67・・・瑠偉のアルバイト
「あれ、瑠偉さんもここのバイト始めたんすかー?」
店に入るなり早坂が言った。後ろには制服を着たHYENAのメンバーの竹野と松本、そして優弥が続いている。
四月も終わりに近づいたある日の夕方、スタジオRISEの受付カウンターには瑠偉が座っていた。瑠偉はヘッドフォンをして何か文字をノートに書き留めていた。
「おう。怜が風邪ひいて寝込んじまってさ、代りがいないからってスポットでオレに。」
言いながら瑠偉は椅子から仰け反って軽く伸びをした。
「もしかして、リオのやつがうつったとか?」
松本が言うと、
「そーそー、多分。元はといえばオレが発症元なんだけど、リオが倒れて一週間遅れで今度はドラムとギターが二人ともダウンしちゃってさ。うちのバンドは今、活動休止状態よ。」
「へー」という声を聞きながら、瑠偉はポケットから煙草を出してライターで火を点けようとした。
「・・・・・瑠偉さん、ここ禁煙っすけど・・・・・。」
早坂が遠慮がちに言うと、
「えっ、そーなの?」
瑠偉は仕方なく一度咥えた煙草を口から引き抜いた。その時、目の前に立っていた早坂と松本の間から、優弥の真っ直ぐ立つ姿が瑠偉の目に留まった。優弥は、まるで野生動物が草陰から獲物を狙うときのように、狭い隙間から音も無くじっと瑠偉の姿を凝視していた。
瑠偉の目線が一点に止まったのに気付き、早坂と松本の二人が優弥を振り返り、視線を絡め合う二人を交互に見比べる形になった。そのとき楽器店の中はスリップノットのThree Nilがしっかりと聞き取れる音量でかかっていた。それも手伝ってか、その場に炸裂するような重々しい空気が発生し、充満した。
まだ優弥がリオと付き合っていた三ヶ月前、このスタジオで瑠偉は、「リオを口説いた」という理由で優弥から一発顔を殴られ、おまけに腹も一箇所蹴られた。それに対し瑠偉は口だけで抗議して何もやり返すこともなかった。その現場に居合わせた松本と早坂はそれを思い出して、優弥と瑠偉の対面を落ち着かない面持ちで見守っている。
「お前・・・・・、ちょっと顔貸せ。優弥。」
瑠偉がじっと探るように優弥を見据えながら言った。優弥はピクリとも動かず無言で瑠偉の視線を受け止めている。
「お前ら先に下、行ってろ。まだ 早いけど、使ってていいから。」
優弥から目を逸らさずに瑠偉が言った。その場限りのバイトは仕事ぶりも大雑把だった。
視線をぶつけ合う瑠偉と優弥のほうに不安げな視線を送りながら、早坂、松本、竹野の三人は仕方無しに地下に続く階段のほうへ消えて行った。
「ちょー気になるんですけど。」
階段を降りようとした足を途中で止め、松本が振り返って一階の様子に注意を向けた。「俺も」といって早坂も松本の背中に圧し掛かる。ベースの竹野はそのまま黙って地下に降りていってしまった。松本と早坂の二人はその場に荷物を置き、忍び足で元来た階段をまた昇った。そして、地下への出入り口の手前で立ち止まり、楽器店のほうに耳を傾けた。相変わらずスリップノットのどす黒い血を匂わせるような音楽が、耳をそばだてる二人の盗聴行為を妨害している。それでも、良く通る瑠偉の声は二人のところまで十分に届いた。今、一階には瑠偉と優弥の二人以外には誰もいない。
「お前、やってんだろ・・・・・薬。」
瑠偉はカウンターから出て、優弥の正面に立ってその顔を真っ直ぐ見ながら言った。
「何のことですか。」
無気力に口だけ小さく動かし、表情の無い顔で優弥は答える。
「とぼけんなよ。思いっきりジャンキーな面してるぜ?・・・・・オレも昔やってたからすぐに分かる。」
そこで、優弥の虚ろな目が僅かに開き、その中に少しの動揺の色が見え隠れした。瑠偉が言葉を継ぐ。
「悪いことは言わねえから、もうやめとけよ。ハマると抜けるのがつらいぜー。そんなもんに逃げたってどうにもならねーってコト、自分で分かってんだろ?」
瑠偉の口調は相変わらず軽いが、その目は真剣だった。瑠偉の言葉が途切れると、優弥は突然爆弾が落ちたかのような怒声を発した。
「別に逃げてんじゃねーよっ!!」
お陰で、隠れている二人が耳を澄まさなくても難なく聞き取ることができた。全身から真っ赤な火花を散らすように優弥は怒鳴り続ける。
「大体、何なんだよあんたっ。俺がどうなろーと関係ねーだろっ!それとも何か?リオが自分のものになったからって俺に情けをかけて、優越感にでも浸ってるつもりかよっ!」
吼え狂う優弥の怒号を断ち切るようにして、不意をついて瑠偉の右フックが優弥の頬にめりこんだ。その衝撃に耐え切れず、思わず優弥が舞うようによろめいた。
優弥が左頬に手を当てながら、唖然として瑠偉を振り返る。
「これ、いつかのお返しな?」
瑠偉は冷たく言い放つと、すぐに身を屈めた優弥のネクタイを引っ張り上げ、間髪入れずに今度は腹部に膝蹴りを入れた。ボスっという鈍い音がした。体を折り曲げた優弥が崩れ落ちるのを阻止するかのように、、瑠偉はもう一発蹴り上げてからその手を離した。
「これは、リオの分。・・・・・足らねーか?・・・・・足らねーだろ。リオはもっと体中痣だらけだった。」
腹をかばうような恰好で俯き、優弥が膝から地べたに崩れ落ちた。そのまま上体を倒し、ごんと頭を床に押し付けて呻いている。
溜息をついてから、瑠偉は足元に転がった優弥を見下ろして言葉を落とした。
「ヤベーな。そうやってすぐに頭に血が昇っちまうところなんか・・・・・。自覚してんだろ?」
瑠偉は黒いライターを取り出すと、今さっき吸い損ねた煙草を咥え、火を点けた。そのまま優弥の塊の前にしゃがみこみ、苦痛に歪むその顔を、黒目だけを移動させて静かに眺めた。そして、親指と人差し指でつまんだ煙草を深く吸い込み、優弥の顔目がけて白い煙を吹きかける。
「・・・確かにお前がどうなろうとオレの知ったこっちゃねーよ。でもな、オレにも多少の良心とか正義感とかあるわけ。ちょっと横道それてんならまだしも、薬だけは後が厄介だからな。金もかかるし、そういうとこから他の犯罪に走るヤツもたくさんいる。お前はそんなヘタレじゃねーだろが。ちゃんとまともな高校生やってんだろ。ここでつまずいてどうする。・・・・・それに・・・・・。」
そこで瑠偉は少し目を伏せて、寂しく言った。
「・・・お前がそんなじゃ、リオが悲しむ。」
地べたに倒れたまま、優弥は険しく寄せた目を一瞬見開いた。そして、しばらく空虚な表情のまま動かずにいたが、すぐに投げやりな乾いた笑い声を漏らした。腹部の痛みに喘ぎながら、ざらついた声で優弥は言う。
「あり得ねー・・・そんなの・・・・・。アイツは、もう俺のことなんか眼中ねーよ。他の女とヤって、その上、散々自分をボコったヤツのことなんか、くそ食らえって思ってんだろ。」
そして優弥は、声にならない声でまた笑った。その息遣いが微かに震えていた。
「お前たち、もとはダチ同士だったんだろ?お前がテンパってたら放っといたりできねーよ。そういう女だ、アイツは・・・・・。そんな簡単に白黒つけられねえだろ。リオもお前も。」
それを聞くと、横たわった優弥の目が赤みを帯び、しっとりと熱く潤った。そこから溢れたものが留まりきれずに頬に一本の線を引く。グレーのジャケットに包まれた優弥の左腕が隠すようにその目を覆った。その姿を虚しく見下ろして瑠偉は言う。
「・・・・・だからって、リオをお前に返してやるとは言ってねーからな。・・・アイツはもうオレのもんだから。」
沈黙の中、誰にも聞いてもらえないBGMが空虚な響きをもって楽器店に流れていた。
一呼吸置くと、瑠偉はゆったりと背後を振り返り、地下に続く出入り口に向かって声を張り上げた。
「おいっ、いるんだろ、そこに。」
それを聞いて、階段の踊り場で身を潜めていた早坂と松本の二人が身を強張らせた。そして、肩を落として重い足取りで瑠偉の前に姿を現した。
「ちょっと痛い思いさせちゃったから、起こしてやってくれよ。」
気まずそうな顔で下を向く二人に、瑠偉は笑いかけながら言った。早坂と松本は一度頷いてから、顔を隠して床に転がっている優弥にそろそろと近づいた。
「優弥・・・・・。」
早坂が手を伸ばすと、それを追い払うようにして優弥が勢い良く飛び起きた。そして、二人が声をかける暇も無く、無言でうな垂れながら優弥はその場から逃げるようにいなくなった。残された二人は、ただその後ろ姿をぼんやりと見送るしかなかった。
「松本ってお前?」
不意に呼ばれて、返事の代わりに松本が萎れた顔を上げた。
「お前、リオと同じクラスなんだって?聞かせてくれよ。アイツの学校でのこと。アイツ、ちゃんと授業とか聞いてんの?」
「・・・・・はい、一応・・・・・。」
瑠偉の明るさを打ち消すように、しんみりと松本は応える。今、そんな尋常な話をする気分にはとてもなれなかった。たった今、優弥が薬をやっているという衝撃の事実を知ってしまった上に、目を赤くして立ち去る優弥の痛々しい姿まで見てしまった。やるせない思いが早坂と松本の活力を奪っていた。友達として二人の上に岩のように圧し掛かっているプレッシャーは、あまりにも重過ぎた。
閉店まであと三十分を切った午後十一時半過ぎ、スタジオにリオが現れた。何も聞いていなかった瑠偉は目を丸くして、仰け反って座っていた椅子から弾けるように立ち上がった。
「何だよ。終わったら迎えに行くって言ったのに。それに何、お前、こんな時間にそんな恰好でここまで来たのか?」
この日は金曜日だった。本当なら、理沙が不在のこの日は瑠偉とデートのはずだったのが、急遽臨時のバイトが入ったお陰で二人の約束は閉店後の深夜になってしまった。
リオは瑠偉の指示通り、しっかりと超ミニ丈のスカートを素足の上に穿いて来た。最近はもう慣れで、中身が見えても気にならなくなった。トップスも今までよく着ていただぶついたTシャツは卒業し、胸元が大きく開いた体にフィットするカットソーを着ている。
「だって、待ってるの退屈だったんだもん。どお?この恰好、瑠偉好み?エロい?」
リオは眠そうな目を擦りながら顔いっぱいに笑みを溢れさせた。
「ああ。・・・でも、こんな夜中に一人でそんな恰好で歩いてたら危ないだろ。襲ってくれって言ってるようなもんじゃん。」
瑠偉にしては珍しく常識的な意見だったが、リオはいとも簡単にそれを聞き流した。
「じゃー、瑠偉が襲ってー・・・・・。」
嬉しそうに言ってから、瑠偉の襟足に両手を回して抱きついた。そして、瑠偉の股間に片膝を割りいれながらキスをする。
思いの他大胆なリオに面食らいながら瑠偉は耳を赤くした。
「・・・・・もう、店閉めるわ。」
とリオをきつく抱きしめながら堪りかねたように言った。
今、スタジオは三ヶ所とも空き状態だった。瑠偉は楽器店の入口を閉め、カウンターの上だけを残して照明を全部落とした。閉店の準備が整うと、瑠偉はリオの手を引いて地下のスタジオに向かう階段を降りて行った。
「ここで、ヤろ。」
瑠偉はスタジオの中にリオを導くと、普段誰も使わないであろうミラーボールのスイッチを入れた。暗いスタジオの中をミラーボールのカラフルな丸い光だけが楽しげに飛び交う。リオが目をちかちかと眩しそうにしながら笑って言った。
「これ、音が無いところで回ってると変くない?」
「音はリオがイイ声、生で出して。」
そのスタジオの壁の一面には、足元から天井まで鏡が張り巡らせてある。そこに瑠偉はリオの体を背後から貼り付けた。
「はい、ステージング、よくチェックして?」
リオが言われるままに鏡を見ると、背後から伸びてきた手が見る見るうちに着ているものを剥がしていった。
「瑠偉・・・・・何か・・・・・恥ずかしいよ・・・・・。」
リオは戸惑い、自分の背中に貼り付いている瑠偉を振り返った。瑠偉は構わずリオの肌に音を立てて無心に唇を這わせている。
目の前の鏡に、瑠偉に体を貪られる自分の姿が映像のように映し出されている。それはあまりにも生々しく、リオの羞恥心を際限なく煽った。足はすぐにくの字に曲がり、体ごと鏡を伝って足元に潰れた。
「もう、だめ?・・・・・いつもより興奮する?この状況。」
と瑠偉は温い液にまみれた指をしゃぶりながら面白そうに笑った。
「ふぇぇ・・・・・・・・・・。」
リオはまともに返事ができない。膝を落とし鏡に両手をついたまま震えている。その体に後ろから覆い被さりキスの雨を落としながら、なぜか今、瑠偉は優弥を思い返した。
優弥の危機的状況を、リオに伝えないわけにはいかない。それでも、実際リオを優弥に接触する機会を持たせることに、瑠偉は躊躇せずにはいられない。
一度は仲良く結ばれていた二人だ。瑠偉がリオとすごした何倍もの時間を、優弥は共にしてきた。
万が一あのころの感情が蘇ってしまったら・・・・・?
過去を清算して許し合ってしまったら・・・・・?
ふと我に返り、瑠偉は嫌な予感を打ち消すように行為に没頭しようと努める。
「リオ・・・・・、綺麗だね・・・・・。」
鏡の中で悶えるリオに眩しそうに目を細め、瑠偉は二つに割れた丸い肉に愛おしそうに口付ける。
「・・・・・瑠偉も・・・・・。」
夢うつつなリオはぼんやりと薄目を開けて答えた。
暗がりの中をミラーボールの瞬く光だけが、リオと瑠偉の裸体に楕円の模様を描いては流れていく。
「もう、全部・・・・・オレのものだよ・・・・・。」
そんな瑠偉の声が遠くに聞こえる。巧みに計算された瑠偉の指使いに夢中で溺れている。
「・・・・・ん・・・・・リオ、は・・・・・瑠偉の・・・・・もの・・・・・。」
目を閉じて喘ぎながら、リオは素直に言われた言葉を繰り返す。まるですっかり瑠偉に洗脳されてしまったかのように。
「リオ・・・・・。」
こうして肌を合わせてその温もりを感じていると、リオの全てが自分の手の中にあるような気がする。
この心も、体も、全てが自分に向けられ、ひたすら自分の色に染まっているような錯覚を覚える。
火照りきったリオの肌を瑠偉はがむしゃらに抱きしめる。熱を帯びた唇でその柔肌を次々と赤く染めていく。リオの体の表面に、内側に、余すところ無く自分を刻み付ける。
この腕の中から逃げてしまわないように・・・・・。
*念ための用語解説*
スリップノット→今を活躍する、奇抜なグロいお面を被ったヘヴィなロックバンド。売れてるから有名ですよね。