68・・・新しい仲間
新緑が茂る木の下で、リオはカレンと並んで芝生の上に寝転んでいた。もう日は暮れかけたが、だるさを促がすムンムンとした陽気はいつまでも落ち着くことを知らない。
「ところで、エロ修行は進んでるの?」
カレンが寝たままポッキーをかじりながらリオに聞いた。
「うん。もう、だいぶ慣れたよ。着る服も一掃したしね。ミニスカートばっか。」
リオはミルクティーの入ったブリックパックのストローをずーずーと音を鳴らしながら答えた。横になっているので中身がうまく吸えていない。
「え?着る服?・・・エロい女になるってそういうこと言ってたの?」
「・・・・・ほ?何だと思った・・・・・?」
「いや、だから・・・・・、もっと実践でエロいこと瑠偉さんに色々仕込まれてんのかなーって、陸と話してたんだけど・・・・・。」
「仕込む・・・・・?はいーっ?!」
カレンの言ったことは全く検討違いではないが、リオはそれを具体的に言葉で表現するわけにはいかなかった。
話が妙に色気づいてしまったので、二人は遠慮がちに目を合わせ、赤くなって笑い合った。
「妄想入りすぎ・・・・・。エッチイなっ。」
「エッチイよっ。」
「もう、カレンは早坂としてるんでしょ。」
唐突に言われてカレンが固まった。
「何で・・・・・・」
「何でって・・・・・ 。二人見てて、何かラブいから。ラブってるよーって感じ。」
「・・・・・リオにしては鋭いじゃん。」
それならば、とお互い色々と聞きたいこともあるのだが、どうも気恥ずかしくて言葉にできない。そこまで禁断の世界に足を踏み入れる勇気は二人ともまだ無い。
「・・・・・やっぱ痛かったよね・・・・・。」
やっとのことで、リオがぼそぼそと聞いてみる。リオにしてみればもう、かれこれ八ヶ月も前の経験だが。
「うん。最初、ちょっとだけね。」
「へっ?ちょっとだけっ?・・・・・最初って、一回目ってこと?」
リオのあまりの反応の大きさにカレンがきょとんと首を傾げた。
「・・・・・一回目ってゆーか、一回目のほんの五分くらいかな。」
「はいーっ?!何、それー。あたしは死ぬ思いだったよ?しっかり三回目くらいまでっ。不公平だよ、それっ!」
そこまで言ってから、今更ながらリオは消すことのできない過去を思い出す。
そのときの相手は瑠偉ではなく優弥だった・・・・・。
リオの中ではそれを回想するのは禁止行為だった。なのに、そのときの記憶がやけに鮮明に蘇ってしまい、瑠偉への後ろめたさからリオは急に口を噤んだ。
「リオ、ギターばっか弾いてて運動してなかったからじゃない?運動してる人は結構最初ラクだって聞いたよ。」
カレンが笑って言った。そういえばリオは以前、カレンが中学時代体操部に所属していたという話を聞いたことがあった。
「終わったことじゃん。今はもう、死ぬ思いじゃないんでしょ?」
朗らかにそう言うカレンに、リオはどう返したらいいのかと一人悩む。今は全く逆の意味で『死ぬ思い』をしているとは、とても言えない。
熱くなった襟足に手を当てながら、リオは話題を逸らそうとした。
「・・・・・もっと好きになっちゃったでしょ、早坂のこと。」
一呼吸置いてから、照れながらカレンが答えた。
「・・・・・そうだね・・・・・、前の三倍くらい。エッチって偉大だね。」
しばらく黙って、二人は目の前の視界を覆う生まれたばかりの緑を眺める。生暖かい風がゆるゆると二人の頬をかすめていく。
「でも・・・・・、リオが瑠偉さんと幸せになれて良かったよ。もう、すっかりリセットだね。」
カレンに言われて、果たしてリセット・・・・・、できたのだろうかとリオは考える。頭の片隅にはどうしても優弥のことがいつもある。そしてそれは、当分消えることはないだろうとも思う。
瑠偉のことが一番好きだといっても、優弥との記憶をすぐに抹消するのは到底無理な話だった。しかも先日瑠偉から、優弥が危険な薬に侵されているという事実も聞かされた。リオの中で優弥という存在は、縮小するどころかさらに新たな問題として大きく蔓延ってしまっている。
「一人、好きな人ができたら、それまで好きだった人との記憶が無くなっちゃえばいいのにね。そしたらすっきりできるのに。それとか、他に好きな人ができたら、前の人のことはその分全部嫌いになれたりしたら、ラクかも・・・。」
リオがあまりにも淡々と言うので、カレンは思わずリオを見た。その口調とはうらはらに、潤いを増す瞳を揺らしながらリオは続ける。
「どうしても耐えられないことがあったから、一緒にいられなくなったよ。でも・・・・・、好きな部分もいっぱいあった。好きなところより、そうじゃないところが多くなっちゃったから別れた。それだけ。でも、優弥のいいとこも、いい思い出も、まだちゃんと自分の中に残ってる・・・・・。忘れられないんだ・・・・・。」
言い終えるころには、リオの目尻に涙が線を引いていた。
優弥を見捨てるわけにはいかない。もしかしたら、薬をやり始めたきっかけも、自分とのことに関係しているのかもしれない。そう思うと、リオはじっとしているわけにはいかなかった。ただ、何から始めたらいいのか分からない。それどころか、優弥に話しかける勇気すらまだ無いのだ。
「優弥のあの話・・・・・オニヤバイね・・・・・。」
カレンが沈んだ声を出した。薬のことを言っているのだろう。リオの知る限りでは、今、自分以外でこのことを知っているのはカレンと早坂、松本、そして瑠偉だけだ。
「うん・・・・・。どうしよう・・・・・。」
涙を拭うリオにピンクのハンカチを渡しながらカレンが言う。
「とにかくさ、優弥に会って話するとこから、だよね。」
「・・・・・うん・・・・・。」
優弥と口をきく・・・・・。リオにとってそれはとてつもなく重たい課題だった。なのに、厄介な入り組んだ問題についても追求し、優弥を救いたいなどと思っている。そんなことが、果たして自分にできるのだろうか。
「そーだ。これから春斗君たちとミーティングだった。カレンも来る?」
突然思い出してリオが高い声を出した。
「いいやー・・・・・。部外者だし。何、結局、春斗君たちとコンテスト向けのバンド組むことになったの?ドラムは知らない人なんでしょ?」
そこでリオは起き上がり、カレンのほうを向き鼻息を荒くして叫んだ。
「そーなんだよっ!荒井君って言ってね、すっごいかっこいいドラム叩くんだっ。ちょーパワーあるんだよ、もう、ドスドスお腹に響く感じっ。この前、ブラドの練習のあとスタジオ延長して一緒に合わせたんだけど、あのドラムだと晃君のベースもちょーうまく聴こえたっ。」
「そうかー・・・・・LIVELAのドラムだとそうはいかないもんねー。コンテストだったらうまくないと・・・・・。ところでヴォーカルは、誰がやるの?」
「・・・・・それがね・・・・・。」
リオが待ち合わせ場所のマクドナルドに行くと、もう他の三人は席に着いていた。紺色のブレザーとパンツの上下にネクタイをだらしなく締めた晃と春斗。そして、その隣には深緑のタータンチェックのパンツに紺のジャケットという見慣れない制服を着た荒井真治がいた。
「こんにちは。」
リオが三人の顔を見ながら笑顔で挨拶すると、春斗が「こんにちは」とやはり笑顔で返した。晃は「おう」と言いながら軽く手を挙げ、金髪の荒井真治はリオと目が合ってから無表情で小さく頷いた。
「で、ヴォーカルの人は・・・・・?」
リオが席についてから十五分ほどしてからのことだ。周囲を探すように見回すと、晃がすぐに反応した。
「一応時間は言っておいたんだけどさ、何つーか・・・・・、時間の正確さにこだわりが無いやつで・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
ようするに、時間にルーズだと言いたいらしい。ロック系のミュージシャンによくいるタイプだ。だが、とりあえずリオの周りには例がいない。慣れている間柄ならともかく、その人物とは今日が初顔合わせだった。
「ごっめーん、遅れたぁー。そこで友達としゃべってたら、いつの間にかこんな時間だしー。」
その声が四人のところに届いたのは、約束の時間をかれこれ四十分過ぎた頃だった。
晃がすぐに、ドラムの真治とリオに向かって紹介した。
「こいつ、飯塚咲。桜川女子高校三年。カラオケで鍛えてるからけっこー声量あるし、高い声出るんだよ。」
紹介されている傍から咲は隣の席から椅子を引っぱり、ほぼ隙間の無かった晃と春斗の間を割るようにしてどかりと座った。有無を言わせず押し退けられた春斗が慌てて咲を避けた。咲はグロスのきいた口を豪快に開けて高らかに言った。
「どーもーっ、初めまして、咲って呼んでねー。LIVELAのファンクラブの会長やってまーす。趣味はカラオケとダンス、カトゥーンの赤西君ラブでーっす。あと、NEWSの加藤君もーっ。」
その勢いと、全く意味を成さない自己紹介にリオはあんぐりと口を開ける。ドラムの真治は珍獣でも見るように興味深げに咲を見上げている。春斗はなぜか下を向いていた。
リオがすぐさま晃に向かって問い詰めた。
「もしかして、コンテストに出るのに、このメンバーでジャニのコピーでもやろうっていうわけ?あたしバック転はできないよ?」
皮肉を言うリオに、晃がそれを制すように答える。
「いや・・・・・。咲にはちゃんとロックを歌ってもらう。ノリがいいしさ、いけるんじゃないかと思って・・・・・。ヴィジュアル的にはいいだろ?」
「・・・・・・・・・・。」
そこでリオは、しげしげと咲を観察した。咲は機嫌よく晃に腕を絡め、頭を傾けてしな垂れている。甲高い声は確かに声量はあるようだ。それに、細身の長身に細い狐目が特徴の、ほのかな色気を帯びた派手な顔立ち。咲は全体的に華やいだ雰囲気を持っている。カレンに分類させれば、恐らく咲は典型的な「ギャル系」になるのだろう。
「・・・・・ところで、荒井真治君はどこの学校だっけ?私立?」
リオは、咲の件に触れないように話を別に逸らした。真治がにこりともせず、声だけ明るく答える。
「公立。登南高校。」
一瞬、その場の空気が止まった。
「・・・・・登南?登南って・・・・・あの頭のいい登南?」
リオが恐る恐る言うと、真治が少し笑い顔になって言った。
「別に・・・・・、それ程でもないけど、一応そう。」
「いーっ!登南にも金髪の人なんて、いるんだっ。」
リオの大きな反応に、春斗と晃が顔を見合わせた。二人はその高校のレベルなどよく分かっていないようだ。ただ、比較的そこが偏差値が高いらしいということぐらいは知っている。
「別に、校則違反じゃねえよ?うちの学校は制服さえ着てればOKになってるから。モヒカンとかスキンヘッドでも問題無し。だから、うちの学校はみんなこんな頭してる。」
真治の話に、一同、「へー、いいなー」と羨ましがる。咲だけは喉が渇いているんだか、一人無視してストロベリーのシェイクを黙々と啜っていた。
とその時、咲の鞄の中からけたたましい音量で音楽が鳴った。咲は急いで黒い携帯を掴み取ると、がたんと音を立てて椅子から立ち上がり、どこかに走って行ってしまった。
「あいつさー、大丈夫なのかなあ・・・・・。」
春斗が咲の後ろ姿を見送りながら、頬杖をついて不安気に漏らした。誰も何も言わない。咲は晃の推薦でヴォーカルに抜擢されたのだった。とりなすように晃が答える。
「まあ、一応あれでも本人は乗り気だから。音痴でもねえし、何とかなんじゃね?」
晃のその言葉は大してリオを安心させてはくれなかった。最初の話では、『最強のメンバー』と言っていたはずだ。それが、『何とかなんじゃね?』では話が違う。真治の登場で少し盛り上がっていたリオのやる気は、ここで一気に冷めてしまっていた。いずれにせよ、このメンバー全員それぞれのバンドの寄せ集めでしかないのだ。だめならだめで、それでいい。ただ、リオとしては無駄な時間を費やしたくはないという思いが切にある。
「・・・・・じゃあ、バンド名でも決めようか。」
晃の提案で、残った四人がノートと電子辞書を出してああだこうだと話し合っていると、咲が煙草に火を点けながら戻ってきた。
「あたし、今日ちょっと忙しくなっちゃったからこのまま帰るねー、晃、またメールするからー。」
「バイバーイ」と言いながら、咲は口と鼻から膨大な量の煙を放出した。それが、たまたま目の前にいた春斗の頭を白く包み込んだ。春斗がむせ返って咳き込んでも、咲は何も気にならないようだ。去り際に晃目がけてチュッと音を立て投げキッスをしてから、靴を引きずりつつ咲はその場を去った。一同、言葉を無くしてそれを目で追う。
「・・・・・ヴォーカルがどうのっていう問題より、基本が間違ってねーか?まだ何にも話合ってねーよ?あいつ一体、何しに来たんだよ。」
春斗が煙を手で避けながらぼやいた。晃がそれを無視してノートに書いた文字を皆に見せながら言った。
「こんなのは?」
三人は何となくそれに目をやる。ノートの真ん中に英単語が三つほど連なっている。もう、バンド名などリオにはどうでもよかった。それをろくに確認もしないで、「いいんじゃない」と一言。他のメンバーも簡単に同調した。
そのミーティングが終わった帰り道、リオはドラムの荒井真治と二人で電車に揺られることになった。一対一で会話が無いのもどうかと思い、リオは真治の活動状況に探りを入れた。
「・・・・・学校でもやってるよ。でも、音楽性の合うやつがいないし、みんな勉強第一だからあんまり気合も入ってない。だから、俺のほうも付き合いって感じかな。ドラムってどこもそんなにいないしね。」
真治が窓の外を走る暗闇を眺めながら言った。
「ふーん。それじゃ、燃えないね。あたしも学校じゃ最初そうだった。今も続けてるけど。でも、友達だから楽しいけどね。」
「・・・・・あの女の子バンドだろ。俺、南高の文化祭行ったことあるよ。君のギターもちゃんと聴いた。LIVELAもよく知ってるし。だから、晃からこの話が来たとき、とりあえずベースとギターはOKかなって。」
真治の話では、晃と春斗の二人とは去年LIVELAと対バンになったときに晃に話しかけられて以来の付き合いだということだ。
「でも、君のこの前の態度はマジ引いた。ちょーストレートだったよね。いつも誰にでもあんななの?」
率直に問われ、リオは一瞬焦って言葉に詰まった。確かにあのときの自分は、初対面の真治に対して露骨に相手を試すような、横柄な態度だったような気もする。
「ちょっと偉そうだった?」
「まあね。」
真治の回答に、リオは少し気まずそうに笑った。
「ごめんね・・・・・。あたしバンドのときは、初対面の男の子にはちょっと威嚇したくなっちゃうんだ。たまに女ってだけで舐めてるやついるから。あと、自分のバンドで十分忙しいから、ぶっちゃけ、新しいバンド組むのにあんまり乗り気じゃなかったし。だから、組むんだったらよっぽどいいメンバーじゃないと、と思って。それに、後から『やっぱやめた』じゃかえってヒンシュクじゃん?でも、荒井君のドラム聴いて興奮したよ。そんで、納得した。だからやっぱりあの時、その場で叩いてもらって良かったと思ってる。」
前髪ののれんの奥にある目で真っ直ぐリオを見ながら、真治の口元が微かに笑った。表情こそ乏しいが、その声だけを聞くと、明るく温厚で裏表の無い誠実な印象をリオは受ける。だから気がつけば、リオも真治には壁を作らずに素直にものを言うことができた。それに、自分の意見を端的に言ってくれるほうが鈍感なリオには有難いのだ。
「まだ、分かんないじゃん。実は三十分続けて叩くと電池切れする体質だったりするかもよ?」
そう言うと真治は、初めてリオの前で顔中で笑って見せた。そんな顔をすると、彼の研ぎ澄まされたような男らしい顔も、いくらか可愛いくも見えた。
「ヴォーカルはどうでも良かったの?」
真治にそう聞かれ、真治も咲にあまり期待をかけていないという感じが伝わった。正直なところリオは、ヴォーカルのことは深く考えていなかった。『最強のメンバー』と称された内の真治のドラムを聴いたことで、彼らの人選を過信していたのかもしれない。リオは咲の歌を聴いたことはないが、初めて会う咲の印象から、とりあえず自分との人間的な相性は期待できない気がした。
リオの身近にいるヴォーカリストから厳選するならば、それは優弥以外には考えられなかった。かといって、優弥を推すわけにもいかない。一緒にバンドを組むなど、全く無理な話だ。それ以前にリオがこのバンドでやりたかったのは、黒っぽくて泥臭いロックだ。女のヴォーカルではイメージが沸かない。この時点で既に問題外だった。
「なるようになるさ。」
投げやりに答えると、リオは真治から目を逸らした。もう、どうにでもなれ、だ。
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