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69・・・再会
「ねえ、怜は覚せい剤ってやったことある?」
 リオが、すぐ隣にあるベッドで横になっている怜に問いかけた。
 この日リオは怜に勉強を見てもらうはずだったのだが、怜の体調事情により止むを得ず自習することにしたのだった。自習は怜の部屋の小さなテーブルでしている。

「お前、何つーこと聞くの?やるわけねえだろ。そこまでロックできねえよっ。」
 39度の熱に浮かされながら、リオの突拍子も無い質問に怜は思わずゴホゴホと咳き込んだ。
「聞いてみただけだよ。」
「何だよ・・・。薬に興味あんのか?」
「違うっ。やってる人は、どうやったらやめられるのかなーって思って・・・・・。」
「何で。」
「何でも。」
 リオの意味深な発言に首を傾げつつ、怜は、熱で思考の働かない頭をのろのろと動かす。
「ガマンするしかねえだろ。もう手が出せないようにおりに入るとか・・・・・。そういう療養施設に入るとか・・・・・。やってること公にしたくないんなら、家でひたすらチョコ食って耐えるとか・・・・・。」
「チョコ・・・・・?」
「そう、チョコ。古い刑事ドラマでやってた。『ヤクがきれたらチョコを食え〜』って。」
「ほんと・・・・・?チョコが効くってこと?」
 リオが顔を上げて目を輝かせる。
「知らねっ。効くってゆーか気が紛れるんじゃないか?甘いもん嫌いなやつはNGだろうけど。・・・・・で、誰がやってんの?」
「・・・・・・・・・・誰もやってないよ?」
 リオはにっこりと笑いかける。
「お前、オレを小馬鹿にしてんのか?それじゃ、筋が通らねーだろ。」
「・・・・・・・・・・。」
「あーあ、マジ悲しい。妹なのに、兄に隠し事かあ。・・・もう絶縁だな。」
 そこまで聞くと、リオは怜の寝るベッドに四足で這って行き、布団の上に身を乗り出して両手をついた。それはまるで、主人に甘えて尻尾を振る犬のような体勢だった。大きな瞳に間近で見つめられ、怜は思わず唾を飲み込んだ。また熱が上がってしまいそうだ。

「今度来たとき、報告するね。まだ本人と話してないから。人から聞いただけなんだ。」
 そう言うと、リオの表情は暗く沈んでいった。そしてすぐに気を取り直したよう続けた。
「それよか、怜も早く風邪治してね?」
「・・・・・リオが中間テストで英語100点とったら一発で治るだろうな。」
「何、それ。そんなんじゃ、治んないよ。関係ないじゃん。」
「いや、治るって、マジで。オレのストレスが一個消えるってことで。リオの成績が下がるとママにバンド禁止令、出されるかもしれないんだろ?もう、リーチかかってんだろ?」
「ううっ・・・・・。」
 二人が笑いながらそんな会話をしていると、「おつー」という声と同時に玄関のドアが開き、買い物から帰って来た瑠偉が現れた。
「あー、こんなんでいいかな。」
 と言って大量のペットボトルを無造作にテーブルに置いた。他にもゼリーやプリンの類が買い物袋の中でひしめき合っている。

 この日、瑠偉もリオと一緒に病んでいる怜の様子を見舞いがてら見に来ていた。同じように熱を出しているクニのところにも行こうという話も出たが、クニは実家に住んでいるし加奈もいるからということで、訪問先は孤独な怜のところのみに絞られた。

「怜、オレが食わしてやるから。口開けろ。」
 瑠偉は先ほどリオが煮たお粥を茶碗によそい、楽しそうに怜の口に運ぼうとする。
「うそ、マジ、やめろ・・・・・きしょいっ。」
 怜はスプーンを持った瑠偉の手を掴み、必死にあがいて抵抗する。揉み合いながら、瑠偉がわめく。
「何だよっ。オレの愛が受け取れねーってゆーのかっ。」
「いらねーよっ、お前の愛なんて。キモいだけだろっ。」
「口移しのほうが、いいか?」

 そうこうしているうちに、怜と瑠偉の間に入った小さな亀裂は自然と修復されていくのだった。そんな二人を見ながら、リオは腹を抱えてけたけたと笑っている。その笑顔を見ていると、怜は何だか体中の毒素が毛穴から静かに抜けていくような気がした。それと平行して、胸のほうはちくちくと針で刺されたように痛む。リオと瑠偉の放つ甘ったるい空気にさらされていてはそうなっても仕方が無い。
 陰と陽の感情に振り回されながらも三人で過ごす賑やかな時間は、寂しい怜をそれなりに心地良く和ませてくれるのだった。

 翌日、リオはスーパーで購入した大量のチョコレートが入った紙袋を抱えて登校した。とりあえず、大判の板チョコが七十枚入っている。足りないかもしれないが予算の都合上これで妥協するしかなかった。
 自分のロッカーに両手で紙袋を突っ込むと、優弥に宛ててメールを打った。
『 今日の放課後 話したいことがあるから視聴覚室に来てください 絶対だよ 』
 送信すると、リオは重い溜息を深々と吐き出した。たかがメールを打つだけなのに緊張してしまう。果たしてうまくいくのだろうか。優弥は来てくれるのだろうか。一人悶々と考えていると、リオの胃はしくしくと痛みを訴え出した。

「リオ、何も食べないの?」
 昼休み、一人机に突っ伏しているリオを見て、愛里が意外そうに声を掛けた。体重の増加に伴い、最近のリオはしっかりとデザート付きの弁当を食べていた。けれど、今日はどうにも胃が受け付けない。仕方なく売店で買ってきた牛乳を口の中で温めながらちびちびと飲んでいた。

「どうした、リオ。つわりかー?ヤリ過ぎてついにデキちゃったー?」
 松本に面白くも無い冗談を大声で浴びせられ、周囲にいた他の男子たちからも笑われてしまった。リオは笑うに笑えない。力が入らず頼りない声で答える。
「大丈夫・・・、ちゃんとできないように・・・・・気をつけてるから・・・・・。」
「・・・・・まともに答えてんなよ・・・・・。」
 松本が顔を引きつらせながら言った。リオは机に左頬を付けながら、へへと笑う。そして、手招きをして自分のほうに顔を近づけるように松本を促がした。そうしないと、音量を下げて会話ができない。松本が両手をパンツのポケットに手を突っ込んだまま身を屈めた。
「・・・・・今日、優弥と放課後、大事な話するんだ・・・・・。」
 それを聞いて、松本が顔を強張らせた。
「瑠偉さんから聞いたのか、あの話。」
「・・・・・そう・・・・・あの話・・・・・。」
「・・・・・一人で大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ。」

 松本の大きな体に向かってリオは寂しく笑いかけた。するとそのとき、軽やかに始業のベルが鳴った。英語の授業をしに担任の倉田翔平がA組の教室に入って来た。今日も倉田は時間通りの登場だった。
「増田。寝てないで教科書を出せ。授業だぞ。」
 開口一番、これだ。何だかいつも監視されているような気がする・・・。そう思いつつ、リオはだらだらと机から教科書を出した。

 放課後・・・・・。ホームルームが終わると、リオは隣に座る松本と一度目を合わせてから黙って席を立った。荷物を抱え、ロッカーへ向かう。ずっしりと重いチョコレートの入った袋を取り出すと、それを抱えて視聴覚室までの廊下を歩く。重たい金属質の扉を開き中に入ると、予定通り視聴覚室には誰もいなかった。リオは折りたたんであった木の椅子を一つ倒してそこに荷物を置き、ガラス窓に両手をついて暇つぶしに外の風景を眺めた。数人の生徒たちが楽しげに騒ぎながら校門を通過していく。その中に優弥の姿が無いかと心配しながらチェックをする。優弥らしき姿は見当たらないが、ここにもなかなかやって来ない。

 リオは、落ち着き無く携帯電話の時計を見た。気がつけば、かれこれもう三十分は経過している。優弥のクラスのC組がホームルームを終えていたのは、教室を出るときに確認済みだった。
 優弥は来ないのだろうか・・・・・。
 そのとき、ガチャっという音と共に視聴覚室の扉が開いた。はっとしてリオが出入り口のほうを振り返ると、グレーの制服の上に明るい色の髪の毛が見えた。優弥は長い髪を揺らしながら、鬱陶しそうな顔でリオを目指して歩いてくる。久々にじっくり見た優弥は心なしかやつれ、目の動きに落ち着きが無かった。

 目の前まで来ると、優弥の声が氷のようにひんやりと室内に響いた。
「何か、用。」
 リオはとっさに言葉が見つからなかった。こうして向き合っていると、この場所で夢中で抱き合った日々が脳裏に生々しよみがえってくる。そして、最後に言葉を交わした、猛然とこの身を痛めつけられた日のことも・・・・・。

「あの・・・・・。」
 リオは勇気を奮い起こし、優弥から目を逸らずに言った。
「変な薬やってるって、本当なの?」
 すると、優弥の口元が皮肉めいた笑みを見せた。
「やっぱりその話か。・・・・・だったら、何だってんだよ・・・・・。」
 否定されないことで、リオはその認めざるを得ない事実に少し怖気づいた。だが、ここでひるんではいけない。

「お願い。もう、やめて。体、おかしくなっちゃうよ?死んじゃうかもしれないよ?そんなこと、もうやめて。」
「何で。」
「何でって・・・・・。当たり前じゃんっ。普通じゃないよっ、そんなことっ。」
 リオの目が、僅かに充血していた。それを無感動に見下ろしながら、優弥は言う。
「普通じゃねえよ、俺。お前もそう思ってんだろ?普通じゃねえからやってんだよ。こういう人間なんだよ、最初から。」
「違うよっ。優弥はそんな人じゃないよっ。そんな弱くないっ。」
 言いながら、リオの茶色い瞳が涙で溺れた。その顔が、どんどんくしゃくしゃに崩れていく。
「リオ、優弥の歌が好きだった。ピアノも好きだった。でも、体おかしくなったら何も出来なくなっちゃうよっ。そんなの絶対やだよっ。薬やめるって言わなきゃリオ、今日ここから帰さないよっ。」
 リオの目の淵を描く黒い線がぼやけ、ぬるい川に次々と流れていった。
「・・・・・何、偉そうに言ってんだよ・・・・・。」
 優弥の声色が怒気を帯びた。その顔が黒い靄に包まれていくようだ。
 また殴られるのだろうか・・・・・。目の前で刻々と変化を遂げていく優弥にリオは萎縮した。だが、絶対にやめるように約束させなければならない。もうこれ以上、過ちを犯してほしくない。

「お前もやってみるか?」
 片方だけ口の端を上げながら優弥は言う。
「・・・・・へ?」
「お前もこれ、やってみるか?」
 優弥はポケットからプラスティック製のピルケースのようなものを取り出して、リオに見えるようにかざして振って見せた。色とりどりの錠剤の入った四角いケースが、優弥の手の中でカラカラと虚しい音を立てる。
「これやって音楽聴いてみ?音が映像になってガンガン頭から降って来る。ついでにハメたら、ぶっ飛ぶぜ〜。いつもの何倍もイキまくれる。一度やったら病み付きだぜ・・・・・?」
 下卑た言葉を並べ立て、へらへらと不気味な笑いを浮かべる。リオが今までに見たことの無い優弥だった。
「試してみろよ・・・・・。一緒に狂おうぜっ。」

 冗談じゃない。しかもここは学校だ。リオは顔を強張らせて激しく左右に振った。
 優弥はかまわずケースから錠剤を一つ取り出し、それをリオの鼻先に突きつけた。
「とりあえずこれがいいか・・・・・。」
 その手が、リオの口元に降りた。
「やだ・・・・・。」
 リオが退いていくと、一歩踏み込んだ優弥の左手がリオの顎を掴み、その口に錠剤をねじ込もうとした。リオは無我夢中で顔を背け、優弥の手を振り解いて逃げようとする。
 口に入れたところで、吐き出してしまえば済むことだ。飲み込まなければ吸収できない。そんなことは分かりきったことなのに、それでもあえて執拗に強行しようとする優弥にリオは異常なものを感じた。

「やめてよっ。」
 そのときだった。視聴覚室の扉が再び開く音がして誰かが中に入って来た。だが、取り込み中のリオと優弥にその音は届いていなかった。

「何やってるんだ、三上。」

 その声に撃たれたように優弥が振り返ると、そこにはリオのクラスの担任である倉田翔平が立っていた。恐らく、学校にいる大人の中で唯一の敵であろうその相手を目の前にして、驚惶した優弥の骨張った長身がとたんにすくんだ。
「増田が嫌がってるじゃないか。何、拷問してるんだ?」
 怪訝そうに二人を覗きこむ倉田を前に、優弥は錠剤を持った手をさりげなくポケットに忍ばせた。だが、それが倉田の目の端に不自然に映った。優弥の、一際大げさに動じる態度にも、だ。




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