55・・・怜の葛藤
朝十時。リオはいつものようにギターと勉強道具を抱え、怜のアパートの玄関の前に立っていた。ピンポーンとインターフォンを鳴らすと、だいぶたってからドアが開き、頭をぼさぼさにした怜がぬっとドアから顔を出した。
「おっ・・・・・す・・・・・。」
「おはよう・・・・・。何か眠そうだね。」
「あぁ・・・・・、昨日の夜・・・・・ルイが来て飲んでた・・・・・。」
怜は鳥の巣のようになった頭をかきながら、だるそうに大きなあくびをした。怜の体からは何だか色んな匂いがする。勉強を教えてもらう雰囲気ではなさそうだ。
「眠かったら、いいよ。また来るよ。」
リオがあっけらかんと言って帰ろうとすると、怜が慌てて目を覚ましたようになってリオの腕をむんずと掴んだ。
「大丈夫。ただ、ちょっと支度させて。中入って待っててくれる?」
「・・・・・・・・・・うん。」
リオは妙に強く掴まれた腕を気にしながら、遠慮がちに玄関に入り込んだ。
靴を脱いで一歩そこに踏み込むと、座る場所が唯一あるぐらいの散らかりようだった。
「さっきまでルイがいたんだ。ずっと寝ててさ。・・・・・ちょっと待ってて。オレ、シャワー浴びてくるから。」
怜がそういい残して姿を消すと、リオはすぐに立ち上がって窓を開け放し、酒と煙草と男の匂いを外に放出した。小さなテーブルの上に散乱した、つまみの入っていた袋と煙草の吸殻をまとめて袋に入れる。足元にはビールの空き缶が無数に転がっていた。それも拾って別の袋にまとめる。そしてテーブルを拭いて横にどけると、リオは掃除機を見つけてきて電源を入れた。もちろん、かけるのは部屋の中央だけだ。掃除機をかけながら、散らかっていたその他のCDや雑誌などを部屋の隅に押しやる。いつもリオが自分の部屋でしている大雑把な掃除の方法だ。
「こんなもんでいいか・・・・・。」
リオが一人で納得していたところに怜がバスルームから出てきた。思わず振り向くと、怜の姿はタオルを腰に巻いているだけだった。
「ごめん。着替え持ってくの忘れた・・・。いつも一人だから。」
慌ててリオが怜から背を向ける。普段ライブの時に楽屋でメンバーは好き勝手に着替えをするので慣れてはいるが、この状況でその恰好はさすがのリオでも気まずい。
「・・・・・何だ、キレイになってるし。ごめんな。・・・・・お前、仕事早いな。」
怜が空間の出来た自分の部屋を見回して意外そうに言った。
「・・・・・応急処置ですから・・・・・。」
そんな風に言われるのだったらもっときちんと掃除しても良かった・・・などと思いつつ、褒めてもらえてリオは少し嬉しかった。
苦手な数学の問題を解いていると、無事服を着替えて首にタオルを掛けた怜がリオの横に腰を下ろした。
「二日酔いじゃないの?」
リオがノートを見ながら聞いた。
「まあ、ちょっとな。でも平気だから。」
「ルイもたくさん飲んでたの?」
「ああ・・・・・。」
結局あのあと怜とルイの二人はだらだらと飲み続け、追加の買出しももう一度行く羽目になった。買ってきたビールを全て飲み尽くしたところで、二人はいつの間にか眠っていた。泥酔状態になり、もう少しで怜は自分の本音を吐き出しそうになったが、それは何とか防ぐ事ができた。ルイが独り恋の悩みに明け暮れている間、怜は必死でこれからの自分の取るべき道を考えていた。だが、それは結局結論に達する事はなかった。安直に言えば、怜は何だか出遅れた気がした。ルイからすれば、リオの相手としての怜は、対象外としているらしい。しかもルイは、「この前結構イイ感じにはなった」と言っていた。
「イイ感じ」について、具体的にその内容を聞く事は、怜にはとてもできなかった。「イイ感じ」以上「喰ってない」未満。そんな事、怜は知りたいが知りたくもない。
「酒臭い・・・?オレ。」
怜が頬杖を付いて、リオのつむじを眺めながら聞いた。
「う?・・・・・どうかな・・・・・?」
リオは突然怜に向き直ったかと思うと、目を瞑って怜の首の辺りをくんくんと嗅いだ。思わず怜の胸がドキリとさせられる。
目を閉じたリオの顔を間近で見て、キスする時はこんな顔をするのかと怜は想像してしまう。
「・・・・・ダイジョブみたいだよ?」
リオはそのまま怜の眼前でぱっちりと目を開けると、口を閉じたまま勝気な笑みを浮かべた。そして、すぐに下を向いて、何も無かったかのように勉強の続きを始めた。
今ここで抱きしめてキスでもしたら、リオはどんな反応をするだろうか。
自分を兄としてではなく、男として意識してくれるようになるだろうか。
リオとルイの関係に一歩近付く事ができるだろうか。
怜の思考はゴーゴーと音を立て、活発に活動を続ける。
結局のところ何もしなければ、おそらくリオはルイの手の内に落ちてしまうだろう。ルイが気合を入れた状態で、落とせなかった女など過去に見たことがない。「どうしたらいいか分からない」と言っても、中学時代から不良だったルイは、女というものをよく知っている。分からないなりにもきっとうまく事を運べるだろう。それに、リオもルイに好感を持っているという事は分かりきった事だ。それがどの程度のものなのかは、計り知れないが・・・。
自分の事だって、リオは嫌っているはずは無い。多少は男としても意識してはいるはずだ。この前も公園に行って、デートみたいだと言ってはしゃいでいた。ミカがいなくなって、自分を独占できると喜んでいた。
今、この気持ちを伝えれば、何か変わるかもしれないしれない・・・・・。
そして今、行動を起こさなければ、手遅れになる・・・・・。
怜はぐっと拳を握った。いつのまにか汗も握っている。
そっと腕を上げながら、上半身をさりげなくリオのほうに近づける。肩を抱くために。
「リオ・・・・・。」
その時、突然リオが思い出したようにガバッと顔を上げた。
「そうだっ!」
怜の呼吸が一瞬にして止まった。無意識に、リオの肩に添えようとした手を元の位置に戻す。背中に冷汗が流れる。まるで、イタズラをした直後に親に見つかった子供のようだ。
「・・・・・・・・・・。」
リオは、そんな怜の不自然な行動に何も気付かずに楽しげに話し出す。
「怜とルイって、仲良しなんだねっ。」
「・・・・・・・・・・えっ?」
とたんに拍子抜けする。怜は無理矢理口だけ笑いながらその場を乗り切ろうとする。
「だってこの前、ルイが言ってたもん。」
「・・・・・・・・・・何て・・・・・?」
怜の心臓が不吉な音を立てて鳴り出した。リオは勿論、何も気付かずに続ける。
「あのね、『怜がいるから救われてる』・・・・・だっけ?・・・・・とにかく怜の事、すっごく大事な人みたいに言ってたよ。・・・・あ、根っこが純粋って言ってたっ。怜の事。」
「・・・・・・・・・・なんだよ、それ・・・・・。」
怜の声が不自然に擦れた。力が抜けていく。
「・・・・・とにかく、まるで怜がいてくれるから生きてられる・・・みたいに聞こえた。遠回しに。」
「・・・・・・・・・・。」
「すごいなーって思った。そんな関係・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
「ルイってさー、口では違う事言ってるけど、実は寂しがり屋なんじゃない?・・・・・って感じする。リオは・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・あーできたできた・・・・・。答え合わせ、してみよっと・・・。」
リオは一人で言いたい事を言うと、さっさと数学の世界に戻って行った。
怜のほうは、リオの口から出た言葉が頭の中でいつまでも木霊していた。そしてそれは、怜の生気をゆっくりと吸い取り、体を冷却していく。
(反則だろ、それ・・・・・。)
勿論、今までルイからそんな事を言われた事は一度も無い。無かっただけに、その話は怜の胸に深く染み入る感覚があった。確かに、怜にとってもルイは大切な存在だ。だが、そんな事をあえて言葉に出すのは、二人の間ではナンセンスな事だった。ルイと怜の間に特別な約束などは何も存在しないし、一緒にいるのは自然の成り行きだった。
そこで怜は、ルイの特殊な家庭環境の事などを思い出してみる。勿論、怜もその話はルイ本人から聞いていた。怜に比べ、家庭という社会の中でルイはあまりにも孤独だった。それだけに、他人の存在が大きくなるのは当然の事だ。
ルイにとって、自分という人間はどれだけの大きさなのか。もし、自分が裏切ったら、ルイはどうなるのか。
二人の友情は・・・?Bloody Dollsは・・・?
そこまで考えた時、怜は自分の体が徐々に萎んでいくような気がした。
今、自分がしようとしていた事は、余りにも浅はかな行動なのではないか・・・・・。
「・・・・・怜・・・・・、聞いてる?」
リオがシャーペンの頭を咥えたまま、顔を傾けて怜の顔を覗き込んでいた。怜は違うところに視線を向け、その目は開いていても何も機能していなかった。
「またフリーズしちゃった・・・。最近多いねー。ちゃんと食べてる?・・・・・あっ、リオ、今日もお弁当作ってきたよ。今日はねー、ちょっと和風なんだー・・・・・。」
リオの声が遠くに聞こえる。怜の魂は肉体から抜け出て、ゆらゆらと遥か彼方にさすらいの旅に出掛けた。
当分は戻ってこれそうも無い。
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