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70・・・発覚
「・・・今、上着に隠したの、何だ?見せてみろ。」
 倉田の手が無造作に優弥に向けて差し出された。優弥は直立不動のまま倉田の顔を凝視している。不快な脂汗が優弥の背筋をじっとりと伝う。
「何でもないよ、先生っ。」
 リオが優弥をかばうようにして倉田の前に立ちはだかった。その妙に切羽詰ったような必死な様子も、負に落ちないものを倉田は感じた。
「・・・・・何、ムキになってんだ、お前ら。」
 一瞬の隙を突いて、倉田の手がポケットに入った優弥の右腕を捕らえ、そのままひねるようにして手首を掴んだ。
「あっ・・・・・。」
 もがく優弥のてのひらからパステルカラーの錠剤が一粒、床に落ちてころころと転がった。優弥の腕を放して倉田がそれを素早く拾い上げる。

「何だ、これ。これがそんなに重要なのか・・・・・?」
 倉田は指先につまんだそれを、あらゆる方向からしげしげと見つめる。優弥がすぐに答えた。
「別に・・・・・。ただのラムネみたいなやつです。こいつがチョーまずいってゆーもんだからむりやり食わせようと思って・・・。ふざけてただけっすよ。」
 顔に出た動揺の色を隠すように、口に笑いを浮かべて軽く言い放った。
 倉田はじっと考えるように、無言でそのラムネに見入っている。その姿を、優弥とリオは固唾かたずを飲んで見守る。たった三秒ほどのその時間が十倍ほどもあるように感じられた。まさに、一触即発の状況だった。

「・・・・・随分でかいラムネだな。色もどぎついし、体に悪そうだな。」
 言いながら、倉田は最初にリオのほうに目を向けた。リオが緊張で目をしばたかせる。倉田はリオの目をじっと注視してから、次は優弥の顔に視線を移した。今度は少し長かった。優弥を見る倉田の表情が見る見るうちに険しく歪んだ。そして、長く重苦しい溜息を吐いてから、しゃがれた声で言った。

「これは、錠剤型の麻薬だな・・・・・。」

 リオの息が止まりそうになった。慌てて大声を出す。
「違うよっ、先生っ。ただのお菓子ですっ!」
「・・・・・エクスタシーって名前の・・・・・?」
「・・・・・・・・・・。」

 考えてみれば、保健体育の授業でそんな名前を聞いたような気がした。そんなこと、リオはすっかり忘れていた。ただ、今分かるのは、倉田がリオよりもそれに詳しいらしいということだけだ。リオは負けじと倉田に訴える。
「証拠がないですっ・・・・・。そんな見た目だけで・・・・・。」
「じゃあ、警察に行って今すぐ調べてもらおうか・・・・・?」
 警察・・・・・。その物々しい響きにリオは縮み上がった。校長室、ではないのだ。
「こんなこと・・・・・、高校の教師であれば常に頭にあることだ。それに三上、お前、少し目が変じゃないか?」
 リオが優弥をかえり見ると、痛いところをつかれたように、優弥が倉田から目をそばめて下を向いた。

「いつ頃からやってるんだ。」
 倉田の質問に、優弥はしばしの沈黙のあと、意気消沈したまま素直に答えた。
「・・・・・二ヶ月、くらい前・・・・・。」
 それを聞いて、リオはがっくりと肩を落とした。本人が認めてしまったら元も子も無い。
「・・・・・増田は?」
 その問いに、すぐに優弥が食って掛かるように言った。
「こいつは関係ねぇっ!俺が無理矢理やらせようとしただけだっ。」
 倉田は何か思案するように黙りこくった。そして、そのあと優弥が隠し持っていた他の薬も全部出させて、ケースごと倉田は没収した。

「覚せい剤には手を出していないんだな?」
 無気力に、優弥が頷く。
「・・・・・とりあえずこれは預かっておく。本当はすぐにでも行動に移すべきところだろうが、俺もこういうことは初めてだから慎重に行動したい。ひとまず今日は解散だ。お前らも、やけになって勝手に動くなよ。とりあえず、俺にメアド教えろ。」
 倉田に促がされるままに、リオと優弥の二人は鈍い動作で倉田の携帯電話にアドレスを送信した。

「明日いつ、どうするかはメールする。それまで、くれぐれも一切他言はするなよ。」
 倉田はそう言い捨てて、視聴覚室の扉に向かった。
「待ってっ。」
 リオが倉田の背中に向かって叫んだ。
「優弥はどうなるの?学校は?」
 暗く重苦しい顔がゆらりと振り返る。
「停学・・・・・、いや、おそらく退学だろうな。そして普通の流れで行けば、覚せい剤よりは若干罪は軽いだろうが、保護観察か、少年院送り・・・・・、だな。これが手元にあるってだけじゃ、まだ何とも言えない。俺が決めることじゃないし。」
 倉田は頭の中で順を追って考えるように答えた。

 少年院、と聞いて、その現実にリオの目の前が真っ暗になる。優弥を見ると、やはり顔面蒼白になっている。勢い、倉田に詰め寄る。
「退学になったら、大学受験もできないじゃん。少年院になんか入ったら、将来丸潰れじゃんっ。先生、生徒を見捨てるのっ?ひどいじゃんっ、そんなの教師のすることじゃないよっ!」
 リオが倉田のジャケットを両手で掴み、悲鳴のように叫んだ。
「ほとんどの麻薬には依存性があるんだ。ここできっちり表ざたにして、やめさせる機会を作ってやるのが三上のためになるんじゃないのか?」
 倉田は冷めた目で見下ろしてそう言うと、リオの手を払い除け、「じゃ」と言って踵を返して視聴覚室を出て行った。
 重い扉がゆっくりと閉まるのを、リオは混乱する頭で無力に見つめる。思い出したように振り返ると、足元に視線を落としたまま石造のように固まっている優弥がいた。

 このままではいけない・・・・・。

「待ってて。」
 そう言って、優弥を残したままリオは視聴覚室を飛び出した。外の廊下の数メートル前方を歩く倉田の背中に向かって再びリオが吼える。

「・・・・・だったら・・・・・、先生が何とかしてよっ!」
 倉田の足が止まった。その隙に走り寄ったリオが追いついた。すぐさま倉田の腕を掴み、数歩先にある進路指導室に強引に引っ張り込んだ。内側からしっかりと閉めた扉を背にしてリオが倉田を睨む。

「先生が・・・・・、黙っててくれれば済むことじゃんっ。隠れてやってる子なんていっぱいいるって聞いたよ。煙草と同じだよ。みんなやってたってバレなきゃ無かったことになるじゃんっ。」

 周囲に漏れぬよう声量を抑えて凶凶と訴えるリオに、倉田は溜息をついて答える。

「これは酒や煙草の比じゃないんだ。未成年者だから罪になるっていうもんじゃないんだぞ。これを所持してるってだけで成人でも立派な犯罪になるんだ。それを、教師のこの俺に揉み消せって言うのか?」

 リオの両手が倉田のジャケットを鷲掴み、浅黒い顔を覗き込むようにして揺さぶる。

「あたしが止めさせるからっ。絶対止めさせるからっ。だから、無かったことにしてよっ。お願いっ。そしたらあたし、先生の言うこと、何でも聞くからっ。」

「・・・・・何だって?」
「先生の命令何でも聞くよっ。パシリになるよ・・・・・。」
 うな垂れるリオの頭が倉田の胸についた。
奴隷どれいにも・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
「だから見逃して・・・・・、お願いっ・・・・・。」
 最後は泣き声だった。
 倉田は無言で、自分の胸にある突風が過ぎたあとのようなリオの頭を眺めていたが、一息つくと重々しく口を開いた。

「お前・・・・・、自分の言ってることがどういう意味だか分かってんのか・・・・・?」

 倉田の声が、まるで別人のように黒く暗転した。その変化に動揺しつつも、リオは決心を固め、こくりと頷いた。
「アイツと付き合ってるのか?」
 その問いに、すぐにリオは首を振って否定した。何も説明しようとしないリオに痺れを切らし、倉田が口を開いた。
「・・・・・ふん、・・・まあいい。俺の知ったことじゃない。・・・・・いいだろう。お前がその気なら、契約してやってもいい。・・・・・ただし・・・・・。」
 言葉を切る倉田をリオが涙に濡れた顔で仰いだ。
「相当の覚悟はしておくんだな。途中で逃げんなよ。」
 そう言った倉田の顔は、いつもの爽快感を放つ倉田のそれではなかった。
 邪気を匂わせる顔で薄く笑いかける倉田に、リオはまるで体中の血を吸い取られるかのような錯覚を覚えた。
 倉田はリオの頭を片手で数回でるように撫で回すと、「今晩中にメールで指示する」と言い残して進路指導室を後にした。

 倉田の去ったあと、すぐにリオは優弥の待つ視聴覚室に戻った。
「・・・・・今、先生に頼んだら、しばらく誰にも言わないで様子見ることにしてくれるって。」
 優弥の半分死んだような目に、小さな光が差した。
「マジ・・・・・?」
「そう、マジ。」
「何て言って頼んだ・・・・・?」
「『お願い』って、しつこく言って拝んだ。そしたら『分かった』って・・・・・だから優弥もちゃんと薬やめなきゃだめだよ。優弥がいつまでも変わらなかったら、先生も次の行動に出ちゃうって。」
 険しい目で優弥を見据えて、太い釘を刺すように言った。
 優弥は椅子にこしかけたまま、目の前に立つリオを恐る恐る見上げた。もう優弥の体からは、さっきまでの制圧するような気迫は微塵も感じられない。そして、その不自然なほどよく動く目に妙な危うさを感じた。
「・・・・・優弥、何か、変だよ・・・・・。」
 優弥はむやみに気味の悪い笑いを浮かべている。いくら最悪の状況を脱したからといっても、その打って変わった態度にリオは不安を覚えた。

「ここに来る前に、効かないヤツをほんの少しだけ噛み砕いて食ってきた・・・・・。そろそろ効いてきたかな・・・・・。」
 優弥の言動にリオはげんなりする。効くとか効かないとか、意味がよく分からない。それよりも、言っている傍から優弥がこういう状態なのがつらい。それを優弥は敏感に察した。
「お前と会って話すのに、しらふでいられるかよ・・・・・。」
 そう言った優弥の顔は、高揚しているような中にも悲愁の色をも重ねていた。とりあえず、今のところ普通に会話はできそうだ。

「とにかく、帰ろう。」
 こんな状態の優弥を学校に置いておくわけにはいかない。
 リオは優弥の腕を強引に引っ張り上げ、早々に学校を後にした。

 もう暗くなりかけた通学路を、優弥とリオの二人は並んで下を向き寡黙に歩いた。色々聞きたいことがあったので、リオは途中で通りかかった小さな公園に優弥を誘導した。
 冷たいコンクリでできた椅子に並んで腰を下ろすと、優弥は額の汗を拭いながらポツポツと事の詳細を話し始めた。
 薬は他にもLSDという名前のものも使っていたこと。それらを、今付き合っている星野麻里江やその友人たちと一緒に使い、購入はネットや麻里江の友人を通じてしていたこと。だが、それに金を使い過ぎて底を突き、頭を抱えていたところだったという。

「もう金も無いし、体のほうもヤバくなってきたし、やめなきゃなと思ってた。」
 膝の間に重ねた両手をどろんとした目で眺めながら優弥は語る。
「やめなきゃな、じゃなくてやめるんだよ。じゃないと学校クビの、警察行きだよ。」
 リオはもう一度魂を込めて力強く言った。

「何でそう、俺に構う。」
 ぽつりと優弥が言った。うな垂れた顔を覗きこむと、メッシュの入った前髪の下から見えた口が微かに笑っていた。リオは何と言っていいのやら分からない。別に、瑠偉にそうするように促がされたわけでもない。ただ、その事実を聞いて本能のままに動いただけだった。義務や惰性ではない。

「知らないよ。でもとにかく、もうやらないって約束してくれなきゃ、納得いかないよ。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・リオが監視してるからね。これからみんなで監視することにするから。」
「みんな・・・・・?」
「リオと、早坂とカレンと松本・・・・・、と勿論倉田もだよね。」
 そこで、リオは考えた。今後、倉田は優弥のことをどのように扱うのだろう。倉田は純粋に優弥の身を案じてくれているのだろうか。それとも、ただ単に教師としての職務を真っ当しようとしていただけなのか。その真意はまだリオには読めなかった。ただ、「奴隷になる」と言ったリオの申し出をすんなり受け入れたことに変わりはない。 

「お前、太ったな。」
 リオのブラウスを突き上げている胸に目を留め、優弥が目を細めて言った。その視線を遮るように、リオはチョコの入った紙袋を優弥の眼前に突き出した。
「はい、『ヤクが切れたらチョコを食え』だよ。」
「・・・・・は?」
「プレゼントです。」
「・・・・・・・・・・。」
 意味も分からず、差し出されたぎっしりと整列する板チョコを眺めると、優弥はまた妖しげな笑いを浮かべた。話の内容とはうらはらに、薬がほどよく効いているのか優弥は一人で心地良さそうだ。この状態で話をして、果たしてきちんと伝わっているのだろうか。リオは気が気でない。
 
 それから二人は、誰もいない薄暗くなった公園で黙々とチョコをかじった。もう夕方でだいぶ空腹だったせいか、甘い刺激が二人の舌に染み入るように溶けた。
 優弥とまた会話をし、こうして一緒にいるという現実がリオには不思議だった。それは優弥も同じことだろう。

 これから二人には過酷な試練が待っている。
 倉田という目の上のこぶのような人間に弱みを握られ、自ら進んで足かせを付けさせてしまった。それはいつ外せるのか予想もつかない。だが、優弥の体が元に戻り痕跡が無くなりさえすれば、後は知らぬ存ぜぬを決めこめばいいだけだ。そうなれば、自分も優弥も元の平穏無事な生活に戻れる。それまでの辛抱だ・・・・・。そう思いリオは、不安におののく我が身を笑い飛ばすように励ました。
 もう、後戻りはできない・・・・・。 


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