78・・・咲の告白、その1
深夜遅く、リオは瑠偉の住むマンションのエントランスにいた。
これから会ってどこへ行くわけでもないが、せっかくの金曜日なので、とりあえず二人で一緒にいたかった。午前中は優弥と一緒に倉田に勉強を見てもらい、午後も真面目に自宅で一人勉強に励んだ。試験前なので、休日も何もなかった。
瑠偉は瑠偉で、午後は滞っている専門学校の課題にかかりっきりで、夕方になってからバイトに出掛けた。ゴールデンウイークはといえ、なかなかずっと一緒にはいられない。それでも二人は、週末はバンドの練習も含めて一緒に過ごし、週の半ばにも一度夜に会う、という周期でデートを重ねていた。
「まだかな〜・・・・・。」
暇を待て余し、リオは集合ポストの前で檻の中の熊のようにうろうろしだした。
早く瑠偉の顔が見たい。抱きしめられたい。もうすぐ会えるのかと思うと体のほうは勝手に熱くなっていく。
すぐ目の前に大きな鏡があるのに気付き、全身を映してみた。メイクはうまくいっているか、髪型は大丈夫か、今日は「かわいい」と言ってくれるだろうか・・・・・、などと考えながら鏡とにらめっこをしていると、横から自動ドアが開く音がした。
「瑠偉・・・・・・・・・・」と言いかけて、途中で止めた。目に入って来たのは瑠偉ではなく、倉田晃だった。
「晃・・・・・君・・・・・?」
「よお・・・・・。」
Tシャツにジーパン、スニーカーという恰好の晃は、今日に限っては黒い髪の毛がペッタリと寝て顔の大部分を覆っていた。お陰で一瞬、誰だか分からなかった。晃は両手をジーパンの後ろポケットに入れて、猫背気味でだるそうに立っている。
「どうしたの?こんな時間に・・・・?」
「・・・・・俺が聞きてぇーよ。瑠偉さんからいきなり呼び出し喰らった。こんな時間になんなんだよ・・・もう、寝ようと思ってたのに・・・。」
「瑠偉に・・・・・?」
「そう。瑠偉さんから兄貴に連絡来たらしくって、非常事態だから、すぐに俺にここに来いと。」
晃は迷惑そうに言ってから横を向き、吸い込まれてしまいそうなほどの大きな欠伸をした。
「・・・・・はぁ?・・・・・なんでー?・・・・・なんで瑠偉が倉田先生に連絡すんの・・・・・?」
話が全く見えなかった。瑠偉とはこれから二人っきりになれると思っていたのに。それ以前に瑠偉と倉田の繋がりとは・・・?
「うちの兄貴は、前に瑠偉さんが高校んときの、担任だったの。」
「へっ・・・・・?」
「三年のときって言ったかな。」
「・・・・・マジィ?」
全く聞いたことがなかった。そしてに瑠偉のほうも恐らく、倉田が今リオの通う高校にいるということは知らないはずだ。
「マジ、マジ。・・・・・それよか、そっちはこれからデートってとこか?」
晃はリオの姿を上から下まで舐めるように見てから、目を細めてにやりと笑った。
晃の無遠慮な視線に、リオは気まずそうに目を逸らした。今日は瑠偉に会うことしか考えていなかったので、昨日スタジオで晃に見せた服装とは打って変わって気合の入ったファッションだった。晃の目は、まるで全てを見透かしているかのようだ。リオは、シャツから除いた胸の谷間を隠すように片手でさりげなく襟元を掴んだ。
そのときだった。再びエントランスのドアが開く音がして振り向くと、瑠偉が背中に大きな荷物を背負って入って来た。大きな荷物とは勿論、酔っぱらいの咲だ。
咲も、スタジオで会ったときとはメイクも髪形も違うので、すぐには分からなかった。今日の咲のメイクは渋谷のギャル風だった。ごてごての付けまつ毛は、瞬きをすれば風でも吹いてきそうだ。
「咲・・・・・?何で・・・・・?」
咲はべったりと瑠偉の背中に張り付いて、心地良さそうに目を閉じている。昨日はスタジオで人のTシャツに嘔吐し、今日は恋人の背中にちゃっかり乗っかっている。リオにとっては咲の行動の全てが、不愉快極まりないの一言に尽きる。
重労働だったのだろう。瑠偉は、はぁー、と一回長い息を吐くと、後ろを向いて背中の咲に言った。
「・・・ほら、お前の王子様を呼んでやったぞ。だからとりあえず、今日は死ぬのはやめとけよ?」
それを聞いて、咲の大きなグレーの瞳が突如姿を現した。
目の前に立つ晃の存在を確認すると、咲はとんと両足を着地させ、一目散に晃に飛びついて行った。
「あ〜き〜ら〜っ。会いたかったよ〜・・・・・。」
ぎゅーっとしがみ付いてくる咲を、晃は無表情のまま何となく抱き返してやった。晃にはまだ、自分がここにいる意味がよく分かっていない。
「何だよ、酒臭えなぁ・・・。昨日あんなだったのに、大丈夫なのかよ。」
「う〜ん、もう、全然平気〜、てきとーてきとー。」
ようやく本命の王子様に甘えることができて、咲はすっかりご機嫌な様子だ。
四人はエレベーターに乗り込んで瑠偉の部屋へと向かった。咲は幸せそうな面持ちで晃の腕にぶら下がり、頭を預けている。そんな咲を不機嫌に眺めながら、リオも負けじと瑠偉の体に寄り添った。エレベーターの中は咲の放つ酒の匂いがたちこめ、瑠偉の体からはしっかりと咲と同じベビードールの匂いがする。リオは思わず自分の鼻をつまみたくなった。
部屋に入ると、咲をリビングのソファーに寝かせ、残りの三人はその目の前の四角いセンターテーブルを囲んで腰を下ろした。飲み物をテーブルの上に置いて一息つくと、瑠偉は今夜のことの経緯を話し始めた。
バイト帰りに歌舞伎町の通りで咲を見つけ、忘れ物の財布を返したこと。瑠偉の目の前で咲が手首を切ろうとしたこと。咲が、晃に会わせないと薬を飲んで死んでやると言ったこと・・・・・。
咲は聞いているんだか、仰向けに横たわったまま虚ろな目で天井を眺めている。まだ、酔いは醒めないらしい。
「・・・・・とにかくさ、話聞いてたらお前の名前も出てきたし、家も近いし、ついでだから一緒に電車に乗って帰って来たってわけ。」
瑠偉の話を聞いてリオと晃の二人は黙り込んだ。酔っているとはいえ、自殺とはあまりにも話が重い。それに、咲がナイフを持ち合わせていたことも妙に引っ掛かる。
晃は、兄が珍しくこんな夜中に安易に自分を外に出したのにも納得が行った。自分一人を寄越さなかったがために人一人に死なれたのでは、倉田もたまったものではないのだろう。
晃は、ソファーの上で呆けている咲の手首を手に取り、裏返してみた。幅広のベルトの腕時計を外してみると、左の手首には無数の切り傷の痕があった。それを覗き込んで、三人は一様に眉を顰めた。咲は過去に何度も手首を切っていたらしい。咲とベッドを共にしながらこのことに全く気付かなかった自分を晃は迂闊に思った。思えば、咲はいつもこの腕時計を外すことはなかった。
「薬もまだ、やってたんだな・・・・・。」
思わず晃が独白した。以前咲は、「もうやらない」と晃に向かって真剣な面持ちで言ったのだ。晃は甘く考えていた。それよりも、このことをさほど深くも考えていなかった。ダメなら関係を切ればいい。所詮、晃にとって咲の存在とはその程度のものだった。
だが、晃にはもう一つ気になっていたことがある。
「・・・・・お前、バイトしてるって言ってたけど、何やってんの?いつもこそこそしやがって。言えよ。ここではっきりしろよ。」
問い詰められ、咲は気まずそうな目を向けたが、晃のその有無を言わさぬ気迫に負けたのか、居直ったように口を開いた。
「女子高生オンリーでやってるデリヘルだよ。デリヘルって言っても実際は本番ありだけどね。あたしは注文をまとめて女の子を手配する役回り。その度に紹介料をもらうの。」
すぐに瑠偉が質問を寄越した。
「デリヘル・・・・・?女子高生がやる普通の援交じゃねぇの?」
「・・・・・甘いよ。そういう遊び半分なことやってるから、身元調べられて親が脅迫されたりするんだ。・・・・・ちゃんと店構えてケツ持ちがいる振りしとけば、相手も下手な行動には出られない。」
そこでリオは首を傾げた。
「ケツ持ち・・・・・って・・・・・?」
頭に浮かんだのは、ラーメン屋などで出前に使うあの大きなアルミ色の箱だった。
「問題が起きたときに後処理するやつらのこと。尻拭い。」
瑠偉がすぐに答えてくれた。
「・・・・・ああ・・・・・。」
そうだ、あれは『おかもち』だった。だいぶ違う。間抜けな発言で話しの腰を折っていけない、とリオは口を噤んだ。
咲は携帯を出して、わざわざ自分の店のサイトを出して見せた。それを晃と瑠偉、リオは顔を寄せ合って覗き込んだ。
ピンクのハート柄をバッグにしたそのページには、腕などで顔半分を中途半端に隠した女の子の写真が十数枚載っていた。どれも、源氏名の横にスリーサイズ、コメント、そして示し合わせたように皆、十八歳と明示してある。だが、今十八歳の高校生となると、この二ケ月くらいの短い間に誕生日を迎えた高校三年生のみとなる。かなりの無理がある。実際は十八歳未満の高校生もいるのだろう。そうなると、咲のしていることは立派な犯罪である。
見ると、客との待ち合わせ場所は一定の地域限定になっていて、彼女らの地元近辺でも難なく仕事ができるシステムのようだった。
三人が何となく女の子たちの写真を眺めていると、知ったような顔をいくつか見つけた。ライブハウスやスタジオでいつか見かけた気がする。だが、リオが一番気になったのはトモカという源氏名の子だった。あの子に似ている・・・。リオがそこに目を留めていたら、続いて晃が呟いた。
「この子・・・・・、三上の・・・・・。」
リオはとっさに察した。晃はその子が優弥の彼女だと言いたかったらしい。晃は優弥とバイトが一緒なので、そこで彼女を見たことがあったのだろう。咲がすぐに応えた。
「ああ、麻里江ね。もうやめるって言うから削除しないと・・・・・。せっかくいい感じに流れてたのに・・・・・。」
そこでリオが顔を上げた。
「いい感じに流れるって?どういうこと・・・・・?」
すると咲は、リオを見ながら黒く淀んだ笑みを浮かべた。
「・・・・・まずは薬を勧めるところから始める。・・・・・で、薬にどっぷりはまってやめらんなくなったところでこの仕事を勧めてあげる。みんな薬を買う金が欲しいから、すぐに飛びつくよ。」
それを聞いて、瑠偉が憂鬱な溜息を吐いた。
「どうしよーもねぇーなー・・・・・。」
「・・・でしょ?ドツボにはまるんだよ。」
「ちげーよっ・・・お前のことだよ。要は、お前がそういう世界に引き吊りこんでんだろ?陥れてんだろ?堕ちるんなら一人で勝手に堕ちろよー・・・・・。」
それを聞いて、咲は仰向けのまま首を仰け反らせ、カカカと乾いた笑い声を上げた。
「いいじゃん・・・・・。」
そして、小さなバッグから煙草を取り出しピンクのライターで火を点けた。寝転んだまま左腕を枕にして空いている手でメンソールを吸う。煙突のように口からもくもくと煙を吐きながら、独り言のように咲は続けた。
「あたしは別に、無理矢理勧めてるわけじゃないよ。薬もウリも、みんな喜んでやってるよ。みんなで楽しく飛んで、楽しくオヤジとヤってヤリまくればいいんだ・・・・・。」
咲は天井を見上げながら、何か想いに耽るような顔をした。
そこで、晃がいつもより一段と低い声で言った。
「・・・そんでお前は人にウリさせといて、そっからおこぼれもらって高みの見物かよ。咲、お前、救いようがねえな。」
晃の言い方は、口から苦いものでも吐き出すかのようだった。すると、咲は勢い良く起き上がり、晃を見据えながら気色ばんだ声を上げた。
「あたしだって、ヤッてるよっ。オヤジとヤッてるよっ!」
言ってから咲は、晃に向けた顔を悲しげに歪ませた。投げやりに晃が応える。
「・・・・・へえ・・・・・手配するだけじゃねえのか。」
「あたしは・・・・・っ。」
そこで咲は、自分に注目する三人から目を背け、うな垂れた。
「あたしは・・・・・パパとヤッてるんだ・・・・・。」
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