66・・・秘密のお仕事
ベッドで横になっていた晃の耳に携帯電話の着信音が流れて来た。晃の胸に張り付いていた咲が雷に打たれたように起き上がり、鞄の中から自分を呼ぶ携帯を慌てて鷲掴みにした。咲のお気に入りのNEWSの新曲の着うたフルが突然途切れた。といっても趣味の違う晃にはそれが何の曲だかも全く分からないのだが。
「もしもし・・・・・はい・・・・・はい・・・・・。」
ベッドを降りて歩きながら返事をし、そのまま咲はバスルームの中に入ってしっかりと扉を閉めた。
そんなに他人に聞かれるとまずい内容なのか、と妙な違和感を感じながら、晃は煙でつくった輪をぽっぽと口から吐き出した。すると、また新たに携帯の着信音らしき音が咲の鞄の中で鳴りだした。咲はまだバスルームにこもっているので聞こえないらしい。しつこく鳴り続ける携帯を晃が何となく手に取って見てみると、発信者は―父―となっていた。すると、すぐに壁の脇から咲の姿が現れた。
「電話が鳴ってたぞ。親父さんから。」
そう言いながら晃は、素っ裸で立つ咲のほうにピンクの携帯を置いた。咲はベッドに置かれたそれを何となく見てから、「そう」とつまらなそうな顔で小さく応えた。晃が意味ありげな視線を投げる。
「お前・・・・・、携帯二個持ってんの?何で?」
咲は聞かれたくないことを問われたように、晃から目を逸らして笑い顔を作って言う。
「ちょっとね、バイトしてるから・・・・・。」
「何の?」
「内緒。」
即答する咲を、晃は「ふーん」と言いながら横目で流して、続いてその手に握られた携帯を見た。ごてごてとラインストーンの光る普段使っているピンクのそれとは別に、咲の握った黒いほうはストラップすら付いていないシンプルなものだ。それがなぜか仕事に対する咲の気合の入れようを感じさせる。
「それよか、もう一回ヤろうよ。」
咲は晃の体に逆さに跨ぎながら上体を倒し、その下腹部にある自分の大好物目がけてかぶりついていった。
「トモカです。」
ノックをしてから麻里江がそう言うと、すぐに目の前の扉が開いて中年男が麻里江を部屋に招き入れた。
「こ・・・・・んばんは。」
中に入るなりすぐに麻里江が言った。
「こんばんは。」
中年男がテーブルの上に数枚の万札を置くと、麻里江はすぐにそれを自分の鞄にしまった。そうするように咲から指導されている。今日が麻里江の初仕事だった。
中年男が麻里江に笑いかけながら言った。
「驚いた。君、まだ中学生だろう?こんなことしていいのかな?」
すぐに麻里江はきつい目を男に向けた。
「違いますっ。これでも高三ですっ。」
「へえ・・・・・、本当に高校生なんだ・・・・・。」
「あっ・・・・・、でも、・・・・・十八歳です。」
明らかに狼狽の色を見せる麻里江を、中年男は明るく笑い飛ばした。
「いいよ、別に。年、言いたくないんならそれでも・・・。」
そこで改めて麻里江はその男をしげしげと眺めた。年は四十前後だろうか。自分の父親よりは少し若そうだ。会社帰りらしくパリっとしたスーツに身を包み、少し白髪の混じる黒い髪も全て生え揃っていて清潔感もある。雰囲気としては、大手の会社に勤める営業マンといったところだ。こんなところで女を買わなくてもいくらでも相手がいそうなのに、と麻里江は大人社会の矛盾を感じる。
「おじさん、まさか警察の人?」
自分が十八歳でないのがばれたら補導されるのだろうか。そうしたらこのことが親にもばれてしまう。今のところその辺りが麻里江の心配の範疇だった。
挑むようにして言う麻里江に、中年男は笑みを絶やさずに顔を左右に振って否定した。だが、まだその回答を素直に信じていいのかは分からない。麻里江は用心深く話を進めた。
「あの・・・・、私・・・・・彼氏以外の人とエッチしたことないんです・・・・・。ようするに、援交とか今日が初めて・・・。」
「そうなんだ」と中年男は優しげに頷いた。そしてテーブルの前にあるソファーに悠々と腰掛けて言った。
「僕はね、君と話がしたいだけなんだ。別に何もしないでいいよ。」
「えっ・・・・・?」
中年男の意味不明な発言に、麻里江はさらに警戒心を強める。油断させておいて、もっと特殊なことを強要されるという可能性もある。
「私のこと、知ってるんですか?」
ビールのプルタブを開けて一口飲んでから、男は疲れを癒すように息を吐きながら答えた。
「いや、知らないよ。今日初めて会った。ただ、だれでもいいから高校生くらいの子と話がしたくて呼んだだけなんだ。」
「・・・・・・・・・・。」
男の雰囲気だけ見れば、警察の人間にはとても見えない。ただの孤独なロリコン男なのだろうか、と麻里江は男の姿かたちからその真意を探ろうとする。
男はにこにこと優しげな笑みを麻里江に向けている。そこからは何の危うさや異常さも感じられない。とりあえず心配する必要はなさそうだと判断し、麻里江は男の正面にあるソファーに自分も腰を下ろした。男は冷蔵庫からジュースを出して麻里江に薦めてくれた。
このまま本当に話をするだけなら、もう緊張する必要もないだろう。覚悟はしてきたものの、やはり実際にこんな場所に来て生身の人間に会ってみると、それは麻里江の想像した世界とはかなりの差がありそうだった。とりあえず今日は救われた、と麻里江は気が抜けた思いでジュースを飲みながら男の話に耳を傾けることにした。
中年男の話だと、自分にも高校生の娘がいるのだが訳あって今は別々に暮らしているのだという。会って話がしたいが、娘のほうから全然連絡を入れてこないので会うに会えない。そこで、誰か他の高校生と話しでもして気を紛らわせようとした、ということだ。麻里江には今ひとつ男の話の趣旨がよく分からなかった。
「何でおじさんから連絡しないんですか?」
麻里江の当たり前な質問に、中年男は困ったような顔をして頭をかいている。しばらく沈黙してから男はぽつぽつと話し始めた。
「娘はね、僕の本当の子じゃないんだ。全く血が繋がっていないんだ。それが分かった二年前から別に暮らすようになったんだけどね。」
娘は全然自分に似ていないし、そういう意味で小さい頃から腑に落ちない点はあったらしい。それでも自分の娘だと思って一人っ子のその子を大事に愛情かけて育ててきたのだと言う。
「親の口から言うのもなんだけど、見た目はものすごく綺麗な子なんだ。大人びた雰囲気のある子でね。ちょっと痩せすぎだけどスタイルもいい。客観的に見て、本当にいい女になるだろうなってね・・・。」
そこで男はぐっとビールを一口飲んで息を付いた。物憂げな表情で缶についた水滴を親指でなぞる。
「・・・・・男親はね、皆少なからず娘には恋しているようなものなんだよ。目に入れても痛くないほど娘が可愛いんだ。僕もそうだった。そうやって育ててきた。・・・・・でも、結局あの子は他人の子だったんだよ・・・・・。」
男はそこで全てを出し尽くしたかのようにぐったりとうな垂れた。
「・・・・・どうしてそれが分かったんですか?」
男が黙ってしまったので麻里江が話の続きを促がした。所々煙草で焼け焦げたジュータンを見つめながら男は言う。
「妻がね、娘の血液型を偽っていたんだよ。書類を全部隠していてね。それを僕がたまたま見つけてしまった。娘の血液型は僕らの間には絶対産まれないものだったんだ。妻はね、ずっと僕を騙し続けてきたんだよ。自分のたった一夜の過ちのために。」
「一夜の・・・過ち・・・・・?浮気ってこと・・・・・?」
「そう。浮気・・・なのかな。死ぬほど憧れてたミュージシャンと寝たんだよ。そいつのコンサートに行って、運良くスタッフにそのバンドの打ち上げに誘われてさ。ある意味、スカウトだね。ミュージシャンの夜を退屈させないための貴重な人材。そして妻は、そのまま一晩夢のような時間を過ごして、その結果妊娠したんだ。僕は何も知らなくて、そのとき妻と付き合ってたから素直にそれが自分の子なのだと思ってしまった。そして結婚した。馬鹿だね。でも妻はあの子を産んでから、頑として次の子を作ろうとはしなかった。思えばそこからしておかしかったんだな。ようするに妻は、俺の子はいらなくて、その外人の子供だけいれば良かったんだよ。俺は最初から、妻の手の届かない存在のそいつに負けてたんだな・・・・・。」
そこまで話すと、男は下を向いて自嘲するかのように笑いながら嗚咽を漏らし始めた。体に入った少々のアルコールが、この男が感傷に浸るのをいくらか手伝っているのかもしれない。無防備にすすり泣く中年男を見ながら麻里江は寂しげに眉根を寄せた。
男が今でも妻を思っているのだということが、麻里江にもひしひしと伝わってくる。他人事とはいえ、麻里江はこの男が少し哀れに思えてきた。愛していた妻には裏切られ、大事に育てた娘は血の繋がらない子で、男はそれをいつまでも引きずったまま、娘に自分から連絡する勇気すらないのだ。それゆえに、娘と同じ年頃の子と話をして、娘に会ったつもりにでもなっているのだろうか。
「・・・じゃあ、娘さんはハーフなんですか?」
男が少し落ち着いたところを見計らって麻里江が口を開いた。男は上体を起こし、おぼろげな記憶を思い起こすようにぼんやりとどこかに目を向けた。
「いや・・・・・、ハーフじゃないな、娘は・・・・・、クオーターだな。相手のミュージシャンは確か日本人とハワイアンのハーフだったから・・・・・。だから、日本人に見えるよ、娘は。やはり目鼻立ちははっきりしてるけど。スタイルがいいのはアメリカ人の血なのかな・・・・・。あの子は胸の下がすぐ腰なんだよ。」
麻里江はその娘の姿を想像してみた。この男の話だと、娘は人目を引くような容姿端麗な少女なのだと想像できる。幼児体形の自分とは全く違うタイプなのだろう。だが、親は皆往々にして我が子を過大評価してしまうものだ・・・。
男はビールの缶を両手で握り、足元に視線を落としたまま話を続ける。少し体が重そうに見えてきた。
「笑っちゃうことにね、後で気付いたことなんだけど、娘は中学に入ったら父親のやってるような音楽を好んで聴くようになったんだよ。そして、毎日ギターばかり弾くようになった。そのときに、ちょっと特異な趣味だな、と思ったんだ。その子の聴く音楽はそんなにポピュラーじゃなかったからね。今思えば、血は争えなかったってことだね。」
「・・・・・どんな音楽なんですか?」
「うるさくて激しいロックだよ。あんまり日本じゃ流行んないような。僕はね、もっと静かなのが好きなんだけどね。まあ、それ以前に今、音楽なんて意識して聴いたりしないけどね・・・・・。」
そこで男は思い出したように言った。
「何だか僕の話ばかりで退屈だね。君はどういうのが好きなの?高校生だから、やっぱりジャニーズとか?」
「好きなのは・・・ショパンです。」
「ショパン。」
「はい。」
「ふーん。何だか意外だね。そんな上品なこと言う子がこんなことしてるなんて・・・。君は一見そんなに悪い子には見えないんだけど、どうしてこんなことしてるの?」
「・・・・・え・・・・・あ・・・・・、お金・・・・・。」
突然話が核心に触れ、心の準備ができていなかった麻里江は動揺で目を泳がせた。それにしても、あまりにも愚問ではないか。
「お金のため?・・・・・そんなに必要なのかい?」
「はい・・・・・。好きな人がいて、その人のために必要なんです。」
膝の上に行儀良く置いた両手を見ながら麻里江はおどおどと答える。男は小さな溜息をつきながら穏やかに表情を曇らせた。
「・・・君、その年ですでに男に貢いでるの?悲しいなあ・・・・・。悪いことは言わないよ。女を喰い物にするような男はやめたほうがいいよ。まだ若いんだから、君だったら他にももっといい男はいるだろう?」
淡々と諭す男に、麻里江は少し語気を強めて言った。
「違うんです。彼は知らないんです、私がこんなことしてること。それに貢いでるとかじゃなくて、彼は心の病気なんです。そのために薬が必要なんです。私が稼ごうとしているのはそのためのお金なんです。」
麻里江の表情は真剣そのものだ。男は麻里江のその揺ぎ無い態度にしばし唖然としていたが、少ししてから再び口を開いた。
「でも・・・・・、彼っていうのは君と同世代の子なんじゃないのかい?病気だったら、そういう治療費は普通親が出すもんじゃないの?・・・どうして君が?」
「・・・・・・・・・・。」
麻里江は口を噤んだ。目にうっすらと涙が滲む。とりあえず、赤の他人のこの男にこれ以上のことを話す必要もないだろう。麻薬をやっていることを打ち明けたところで、同情などしてもらえるわけがない。
初めは話しをするだけでお金がもらえるなら得だと思った。けれど、自分のことを話しているうちに麻里江は現実に引き戻されてしまった。自分はとてもじゃないが人に言えないことをしようとしている。それでも、このことは仕事仲間である咲しか知らない。客ももちろん知り合いじゃない、ほとんどが父親ほどの年齢の男だと聞いている。だから、この「ウリ」というアルバイトをするとき、麻里江は全く違う人間になる気でいた。それで罪の意識から逃避できる自信があった。なのにこの男は、名門女子校に通う麻里江という、現実社会に生きる自分を容赦なく呼び覚ましてしまった。
「・・・・・私のことはもういいでしょ。おじさんの子供の話、もっと聞かせてよ。写真とか、無いの?」
麻里江が下を向いてハンカチで目元を押さえながら言った。麻里江の切迫した態度から、男はそれ以上話を促がすのはやめにした。事実を追求したところで自分は何の助けにもなれない。余計な首を突っ込んでも無意味だろう、と。
男はポケットから携帯電話を取り出すと、待ち受け画面を光らせてそれが麻里江によく見えるように向けて見せた。
「ほら、とびきり可愛い子だろう?」
麻里江が何となく目の前のそれを覗き込んでみると、そこには中学校の制服らしきものを着た髪の長い色白の少女の上半身が写っていた。無意識に麻里江は目を見張った。化粧をしていないその少女の顔は今よりもだいぶ幼いが、紛れも無くそれは、麻里江が一番見たくない増田リオの無邪気な笑顔だった。
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