64・・・反省
「どこいってたんだよ。心配させんなよ。携帯鳴らしても出ねーし。・・・・・そういえば、LIVELAのギターのやつがリオのこと探してたぞ。」
瑠偉とリオが楽屋に戻ると、対面するなり明人が言った。そのとき、自分たちの出番まであと三十分というタイミングだった。
「わりーなっ。こいつが気分悪いって言うもんだから、ちょっと人のいないとこで休憩させてた。」
瑠偉が取ってつけたように明るく笑いながら言う。その後ろで、リオはまだ熱っぽい体を萎ませて俯いていた。携帯がしきりに震えていたので、行為の後二人は一息つく暇も無くこの場に駆けつけたのだった。
瑠偉はさきほどから自分たちを全く無視している怜のほうをさりげなく窺った。明人の口調からは、瑠偉とリオが今しがたしていたことを何も認識していないように取れる。クニの様子からも同じ印象だった。
怜があの場にいたということは今更疑う余地も無かった。分かっていながら、抵抗を感じながらもリオは自分を止められなかった。途中で拒んだとはいえ、結局は欲望に負けて難なく瑠偉を受け容れてしまった。口から漏れ出た淫らな声も、きっと怜に届いてしまったことだろう。自業自得とはいえ、この現実にげんなりしてしまう。
きっと怜は呆れている。軽蔑しているかもしれない。そう思うと、とても怜を正視することができなかった。穴があったら入りたいくらいだ。そして怜もその事実を裏付けるかのように、さっきから全くと言っていいほどリオを見ようとしない。
自己嫌悪に打ちひしがれながら、リオはライブに向けて緩い動作で支度を始めた。
「腫れぼったいな・・・・・。」
そんなことを言われながら、リオは瑠偉のされるままにメイクによって変身していく。リオの目の淵が不吉に黒く塗りつぶされ、その周囲を細かに光るブルーがグラデーションを描いていく。
リオの分が終わると瑠偉は自分にも軽くメイクを施し、ものの十五分程で遅れてきた二人の支度はすっかり整った。ヴィジュアル系バンドといっても、Bloody Dollsのステージ衣装は華美なドレスやスーツといったようなものはなく、ほとんどが普段着に近いラフなものだった。着てきた服を部分的に替えるだけなので支度もすぐに済んでしまう。
手持ち無沙汰になってリオが何となくギターでコードを弾いていると、視界の隅に先の尖った黒いショートブーツが映った。顔を上げて見た先には、感情の無い顔でリオを見下ろす怜が立っていた。
度肝を抜かれて反射的にリオが目を反らした。怜は怖い顔をしているわけではなかったが、いつもの柔らかい笑みは姿を隠していた。
「体のほうは大丈夫なのか?」
それは、若干暗いが相変わらず穏やかな怜の声だった。恐る恐るリオが頷くと、目の前にペットボトルが突きつけられた。
「ちゃんとまめに水分補給しろよ。ステージの上は熱いから。」
そういい残して、怜はそのままギターを抱えてバックステージを出て行った。
渡されたスポーツドリンクを両手で握りながら、リオは夕日を浴びたように顔を赤くした。そっけない言い方ではあったが、怜の物腰はいつも優しい。まだ、見捨てられた訳では無いのかもしれない、と秘かに胸を撫で下ろした。
その後、数分してBloody Dollsの出番がやって来た。やはり、前一列は地元から駆けつけた彼らのファンクラブのメンバーで埋まっている。ほとんどが桜川女子高校の生徒たちだった。
SEを聞きながら、リオはぼんやりとステージから会場を眺めた。女の子達の高い声がメンバーの名を次々と呼んでいる。やはり、「瑠偉」と呼ぶ声が多い。さりげなくまだ暗いステージ中央に視線を移すと、客席を背にしてマイクスタンドに手を掛ける瑠偉と目が合った。瑠偉はリオに向かって一瞬顔をしかめるように悪戯っぽく笑ってから、べろっと長い舌を出した。これから暴れるぞという意気揚々とした活気が全身から窺える。リオは力なく微笑み返した。欲求が果たせたせいか瑠偉はすこぶる元気そうだったが、リオのほうは体に靄が掛かったように未だ気だるかった。
SEが鳴り終わり、クニのスティックがカチカチとカウントする音が聞こえた。全員の音が一斉にどんと鳴り、Bloody Dollsのライブが始まった。
ムッとするような熱気がリオの体を包み込む。
いつもならライブの興奮で体が燃え上がり活力が沸いてくるところだが、今日に限っては勝手が違った。体の熱はどんどん高まっていく反面、血がたぎるような内側から燃える感覚は無い。まるで、全身を覆う熱がエネルギーを吸い取っていくようだ。
「水飲め・・・。」
MCで手が空いているとき、怜が近づいてきてリオにそう言った。リオの動きが少ないことを気にしているのかもしれない。だが、そういう怜の調子も今ひとつだった。怜が悪いのかリオが悪いのか、今日の二人のギターはうまく調和がとれない。さらに、ライブ中盤に入るとリオの単純なミスが連発した。出だしが遅れたり所々音が抜けたりと、そのたび重なる失態は怜や明人を思わず振り向かせた。今日のリオは何かが違った。
客席の後ろからステージを眺めていた春斗の顔が困惑の色を見せた。
「何だよ・・・どうした、リオちゃん。」
春斗がそう呟いた直後、たよりなげに立っていたリオの姿が、吊っていた糸が切れたように突然床に崩れ落ちた。それを見て、当惑したオーディエンスの一部がどよっとざわめいた。メンバーの中で一番先に気付いたのはドラムのクニだった。クニの視界からリオの姿が沈んで横向きに折れた瞬間、ギターの音が途切れたことで怜もすぐにその異変に気付いた。曲の途中なので一応復活することを願いつつ、クニはリオの身を案じながらもドラムを叩き続けた。怜がギターを弾きながらリオに歩み寄る。だが、ぐったりとしたその様子を見て、怜はすぐにギターを引く手を止めて無造作に片手を上げた。それを合図に残っていたリズム隊とボーカルの音も止んだ。
「リオっ・・・・・、どうしたっ?」
怜がリオの体を揺さぶり軽く顔を叩いてみるが、反応が無い。すぐに駆け寄ってきた瑠偉もリオの顔を覗きこんで叫ぶ。
「おいっ。どうしたんだよっ。」
前列にいる観客は、混乱しているバンドメンバーの様子を不安げに見守っている。状況を把握できていない後ろの客が背伸びをして前方を窺い、停滞してしまったステージを前に立ち往生していた。
怜がだらりと伸びたリオの体を抱き起こし、汗ばんだ額に手を当ててみた。
「熱いな・・・・・。」
そう言って怜は顔をしかめた。リオは半眼になって小さく口を開けている。意識が朦朧としているのが分かる。
「おい、おい、リオっ。分かるか?」
もう一度怜がぺちぺちと顔を叩く。
「・・・・・ふぁぁ・・・・・。」
リオの間抜けな反応に思わず怜は瑠偉と顔を見合わせた。
「・・・・・ダメだ。ここで打ち切りだ。」
怜が溜息をつきながら周りを囲んでいるメンバーに向かって言うと、すぐに瑠偉が頷いた。
女の子たちの控えめなブーイングの中、残り十分ほどの持ち時間を残してBloody Dollsのライブはあまりにも呆気なく終了した。瑠偉がその場を取り繕う短いMCをしている間に、骨を無くしたようなリオを横向きに抱えて怜はステージを降りた。それを見て、瑠偉がチッと舌打ちをした。その間もリオは、自分の身に何が起きているのかも知らずに呆けた顔で黙って運ばれていた。
「・・・意識はあるんだよな?」
「ああ、一応。多分熱のせいでのぼせちゃったんだろう。すげー熱いもん。」
「どうする?病院連れてくか?」
「あー・・・・・、ちょっと休まして様子見て、だな・・・・・。」
頭の上で怜や明人の声がする。微かに風が吹いている。見ると、目の前で怜が何かの紙をうちわ代わりにして自分を扇いでくれていた。
「あ、目が開いた・・・。」
リオがいくらかはっきりした意識で見上げると、自分を見下ろす三人の仲間の顔が煙草の煙にまみれて見えた。気付けば、楽屋にある黒いビニール地の長いすに一人寝かされていた。楽屋にいたのはBloody Dollsのメンバーのみで、リオのためにそこは貸し切りになっていた。対バンの誰か数人が興味深げに入口からこちらを覗いている。そのときその扉から、買い物から帰って来た瑠偉の姿が現れた。
「あ、起きた?」
瑠偉は少し慌てたようにリオの傍に駆け寄った。リオが恍惚とした表情で目だけを動かして瑠偉を見る。
「ライブ・・・・・は・・・・・?」
リオの声は、小さな子供のように頼りなげだった。
「中断したに決まってんだろ。お前、倒れちゃったんだから。」
瑠偉は買って来たものを袋から出しながら言った。すぐにリオの額に冷たい氷の袋が置かれた。とたんにリオが「ひー」と小さく叫んだ。
「つ、冷たいよぉっ。」
「あー、タオルタオル・・・・・。」
怜が自分のタオルで包んで乗せなおしてくれた。頭の裏にも同じものを敷かれた。その後、買って来た体温計で熱を計ったら41℃あることが分かり、すぐにリオは解熱剤を飲まされた。
「風邪でも引いたかな・・・・・。」
クニがスティックで頭を掻きながらのんびりと言った。
「瑠偉・・・・・。」
リオへの処置が一通り済んだところで、怜が「ついてこい」という風に顎で促がした。瑠偉は意味ありげに明人とクニの顔を順番に見てから、先に行く怜の後について無言でバックステージを出た。
ライブ会場では、最後のバンドの演奏が終わりに差し掛かったところだった。入口から漏れる音の前を通り過ぎて、怜は人気の無い静かな通路まで瑠偉を導いた。薄暗い奥まった場所までいくと、怜は突如振り返り、すぐに瑠偉の蛇柄のシャツの襟首を掴んで声を上げた。
「・・・何、やってんだよっ。」
いきなり怒号を浴びせられて、あっけにとられた瑠偉は身動き一つせずに黙って怜に身を委ねた。
「何って・・・・・、何が・・・・・?」
めったに見られない怜の殺気立った姿に圧倒されながら、瑠偉は素直にその意味を問いただす。怜は間髪入れずにまくし立てた。
「とぼけんな。リオのことだよっ。何、ライブ前にのんきにあんなとこでヤッてんだよっ。そんな場合じゃねぇーだろっ。具合悪いときに血が昇っちまったら、ライブでああなったって当然だろっ・・・・・。それくらい考えろよっ。」
「・・・・・・・・・・。」
「アイツ、朝から本調子じゃなかったろ。傍に着いてるんだったら、もう少し気にかけてやれよっ。リオはお前の女なんだろっ?!」
「・・・・・・・・・・。」
突然の思いも寄らぬ訴えに、瑠偉は普段余り使わない頭で必死で今日一日のことを思い巡らした。確かに今日リオは朝から調子が悪そうで、「だるい」、「眠い」を繰り返していた。けれど、それは単に寝不足によるものだと、高を括っていた。そして半ば強引にリオをけしかけてセックスにまで及んでしまった。
ライブを見ている最中にリオが座り込んだことを、怜は素直に体調不良によるものだと思っているのだ。だがそれは、瑠偉の悪戯による結果に他ならない。あのときのリオは決して具合が悪くなった訳ではなく、ただ脱力して立っていられなくなっただけだ。けれど、それを今更怜に申告する気にもなれなかった。実際、今日リオが本調子でなかったのは紛れもない事実であるし、そんなリオに追い討ちをかけたのはやはり自分なのだ。
瑠偉は何の反論もしなかった。瑠偉だって他のメンバー同様、軽々しい気持ちでライブに挑んでいるわけではない。一回一回が真剣勝負だ。それでも、今日の自分は少し浮かれていたのかもしれない・・・・・。
瑠偉は力なく肩を落とし長いまつ毛を伏せた。怜は言うべき事を言うと、瑠偉をじっと見据えながら掴んだ襟元を静かに離した。そしてうな垂れた瑠偉に背を向け、大股でその場から立ち去った。
「また、怒られた・・・・・。」
独り置き去りにされた瑠偉は、抑揚の無い声で誰にともなく呟いた。
リオのことで怜に叱られたのはこれで二度目だ。打ち上げで酔ってリオをベッドに押し倒したときも、首を締め上げられた挙句厳しく叱責された。そして今日、瑠偉はまたして怜に手酷く打ち負かされた気がした。
ほんの些細な嫉妬心から、怜に対し遠まわしに挑戦的な態度をとってしまった。そして、恐らくそれのせいでリオの体に負担をかけ、せっかくのライブを台無しにしてしまったのだ。瑠偉にとってそれはあまりにも愚かで虚しい結果だった。
結局、自分が目先の小さなことに躍起になっていたのに対し、怜は一歩離れたところから冷静な目で見ながらリオのことを気遣っていたに違いない。
「ゴメン・・・・・。」
瑠偉はすぐ後ろにあった壁に寄りかかって座り込み、ポケットから煙草を取り出して火を点けた。そしてそのまま暗い天井を見上げながら、そこでしばらく煙を燻らしていた。今は何だか、リオにもバンドのメンバーにも向ける顔が無いような気がした。
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