6・・・視聴覚室で、その2
七月―。期末試験も終わり、リオの高校では早くも夏休みモードに突入している。リオは、試験の結果が上位150番以内に入っていることを確認すると、ほっと胸を撫で下ろした。一応このノルマを達成できないと、バンド活動は禁止されるというシステムになっている。これがリオに課せられた母親からの決めごとだった。だから、意外にもリオは授業の内容をいつも真剣に聞いていた。この時間を活用しなければ、ギターを弾く時間を削らなければならない。でもそのお陰で、勉強をネタにクラスの友達とも共通の話題が持てた。
リオの隣の席には同じ軽音楽部の早坂陸が座っている。早坂は優弥と同じバンドでしかもカレンの彼氏でもあるので、リオと優弥、カレンと早坂というカップル同士で出掛けたこともある。だから、リオは早坂が相手だといつも何かしら話題がある。
「夏休み、優弥と二人で海にでも行くの?」
机に頬杖をつきながら首だけをリオのほうに傾けて早坂が言った。早坂はドラムをやっているせいか、白いカッターシャツから覗いた二の腕が若干筋肉質だ。髪は黒く、優弥と違って長すぎるというほどでもない。目の下まである前髪だけは上に上げ、数箇所をピンで留めている。明るく気さくなノリで、体育会系の雰囲気もある。
「海?冗談じゃない。ロックミューシャンが海水浴なんてシャレになんないよ!」
と妙に力んで言ったリオのコメントに早坂は、
「マジでお前らしい。」
と面白そうに笑った。
「早坂はカレンとどっか行くの?」
リオの切り返しに早坂は、「う〜ん」と考え込むふうで、
「せっかくの夏休みだしな〜。」
と考え深げに天井を見上げた。
せっかくの夏休み・・・。
リオは優弥から「旅行に行こう」と誘われていた。でも、どうも気になることがあって踏ん切りがつかない。
(外泊するということは、もしや・・・?)
リオには恐ろしくてその意味を深く追求できない。しかも、その手のことに疎いリオには、はっきりとしたイメージも沸かない。
リオが優弥と付き合い始めて三ヶ月が経とうとしていた。
でもこの三ヶ月で、リオの優弥に対する思いは確実に変化している。なるべく一緒にいたいと思うし、一緒にいれば何となく触れていたいとも思う。お陰で、満員電車に乗っても優弥に体をぴったりと付けるようにもなった。話してれば楽しいし、黙っていても充実していた。そして何よりも、優弥は常にリオを見ていてくれる。
放課後―視聴覚室が空いていたので、リオはアンプにシールドを挿して愛用のストラトを鳴らしていた。優弥はキーボードをピアノの音にして何かクラシックのような曲を弾いている。
「絶対ママにバレると思う。うちのママ、厳しいからそういうことには敏感なんだ。そうなったらバンド辞めさせられちゃうし、ギターも禁止だし。夏休みも監禁状態だよ。もちろん優弥にも会わせてくれなくなっちゃうよ。」
そう言ってリオは、ギターの弦をピックではじいた。
優弥は、軽くうな垂れた。
そのとき、中途半端なコードの音に混じってキン!という音がしたかと思うと、リオの指にバチっと何かが弾ける感触と痛みが走った。
「あ!・・・やっちゃったっ。」
とリオが言ってから見てみると、切れた一弦が宙ぶらりんになってギターのボディーから垂れ下がっていた。
続いて、リオの右手の親指の腹のあたりから真っ赤な血がツーっと流れた。思ったより派手に切れてしまったらしい。リオはじわじわと血に染まってゆく自分の手を無表情で眺めながら思った。
(やっぱ、痛いのはイヤだし、怖いし・・・。)
リオは、上の空だった。
「・・・垂れるよ。」
優弥が言った。そして何もしないで突っ立っているリオを見かねて慌ててとんできた。
「おい、垂れるって。」
優弥はリオの手首をむんずと掴んで自分に引き寄せ、流れて滴り落ちそうになった血液を下からベロっと舐め上げた。
「ヒッ!!」
びっくりしてリオが手を引っ込めようすると、優弥は強い力で掴んで放さない。
人に手を舐められるなどという経験は、記憶の限りではリオには全く無かった。はじめて間近で見る優弥の濡れた舌、ヌルヌルとした生暖かい感触。くすぐったいまで行かない妙な感覚に囚われて、リオの頭はパニック状態になった。
リオの動揺をよそに、優弥は後から流れ出てくる血を淡々と舐めている。そして、
「ハンカチある?ティッシュとか・・・。」
と事務的に言った。リオは、空いているほうの手でポケットからその二つを取り出すと、黙って優弥に差し出した。
優弥はティッシュで傷口をしばらく押さえ、その上から手際よくハンカチを巻くと、終わりを玉結びした。
「はい、オーケー。まだちょっと血ぃ出てるけど、きりが無いから・・・。」
「・・・ありがとう・・・。」
小さな声でリオが言った。すっかり処置の済んだ自分の手を見下ろしながら、リオは何だか決まり悪そうにモジモジした。そして、
「何か、恥ずかしかったし・・・・・。」
と付け足した。
「・・・そう?」
と優弥は無表情で何ともなしに応えた。リオは優弥に目を合わせられない。最近優弥といると、胸がどきどきしたり体が熱くなったりすることが多かった。何があっても動じないリオだったのに・・・。
優弥は両手をズボンのポケットに突っ込みながら背を丸め、一度ぶんと後ろに頭を倒して目にかかった邪魔な前髪を振り払った。そんな優弥のふとした仕草を見て、リオは胸の真ん中の一部を引っ張られるような切ない感覚を覚えた。
リオがじっと優弥の横顔を窺っていると、優弥の上唇に微かに赤く染まっている箇所を見つけた。
「あ、血がついてる。」
自分の血液らしきものを指差してリオが言った。すると優弥は、リオの鼻に自分の鼻がくっ付くほど顔を近づけ、
「じゃあ、今度はリオが舐めて?」
と、少しいたずらっぽい笑みを浮かべて言った。そんな優弥を見て、リオはまたむずむずと気持ちが落ち着かなくなる。
自分で舐めればいいのに・・・そう思いつつも、なぜか舐めてみたいという強い衝動に駆られてしまった。そして背伸びをして、そっと自分の舌先を優弥の上唇にあてた。キスをするときのように目を閉じて・・・。
ペロっとひと舐めすると、リオの舌が生温かい濡れて動くものにあたった。驚いたリオは慌てて優弥から顔を放す。
すると優弥は、リオの襟足に素早く手を回し自分のほうへ引き寄せると、勢いよく自分の唇をリオの唇に重ねた。
「んっ・・・・・。」
リオが息が詰まったような声を出した。優弥はリオの腕を掴みそのまま一歩踏み込むと、すぐ目の前の壁に自分の体を重ねるようにしてリオを挟み込んだ。
優弥の舌がりオの柔らかな唇の隙間をこじ開けて浸入し、上顎を左右にまんべんなくなぞる。たまらずに、無意識にリオも自分の舌を優弥の舌に絡ませた。重なった唇の隙間から二人の熱い吐息が漏れた。
リオのギターが優弥の体に押されて、電源が入ったままのアンプから中途半端なノイズが発した。優弥はそのままの状態を保ちながら右手で探り、ギターのヴォリュームつまみを絞った。
優弥は少し顔を離し、向きを変えてはまたリオの唇を吸う。
どれくらいの時間それを繰り返していたのか、唇がふやけるような感覚を覚え優弥はようやくリオを解放した。とたんにリオの体は背中の壁を伝ってずるずるとずり落ち、最後には床にぺたっと尻を着いてしまった。まるで優弥に口から生気を吸い取られてしまったかのようだ。
続いて優弥もがっくりとリオの前に膝を着いた。
小さく肩で息をしながら、優弥は目の前で同じように息を弾ませて虚脱状態になっているリオを見下ろした。リオは微かに目を開けたままぐったりと壁に頭をもたれている。両膝を立てているので、僅かに開いた足の間から太腿までしかないスカートの中身が露わになっていた。白い首筋にはリオの長い茶色の髪が数本汗で張り付き、それが優弥の目に艶めかしく映った。
「保健室、行こうか。」
しばらくして、優弥が言った。
「このままで・・・、いいよ・・・。」
なかなか元に戻れないリオは目を閉じたままのろのろと答えた。リオは、せっかく優弥が手当てをしてくれた手に結ばれたハンカチを解きたくなかった。
「いいの?」
「うん。」
顔を覗き込んで問う優弥にリオは微笑んで答えた。
優弥はリオの手を引き上げて立たせると、制服の尻のホコリを叩いてやり、リオの体からギターを外した。
後片付けを終えると、優弥はリオの荷物を一式抱え、そのままリオの手を引いて二人は視聴覚室を後にした。
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