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73・・・ある日の任務
 夢を見ていた。
 いつものようにギターを抱えてステージに立っている。横には怜や瑠偉もいて、演奏をしているように見える。だが、一向に音が聞こえてこない。映像を見ているだけなのだろうか。
 すると、そんなはずはないのに、暗がりでキラキラと青い光が瞬いているような、叙情感溢れる鍵盤の調べが聞こえてきた。そのあとに、瑠偉のものとは少し違う狂気染みた声が、『come on!』と叫び、ギター、ベース、ドラムの音が一気に重なった。漆黒の闇を疾走するようなゴリゴリのヘビーサウンド・・・。リオはガバとベッドから跳ね起きた。
 これは・・・・・・・・・・。 
「チルボドだぁ〜っ!」
 興奮のあまり目を瞑ったまま叫んでいた。リオの部屋は今、チルドレン・オブ・ボドムの『Hate Crew Deathroll』が大音量で響いていた。リオのギターヒーロー、アレキシ・ライホのギターと彼のデスヴォイスが六畳の部屋一杯に炸裂している。

「うぅ〜っ、かっこいい〜っ!」
 条件反射で、リオはぼさぼさの頭をがくがくと前後に揺らしていた。
 無性にギターが弾きたい、という思いにかられたところで、リオを沸騰させていた音がぷつりと急に途絶えた。とたんに辺りが白けたような静寂に包まれる。
 がっかりしてそっと目を開けて見ると、ベッドのすぐ横に母の理沙が腕を組んで立っていた。

「・・・もうっ、目覚まし鳴ってんのに起きないんだから・・・。ギターばっか弾いて夜更かしするからよ?」
 理沙が少し呆れ顔でそう言った。音楽は、理沙がリオを起そうとして鳴らしたものだったらしい。
 そういえば、リオは深夜遅くまでずっと、この曲をギターでコピーしていたのだった。何度も聴いたのに、聴けばまた、性懲りも無く燃えてしまう。
 とっさにリオは、「昨日は勉強してたんだよ」と理沙に言おうとしたが、見ると、自分の横にギターが掛け布団を掛けて一緒に寝ている。ストラップを首からは外したはいいが、弾きながらいつのまにか寝てしまったようだ。

「・・・・・アンプのスイッチ、入りっぱなしだったわよ・・・・・。」
 ねっとりと恨みを込めて、理沙が言った。
「ご、ごめんです・・・・・。」
 小さくなって言うリオに、理沙が尋ねる。
「今日の予定は?」
「・・・・・倉田先生とお勉強。そのあと、スタジオ。」
「・・・・・ふーん。休みなのに、仕事熱心な先生なのね。担任の先生なんでしょう?」
「・・・・・うん・・・・・。」
「それとも、よっぽどリオの成績に危機感を感じているのかしら。」
「・・・・・・・・・・。」
 
 リオが初めて倉田と放課後を過ごした日から、一週間が経過していた。
 三日ほどたったところで連休に入ったので、リオとしてはこの間は倉田から解放されるのかと思いきや、それは甘かった・・・。倉田は連休中も毎日リオを呼び出しては、一定の時間を拘束するということを強要した。

 リオはベッドから降りて、壁に貼ってある雑誌の付録に付いていたアレキシのポスターの前に立った。伏目がちにフライングVを弾く長髪のギタリストがモノクロで写っている。リオはそっと壁に両手を付くと、アレキシの唇にキスをした。アレキシは雰囲気がどこか瑠偉に似ている。


「今日、これからバンドなのか?」
 リオの横に置いてあるギターケースを見て倉田が言った。
「はあ。ちょっと。」
「ふぅん・・・増田はギター弾くのか・・・・・。」
「はぁ・・・。」
 とりあえず倉田にも、ギターとベースのネックの長さの違いくらいは判るようだった。
 倉田はテーブルの上にあった缶コーヒーを手に取ると、肘をついて暇を潰すように一口飲んだ。
 倉田の用意したプリントを解いているリオの前にはミルクティーの缶が置いてある。倉田はリオを呼び出すとき、必ず何か飲み物を一つ買ってくれる。それが毎日ミルクティーなのを見て、最近は同じものを勝手に買ってくることもある。そして、ミルクティーの横にはコーヒーの缶と、板チョコが一枚置いてある。優弥のものだ。リオの横には優弥が座っていて、テーブルを挟んで二人と対面する形で倉田が座っている。

 ここは市で運営している子供向けの遊戯施設で、いわば児童館のようなところだ。一階から三階まであるそれぞれのフロアーには、図書館に遊戯室、体育館などがある。三人がいるのはその中にある多目的室と呼ばれるところで、長方形のテーブルに椅子が六個置いてある小ぶりの部屋だ。他に何も無い無機質なこの白い部屋は、勉強をするには最適な環境だった。
 学校が使えない連休中、倉田はこの公共施設をリオと優弥の学習場所として押さえていた。あまり需要が無いのか、この部屋はいい具合にいつも空いていた。

 結局、倉田から要求される仕事の中に、リオが恐れていたような恥辱的な内容のものは、何もなかったのだ。
 倉田がリオに命じることと言ったら、勉強の休憩時に小銭を渡されて三人分の飲み物を買ってくることぐらいだ。その役はときには優弥に交代される。あとは毎日二時間、倉田の指導の元、問題集などを解き分からないところを教えてもらう。倉田の専門は英語だが、一応大学受験を経験している都合上他の教科も先輩として教えられないことも無かった。お陰でリオは、まるで塾にでも通っているような毎日だった。
 そしてそれには、初日から常に優弥も一緒だった。優弥にはそれに加え、毎日日記を書いてくることも命じられた。その日の出来事と、自分の体調、精神状態、その他思う事があったら何でも書けと言われている。それに対し、優弥は文句一つ言わずに大学ノートに記しては毎日倉田に提出していた。それに倉田がコメントを書いてよこす。まるで交換日記だ。

 優弥は今までのように倉田に反抗的な態度をとることは全く無い。勿論、弱みを握られているのだから、そんな立場でもない。とりあえず今は倉田の言う事を素直に聞いて、その指示に従っている。
 だが、気がつくと倉田のしていることは全て、リオと優弥のためにしかならないことだった。大体この貴重な連休に、何が悲しくてこんな場所で倉田は、毎日出来の悪い生徒に勉強を教えなければならないのか。リオも優弥も最近そんな疑問をひしひしと感じる。

「・・・・・今日はお弁当、作ってきました・・・・・。」
 勉強の時間が終わってから、ひっそりとリオが言った。こんなことでもしないと倉田に対し後ろめたい気にもなっていた。それに、一週間倉田と一定の時間を過ごしたことで、勉強以外のことも少しは話したりもした。そうしている内に倉田の人柄も多少は見えてくる。倉田は明を感じさせる爽快感のある真面目な一面と、それに対し妙にどこかすさんだような暗を思わせる部分とが混合している。その二面性が非常に紛らわしい。だが一つ言えることは、少し融通の利かないところはあっても、少なくとも倉田は悪人ではないということだ。それはリオだけでなく優弥も感じているところだった。

 グリーンの網の中でテニスをする親子を眺めながら、三人は外のベンチに並んでリオの作った弁当を食べた。周囲に点々と植わる木々の緑が、迫って来るかのように鮮やかだ。

「これ、お前が作ったのか?」
 倉田は鳥の照り焼きを口に入れながら感心したように言った。
 さっき『作ってきた』と言ったはずなのに・・・。一応、加工品ではなく手作りだということに気付いてくれたようだ。
「絶対こんなこと、何もできないように見えるんだがなぁ・・・。」
 相変わらずいちいち一言多い倉田だった。だが、リオは最近、倉田からの些細な嫌味など何も気にならなくなっていた。

「一応、母子家庭ですから。ちょっとくらいはできるんだよ?」
 何の不満も含まずにリオは言う。
 そのとき、今日初めてまともに耳にした優弥の声が、ぽそりと横から聞こえてきた。
「久しぶりだな・・・・・、リオの弁当・・・・・。」
 感慨にふけり懐かしむような、そんな声だった。
 それを聞いてリオは、作ってきた弁当を昼休みによく二人で食べたときのことを思い出した。思わず、リオの胸が硬く絞るように締め付けられる。
 泣いてしまいそうだ・・・・・。

 何も答えるすべも無く、リオは黙々とゆかり入りご飯を口に入れる。脳からの指令が指先までうまく伝達されていないのか、次々とむやみに運ばれた食べ物がリオの咥内をパンパンに膨らませていた。
 入りきらなくなったところで、リオの箸は電池が切れたようにピタリと止まった。

 倉田は弁当を食べながら、二人の様子を横目でさりげなくうかがっていた。倉田のほうも、もう一週間もこの二人の傍にいれば雰囲気は何となく読み取れている。
 体をはって優弥の将来を守ろうとしたリオ。薬に手を出すほど何か悩んでいるらしい優弥。二人は顔を合わせれば気まずそうに目を逸らし、必要最小限の事務的な会話しかしない。この一週間、勉強を終えたあとも二人はばらばらに帰っているようだ。

 倉田は掻き込むように弁当を平らげると、リオを見て言った。
「おいしかった。増田、ごちそう様。」
 その声で、動かなかったリオがぴくりと反応した。ここでまた倉田に新たなポイントが加算される。自分の作ったものを「おいしい」と言ってくれる人は、リオにとっては「いい人」なのだ。
「じゃあ明日も、この場所でな。」
 手早く後片付けをすると、倉田は鞄を抱え、すっくと立ち上がった。  
「うぐぅ・・・・・。」
 リオは口いっぱいにものが入っているので言葉が出せない。「待って」という意味を込めて倉田に向かって手を挙げたが、見事に無視された。倉田はもう、ベンチに背を向けて歩いていた。
 これでは優弥と二人きりになってしまう・・・。
  
 二人と別れてから、倉田は歩きながら今日優弥から渡された日記の文面を思い返した。今日の分はいつもよりはるかに文章が多く、内容も濃かった。

『 五月三日 
 今日はちょっとブルーです。嫌なことを考えて気持ちが落ち込んでます。本当はこんな時、薬やりたいと思うけど、ちゃんとガマンしています。
 最近、夜眠れるようになってきました。体重も若干、増えたっぽい。
 俺は自分が許せない。自分が嫌いです。でも、毎日先生に会って勉強してると、最初はダリィと思ったけど、何だかちょっとずつ軌道修正されてる気がします。いちおう、自分なりにガチでやってるつもりです。
 でも、俺はまだダメです。全然ダメです。ぶっちゃけ、アイツが言ったように逃げてる。逃げたままだ。 』

 今までは、簡単に食事の内容を書いてみたり、ピアノを弾いたとか本を読んだとかいうようなことしか書いていなかったのが、今日初めて自分の心中をそれとなくつづってきた。しかも、倉田に対する好意的な表現も若干ある。
「うん。いいぞ・・・・・。」
 倉田は一人で嬉しそうに頷きながら、ウーロン茶の缶に口を付けた。
 ただ、優弥が何に悩んでいるのか、何から逃げているのか・・・・・真相はまだ暗闇のままだ。

 倉田に置いていかれたリオと優弥は、並んでベンチに座ったままでいた。
「あのさ・・・・・。」
 優弥が先に沈黙を破った。
「はい。」
 リオが全身の神経を過敏にさせて背筋を真っ直ぐにした。優弥は手に持ったウーロン茶の缶をぼんやり見下ろしながら話し始めた。
「あのチョコ・・・・・、俺、あんま食えねぇんだよな・・・・・。甘すぎんの、苦手だし。」
「・・・・・。」
 そこでリオは優弥の横顔を見ながら言った。
「あの・・・・・、体がつらくなったりするとき、ないの・・・?・・・禁断症状っていうか・・・・・。」
「・・・・・んー・・・・・ってゆーか俺の場合、体は欲しがんねぇーけど、頭が欲しがるかな。うつになったときとか・・・・・。だからってチョコが食いたいわけじゃねぇーけど。」
 優弥が相変わらず自分を見ないので、リオもまた首を普通の向きに戻した。
「・・・・・じゃあ、リオが食べようかな。いらないんだったら・・・。」
 リオの口が少し不服そうに尖った。
「いやだ。」
「・・・・・は?」
 もう一度優弥を見る。
「俺がもらったんだから、返さねぇーよ。」
「・・・・・でも、苦手なんでしょ?」
「・・・・・・・・・・・・。」
 何が言いたいのだろう。リオには優弥の真意が分からない。これも薬の影響なのだろうか・・・・・。

「俺、毎日あれ食べて、無くなる頃には復活するって決めた。」
「・・・・・へ?」
「ちょうどいいだろ、七十枚だから。一日二枚なら約一ヶ月。薬やりたくなったら食うよ。」
「・・・・・でも、あんまり好きじゃないんでしょ?それにあれ食べたからって、健康になるってわけでもないし・・・・・。」
「うん・・・・・。」
 そう言って優弥はしばらく黙っていたが、下を向いたまま少し聞き取りづらい声になって言った。

「・・・・・お前が俺のためにくれたやつだから・・・・・元に戻るための薬だと思って、暗示かけて食うことにした。」
 言い終えると、優弥の顔は更に下を向き、さりげなく髪の毛に隠れてしまった。
 リオは驚いた。一週間ぶりにまともに話したと思ったら、随分としおらしいことを言う。しかもチョコごときでそこまで重く取られるとは・・・・・、リオはどうしたらいいか分からなくなってしまった。優弥のほうをうかがうと、表情はよく分からないが両手を落ち着かなく握ったり開いたりしている。
 リオとしては、そんな風に言われてうれしくないわけがない。実際、優弥に早く元に戻ってもらいたいと思う気持ちには変わらないのだから。

「あのさ。」
 体勢を変えずに優弥が再び口を開いた。
「お前・・・・・、瑠偉さんじゃなくて・・・・・てっきり怜先輩と引っ付くのかと思ってた。」
「・・・・・ほ?」
 何を、いきなり言い出すのか。
「何で・・・・・?」
「何でって・・・・・、お前、怜先輩のこと・・・・・何つーか・・・・・、好き・・・・・だったろ・・・・・?」
「はぁぁ?」
 間の抜けた声が自然と出た。リオには優弥の言いたいことがさっぱり分からない。では、優弥はずっとリオと付き合いながらも、リオの気持ちが実は自分のところには無いとでも思っていたのだろうか。
「あたしはっ・・・・・。」

(優弥のことだけが好きだったんだよ・・・・・。)

 だが、今更いまさらそんなことを言って何になるのか・・・・・。

「『あたしは』・・・・・それ、付き合ってたころ俺の前で『リオは』って言ってたよな。でも、怜先輩の前ではいつも『リオは』なんだよな。お前、俺以外の他人の前で自分のこと『リオ』って言うの、アイツにだけだった。」

「・・・・・・・・・・。」
 そんなこと、考えたことも無かった。当然、怜のことは好きだ。だが、それは兄という対象としての「好き」でしかないつもりだった。瑠偉といい、優弥といい、どうして皆そうやって変に意識するのだろう。リオには全く理解できない。

「あたしは・・・・・、怜の妹なんだもん。それだけだもん。今も、前も・・・・・。」
 今は優弥とは別れている。だが、付き合っていたときは優弥だけだった。リオとしてはそのつもりだった。そのときの純粋な想いにまで、ケチを付けられてしまうのか・・・・・。

「・・・・・まっ、いいか。そんなこと・・・今更どうでもいいよな。」
 下らない話だとでも言うように、自嘲気味に笑いながら優弥は言った。そして、いつものように首を振って前髪をよけながら重そうに立ち上がった。
「じゃあ、明日・・・・・。」
 背を向けたまま手を振り、優弥は行ってしまった。リオの胸の奥に小さな鉛のようなものを残したまま。
 
Children(チルドレン of オブBodomボドム → フィンランド出身のメロディックデスメタルバンド。

『Hate Crew Deathroll』 → http://www.youtube.com/watch?v=zxjB-bPUV74&feature=related


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