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71・・・リオの誓い
 公園で話をしたあと、リオは優弥を家の前まで送って行った。危ない薬の効いている優弥の様子を見て、一人で帰すのが心配だったからだ。
 別れ際、優弥は幸せそうな面持ちで、リオに向かってふわふわと手を振っていた。そんな優弥を複雑な思いで見ながら、これが優弥にとって最後の薬になると、リオは拳を握って念を込める。
 白い家の中に消えていく優弥を見届けると、リオは急いで元来た道を戻り駅に向かった。もう、夜の八時近かった。

 電車に揺られ自宅に戻ると、シャワーを浴び、とっておきのおしゃれをして家を出た。再び電車に乗り、待つこと一時間以上。高層ビルが数本立ち並ぶ景色が見えたところで電車を降りた。
 新宿は初めてというわけではないが、めったに訪れることのないこの街の夜は、のどかなリオの地元とはだいぶ勝手が違う。途中、行く手を遮る妨害に会ったり危険な目に会ったりしながら、ようやく目的の場所に辿り着いた。

 店の名前をもう一度確認すると、中が見えない黒い扉の前で、リオはもう一度鏡を見て自分の顔をチェックした。くっきりと縁取ったリキッドの黒いアイライン、目の下にぼかした色気を放つラメのアイシャドウ、いつもよりぽってりと塗りたくった光る唇。・・・おかしくないだろうか。子供に見られないだろうか。

「うしっ。」
 リオは気合を入れてから店の扉を開けた。暗くひっそりとした階段を降りると、入口から見て縦に長いさほど広くも無い店内に出た。向かって左側にカウンター席が縦に十席、奥には丸いテーブル席がいくつか見える。黒い壁に囲まれた店内はところどころにブルーの間接照明が鈍く光り、薄暗く妖しげな雰囲気だ。

 店内には洋楽のR&Bが静かに流れている。客はカウンター席に二人の女性客、そして、テーブル席は学生風のグループ二つと会社帰りのサラリーマンが、皆銘銘めいめい静かに盛り上がっていた。洗練されたシックな大人の空間とまではいかない、程よく大衆的な印象だ。とりあえず、思いのほか入り易そうな目の前の景色に、リオはほっと胸を撫で下ろした。
 カウンターの中にはバーテンが二人立っていた。一人は前髪ばかりがやたらと長いウエーブのかかった茶髪の男。もう一人は、いつも見ている薄茶とベージュの肩まであるまっすぐの髪の毛だ。

 リオに気付くと、瑠偉はシェイカーを振る手を止めてほっとしたように微笑んだ。
「リオ・・・・・、ほんとに来たっ。」
 リオも緊張が解けたように笑みを返した。やっと着いた・・・・・。
「遅くなってごめんね。」
「おせーよ・・・。心配したぞ。」
「途中、道に迷ったり、変な人に追いかけられたりして・・・・・。新宿ってとっても怖いところだねっ。」
 リオがよく聞き取れる声で力んで言うと、瑠偉の傍に立っていたもう一人のバーテンが笑いながら口をきいた。
「これが噂のお前の彼女?」
 露骨に水商売とわかる風貌のその男は、リオが「こんばんは」と挨拶すると、笑みを絶やさず同じ言葉を返してきた。年は瑠偉よりも若干上に見える。
「やっぱり彼女もロックなの?」
「え・・・・?あ・・・・・、はい・・・・・。」
 そんなやり取りをしてから、リオは瑠偉に促がされてカウンター席の真ん中辺りに座った。

「何にしますか?」
 にこやかに目の前に立つ瑠偉にそう聞かれ、リオはきょろきょろと辺りを見回した。
「居酒屋じゃねぇんだからさ、メニューの札とか壁に貼ってないしっ。」
 そう言って瑠偉は笑った。何だか楽しそうだ。リオがこういう場所に来るのが初めてだと分かっていて、わざとからかうような調子だった。もう一人のバーテンの男も声を出さずに笑っている。
 今日の瑠偉の服装も相変わらず全身黒で、バーテンと言っても別に普段の恰好とさほど変わりは無かった。大きくはだけたシャツの胸に覗く素肌が眩しい。
「じゃあ、リオのために特別のをつくってやる。」
「うんっ。」

 瑠偉がリオのために特別に調合してくれたカクテルは、血のように赤い液体に、肉厚の白い花が添えてあるものだった。
「これ、リオのイメージ。色はリオの見た目。白い花はリオの意外な真面目まじめな部分。味は・・・・・、リオの味、かな。」
 そんなに深い意味があるのか、とリオは両手を膝に置いたまま姿勢を正し、洒落た小さなグラスを穴の空くほど観察した。

「お腹が空いている」というリオのために、瑠偉は次々と小さな皿を目の前に並べてくれた。色々なスパイスの効いたソーセージや、何かがぶつぶつと混ぜこんである不思議なチーズの薄切り・・・、リオが食べたことのあるものといえば、生ハムにくるまれたメロンくらいだろうか。それらをリオは黙々ときれいに平らげた。「リオの味」と称された肝心のカクテルの味は、独特の香りと舌に纏わりつくような甘みの中に、刺激的な酸味もある。ジュースのような手ごたえだが、三口ほど飲んだところでリオは適度な気だるさを覚えた。

「甘いけど、かなりきついからゆっくり飲めよ。」
「うん・・・・・。」
 瑠偉は手が空くと、リオの目の前に来て自分もウイスキーを飲んだり煙草を吸ったりと、それは仕事といいつつもかなり気楽な様子だった。
「急に来るって言うもんだから、びっくりした。ママのほうは大丈夫なの?」
「うん。今日はカレンのうちに泊まるってメールしておいた。」
 いつもの技だった。そのとき既に、リオの目は熱風を浴びたアイスクリームのようにとろりと溶けていた。

 リオがその場に着いておよそ二時間後、瑠偉の勤務時間は終わった。
 支度を終えて裏から出てきた瑠偉は、カウンターに肘をついてまんじりとしているリオに頬を寄せるようにして声を掛けた。
「大丈夫かー・・・・・。どうする?このまま終電乗って帰る?それともこの辺で泊まってく?」
「この辺・・・・・で・・・・・、泊まるぅ・・・・・。」
 回らない舌で即答した。せっかくたまに都会に来たのだから、そうしたいに決まっている。
「じゃあ、行こうか・・・・・。」
 相棒に向けて軽く手を上げると、瑠偉はすっかり酩酊状態になったリオの腕を持ちながらゆっくりと暗い階段を昇った。

 カクテルは三杯飲んだだけだった。途中で酔いが回った気がしたが、あえてリオは止めることもしなかった。
 今夜は限界まで飲んでみたかった。酔って全てを忘れたかった。優弥のことも、倉田のことも。

 ちょうど深夜零時を過ぎたころ、二人は淡いピンクと白に塗られたラブホテルに入った。
 西洋の城をイメージしたようなデザインのその部屋には、ふわりと揺れる白いボイルカーテンに囲まれた天蓋つきのベッドがあった。枕元にはピンク色の照明が控えめにベッドを灯している。
「わーいっ。」
 リオがカーテンをすり抜け勢いよくベッドに身を投げ出すと、数歩遅れて瑠偉も上着を脱ぎながら同じように飛び込んできた。すぐさまリオに覆い被さり唇を重ねる。

「ラブホ二回目だね。一回目はおあずけ喰らったけど。」
 動きを止めて、瑠偉が笑いかけながら言った。つられてリオも笑う。今、こんなことをしているのにあの時は違った。そんな事実が何だか滑稽に感じる。

「今日の恰好も、いいじゃん。脱がすのもったいねぇーな・・・・・。」
 勿論リオは、今日も瑠偉が喜びそうな露出の多い恰好をあえてしてきた。極限まで短い黒いタイトスカートにテニスラケットのガットほどの網目の紫のタイツ。こんな下半身で夜の新宿を歩けば、妙な人間を吸い寄せたとしてもおかしくは無い。

「店に入って来たときから、すぐに喰らい付きたかった・・・・・。」
 瑠偉にそんな風に囁かれると、リオの皮膚感覚はさらに鋭くなってしまう。瑠偉に求められているという充実感がリオの欲望をもこもこと泡立て、そのかささらに増していく。
「瑠偉・・・・・・・・・・。」
 たまらずに、リオは瑠偉の体にしがみ付いた。腕だけでは飽き足らずに、両足も植物のつたのように硬い体に巻きつける。 
 服を脱ぐのももどかしく、二人は熱っぽい息にまみれながら夢中で求め合った。

「・・・・・もっと、お酒、飲みたい・・・・・。瑠偉も飲もうよ・・・・・。」
 リオが髪をかき上げながらそう言ったのは、やることが一段落し、二人で仰向けになって息を整えているときだった。
「オレはいいや。あんま飲み過ぎるとここが元気なくなるから。リオだけ飲めよ。・・・・・一回、シャワー行こうか。」
 瑠偉は冷蔵庫から缶に入ったチューハイのような酒を握り、「これでいい?」と確認してからリオの手を引いてバスルームに向かった。

 酔ってなかなか行動に移さないリオを見かねて、必要な作業は全て瑠偉がしてくれた。リオは尻を着いて瑠偉に寄りかかりながら酒を飲むだけで、体は背後から伸びる手が洗ってくれている。すっかり女王様のような状態だ。

「お酒って・・・・・、飲むと元気なくなっちゃうの・・・・・?」
 泡まみれになりながら、リオは背中に密着する瑠偉をのんびりと振り返った。
「うん。飲むとヤりたくなるけど、あんま飲みすぎると、萎える。オレはね。」
「・・・・・ふーん・・・・・じゃあ、麻薬は・・・・・?」
「・・・・・・・・・・。」
 ほんの一瞬、瑠偉の手が止まった。「麻薬」という言葉で、優弥のことが瑠偉の頭をぎったのかもしれない。リオは少し後悔した。今、このタイミングでこの話題はタブーだったのか・・・。
 だが、すぐに瑠偉は元に戻った。

「・・・・・勿論、飛びながらヤるとハンパじゃなくイイ。特に女は、薬を直に入れてからヤると狂ったように悦ぶ。でも、麻薬って言っても色々だから・・・・・、バツなんか食うと基本的に男はたねえよ。」
「バツ・・・・・?」
「タマ・・・・・。エクスタシー・・・・・って言えば分かる?」
「ああ・・・・・。」
 優弥が持っていたものだ。確かに優弥は「イきまくる」と言っていた。今日学校で優弥にそれを無理矢理飲まされそうになったとは瑠偉にはとても言えない。

「・・・・・クラブとかで踊るヤツがよくやってるやつだ。ダンスに向いてるってゆーか・・・・・。でも一言にバツって言っても混ぜ物の違いで種類がいっぱいあって、下にくるやつもあるし・・・・・。」
「下にくる・・・・・?」
「・・・・・つやつもある、ってこと。」
「ふーん・・・・・。」
 では、それで優弥はあのうさぎのような女の子と楽しんでいたのか・・・。勝手な妄想を膨らませリオは一人鬱々うつうつとした。

「・・・うちらミュージシャンだと葉っぱが多いかな。あと紙。昔から音楽やるやつは薬やっても当たり前って意識があるけど、実際、売れないうちはみんな金ねぇーからきちぃーよな。ただでさえ、金ねぇーのに、それでもやるやつはやるんだよな・・・・・。」
「・・・・・・・・・・詳しいんだね。」
「え・・・・・?」
「何だか瑠偉もやったことある人みたい。」
「・・・・・あるよ。」
「・・・・・・・・・・。」

「引いた・・・・・?」
 お互いの体を洗い終え、再びベッドに横になってから瑠偉が遠慮がちに切り出した。その間リオが押し黙っていたからだ。
「別に。」

 正直なところ優弥の話を聞いてから、リオはもう誰が薬をやっていようが受ける印象は五十歩百歩という感じだった。それが瑠偉ならばさらに納得がいく。瑠偉は自分のことを、「昔グレていた」と言っていたし、派手な異性関係のことも人から聞いていた。過去のことまで考え出したらきりがない。
 遊び半分で薬に手を出したのは事実だが、瑠偉はそれで廃人同様になった先輩の姿を目の当たりにしてしまった。薬の恐ろしさを身にしみて実感した瑠偉は、すぐにぱったりとやめることができたのだという。

「もう、その話はいい・・・・・。」 
 気がめいり、リオはそこで話を遮った。そして不意に後ろを振り返り、瑠偉の唇に吸い付いた。しばらく濃厚なキスを交わした後、リオの舌は瑠偉の唇をすり抜け首筋を通り、そのまま下へ下へと下降していく。そして瑠偉の太股にぶつかったところで標的を捕らえると、無心に頭を上下させた。

「・・・・・くっ・・・・・・・・・あぁ・・・・・・・・・リオ・・・・・・・・・。」
 瑠偉が首を伸ばし、艶めかしい声を上げながら湿った息を吐く。
 口の中の生き物がびくびくと脈打つたびに、リオの中の女の部分が容赦なく呼び覚まされる。
 下半身で波打っている疼きに耐え切れず、リオは早々に口を離し、半眼になって瑠偉の上にまたがった。

「どうした・・・・・リオっ・・・・・今日、エロすぎっ・・・・・・・・・。」

 普段よりも段違いに積極的なリオに、瑠偉が思わず口走った。

「だってっ・・・・・・・・・、欲しいん・・・・・だもんっ・・・・・。」

 瑠偉の膝の上で髪を振り乱してはずみながら、リオは閉じた目の末端に涙を滲ませた。
 
(あのね、瑠偉・・・・・、リオ、明日から倉田先生の奴隷になるんだ・・・・・。)

(やっぱり、ヤられちゃうのかな・・・・・。)

(それが、優弥のためにすることなんだって知ったら、きっと瑠偉は余計、嫌だよね・・・・・。)

(そしたら瑠偉は、リオのこと、嫌いになっちゃう・・・・・?)

(でも、ほんのちょっとの間だけなの。多分・・・。だから、いつか忘れられるよ・・・・・。忘れて見せるよ・・・・・。)

(ごめん、瑠偉、こんなバカなリオを許して・・・・・。)

 何度も体位を変え揉み合っている内に、気がつくとリオの頭がベッドの枠から落ちて首が反りきっていた。
「苦しいよな、この体勢・・・・・。」
 瑠偉が動きを止め、笑いながらリオの襟足に手を回し抱き起こした。すると、リオの顔を覗きこんだ瑠偉の顔から瞬時に笑みが消えた。横を向いたリオの顔は悲しげに歪み、その目は涙で溢れかえっていた。頬を震わせ、ひくひくと何度もしゃくり上げている。 
「リオ・・・・・どうした・・・・・痛かった・・・・・?」
 うろたえる瑠偉に、リオは泣きながらすぐに首を振った。
「違う・・・・・。気持ち良かっただけ・・・・・。やめないで・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
 少し妙に思ったが、リオに催促され瑠偉は再び小さく動き始めた。リオがさらに眉根にしわを寄せ長い溜息を吐く。
 矢庭やにわにリオは上体を起こし、がむしゃらに瑠偉に抱きついた。
「もっとっ・・・・・・・・・・、もっとぉぉ・・・・・・・・・・・。」
 短くカットされた桜貝のような爪が瑠偉の肩甲骨に食い込む。それにこたえるように、瑠偉が激しく揺れ出した。
「瑠偉・・・・・、好きぃ・・・・・・・・・・。」
「リオ・・・・・・・・・・。」
「瑠偉がっ・・・・・・・・・・好きなの・・・・・。」

 流れる涙はとどまることを知らなかった。
 明日、自分は倉田にどう料理されてしまうのか、本当に自分はそれに耐えることができるのか・・・そんな不安と、瑠偉をあざむくことへの身を切るような後ろめたさ・・・・・。それらがリオの中で猛威をふるって暴れていた。酒で思考力を低下させても、全身にほとばしる快感を味わっても、リオは思い病むことをやめられない。

 今は忘れたい。飽きるほど瑠偉に抱かれたい。そして明日目覚めたときは、何があっても揺るがない自分でいてみせる。たとえ犬に噛まれたとしても、何の痛みも感じない自分に。
 


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