加わり、語るようなヴォーカルのラップ調の部分が終わると、演奏が一瞬途切れたように止む。

「GOー!!!」
 スピードを増した激しく突っ走るような演奏と共にリオが長い叫び声を上げた。晃、春斗、真治の三人が引っ張られるようにして一斉にリオを見た。彼らが耳にしたのは、普段のリオからは想像もつかないような女離れした太いダミ声だった。

(うそぉ・・・。)
 ギターを弾きながら春斗は胸の内で呟いた。晃も真治もリオの意外な一面に目を丸くしている。そして三人は一様に口元を愉快に歪ませた。
 イントロが終わってAメロに入ると、リオは喉が焼きついているかのような枯れた声でがなるように歌い出した。原曲のそれよりも輪をかけてエネルギッシュな発声だ。それに順応してか、目つきまでもが険しく尖って見える。
「ヤベぇ・・・・・」
 真治が感動を伴いながら呻くように言った。




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