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77・・・夜の都会で
 女が寝ていた。自動販売機の側面に寄りかかりながら尻を付き、開き気味の足は片膝だけが上がっている。かなり酔っているらしい。頭はだらしなく仰け反って目を閉じている。
 さっきまで瑠偉るいの働くバーにいた客だった。女が着ている、目の覚めるような真っ赤なワンピースのお陰ですぐに見つけることができた。

 ある程度の時間を過ぎれば、この新宿歌舞伎町にはそんな女はよく転がっている。実はそのままナンパ待ちをしていることも多い。だが、運が悪いと酔っているのをいいことに、本人の知らない間に望まない相手に「お持ち帰り」をされてしまう。
 本人の望まない相手とはすなわち、「タイプじゃない相手」のことだ。「タイプ」か「タイプでない」か、その違いはナンパ待ちをしている女たちにとっては重要な問題だったりする。だが、その微妙なところを男のほうは理解しようとしない。
 ナンパ待ちの女は往々にして、相手が自分の好みの男ならその日のうちに体の関係を持ってしまう。だから、男にとっては相手がそういう女というだけで、それが和姦だろうが強姦だろうが知ったことではない。女が酔い潰れているのなら尚更、男にとってそれは、ただの都合の良い使い捨ての遊び道具でしかない。

 赤いワンピースの女も例に漏れず、すぐにそうした男たちに取り囲まれた。ナンパをされているのは一目瞭然だった。女は自分を見下ろす男三人の顔をざっと見比べると、不安定に首を横に振った。どうやら、彼らは女の「タイプ」ではなかったようだ。
 男たちは軽いノリでしつこく交渉を続ける。女のほうは、だだをこねるように首を横に振り続けている。
 瑠偉はその様子を煙草を吸いながら、黙って遠まきに見物していた。現場までは八メートルは離れていた。

 女は相変わらず誘いを拒み続けていたが、そのうち男二人に左右から腕を掴まれ、強引に引っ張り上げられた。
「は〜な〜し〜て〜・・・・・。」
「カラオケに行くだけだから。ねっ、いいじゃん、ちょっと付き合ってよ。」
 うまく言いくるめられて、連れて行かれようとしている。瑠偉は自分の次に取るべき行動に悩んだ。瑠偉の目的は、女が店に忘れて行った財布を返してやることだった。バイトも終わったので、これから駅に向かうついでだった。
 瑠偉は、手に持ったサマンサタバサのピンクの財布に目を落とした。もう面倒だから、横から女に声をかけて渡してしまおうか、それともいっそ財布だけを交番に届けてしまおうか。

 もう一度、女とそれを捕らえた男たちに視線を戻した。よく見ると、三人の内の一人がビデオカメラのようなものを女に向けていた。
 都会の夜の繁華街ではよくあることだった。泥酔している女を拾って犯し、それを勝手に映像に残して世間にばら撒き暴利を貪る。それを女が了承しているのなら問題は無いが、大抵の女は素面しらふだったら普通は断る。もしAVに出るにしても、女優に正当な出演料を払うのが筋というものだ。
 
 瑠偉は、女の財布からまだ真新しい免許証を取り出し、見てみた。年齢を数えると、まだ十八だった。リオと同学年だ。
 思わず舌打ちをした。正義の味方を気取るつもりは無いが、瑠偉はこうした犯罪には納得が行かない。女に財布を返したいだけだったが、見て見ぬ振りもできない状況だ。面倒だが、仕方がない・・・。
 もう一度男たちを注視する。雰囲気から、危ない筋の人間ではないだろうと見当を付けた。そして素早く免許証の氏名欄に目を走らせた。
 飯塚咲・・・・・。名前は恐らくサキとしか読まないだろう。確認すると、瑠偉は顔だけ横を向き、咥えていた煙草をプっと吐き捨てると、人を探すフリをして辺りを見回しながら歩き出した。

「咲―っ・・・・・。」

 今初めて見つけた振りをして、声を掛けながら女に歩み寄る。三人の男たちが振り返った。
「おいっ、咲。探したぞ。」
 女に威勢よく言葉を投げかけ、そこで男たちをざっと見る。男の一人が反応した。
「何だよ・・・・・、ホストか・・・・・?」
 年は二十代半ばだろうか。これといって特に醜いというような風貌の男たちでもない。女は、面食いなのか、それともあくまで家に帰ろうとしているだけなのか・・・。

 瑠偉は平然と言い放つ。
「違う。手ぇ、放せよ。こいつはオレの女。・・・・・おい咲、探したぞー、面倒かけさせんなよ。行こうぜ?終電なくなるぞ。」
 瑠偉は、男に支えられてうな垂れていた咲の顎を掴んで自分に向かせた。すると、ぼやけていた咲の目が突如視点を定めた。ほんの一瞬で、その目に無数の白い星がまたたいた気がした。瑠偉を見据えたまま、高い声を上げる。

「きゃ〜んっ。待ってた〜っ。」
 そう言うと、突然自分を掴んでいた男の腕を振り解き、しがみつくように瑠偉に抱き付いてきた。瑠偉はその腰にそっと手を回し、咲の髪に頬を寄せながらカメラマンを睨む。
「・・・・・・・・・・何、人の女、撮ってんだよ・・・・・・・・・・。」
 目に、少し危ない光を匂わせてみた。数年前まで不良と呼ばれ喧嘩三昧の生活を送っていた瑠偉にとっては、この程度の遠まわしな脅しはお手の物だ。

「だめだ・・・・・。次、行こ・・・・・。」
 吐き出すように言いながら、男の一人が構えていたカメラを下ろした。他の二人も鬱陶しそうに瑠偉を一瞥すると、「ガキが・・・」という言葉を舌打ちと一緒に捨てていった。
 足早に離れて行く三人を遠くに確認すると、瑠偉はほっと安堵の息を付いた。救出成功。万が一相手が悪いと、最悪まともな体では帰れなくなる。

 いつまでも自分に張り付いたままの女から腕を離し、瑠偉は言った。
「・・・・・おい、そろそろ離れてくれよ。」
 女が顔を上げ、潤んだ目で瑠偉を仰いだ。黒目がグレーで、呆れるほど大きい。見た目だけカラーコンタクトで拡大しているのだろう。ここまでくると整形に等しいような気もする。

「・・・・・『オレの女』・・・・・、じゃないの〜?」
 女からは、たっぷりと媚びを含んだ声が返ってきた。
「んなわけねぇーだろっ。演技だよ、演技。オレは忘れ物を届けに来ただけ。・・・はい。」
 瑠偉は手に持っていた財布を女に手渡した。

「まだこんな時間だぞ?潰れるには早いんじゃねーかー。・・・・・連れはいねぇーの?」
「友達は・・・・・渋谷で・・・・・はぐれたぁ・・・・・。」
 女の口調は舌っ足らずだった。いたままの口からよだれでも垂れそうだ。
「・・・イイ男捕まえたんだな。そんでお前は新宿で飲み直してナンパ待ちか・・・・・。渋谷にいたほうが良かったんじゃね?まあ、どうでもいいけど。・・・・・じゃあ、俺は終電乗るけど、そっちは?・・・・・もう、そこまで酔ってたら帰ったほうがいいぜ?でないと、また変なのに拉致らちられるぞー・・・。」
「・・・・・ホテル・・・・・行く・・・・・。」
「・・・・・あ?」
「王子様と・・・・・ホテルぅ・・・・・。」
 王子の胸に、咲は頭をるように擦り付けた。どうやら気に入られてしまったようだ。
 瑠偉は苦笑した。今、会ったばかりなのにいきなり、「ホテル」だ。せめてさっきの男たちのように、もうワンクッション無いものだろうか。

 改めて女をよく見直してみた。あまり賢くは無さそうだが、瑠偉の判定では顔と体のトータルで10段階評価で9だ。今までの瑠偉なら、そのまますんなりホテルに直行していた。でも、今は・・・。

「パス。オレには今、マジれしてるお姫様がいるから。」
 瑠偉が咲の明るい色の頭を撫でながら言うと、咲は顔を上げ、口をすぼめて対抗するように言った。
「あたしだって、あきらにマジ惚れしてるよっ。」
「・・・・・・・・・・へー、そーなんだー。」

 勝手にしてくれよ・・・と酔っ払い女を適当にあしらいながら、瑠偉は先日自分のバイト先に一人でやって来たリオを思い出した。
 新宿でリオは、「変な人に追いかけられた」と言っていた。だがよく話を聞いてみると、ただ単にナンパをされて少し言い寄られただけのようだ。それでも「怖い」と言っていたリオが瑠偉には可笑おかしかった。都会に慣れていないとはいえ、目の前の女とはこうも違うものか。

「じゃあ、そいつとホテルでも何でも行けば?オレは帰るから。」
「やだぁっ。あたし、王子様とホテル行くぅ〜・・・・・。帰りたく、ない〜。」
 結局、どちらの王子様がいいのか・・・。咲は鼻に掛かった声で顔をつき出し、甘えるように瑠偉に迫る。キスをされそうになったので瑠偉は咲の体を軽くした。それでも、酔っぱらい女は、しつこい。
「ねえ、ねえ、あたし、いい薬持ってるんだっ。思いっきり気持ち良くなれるよ?一緒にやろ〜よ〜。」
 咲は鞄の中からからからと音を立てながら錠剤の入ったケースを取り出して言った。それを見て、すぐに瑠偉が疲れたような顔になって言った。

「・・・・・・・・・・オレ、ジャンキーとはお近付きになりたくねぇんだ。・・・つーことで、さようなら。」
 瑠偉は何の未練も無く女に背を向けると、駅に向かって歩き出した。背後で女が叫んでいる。
「何それーっ、晃みたいなこと言ってる〜。ムカツク〜っ。麻里江まりえ優弥ゆうやもやめるって言い出すし〜っ。何なんだよ〜みんなして〜っ。鬼ムカツクよ〜っ。」
「・・・・・・・・・・。」
 アキラ、ユウヤ・・・・・、聞いたような名前が二つも出て来た。しかも優弥も薬をやっていた。偶然だろうか。
 足を止めてちらと後ろを振り返ると、女は既に大の字になって道の真ん中で寝ていた。これでは元の木阿弥もくあみではないか・・・。

「おいっ。」
 堪り兼ねて、瑠偉は再び女の元に戻った。しゃがみこんで、半開きの目をした女を見下ろして言う。
「これじゃ助けた意味ねーじゃんっ。分かってんのか?お前、今、ハメ撮りされるとこだったんだぞ?そんなことになったら、お前がマジ惚れしてる王子様が泣くぞ?いいのか?」
「・・・・・泣かないよ。」
 咲は寝たまま口にした。思いのほか頭ははっきりしているのか、即答だった。

「あたしはただのPMだもん。昨日だってアイツ、スタジオで他の女とヤッてた。・・・・・LIVELAのファンクラブの女に打ちまくり。晃は打ちまくりのヤリチン野朗。」
 LIVELA・・・・・。咲のこの説明で瑠偉の予感はますます現実味を増してきた。LIVELAの晃なら知っている。
「・・・・・ところで・・・・・ピーエムって・・・・・?」
「プレイメイトの略。セフレだよセフレ。」
 どうやら女はギャル語が堪能なようだった。瑠偉はその手の新語にはかなりうとい。

「それに・・・・・あたし、レイプされたって、ハメ撮りされたって、平気だよ。・・・・・もう、とっくに汚れてるし。めちゃめちゃ汚れてるから・・・・・どうでもいいんだ・・・・・こんな体。」
 咲はネオンの隙間から見える濁った夜空を見上げながら、我が身を嘲るように笑った。そして、その顔はすぐに悲痛に歪んだ。
 
「とりあえず、起きろや・・・・・。」
 仰向けだった咲の体を抱き起こし、再び自販機の横に座らせた。瑠偉もその横に並んで腰を下ろした。
「チェリーだけど、吸うか?」
 瑠偉が差し出した煙草を、咲はベージュに濡れた厚い唇を小さく開けて受け取った。瑠偉は自分も煙草を咥え、二本ともライターで火を点けた。虚ろな目をして無言で煙を吐く咲を横目で見ながら、瑠偉が言った。

「そんなに自暴自棄になるなよ・・・・・・・・・・。」
「・・・・・ジボウ・・・・・?」
「・・・・・自棄・・・・・。ヤケになるなってこと。」
 そして瑠偉は、まず一番気になる事から確認した。
「ちょっとさ、さっきの免許証、もっかい見せてみ?」
 言われるままに、咲は簡単に財布ごと瑠偉に渡した。再び免許証の、今度は住所欄をよく見てみると、やはり咲の住所は瑠偉の住まいに近かった。溜息をつく。こんな都会でわざわざ地元民に出会うとは、奇遇もいいところだ。
 そうなると、さっき聞いたユウヤとはやはりあの優弥のことなのか。この女は優弥の薬仲間なのか・・・・・。

「今日は絶対、帰りたくないんだ。帰れって言うんなら、あたし、ここで死ぬよ。」
「・・・・・・・・・・あ?」
「そうだ・・・・・・・・・・死ねば・・・・・・・・・・ラクになれる・・・・・。」
 何かに導かれるようにどこか一点を見つめながら、咲の手はワンピースのポケットの中をあさる。顔を出したその手に握られていたのは、掌に収まる小型のナイフだ。
 シュッと音を立てて銀色の刃を柄から出すと、ナイフの長さは二倍になった。咲はまるで悪いものが乗り移ったかのように、死人のような目をしてぶつぶつと独り言を言い始めた。
「・・・・・マジだりぃーよ・・・・・やってらんねーよ・・・・・。」

 咲の手は刃を下に向けてナイフの柄を握っていた。そのまま順調に行けば、その先にある左手首を掻っ切るような段取りだ。これだけアルコールが入っていれば、さぞ豪快に血が流れ出ることだろう。せめて刃を上に向けて握ってほしい、と、瑠偉はどうでもいいことを思った。・・・だが今は、それどころではない。

「・・・・・・・・・・おいっ・・・マジかよっ・・・・・カンベンしてくれよーっ。」
 思わず後ずさりたくなる自分を無理矢理奮い立たせ、瑠偉はナイフを持つ咲の手首を、掌の側面で切るように叩きつけた。
 カシャンと情けない音を立てて、ナイフは呆気なく地面に落ちた。すかさずそれを瑠偉のブーツが足先で蹴って遠くに飛ばした。

「あー・・・・・・・・・・。」
 半泣きになった咲が不満の声を漏らす。
「・・・・・何、すんだよ〜・・・・・。」
「それは、こっちのセリフだっ。冗談じゃねぇーよっ。お前の死体なんか見たくもねーよっ・・・・・。」
 どっと疲れが出た。厄介な女に関わってしまった。こんなことならさっさと帰っていれば良かった・・・。
 飛んで行ったナイフを遠くに眺めながら、咲の顔はしわしわと哀れに崩れていく。

「・・・・・・・・・・晃〜っ・・・・・・・・・・。」
 まるで、呼べば降って来るかのように、女は天を仰ぎながら晃を呼んだ。
「会いたいよ〜、晃〜っ・・・・・・・・会えないんなら・・・・・薬飲んで・・・・・いっぱい飲んで・・・・・死んでやる〜っ。」
 夜空に向かって叫びながら、咲は膝を付き、大声を上げて泣きだした。闇をつんざくような金切り声に、瑠偉は思わず顔をしかめた。今日は厄日なのだろうか・・・・・。

「・・・・・分かったっ。とにかくまず、終電だ。晃に会うのはそれからだっ。」
 そんな瑠偉の声は、全く届いていなかった。咲の泣き声はますます声量を上げ、切迫感を増して行く。
 携帯を取り出して時間を確認した。かなり差し迫っている。瑠偉の自宅マンションではリオが待っているはずだった。終電に乗り遅れる訳には行かない。
 瑠偉は、泣き喚く女を荷物のように背負うと、アスファルトを蹴って東口へと急いだ。