74・・・練習一回目
予約したスタジオの時間までまだ三十分以上あった。リオがRISEの一階の楽器店に入って行くと、ところどころに赤いメッシュが入った怜の長い黒髪がカウンターの中に見えた。
「怜だーっ。元気になったの?」
リオが喜びの声を上げて駆け寄ると、顔を上げた怜が優しく微笑んだ。
「一昨日あたりから復活した。」
「・・・良かった。これで練習ができるね。」
「あぁ。クニのやつも元気になったらしいし。・・・あと、試験前だろ。勉強しにくるか?」
それを聞いて、リオの顔が少し曇った。
「あのね、わけがあって今、学校の先生に毎日勉強見てもらってんの。」
「・・・・・へえ・・・・・。」
「・・・でも、沢村先生にも見てもらうよ。」
「あぁ・・・・・?」
「今度怜のうちに行ったときに詳しく話す。」
「何か、そればっかだな。」
頬杖を着きながら、怜は笑った。
予約したAスタジオは今、空きだという。マイクを受け取り、怜に手を振りながらリオは地下への階段へと消えた。
「あっ、そういえばLIVELA の晃が先に行ってる・・・。」
怜が思い出してそう付け加えたが、リオには聞こえなかったようだ。
Aスタジオの重い扉を開けると、誰もいないはずの真っ暗な室内に、人の動く気配と微かな息遣いを感じた。
「ん?」
慣れているせいか、扉を開けると同時にすぐに電気のスイッチに手をやる習慣があった。
「・・・・・ちょっ・・・・・やばっ・・・・・・。」
息の荒い女の声が聞こえたと思ったら、瞬く蛍光灯の光にまみれて男女の絡み合う姿がリオの目に生々しく入ってきた。男のほうは晃なのだとすぐに分かった。振り向きざまにリオと目が合う。
晃は出入り口から向かって左奥にある壁に膝を曲げ、壁に両手をついた女の子の腰に手を添えていた。女の子は九十度に体を曲げ、下半身には何も穿いていない。それに膝までズボンを下ろした晃の股間が接合している。
予定外の驚愕の風景を前に、リオは目を見開いたまま棒立ちになった。
「・・・あと、十分くらい・・・いい?」
少々息をきらした晃が平然と言った。
「あぁぁ・・・・・・・・・・。」
肯定とも否定ともとれない声をあげて、リオはすぐに扉を元に戻して踵を返した。スタジオ全体の入口であるもう一つの扉まで逃げると、ドンと誰かにぶつかった。
「あれ、早いね。」
顔を上げた先には微笑を浮かべた春斗の顔があった。パーマをかけたのか、毛先をざくざく刻んだ肩までの栗毛が穏やかにウェーブしていた。自分の横をすり抜けて中に入ろうとした春斗の腕をリオはガシと掴んだ。
「今・・・・・あ、晃君が・・・・・。」
「え・・・・・?」
そこでリオは下を向いた。
「・・・・・・お楽しみ中です・・・・・・。」
それを聞いて、「ああ・・・」と無感動に春斗は答えた。
「見ちゃったの・・・・・?」
口だけで笑いながら春斗はリオを見下ろした。その身長差は、リオの頭一つ分強だ。
「アイツ、よくヤッてんだよ、スタジオで。電気消しちゃえば真っ暗でモニターにも映んないじゃん?」
興奮気味のリオに世間話でもするように春斗は言う。
晃のそういう場面を見るのはこれで二度目だが、露骨な性行為を見たのは初めてのことだった。リオは動揺を押さえきれない。晃の腰がシャツの裾で隠れていたのが唯一の救いだった。
「こんな所で・・・・・しかも人の来るときに・・・・・。」
リオが足元に大きな目を据えてぶつぶつと唱えていると、春斗の声がなぜか暗く擦れた。
「・・・・・リオちゃんだって・・・人のこと言えねぇーじゃん・・・・・。」
「え・・・・・?」
思わずリオが春斗を振り仰いだ。言いたいことがよく分からない。
真意を問うように目で訴えたが春斗は何も答えず、リオを見る目を一度冷たく細めてから、元来た階段を昇って行ってしまった。そんな春斗は、いつもの人懐っこい無邪気な少年の春斗とは別人に見えた。
(何・・・・・?何・・・・・?)
混乱する頭を必死で動かし、一人自問を続けるリオだった。
「あー、レオちゃんだっけー?」
甲高い声がしたので階段の踊り場を見上げると、真っ黒な服を着た飯塚咲がスカートをひらひらと揺らしながら階段を降りてくるところだった。
まず、名前を訂正しなくてはならない。第一、「レオ」は一般的に男の名前ではないか。リオは低い声で陰気に答える。
「・・・・・リオ、ですけど。」
「あーリオね。」
いきなり呼び捨てかい、と思いながら、咲の姿に上から下まで視線を巡らせた。頭には服とお揃いと見られる、やはりフリル付きの大きな布が巻いてある。
「今日はバンギャ風に黒ロリなんだね・・・・・。」
リオが独り言のように呟いた。
「えー?バンギャ風じゃなくて、れっきとしたバンギャだよー?あたしっ。言ったじゃん。LIVELAのファンクラブの会長だってっ。」
「・・・でも、ジャニも好きなんでしょ・・・?普通はバンギャってそういうの聴かないじゃん。種類が違うってゆーか・・・。」
「そんなことないよーっ。あたしはあれもこれも好きなのっ!とくに、赤西くんと・・・。」
「それ、この前聞いた。あたしにジャニタレの名前言っても誰だか分かんないよ。ロック系しか聴かないから。・・・それよか、曲覚えて来た?・・・歌えた?」
「・・・・・あー、あの英語のほうはともかく、日本語のほうね、・・・あれさーなんか変な曲っ。暗いし詩も意味分かんないし。」
「・・・・・・・・・・。」
質問の内容とは別に、先に曲の感想をもらってしまった。コンテストに出るバンドの最初の曲はリオが書いたものだった。咲が歌うという事なので、自信が無いながらも詞も付けた。それでも、曲としてはまあまあの出来だとは思っていた。
自分の作った曲に率直な酷評をもらい固まっているリオをよそに、咲はスタジオのほうへずんずんと歩いて行ってしまった。
続いてまた足音がしたので階段を見上げると、立っていたのはドラムの真治だった。真治は、俗に「メタルTシャツ」と呼ばれる黒いTシャツの下に迷彩柄のパンツにスニーカーといういでたちだった。Tシャツのロゴはスレイヤーで、胸には角の生えた髑髏の絵がプリントされている。
「スレイヤー・・・。」
リオが真治のTシャツを指差して言うと、
「チルボド・・・。」
同じように真治もリオのシャツを指差した。
リオが着ていたのはチルドレンオブボドムのメタルTシャツで、やはり黒地でグリーンの死神が縦に真っ直ぐに描かれている。
「真治君もスラッシュ系聴くんだ?」
「聴くよ。そっちもデスメタル系好きなの?」
「うん。メロデスとかメロスピも聴くよ。」
「・・・・・そういや、今日やる曲もそれ系じゃん。女の書いた曲とは思えなかった。」
「・・・・・変?」
「いや?・・・・・いいじゃん。俺は気に入った。」
そう言われると、リオの顔に素直な笑顔が溢れた。
リオと真治がメタルの話で盛り上がっていると、扉の向こうから何やら激しく言い争う耳障りな声が聞こえてきた。反射的に二人はスタジオの前の暗い通路に目をやった。
真治がドアを開けると、Aスタジオの入口で咲が女に掴みかかっているのが見えた。相手は勿論、さっき晃が盛んに腰を打ち突けていた相手だ。
「・・・・・ざっけんじゃねぇーよっ。」
「るっせーっ。こっちの勝手だろっ」
ナイフのように尖った言葉を吐いて殺気立っている二人を前に、晃は悠長に上を向き煙草をふかしていた。女二人は睨み合いながら、ものすごい剣幕で互いをまくし立てている。
リオと真治の二人がどうしたものかと立ち往生していると、飲み物を買って来た春斗が戻ってきた。
春斗は早速黒尽くめの女二人に「外でやって」と一言言い、慣れた段取りでスタジオの外に追い出すと、代わりにリオと真治に中に入るよう促がした。そして内側から扉を閉めると、何も無かったかのように普段通り練習の準備を始めた。スタジオの中には晃も入った。
「・・・いいの?ほったらかしで・・・。晃君のことで揉めてるんじゃないの?」
リオが遠慮がちに晃のほうを窺った。真治もドラムのセッティングをしながらさりげなく晃を見ている。
「いいんだよ。いつものことだから、ほっとけば。」
応えたのは春斗だった。晃は無言でベースのペグをいじっている。晃自身も外の騒動など眼中に無いようだ。
リオはじっと晃の顔を観察する。視線に気付いた晃は、「ん?」と意味を問うようにリオを見た。リオが急いで目を逸らす。晃はたった今自分たちの行為をリオに見られたことなど、既に忘れているようだ。
「・・・・・弦ってヘビィゲージ使ってるよね。」
リオのギターを覗きながら、春斗が話しかけてきた。
「勿論。二音下げだとコシが弱くなっちゃうから。これGHSの・・・・・。」
リオと春斗がギターの話題に切り替わったところで扉が開き、下を向いた咲が靴を引きずりながらスタジオに入ってきた。全員がさりげなくそちらに注目する。その時、軽快なポップチューンの着メロが咲を呼んだ。咲は面倒そうにポケットからピンクの携帯を取り出して発信元を確認した。
「・・・・・・・・・・。」
咲は電話には出ず、素早い動作でその音を消して携帯をしまった。そして、代わりに手に握った細い容器から何か小さな粒を取り出すと、素早く口に含み、ぽりぽりと音を立てて噛み砕いた。そして、鞄から出したペットボトルの飲み物をごくごくと豪快に飲み干した。
「・・・・・じゃ、一回合わせてみようか。」
咲の一連の動作が一通り済んだのを見届けると、長いストラップにベースを下げた晃が低い声で言った。
今日はこのメンバーでスタジオに入る初めての日だった。
一時間ほど経過したあと、一行は休憩をするために喫煙所に出て灰皿を囲んだ。咲だけはスタジオを出るとすぐに「トイレー」と言ってその場からいなくなった。
「あの人、あれが普通なの・・・・・?」
誰も何も口をきかない空気の中で、真治が口を開いた。
「何が・・・・・?」
煙草を咥えながら春斗が応える。
「何かさ、途中からハイっつーか、不気味になってない・・・・・?」
真治の言葉に一同が黙り込んだ。咲のことを言っているということは、すぐに判った。
咲は練習が始まって三十分ほどすると、不可思議な笑いを浮かべながら踊り、時々思い出したように奇声を発したりした。それが、全く曲に合っていないタイミングのシャウトだったり奇妙な踊りだったりで、音が止んでもいつまでも竹とんぼのようにくるくると回り続けたりしていた。咲の行動は、曲を聴いてノッているというよりは、それとは別の世界に入り込んで、歌はついでに歌っているかのような印象だった。
「酒でも入ってんじゃねぇ?」
春斗が言った。誰も、咲が違法な薬を飲んでいるという発想には至らなかった。
「・・・・・それよかさー、どう?合わせてみて、感じとして、みんなの感想は?」
晃に問われて皆で再び黙りこくった。スタジオにいるときから静かだったのは、このことが頭にあったからだ。
「演奏自体はまずくないと思うよ・・・・・。」
真治が言った。その意見に他の三人も無表情に頷く。恐らく、皆思う事は同じなのだ。気になるのは咲のヴォーカルのことだった。
リズムも音程も安定している。声もそれなりに出ている。理屈で考えればこれと言って問題は無い。ただ、逆に言えば、良くも悪くもそれだけだった。何か、ピンと来ないのだ。
「ショートケーキに苺じゃなくってさくらんぼが乗ってる感じ・・・・・。」
「・・・・・あ?」
リオの呟きに、春斗が煙たそうに細めた目を向けた。
「どういう意味・・・・・?」
リオが答えようとすると、先に真治が割り込んだ。
「バンドをショートケーキに例えたらってことだろ?さくらんぼってヴォーカルのことだよね。」
「そう、そう。」
「・・・・・ドラムが土台のスポンジで、ベースがサンドしたクリーム、ギターが上に塗ったクリームで、ヴォーカルは主役の苺・・・・のはずが、さくらんぼって言いたいんでしょ?」
「うんうん。」
趣旨を的確に捉えた真治の説明に、リオが満足そうに首をかくかくさせた。
「すげー女の子的な例え。基本的に、ロックバンドがショートケーキなのが問題じゃねぇーか?ちなみにキーボードがいたら何になんの?」
笑いながら晃が聞いた。リオは腕を組んで考えている。
「・・・・・さくらんぼ・・・・・でも、いえるかも・・・・・。」
無表情の春斗がぽつりと言った。
さくらんぼがいけないわけではない。見た目も味も悪くない上に、かえって苺よりも高級だったりする。実際、咲は華やかでルックスもいいし、歌も下手ではない。でも、ショートケーキには苺なのだ。それも、刺激的な苺。かっこいい苺。とにかくリオは、感動が欲しかった。燃えるものが欲しかった。
「あの子さー、声、キレーすぎ。あと、歌い方単調。だから、Jポップみたいな歌もの歌わせたら向いてるかもね。」
真治が言った。春斗が続く。
「ロックのグルーブが欲しいね。下品で汚くて激しいロックのグルーブがっ。」
「・・・・・キャラはそういう感じだったから、いけると思ったんだけど、ダメか・・・・・。」
やっと晃が言葉を発した。やはり推薦者に結論を出してもらえないと話しにならない。
「やっぱ、男のヴォーカルがいいな、俺的には。太めの声でデス声も出せて、メロディーもきっちり聞かせられるヤツ。」
春斗のよくばりな意見に全員でまた納得する。そのあと皆で煙を吐きながら、あのバンドのヴォーカルみたいなのがいい、というように、個人的な意見が色々飛び交ったあと、思い出したように晃が言った。
「・・・・・ところで、アイツは・・・・・?便所にしちゃ長くねぇ?」
「また、用事ができて突然帰ったとか・・・・・。」
春斗が言うと、軽く笑いが起こった。
「見てくるよ・・・・・。」
リオが代表してと咲の様子を見に行くことにした。
*念ための用語解説*
バンギャ→バンギャル。またはギャと呼ぶ。バンドをこよなく愛し、彼らを応援することに情熱を注ぐ少女たち。ビジュアル系のファンをよくこう呼ぶ。ちなみに、少女でなくなると「おばんギャ」というらしい。
黒ロリ→ゴスロリ。黒いロリータファッション?ビジュアル系が好きなギャがよく着ているぶりぶりのファッション。
メロデス→メロディックデスメタル
メロスピ→メロディックスピードメタル いずれもヘヴィメタの細かい分類です
スレイヤー→80年代にデビューしたアメリカのメタルバンド。スラッシュメタルの大御所的存在。
Slayer 『 Angel Of Death 』⇒
http://www.youtube.com/watch?v=jnLT2EfLepo
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。