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(前回のあらすじ)
倉田に言われて優弥に日記を返そうとしたリオ。その複雑な内容に読んだ事を悟られまいとこっそり机に仕舞おうとしたところ、優弥に見つかってしまう。しかも、もたもたしているところを優弥に手を握られてしまった。焦るリオ。
81・・・ごめんなさい
「・・・・・お前、俺の秘密守るために、倉田に奴隷になるって言ったんだってな・・・・・。」
 
 優弥の声が、低く重々しく響いた。倉田から優弥に話したのだろう。リオは思わず心で舌打ちした。
 ビニール袋の中ではリオの手が優弥の手によって力強く握られたままだ。リオは優弥から目を逸らしたまま、固まっている。
「俺には『拝んで頼んだ』とか言っておいて・・・・・。」
「・・・・・だって・・・・・。」
「何。」
 リオは何か言おうとして顔を上げ、またすぐに気後れしたように俯いた。
「・・・・・分かんない・・・・・。」 

 少し不満だった。このことはたった今、倉田から説教されたばかりだ。その挙句、優弥にまでまた同じことを問い詰められるのは鬱陶しい。もう、この件には触れられたくない。そんなことよりも、とにかく今は握られたこの手を早急に離してもらいたい。

「でも、結局大丈夫だったもん・・・・・。先生に変なこと、されたわけじゃないし。それに先生は、優弥を警察に連れて行くことは最初から考えて無かったんだって。ちょっと脅したかっただけなんだって、実は。」
「それは、あくまで結果論だろ。」
「・・・・・う。」
「なにが奴隷だよ、ふざけんなっ。それじゃぁ、頭の悪いヤリマン女みたいじゃねぇかよ。お前はそんな女かよっ。たかが俺なんかのために、簡単に自分、安売りしてんじゃねぇよっ。」
「・・・・・優弥だって・・・・・。」
 そこでリオの声色が急変した。まるで別人のように、トーンが下がった。きつい目で優弥を見上げる。

「自分のこと・・・・・、安っぽい言い方するなっ。」

 最後のほうは叫びだった。急に点火されたようだった。火種はとたんに煙を上げ、真っ赤な炎を燃え上がらせた。
 リオは掴まれていた手を勢い良く振り払った。

「『たかが俺』とか、『ヘタレ野朗』とか言っちゃって、何、卑屈になってんだよっ。それでも優弥は優弥でしょっ。自分を安く見積もってんじゃないっ。そんな下向きの優弥なんて優弥じゃないよっ!」

 『たかが俺』はともかくとして、『ヘタレ野朗』は日記に書いてあったことである。リオがそれを読んだということが露骨に伝わってしまった。しかし、そんなことは今のリオには関係無かった。
 凄まじい怒声はすかすかの教室の隅々にまで響き渡った。そのあまりの迫力に優弥は臆して動きを無くした。しばらく呆気にとられてリオに見入っていたが、今までの勢いはどこへやら、その内見る見るうちに萎んでいった。

「だって、俺は・・・・・。」
 優弥の目が赤く潤い始めた。声が上ずる。
「俺は・・・・・、お前を殴ったし・・・・・酷いことしかしていない・・・・・。」
 語尾が情けなく擦れた。優弥は肩を落とし、行き場を無くした目は仕方なく足元を眺めた。消えてしまいそうな優弥を、リオは真っ直ぐ貫くように見据えている。その目で、話の続きを促がす。
 
「俺は・・・・・ガキのころから親父に殴られて育った。毎日ピアノがうまくいかないと、顔が腫れるまで殴られた。そんな親父を俺は憎んだ。恨んだ。それなのにアイツは今じゃ、俺をおだてて、俺の顔色ばかりうかがってる。俺とどう向き合っていいのか分からなくて、いつもおどおどと脅えてやがる・・・。情けねぇヤツだと、こんな大人には絶対ならないと・・・・・思ったのに・・・・・、結局俺は親父と同じことをした。自分の勝手な言い分押し付けてお前を殴った・・・・・。傷付けた・・・・・。」
 優弥の握った拳が僅かに震えていた。薄茶色の前髪の下から涙の線が落ちた。それを見ながら、少しの間を置いてからリオが口を開いた。

「リオのこと、憎かった・・・・・?」
 それに反応するように、うな垂れた優弥の頭が微かに持ち上がった。構わずリオが続ける。
「リオのこと嫌いになったから、殴ったの?」
「・・・・・違うっ・・・・!」
 目が合った。優弥の呼吸が乱れる。
「そんなんじゃねぇよっ。嫌いだったらどうだっていいんだよっ。そうじゃないから執着しちまうんだよっ。」
 優弥は涙目で訴える。やり場の無い感情を持て余しているかのようだ。そして、気が抜けたように優弥は付け足した。

「好きだった・・・・・。ずっと、お前のこと・・・・・。」
 
 優弥がうな垂れて一度鼻をすすった。放課後の校庭から、基礎練習をする野球部の数人の野太い掛け声が聞こえてくる。
「・・・・・優弥のパパもそうだったんだと思うよ。」
 リオが静寂を破って静かに切り出した。
「優弥のパパも、優弥のことが嫌いじゃなかったから、執着しちゃったから、殴っちゃったんだと思うよ。多分そのときは必死で、どうしていいか分からなかったんだよ。そんで・・・今は殴ったこと、後悔してるんだと思うよ。きっと。」
 もう、燃やすものは全て燃やし尽くしたのか、リオはの口調はあくまでも穏やかだった。口元に柔和な笑みさえ浮かんでいる。

「・・・・・不器用なだけなんだよ、きっと。優弥も、優弥のパパも・・・・・。完璧な人なんて、いないよ。みんな不完全なんだよ。それが当たり前なんだよ。・・・・・だからたまには許してあげなきゃいけないときも、あるよ。優弥のパパも、優弥と同じように、苦しんでるんじゃない?」
 優弥は充血した目を見開いてリオを凝視しながら、そこから発せられる一文一句を混乱する脳で必死に解析していた。廊下から射し込むオレンジ色の西日が背後を照らし、戸惑う優弥の顔を暗くかげらせている。

「許してあげなよ。リオも優弥のこと、許してあげるから・・・・・。」
 リオの言葉に、再び優弥の目に動揺が走った。そして呆然とする。
「・・・・・・・・・・え・・・・・・・・・・。」
「ちゃんと謝ればね。」
「・・・・・・・・・・。」
「さあ、どうする、優弥。」
 リオは腕組みをした。顎を上げながら目を細め、意識して偉そうなポーズを取る。
「・・・・・あ・・・・・。」

 優弥は硬直したまま動けなかった。思いもよらぬ提案に、瞬きもせずリオから目を逸らすことができない。リオの視線が矢のように、真っ直ぐ優弥に向かってくる。
 たった一言の言葉を口にするのに、なぜこんなに苦労しているのか。それはもう、喉の奥まで上ってきているのだ。ただ、それを発するための力が出ない。息が苦しい。

「ごっ・・・・・・・・・・。」
 聞き取りづらい声だった。八割が擦れた息だ。
「めん・・・・・。」
「・・・・・うん。」
「・・・・・なさい・・・・・。」
「うん。」
 そこでリオはにっこりと微笑んだ。それを見て、優弥の中で動きを封じていた何かが、直ちに解き放された。抵抗無く空気が気道を通り始めた。

「あのときは、殴って・・・・・ごめん・・・・・。」

 そのことについて、今初めてまともに謝罪の言葉を口にした。それは、優弥がずっと言いたくて、言えないことだった。ずっと苦悶していた。逃げていた。自分のしたことの罪の重さに恐れおののき、リオに面と向かう勇気さえ無かった。それに、謝ったところで焼け石に水だという捨て鉢な思いもあった。なのにリオは、そんな自分をあっさり許してくれると言う。

 言い終えると、その達成感からか放心状態のようになった優弥だった。リオは機嫌良く笑いながら、優弥に歩み寄り、両手を長い髪のてっぺんに乗せた。
「はい、良くできましたーっ・・・・・。」
 ワックスの効いた優弥のごわごわの髪を、リオの両手がこねるように揉みくちゃにした。優弥は背を丸め、うな垂れながら黙ってリオのされるがままになっている。
「ぎゃはは、鳥の巣だ〜。」
 リオは一人楽しそうに優弥の頭をマッサージでもするように乱しに乱した。髪のボリュームは増し、優弥の頭はある意味、ステージに立つときのような風貌に変化した。

「本当に許してくれんの・・・・・。」
 優弥が小さく呟いた。リオの手が止まる。
「うん。もう、許したよ。ちゃんと謝ってくれたから・・・・・ちょっとタイミング、遅かったけどね。」
 釘を刺すことも忘れない。笑いながら優弥を見た。間近で目が合う。
「ホントに。」
「うん。」
「友達に・・・・・戻れんの。」
「うん。また友達だよ?」
「・・・・・・・・・・。」
 次の瞬間、優弥の腕がリオの腰に回された。

「リオっ・・・・・・・・・・。」
 胴体を引き寄せられながら、とてつもない力で締め付けられた。自動的に優弥の胸に顔を押し付ける形になり、息苦しさにリオが慌てふためく。頭上では、優弥が泣いているのが気配で分かった。水っぽい不安定な声が降ってくる。
「俺・・・・・俺っ・・・・・、ずっと言えなくて・・・・・・・・・・。」
 それを聞いて、リオの目尻にも涙がにじんだ。もらい泣きなのか、自らの感情によるものなのか、よく分からない。だが、悲しい涙でないことは確かだ。
「ごめん・・・・・、ごめん・・・・・、リオ・・・・・。」
「バカだね、優弥・・・・・。」
 リオは目を閉じて、優弥の頭を今度はなだめるようにそっと優しく撫でてやる。

 優弥の控えめな泣き声を耳元に感じながら、どれくらいそうしていたのか。音が止んだと思ったあたりで、リオは首の辺りに生温かな感覚を覚えた。優弥の吐く湿った息が首筋に生々しくあたっている。更に、柔らかい何かが触れている。

(え・・・・・・・・・・?)
 腰に絡まっていた優弥の腕がさりげなく解かれ、その手がさらに下辺りをまさぐった。そのまま横に移動し、太股を撫でながらリオの膝上十五センチのスカートの裾から中に滑り込んだ。
「なっ・・・・・だめだよっ・・・・・。」
 そう訴えて優弥から体を離そうとした瞬間、突如リオの体に稲妻のような電流が走った。

「・・・・・くぅっ・・・・・。」
 声にならない音を発しながら、リオは一息に脱力した。優弥がリオの首筋に噛み付いている。リオは膝を折り曲げながら、優弥の体を伝ってずるずると下に落ちていった。優弥はリオの首に歯を立てたまま、もつれ合うようにしてリオを抱きながら床へと崩れていく。
 優弥が攻めたそこは、リオにとって一番敏感な血管が走っているところだった。そこを噛まれると、とたんにリオは意志を無くしたただの無力な肉体と化してしまう。優弥の勘は鈍っていなかった。判然としないその微妙な場所を素早く見つけ出し、的確に仕留めたのだ。

「リオ・・・・・・・・・・。」
 優弥は耳元で熱っぽく囁きながら、体を重ねたままリオを仰向けに倒していく。教室の扉が開いていることなど気にも留めない。
「だめ・・・・・。」
 そう言った口はすぐに唇で塞がれた。こたえないようにと思いつつも、リオの口はうっかり開いていた。優弥の舌が柔らかな唇を割って押し入り、咥内をまんべんなく探索する。大きな掌が、リオの頭をそして頬を、孤を描くように行き来し優しく撫で回す。
 リオの口から溜息が漏れた。急所をつかれて参っているところに追い討ちをかけられ、自分を見失いそうになる。

「リオ・・・・・・・・・・。」
 陶酔していく。リオの脳内で非常ベルがけたたましい音で鳴っている。ここで流されたら、負けだ・・・。
「やめ・・・てっ。」
 リオは顔を背け、優弥の顎を手で押しやった。我が身にムチを打つように躍起になって訴える。

「戻るのは友達までだよっ。これ以上したら、友達もやめる。あたしには今、瑠偉るいがいるんだよっ。優弥にだって、彼女がいるでしょっ。」

 優弥の目が開いた。瑠偉という二文字が無残にも優弥を現実に引き戻した。夢から覚めたような空虚な表情のあとに、戸惑うような眼差しを向けた。

「そう・・・だったな・・・・・。」

 リオから身を剥がすと、優弥は腰が抜けたように尻を着いて地べたに座り込んだ。
 リオもぎこちない動作で上半身を起こした。肌が汗ばみ、僅かな震えが止まらない。心臓は、バスドラを踏んでいるように深く重く胸を打ち突けている。

「やっぱり、お前のそばにいるとダメなのかな・・・・・、俺・・・・・。」

 優弥は自嘲気味に、床に向かって吐き捨てるように言った。自問しているのか。

「微調節、効かねぇよ・・・・・。」

 リオは返す言葉が無かった。受け入れることもできない。突き放す勇気も無い。
 深く長い溜息を一度吐いてから、優弥がもそりと立ち上がった。リオは無言のまま、身を縮めて固まっている。ただ、わけの分からない涙だけが、刻々と視界を曇らせていく。優弥の姿がゆらゆらと溢れるぬるい波に沈んでいく。 
 今はもう、他に大切な人がいる。だから友達に戻りたかった。もっと前の二人に戻りたかった。でもそれは、まだ早すぎたのか・・・・・。それとも、始めから不可能なことなのだろうか・・・・・。
 優弥の姿が視界の中で黒い点となって消えていくのを、胸元のリボンを掴みながらやるせない思いで見送った。

 リオはブレザーのポケットをあさり、中から黒い豹柄の携帯を取り出した。両手で開くと、瑠偉とリオが親指を立てて笑顔で寄り添っている待ち受け画面が、もう薄暗くなりかけた教室にまぶしく浮き上がった。
「瑠偉・・・・・・・・・・。」
 涙でかすんだ視界の隅に瑠偉の番号を見つけると、リオは素早く親指を動かした。そして瑠偉の声が自分の耳に届くまで、握った携帯をかたくなに放さずにいた。
 
 いつも読んでいただきありがとうございます。
 今回の内容は非常に書きづらくて悩んでしまいました。優弥の苦悩はまだまだ続きます。


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